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鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

向原駅リニューアルキネン乗り継ぎ(その17)

2020-11-16 20:15:50 | 私鉄(西日本)

広島電鉄は今日、ダイヤ改正を実施しました。最大の目玉は終電を繰り上げであり、広島駅を23時以降に発車する便がなくなっています。このダイヤ改正はもう1つ目玉があり、1号線及び2号線(宮島線)が減便になっています。1号線の運転間隔は10分おきから12分おきに広がっています。2号線は、運転間隔が9分おき(土休日は8分おき)から10分おきに広がっており、朝ラッシュ時の3運用(土休日は1運用)がなくなっています。今回の削減の対象となったのは単車ではなく連接車です。宮島線の高床車が淘汰の対象になるでしょう。3900形??



さて、本題に。10時前に広島平和記念資料館に入館。障がい者手帳を持っていたので、無料で入れました。プロムナードに上がると、「1945年8月6日の8時15分」がお出迎え。



最初に見せられた映像は、原爆が投下されて焼け野原となってしまう広島の町。



本館へ。原爆で被爆した10歳の女の子がお出迎え。



上の女の子は藤井幸子。続いて見せられたのは、火傷と負傷にあえぐ被災者です。家の屋根が吹き飛んでいます。爆心地から2270m。



崩れ落ちた橋。御幸橋です。



モンペも展示されてました。破れたさまが爆風の激しさを物語っています。



自転車も見事に破壊されてました。「特別社員 山崎鶴蔵」と。



人影のついた石。とある銀行の入口ですが、出勤しようとして間もなく熱線を浴びて骨まで焼かれてしまったのです。爆心地から260m。



小説の題名にもなった「黒い雨」。広島の原爆被害を象徴する絵画です。



相生橋上で燃える路面電車。現在の「原爆ドーム」のあたり。



野戦病院の光景。原爆で負傷した患者が次々と運ばれてきます。当時は医療物資が圧倒的に不足し、赤チンしか塗れないような有様でした。



死の斑点のついた青年。まさに原爆症で亡くなって目が閉じていくさま。今回の旅行で最も衝撃的な写真となりました。



血を吐きながら亡くなった弟。原爆の苦しみを物語っています。で、下は髪の毛が抜けていくさま。被爆して1ヶ月で丸坊主になってしまいます。



三人の中学生の遺品。帽子、学生服、ベルト、ゲートル。爆心地から900m。



原爆小頭症の写真。両腕と背中のケロイド。1947年4月30日 広島赤十字病院。



こらえきれぬ痛み。働かねば飢え死にし、働けば耐え難い痛みにのたうち回る悪循環。このブログでは紹介できませんでしたが、被爆後に精神疾患に襲われたN家族の父親などが展示されてました。



おぞましい展示を終えて回廊に出ました。平和記念公園と「原爆ドーム」の景観が一瞬のオアシス



本展の終わりには再び藤井幸子。左は10歳で被爆した時、右が20歳(職場にて)。藤井幸子は甲状腺がんのため40代で亡くなったのです。


話が変わりますが、秩父鉄道は今日、三ヶ尻~熊谷貨物ターミナル間を、老朽化のため12月一杯で正式に廃止すると発表しました。この前の「リバティ」の甲種輸送が最後の役目だったのです。尚、三ヶ尻~武川間の石灰石輸送は今後も継続するということです。


つづく


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