10時47分発の2302Mに乗車して四日市駅へ。この旅で乗車した唯一の213系(H3編成+H2編成)でした。
10時51分に四日市駅に到着。貨物も取り扱う駅で、島式ホームの横に多数の側線があります。
南方の切り欠きホーム(3番線)からは、伊勢鉄道のローカル列車が発着します。
跨線橋を渡って駅舎に出ました。昭和34年12月築の、横に長くどっしりとした駅舎です。
ついでに改札と窓口です。窓口営業時間は6:00~22:20(休み3回)です。窓口の手前にはJR東海ツアーズがあり、改札横にはKIOSKがあります。待合所は吹き抜けが広く、かつては2Fに食堂がありました(現在は階段も閉鎖されています)。
滞在時間を45分確保したので、駅前通を歩きます。道路を渡ると、三右衛門像が聳え立っていました。
三右衛門像から8分くらい歩くと、国道1号と交差します。右側の大きな建物は四日市市役所です。この大通りは近鉄四日市駅に繋がっていますが、その道程のうち5分の2を消化したに過ぎません。それしても、この通りは街路樹が広く取られ、片側で2車線くらいの立派な通りです。
行程の都合上、国道1号を見て折り返しました。伊勢鉄道の列車を見て、11時36分発の3312G(313系B311編成)に乗車しました。
11時40分に富田浜駅に到着。複線から単線に変わる駅で、対面式ホームの2面2線です。
構内踏切を渡って駅舎に入りました。この駅は嘗て有人駅で荷物扱所もありましたが、現在は、御覧の通り無人駅で窓口が閉鎖されています。券売機も無く簡易TOICA改札のみです。待合室にはゴミ箱が無く、木製のベンチはゴミだらけ。
それでは駅舎撮影。昭和28年12月築の大きな駅舎ですが、右半分は立ち入り不可です。駅前には自転車が置けるスペースがありますが、道路は決して広くありません。
駅から住宅地を歩くこと5分、旧東海道の松並木に出ました。この旅で得た、最も大きな発見の1つでした。でも、近くにラブホがあったのにはちょっと。
藤花もちょうど満開です。
駅前の発見をもう1つ。それは其角句碑。「蛤の焼かれて鳴くや 敦公(ほととぎす)」。元禄時代に俳人・宝井其角が富田庄茶屋(現在の富田三丁目)を通過の際、旅籠・尾張屋にて焼き蛤を食べ、その風味を讃えて詠んだ句だそうです。確かに、賑やかな高規格道路(R23)が隔たるものの海が近いし。
思いもよらぬ収穫を得て、12時10分発の3314G(313系B314編成)で後にしました。
12時12分に富田駅に到着。ここで単線から複線に変わります。2面3線(中線1本あり)の横に多数の側線がある構内です。
2,3番線の島の向こうには、もと三岐鉄道の跨線橋が残されています(立ち入り不可)。三岐鉄道が国鉄(JR)への乗り入れを止めて長い年月が経つので、時代を感じました。看板もそのままだし。
それでは、駅舎に入りましょう。
つづく
10時51分に四日市駅に到着。貨物も取り扱う駅で、島式ホームの横に多数の側線があります。
南方の切り欠きホーム(3番線)からは、伊勢鉄道のローカル列車が発着します。
跨線橋を渡って駅舎に出ました。昭和34年12月築の、横に長くどっしりとした駅舎です。
ついでに改札と窓口です。窓口営業時間は6:00~22:20(休み3回)です。窓口の手前にはJR東海ツアーズがあり、改札横にはKIOSKがあります。待合所は吹き抜けが広く、かつては2Fに食堂がありました(現在は階段も閉鎖されています)。
滞在時間を45分確保したので、駅前通を歩きます。道路を渡ると、三右衛門像が聳え立っていました。
三右衛門像から8分くらい歩くと、国道1号と交差します。右側の大きな建物は四日市市役所です。この大通りは近鉄四日市駅に繋がっていますが、その道程のうち5分の2を消化したに過ぎません。それしても、この通りは街路樹が広く取られ、片側で2車線くらいの立派な通りです。
行程の都合上、国道1号を見て折り返しました。伊勢鉄道の列車を見て、11時36分発の3312G(313系B311編成)に乗車しました。
11時40分に富田浜駅に到着。複線から単線に変わる駅で、対面式ホームの2面2線です。
構内踏切を渡って駅舎に入りました。この駅は嘗て有人駅で荷物扱所もありましたが、現在は、御覧の通り無人駅で窓口が閉鎖されています。券売機も無く簡易TOICA改札のみです。待合室にはゴミ箱が無く、木製のベンチはゴミだらけ。
それでは駅舎撮影。昭和28年12月築の大きな駅舎ですが、右半分は立ち入り不可です。駅前には自転車が置けるスペースがありますが、道路は決して広くありません。
駅から住宅地を歩くこと5分、旧東海道の松並木に出ました。この旅で得た、最も大きな発見の1つでした。でも、近くにラブホがあったのにはちょっと。
藤花もちょうど満開です。
駅前の発見をもう1つ。それは其角句碑。「蛤の焼かれて鳴くや 敦公(ほととぎす)」。元禄時代に俳人・宝井其角が富田庄茶屋(現在の富田三丁目)を通過の際、旅籠・尾張屋にて焼き蛤を食べ、その風味を讃えて詠んだ句だそうです。確かに、賑やかな高規格道路(R23)が隔たるものの海が近いし。
思いもよらぬ収穫を得て、12時10分発の3314G(313系B314編成)で後にしました。
12時12分に富田駅に到着。ここで単線から複線に変わります。2面3線(中線1本あり)の横に多数の側線がある構内です。
2,3番線の島の向こうには、もと三岐鉄道の跨線橋が残されています(立ち入り不可)。三岐鉄道が国鉄(JR)への乗り入れを止めて長い年月が経つので、時代を感じました。看板もそのままだし。
それでは、駅舎に入りましょう。
つづく
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