陸前豊里駅から2945D(キハ48 1544+キハ48 552)に乗車し、2駅気仙沼方面へ戻りました。
16時15分に柳津駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。東日本大震災の影響で、現在はここが終点となっています。
気仙沼方に目を転じると、保線用側線が1本あります。いま乗った2945Dの車両は大津波で被災したとみられており、これが最期の見送りとなってしまいました。
跨線橋を渡って駅舎に出ました。「ゆうキャビン」という合築駅舎で、観光案内所で乗車券を販売しています。林業の盛んな土地柄で、付近に「もくもくランド」があり、内部まで丸太造りの木造駅舎となっています。トイレもまた然りです。
ホームには「みやぎ北上連邦」の案内図があり、現在の登米市域がパスポート不要の独立国と銘打っています。この柳津駅は「カッパステーション」で、「入国管理事務所」です。
柳津での滞在時間は34分。折角なので、周辺散策。撮影しそびれましたが、駅前は田んぼです。
駅から歩いて5分の所に登米市津山総合支所があります。それに隣接する麻崎神社を訪問し、旅の安全を祈願してきました。
神社から戻ると、2度目の歯磨き。そうこうするうちに、発車時間が迫ってきました。折角なので、跨線橋を渡って裏口に出てみました。国道につながっていますが、付近には僅かに工場があるだけで人家は希薄です。
列車に乗ろうとホームに上がると、女性が1人待っていました。有壁の親戚の所に行くところだとか。16時49分発の快速南三陸4号(キハ110-124+キハ112-213+キハ111-213+キハ110-5)に乗車し、仙台に戻りました。これもいい感じの乗車率なので、通夜帰りの女性と相席させてもらいました。
小牛田にて前に「キハ110-126」を連結し、定刻18時5分に仙台駅4番線に到着。
発車メロディーを録音し終えると、もう仙台を発つ時間となりました。18時35分発のWeライナー(新潟200か357)で帰路に就きました。この日は6割くらいの入り。広瀬通1番町を出てから、仙台駅で購入した「女将のおもてなし弁当・松島篇」で夕食。牡蠣尽くしの駅弁で、この旅初めて海産物を食べました。途中、福島松川PA、上川PAで小休止。
新潟駅には22時12分に到着し、2009年11月7日の時よりも12分早着でした。22時38分発の信越本線2238D(キハ112-201+キハ111-201)で帰り、新津駅には23時に帰還しました。
以上で2011年3月5日の気仙沼線駅巡りは終了です。旅を終えて4日後にはM7.3の前震が発生し、6日後にはあの東北地方太平洋沖地震が発生しました。御覧の皆様も御存知かと思いますが、あの大津波で南三陸町は甚大な被害を受け、気仙沼線でも橋脚や駅舎などの流失が多数発生しました。JR東日本は地震保険が710億円下りることが決定しています。全線復旧には相当な費用と期間がかかるでしょう。この度被災されました皆様には心より御見舞いを申し上げ、一日でも早い復興をお祈り致します。
2011年春の「青春18」解禁乗り継ぎ おわり