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寝台特急日本海乗り納めの旅(その1)

2011-12-29 23:12:11 | 奥羽本線

 これより、寝台特急日本海絡みの乗り継ぎ旅にまいりましょう。
 それに先立ちまして、寝台特急日本海の概要を紹介します。寝台特急日本海は、大阪と青森を結ぶ夜行列車で、現行のダイヤでは下りは大阪を17時47分に発車し、青森には8時45分に到着します。上りは青森を19時31分に発車し、大阪には10時27分に到着します。EF81が牽引する24系客車の編成で、電源車1両+開放式A寝台1両+開放式B寝台7両(繁忙期は11両)です。昭和43年10月にデビューしましたが、大口利用客は修学旅行生のみで、2往復から1往復になった現在でも乗車率が5割と芳しくなく(2011年12月16日 毎日新聞)、来年(2012年)3月17日を以って「きたぐに」とともに臨時列車化されることが決まりました。私的には、24系客車の淘汰だと思うのですが。
 実行したのは、2011年8月20~21日。新津夏祭りの日でしたが、実行したのには理由がありました。7月24日には日出谷駅訪問した後に30日に「青春18」の使い始めにする予定でしたが、新潟・福島豪雨の影響で8月6日に延期となりました(関連記事はこちら)。その後は、14日に2回目を使ったのみで(年が明けたらお伝えします)、残り3週間で3回も残っていました。8月27日、9月10日も予定が埋まっており、やむを得ずこの日に実行に至りました。
 前置きはこれくらいにして、そろそろ出発しましょう。


2011年8月19日。前線の影響で羽越本線の村上から先で運転見合わせが続いており、果たして日本海が運転されるかどうか不安でした。念のために新津駅の駅員氏に訊いた所、運転しているとのこと。お神輿かつぎしながら羽越線の情報にアクセスすると、19時35分頃に運転再開したとのこと。


家に戻って一連の雑用を済ませ、1時5分頃に出発。新津駅に着くと、直江津にて運転士席の無線機を修繕したため、20分ほど遅れているとのこと。4番線でひたすら待つが、普段寝ている時間なので、とにかく眠い


やがて、「あけぼの」が発車し、当の4001レは1時50分頃に到着。指定の寝台に入ると、「きたぐに」とは違い、自分でベッドメイキングしなければならなかった!23分遅れの1時56分に発車。検札を終えると、速攻で就寝。この日は「EF81 107+カニ24 511+オロネ24 4+オハネフ25 117+オハネ24 4+オハネ25 220+オハネフ24 8+オハネ25 215+オハネ24 20+オハネフ24 21」といった編成で、8割くらいの入りでした。



朝が来て寝台車の様子を。補助椅子に座って外を眺めるのは、寝台車ならではの最高の贅沢です。日本人は、この贅沢をいつまで味わえるのだろうか。



19分遅れの9時4分に青森駅3番線に到着。先頭部に行くと、既にカマが切り離されていました。HMがいいですね。



切り離された後のカニ24 511。ブルートレインは今や風前の灯です。



大阪方に行くと、EF81 107に代わってDE10 1536が取り付けられていました。これから青森運転所に引揚げます。


「日本海」の撮影をおえて改札に向かいます。佇まいは3年前とは何ら変わっておりません。ただ、「祝 光星学院高校 決勝進出」という幟が出ていましたが。新津から青森まで寝不足で過ごすだけで16270円というのは、ちょっと高すぎました。



駅弁を購入し、駅舎撮影。国鉄後期型の平屋の駅舎で、県庁所在地の駅にしては小振りです。東北新幹線全通を期に、「和」をイメージしてリニューアルされました。近くに、A-Factoryという土産物屋が出来ていました。機会があれば行ってみたいんですけど。


「日本海」遅れの関係で奥羽本線644Mには間に合わず、特急「スーパー白鳥20号」(789系HE104編成+785系NE303編成)で新青森に向かいました。


東日本大震災を筆頭に災害続きで、人々が「絆」を再認識した2011年が終わろうとしています。来年もまた「クハ481-103の駅巡り旅のページ」を宜しくお願いします。


つづく


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