徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

イタリア旅行記ーその7-

2006年11月09日 13時51分48秒 | イタリア旅行記

10月27日、今日はナポリ中央駅からフィレンツェにユーロスターで向かいました。
8時30分発のローマ経由のユーロスター9434号の1等車です。
フイレンツェまで214Kmで3時間半の電車の旅で、12時着の予定です。

  
   ユーロスター・イタリア         ターミナル駅にしては、雑草が・・・

ローマには、2時間余りで着き、そこから方向転換して、先頭車が最後尾車となりますが、日本の新幹線のように、座席が展開しません。
前向きに進んでいたのが、背中を向けて走るのは、余り好きでない人が多いと思いますが・・・・この1等車は、座席が2列と1列の計3列座席ですが、これらはロマンスシートになっていて、真ん中にテーブルが付いています。
最高時速300Kmと聞いていたのですが、平均時速が60Kmと言う事で、早さは全然感じません。精々最速で200Kmも出てないのではと思われました。

  
   ドゥオモ全景               「天国の扉」と言われています

午後からはフィレンツェの市内観光に向かいました。
旧市内には、バスが入れませんので、徒歩の見学となりました。
サンジョバンニ洗礼堂には、黄金の浮き彫りをした「天国の扉」が輝いていました。
ドゥオモ=大聖堂は、106mのクーポラ(丸い屋根)と鐘楼が実に巧く調和され、いかにもイタリアらしい景観でした。 ここは、良く映画のロケ地としても有名です。

次のウフイッツイ美術館に入ったのですが、この内部が実に複雑で入口では、持ち物検査があり、3階(実際はもっと高いですが)から回ったのですが、出口に出るのには、迷路のように、この内部を全部見なくては、出口に出られません。 
途中には、トイレもなく、腹ぐあいが悪くなってきたのです、トイレに入るのは、出口近くまで行かなくてはなりません。
ここには有名なルネッサンス時代の作品が多く、特に「ビーナスの誕生」を目の当たりに見て、圧倒されましたが、腹ぐあいが悪く、充分見られませんでした。

とも角、トイレに行って、外に出たのですが、この事態が今夕の食事に大きな影響が出たのですが、この時はまだ分からず、ベッキオ橋のあたりを散策してホテルに帰りました。

  
   ベッキオ橋                晩餐会の席上のシャンデリア

このベッキオ橋は、14世紀に作られもので、昔は肉屋さんが多くあったそうですが、今は宝石屋が軒を連ねています。
夕食は、日本の皇室を始め、各国の元首級が宿泊された「ビッラ・コーラ」に出かけましたが、腹の調子が悪く、意外な結果となりました。
他の方々の迷惑のならないように、その晩餐会を抜け出して、ホテルに一人、タクシーで戻りました。 折角の料理を食べることが出来ませんでした。 添乗員さんにはご迷惑をかけました。
あぁー残念・・・・・


イタリア旅行記ーその6-

2006年11月08日 09時40分48秒 | イタリア旅行記

海外旅行で困るのは、水とチップと言うことは昨日書きました。
しかし、もう一つありました。 トイレです。
観光地にあるのはほとんどが有料です。
その数も少なく、ドライブ・インでも有料です。 1回に20セント~50セントで、このトイレの清掃料ということです。値段の決まっていないのは、志でも良いのですが、トイレの入り口に、料金入れの笊のようなものを置いておばさんが見張っています。

イタリアでは、男子トイレは、一人用の小便器は少なく、トイレによっては、男子と言えども個室がほとんどです。 その性もあって、トイレの数が少なく、いつも男子トイレでも並んでいます。 少ない小便器も高く、背の低い日本人には背伸びをしなくてはなりません。 ローマでは、百貨店がなく、専門店ばかりで、日本の三越はあるのですが、規模は小さく、それでもトイレは少ないですが、ここはさすが有料ではありません。

と言う事で、日本では使わなくても良いお金が要ります。 いつも小銭を用意しておかなくては、困るのです。

  噴火したベスビオ山を望む

26日は、カプリ島から又高速船でナポリまで帰り、ナポリから約30Km離れたボンベイに向かいました。
ボンベイは、紀元79年にベスビオ山の大噴火によって廃墟と化した遺跡で、火山灰に埋もれた街を発掘しているもので、まだ全部発掘しきれていません。

この街には、公共の広場や水道、道路には横断歩道もあり、音楽堂など現在とほぼ同じ生活スタイルだったのには、改めてびっくりしました。おまけにイタリア版の吉原まであり、食堂もありました。

  

1594年に偶然発掘されたのですが、当時はこの重要性が認識されず、1800年代になって本格的に発掘作業をしましたが、この時の目的は、高価品の発見にありました。
しかし、1860年代になって、初めてこの遺跡の重要性がわかり、細心の注意をもって壁画や装飾品を元に戻されたということです。

  

ボンペイ遺跡から再びナポリに戻り、その夜はナポリ泊まりとなり、アサリのパスタやカジキマグロのグリルに舌つつみを打ちました。

 


イタリア旅行記ーその5-

2006年11月07日 10時41分02秒 | イタリア旅行記

海外旅行で、頭を悩ますのが、チップと水です。
水道水は飲めません。と言ってレストランやホテルで水は出てきません。
仕方が無く、ミネラルウオーターを買うことになりますが、これもガス入りとノンガスがあり、ペットポトル1本をバール(喫茶店的なもの)で買うと2ユーロ(300円)します。
自販機やコンビニがほとんどありませんが、観光バスなどで運転手の内職?として売っています。これで買うと1本1ユーロ(150円)です。

  
 飲料水や菓子類が売っています。  このような笠松が至るところに見かけます

街角には、売店の出店があり、そこで買うと1本が1.5ユーロです。
レストランでノンガスを頼むと1本4ユーロから5ユーロします。
ビールが小瓶で4ユーロから5ユーロですから水と同じ価格となります。

チップもホテルでは、枕銭として一人1ユーロを置いておきます。
タクシーでも端数はチップとして払います。 レストランでも価格の5~10%のチップが必要です。
青の洞窟のボートの船頭さんやヴェネツイアでのゴンドラの船頭さんにも1ユーロのチップが必要です。

日本との文化の違いか、生活習慣の違いがあり、かなり戸惑いを隠せません。

  

さて、カプリ島ですが、別荘地ということもあって、眺めは素晴らしく、海は輝き、太陽も燦々と降り注ぎ、気持ちの良い風が吹き、絶好のリゾート地です。
でも、観光客が多く、少し興ざめします。 島の中はマイクロバスが走っていますが車が行き違いになるのにはギリギリで、坂では、乗っているものがヒヤヒヤします。

  

カプリ島の高台からリフトがあり、それを昇ると島全体が眺められます。
旅の疲れが癒されますが、我々には、これから益々厳しいスケジュールが待っています。


イタリア旅行記ーその4-

2006年11月06日 11時53分41秒 | イタリア旅行記

ローマ連泊の最後の晩餐は、とあるレストランでカンツォーネを聞きながら頂きました。
さすが声量も豊かで、日本観光客が多いこともあって、日本で馴染みのオーソレ・ミオとかフィニクラ・フニクリ等を歌ってくれました。

  
   カンツォーネを聴きながら・・・   ナポリの街(ここが一番景観がよさそう)

翌日25日は、次の観光地は、ローマから約230Kmまでのナポリへ。
ナポリの町を車窓から見学しましたが、ローマと同じく落書きが目に付きます。
古いアパートには、洗濯物が、窓から突き出し、景観が良いとは言えません。
そして、市内に入るのには車の渋滞で中々進みません。
路面電車が走っていますが、電車より車が優先なのでしょう、道路には車と電車が埋まっています

そこで、タクシーがバスに追突事故を起こしました。 個人同士なら大したことがなければそのままとなり、ひどい時でも、示談で済ませるそうで、警察沙汰にはならないようですが、今回の場合は、お互い営業車ということもあって、一応警察を呼んだようです。

  
  ナポリ港                  ナポリ・卵城

ナポリ港には、大きなクルーズ客船が停泊していました。
ここは国際港らしい雰囲気が漂っており、昼からは、この港から高速船でカプリ島に向かいました。 
ナポリから約30Kmにあるカプリ島まで、通常は45分ほどで着くのですが、今日は1時間以上も掛かりました。
それと言うのも、天気晴朗なれど波高く、高速船は、大きく揺れ、波を大きく跳ねて、船酔いする人が多くいました。
到着後、すぐにモーターボートに乗り、また手漕ぎボート(定員6名)に乗り移り「青の洞窟」の見学に行きました。

この洞窟は、波が高ければ船がボートが入れず、ここまで来て入れない時も度々あるようですが、今日は、何とか入れるということでした。 
洞窟に入るには、身体を寝かせて、頭を低くして波のタイミングをみて船頭さんが素早く櫂を切り、入ります。

  
   カプリ島                   青の洞窟

真っ黒の中に海面は”真っ青”で洞窟の穴からの差し込む光が眩しく、何か神秘的でした。

今晩は、イタリアやヨーロッパの別荘地として発達した島での宿泊となりました。


イタリア旅行記ーその3-

2006年11月05日 09時52分37秒 | イタリア旅行記

この旅行期間は、実に素晴らしい天気に恵まれました。
しかも、気温も平均よりも高く、出発前の調べでは、最高気温でも22度くらいでしたが、24日のローマは28度もあり、長袖を多く持参したのですが、半袖・Tシャツで充分でした。 しかも、ベニスやフィレンツでは、朝と日中の温度差が大きく、15度以上あり体調維持も大変でした。

 
   サンピエトロ広場            サンピエトロ寺院内

 
     右にコロッセオを見てコンスタンチヌス凱旋門  コロッセオの内部

 バチカン美術館での圧巻は、ミケランジェロの「最後の審判」でしたが、ここは残念ながら撮影禁止でした。

さて、バチカン市国を後にしてローマ市内見学に出かけました。
コロッセオの史跡の内部を見学し、コンスタンチヌス帝の凱旋門前で記念写真を撮り、トレビの泉スペイン広場「ローマの休日」を楽しみました。
その映画の影響かどうか分かりませんが、どこを行っても国際色豊かな人々が大勢詰め掛けています。
「真実の口」では、長蛇の列で、写真を写すにはどのくらい時間が掛かるのか分からず、車窓からの見物だけにしました。

 
  スペイン広場 まるでアルプススタンドです

スペイン広場で解散し、ホテルまで市内を二人で地図を見ながら歩いて帰りました。
距離にして地下鉄の二駅程度です。
しかし、ローマの市内の道路は複雑で、道路巾もまちまちで、一筋間違えるととんでもない方向に行ってしまいます。
案の定、間違えたのか、目標の場所まで中々出ることが出来ません。

国防省の前でその兵隊さんに聞くことにしました。
あやふやな英語でも何とか通じたのか、親切に教えてもらいました。
どうやら一筋間違っていたいたようです。
かなり大回りしてホテルに辿り就いた時は、ホッとしました。



この日は、万歩計では14000歩歩いたことになりました。
初日から疲れました。 今後が思いやられます。


イタリア旅行記ーその2-

2006年11月04日 12時57分56秒 | イタリア旅行記

10月23日、関西空港を11時15分発のKLMオランダ航空868便で一路アムステルダムに向かいました。 
アムステルダムには、現地時間、同日の16時20分に着きました。
ヨーロッパは夏時刻で、日本との時差は7時間です。(29日には、冬時間に代わり時差が8時間となりました)
時間的には5時間しか経っていませんが、実際の飛行時間は、12時間と言うことになります。

アムステルダムのスキポール空港を17時45分発の同じKLMでイタリア・ローマのフィウミチーノ空港に20時に着き、そのままホテルに21時10分に到着しました。

   スキポール空港

関空を出て、17時間かかりました。
長旅の疲れを風呂に入り、と言いたいところですが、ホテルには浴槽はあっても肩まで浸かることが出来ません。 これは何も海外に限らず、国内のホテルでも同じですが、やはり、日本人としては、湯船に肩までゆったりと浸かりたいものです。

翌24日は、6時起きです。バチカン市国の美術館に入るには並ばなくてはならないということで、開館40分前に着きましたが、既に長蛇の列で、下手をすると入場制限に引っかかるそうです。が我々一行はなんとか入場することが出来ました。

このバチカン市国ですが、一応独立性をとっていますが、ガイドの方に国境は?と聞くと別に厳格に決められていないとのことで、地図によっては国境はバラバラだそうです。

ここは、昨年コンクラーベが行われたことで有名ですが、それにして世界各国から多くの見物客で、その意味に於いては、ここには国境はないようです。
このバチカン市国自体が1540年代から100年かけて作られた史跡であり、美術品なのです。

  
   美術館内の廊下          美術館入口に近くにある中庭(ピーニア)
                            

バチカン美術館を全て見ることは、1日の訪問では不可能です。
なぜなら、部屋数は、1100室以上あると言うことですから。
写真は禁止と聞いていたのですが、フラシュなしならOKだそうで、写真を撮ったものの、広すぎてフラシュが届かず、又歩きながらの撮影ということもあってピンボケがほとんどで、巧く撮る事が出来ませんでした。

 


イタリア旅行記ーその1-

2006年11月03日 11時50分28秒 | イタリア旅行記

イタリアから11月1日に帰ってきました。
さすが、疲れが出て、昨日一日は、ゴロゴロしていました。

イタリアの主な都市(ローマ、ナポリ、フイレンチェ、ベネチャ、ミラノ)を駆け足で周ったのですが、少し日程的に無理があったようです。
3年前のカナダ、2年前のヨーローパ(イギリス、ドイツ、スイス、フランス)の時に比べて日程的には余り違いは無かったのですが、時間と食事で体調の維持が大きく異なるようです。

  
    サンピエトロ寺院前にて

つまり、時間的に言えば、早朝の出発、遅いホテルへの帰還は、疲れが徐々に溜まっていくようです。
食事についても、イタリアでは、イタリア料理と言うことで、毎食同じようなものばかりでは飽きてしまうようです。 特にサラダは、どの食卓にもオリーブオイルがこれでもか!と言うぐらいに掛かっており、生野菜が恋しくなりました。

そこが、ツアー旅行の辛さかも知れませんが、過去の海外旅行では、そんなことは考えなかったのですが・・・・

    
      ローマ市内、 裏道には、バール(喫茶店)と車が同居しています。

イタリアの各都市に共通することは、歴史的建造物・史跡や美術品には、目を見張るものがあります、町自体はゴミゴミしており、落書きや車の多さには少なからず驚かされました。 2重・3重駐車は当たり前で、縦列駐車が出来なくては、この町では自動車の運転は出来ないでしょう。
大阪の行儀の悪さは、評判ですが、それの比ではありません。

自動車も埃だらけで、どこかに凹みや傷があっても平気だそうです。
要は、乗れればいいのであって、小型車が多く、ほとんどの車は窓を開けて、片手運転をしているようです。

特に旧市街地区は、道幅が狭く、一方通行が多いのですが、その道の左側半分は隙間がなく、駐車されています。 縦列駐車の列から出るときは、前の車に当て、バックして後ろの車にも当てて、隙間を作って出るそうです。がほとんどは警察沙汰にはならないようです。 余程の場合でも、個人で示談して済ませるようです。

日本人との感覚の違いでしょうか! 洗車という習慣が希薄で、ガソリンスタンドにも洗車場を見かけた事がありません。
道路には、センターラインや車線が描いてあるところは少なく、対向車線がどこか分からない状態で、よく交通事故が起こらないのが不思議です。
ただし、高速道路は別ですが・・・・・・

明日からは、このイタリアで感じたことを、述べて行きたいと思います。