徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

大阪の地名と成り立ち ① ー難波宮①-

2009年11月17日 11時40分11秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

以前に、最近の大阪駅周辺、梅田の変貌を書いてきました。
では、それ以前の大阪の変貌は、どうなのでしょうか?

大阪の中心部は、一応、府庁のあるところなのでしょうが、その周辺には、難波宮や大阪城があります。
古代(飛鳥・奈良時代)には難波宮が、中世には大阪城が、そして現在は大阪府庁が徒歩圏内の至近距離に存在しており、それぞれ時代がはるかに離れているにも拘わらず、こんなに近くに存在するのは、偶然なのでしょうか?

    
   近畿での都の変遷            難波宮跡近辺の施設

まず、地形が最適であったことが挙げられます。
この地、上町台地(北は大阪城あたりから南は住吉大社くらいまで)が半島のように南から伸びており、現在の東大阪あたりは大きな入江のようになっていたそうです。

地理的に言って、台地の広がる良港として発達していったに違いありません。
つまり、難波宮跡があるあたりは、その当時は海のすぐそばにあったと推察されます。
今の大阪駅周辺の梅田とは”埋め田”からと言われており、その南側一帯は海であったと考えられます。

  
   難波宮跡公園 大極殿              難波宮跡公園にある碑

湿地の中の高台の施設は、治水が不十分な当時としては、最適なのです。
又、18世紀末、家康の江戸入りと同時に江戸城を建てた場所も、水害の恐れが少ない湿地の中の小高い台地と概ね同じ立地条件です。
水害の恐れのない高地ということです。

そして、この場所が最適の要件の決定的なのが、奈良や京都に近く、瀬戸内を経由して大陸とを結ぶ海運の便の良さに加えて、淀川河口を利用しての港が出来ることです。


”東京スカイツリー”ってどないなん!!!

2009年10月12日 11時04分38秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

        
         完成予想図    

地上デジタル放送自体は、現在の東京タワーを少し高く(25mで40億かかるそうです)すれば放送出来るそうですが、問題はワンセグで、より確実に受信するには、600m級のタワーが必要だそうです。

超高層ビルの増加に伴い東京タワーの電波障害を低減することを目的として、2003年12月にNHKと在京民放5社が600m級の新しい電波塔を求めて「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足したのがきっかけで、2006年3月に建設予定地を決めました。

  
 今年9月17日現在   世界のタワー  どこのタワーでしょうか? 答えは下記


関西では、あまり話題にならなかったのですが、名称は公募され「東京スカイツリー」と決められ、建築主は東武鉄道㈱で別会社「東武タワースカイツリー㈱」を設立して2008年7月に工事が始められ、2011年12月に竣工の予定だそうです。
計画では、高さは610m、費用は500億円だそうです。

2011年7月24日をもって地上アナログテレビ放送が終了するのに備えて着工されたのですが、竣工が2011年12月となり、試験放送などを経て開業は2012年春の予定で、半年間のブランクが開くのですが、その間はどうするのか、気にかかることです。

デザインは、日本の伝統美と近未来的デザインの融合し、日本古来の建築「五重の塔」に通じる新たな構造システムだそうですが、完成図を見る限り、五重の塔とは思えないのですが・・・・

場所は、墨田区押上1丁目で、東武電鉄業平橋駅の空き地で、浅草から東へ隅田川を渡ったところです。

大阪でも、最近、高層ビルが建ってきておりますが、大阪だけではなく、近畿一円は、現在生駒テレビ・FM放送所で電波を出しており、これで、十分なのでしょう。
2006年4月に地上デジタルテレビ放送が開始されています。
ただ、ここからワンセグ放送をより確実に受信できる電波が出せるのかどうかは分かりませんが・・・・

 ○世界のタワー  左から 通天閣 103m  横浜マリンタワー 106m
  神戸ポートタワー 108m  京都タワー  131m  札幌テレビ塔  147m
  名古屋テレビ塔  180m  エッフェル塔 324m  東京タワー    333m
  独ベルリンタワー 368m  上海 東方明珠タワー  468m
  モスクワ オスタンキノタワー  540m   カナダ トロント CNタワー 553m
  東京スカイタワー(完成後予定) 610m 


梅田界隈の変貌とその歴史ーその7-

2009年09月10日 11時27分49秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

昨晩のトラは、残念ながら見れなかったのですが、岩田が素晴らしかったようです。
それに、以前からなぜ、林を出さないのか、不思議だったのですが、昨日はその林がスタメンでいきなり3点3ベースで、投打とも若手の活躍で勝利し、ヤクルトに1.5差と肉薄し、今日は8カード勝ち越しを賭けて行われます。

                       

前回から大分、日にちが経ってしまいましたが、昨日、久しぶりに梅田に出ましたので、その後の変貌について、書きます。

もともと、大阪では、二つの繁華街、梅田エリアを”キタ”、難波エリアを”ミナミ”という呼び方をしていますが、何時からそう呼ばれたのか分かりません。

「ミナミ」は、道頓堀や通天閣に代表されるように、コテコテの大阪の繁華街という感じのするところで、庶民感覚でごちゃごちゃした街というイメージがあります。

  
  
阪急前通路から、奥に北ビル、手前にアクティ大阪、その間がJR大阪駅
  
右の写真は、北ビルを北側から望む、左手前にヨドバシカメラの建物の一部が。

それに対して「キタ」は、そのような大阪臭さをあまり感じることはありません。
むしろ、普通の繁華街を大きくしたようなものです。
それは、「キタ」には、生粋の大阪人は少なくなり、地方からの転勤組が多く通勤している土地柄で、大阪臭さは薄れているようです。

「梅田」は、神戸、京都に電車一本で繋がっているのが特徴ですが、京都も神戸も大阪にとても近いのに、大阪とは明らかに距離を置き、一線を引いた街なのです。

  
 アクティ大阪、大丸百貨店の増床工事   阪急と阪神の新しく出来た通路

その「梅田」が平成の大変貌を遂げようとしています。
その概要については、今まで述べてきました。
その目玉の一つ、JR大阪駅の北ビル、大丸の増床工事は、2011年に向けて急ピッチで進んでいます。
もう一つの目玉の阪急百貨店は、9月3日、建て替え第1期棟(27000㎡)が完成したところに新しく営業をはじめ、今まで営業していたところが、今第2期工事をしています。合わせると84000㎡となります。

         
      阪急百貨店 下部がオープンした第1期棟 
      地図の左薄い黄色部分が工事中。

 阪神百貨店と2階部分を繋ぐ通路に、阪急百貨店に、新しく出入り口が設けられ、両百貨店の連絡が便利となりました。

阪急百貨店の第2期工事の完成は、2012年と、JR大阪駅の変貌とは、当初同じ予定だったのですが、1年半遅れになるようです。


梅田界隈の変貌とその歴史ーその6-

2009年07月23日 20時00分35秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

土地再開発とは、どういうことなのでしょうか?
日本では、市街地再開発事業を行うため「都市再開発法」という法律があります。

市街地再開発は、市街地の土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新を図るために建築物及び建築敷地の整備並びに公共施設の整備に関する事業をいいます。

  
  梅田北ヤード、2期工事完成予想図 都市景観として満足出来るものに・・・・

この市街地再開発には、①行政機関、大阪であれば大阪市が施行する場合②土地区画整地組合が施行する場合、③個人が施行する場合、それに④都市再生機能が施行する開発があります。
大阪北ヤードの再開発は、独立行政法人都市再生機能(UR都市機構)と独立行政法人鉄道建設運輸施設整備支援機構という機構が再開発を施行しています。

土地開発を行うには、単に入れ物を造るとということではなく、景観が大きな要素を占めています。

  整備が進む中之島

都市景観のキーワードは、人工物の自然との調和と感動で、主に外の景観と不特定多数の人を対象としたもので、土木景観とも言いかえることも出来ます。

都市景観とは、ほとんどが人間が作り出したもので構成され、人の感性によって居心地が良く、落ち着くと感じられる環境で、尚且つ感動や楽しさを与える空間でなくてはなりません

景観の素材としては、水、道、建物、緑があります
水は、水辺、噴水、人工滝などで、道は、街並み、並木道、バルコニー、ゲートなどで、そこに空き地、広場を配置し、目に優しい緑を配置することが、基本構造なのです。

景観の素材に付帯するものとして、安全施設、照明、案内標識、アート(絵画や彫刻)などや文化的素材を活かし、歴史、史跡、風土なども重要な素材なのです。

このように、都市景観について考えると、何よりも、機能と見た目が大事なようです。
景観が成功したかどうかは、その付加価値がどれだけ付いているのかによって判断されるのではないでしょうか

その景観の付加価値とは・・・・・・
① 人に感動を与える
② にぎわいー楽しさ
③ 落ち着きー静けさ

景観には、客観的要素だけではなく、人の心に響く主観的な要素がなくては、都市景観が成立したとは、言えないようです。

今、建設中の「大阪駅前開発」や「梅田北ヤード」が完成の暁には、そこの都市景観が人に感動を与え、より便利になり、大阪の顔として賑わいが益々盛んになるのを期待して、完成が待たれます。
 


梅田界隈の変貌とその歴史ーその5-

2009年07月20日 11時28分36秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

梅田の街の変貌は、留まるところを知らないようです。
その過去には、多くの問題が山積していたのですが、一つ一つ解決してゆき、現在そして未来にそこに住む人や訪れる人を豊かにしてゆくことが、この変貌の柱でなくてはならないのです。

  
  
左の写真は、2006年3月に撮影されたものです。
  
大阪駅、中央に阪急梅田ビルが見えます。
  
右の写真は、2009年3月に撮影されたもので、中央に建設中の新北ビル
  、その奥には、やはり建設中の阪急百貨店が見えます。
    

  これらの写真は、ブログ「ゴリモンな日々」から転載させて頂きました。  
  
「ゴリモンな日々」は、当ブックマークを参照、または下記からアクセスして下さい
   http://gorimon.com/blog/sb.cgi?month=200907

大阪の玄関にふさわしい姿にするための計画として進まれてきたはずの「大阪駅前の再開発計画」だったのですが、一部には、この計画は失敗とされています。

大阪駅前ビルには、今にもシャッターを閉め、場所によっては、大阪のど真ん中のはずなのに、人の気配が感じられないところすらあるというのは、なぜなのでしょうか?

様々な要因が考えられるのですが、大きな原因としてあげられるのが、JR片町線(今の東西線)の延長が遅れ未開通となり、ダイヤモンド地下街も未完成のまま、箱ものだけが先に出来てしまい、人の流れが止まってしまったのではないかとされています

今でこそ、鉄道は平成7年に開通し、地下街も平成8年に完成しているものの、その時はすでに、大阪駅前ビルがゴーストタウン化した後であったため、通勤客や買い物客の流れを呼び込むには、既に時遅しとなってしまったのです。

現在は、以前に比べ徐々に客足も増えているやに聞いていますが、店の営業状態は決して良いとは言えないそうです。
大阪市は、計画性の不十分さゆえにゴーストタウン化を繰り返してきたようです。

そもそも、都市開発とは、何なんでしょう?
そして、都市開発に必要な景観と、その開発計画の付加価値を高めることの重要性について、次回に考えてみたいと思います。


梅田界隈の変貌と歴史ーその4-

2009年07月10日 10時56分18秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

梅田界隈の変貌は、目を見張るものがあります。
昨年から景気が悪化しており、底をついたという説もありますが、まだまだ行く末は分かりません。
その中にあって、JR大阪駅の改築、大阪北ビルの建設、阪急百貨店の建て替え工事と、今梅田界隈は、建設ラッシュになっています。

梅田界隈は、「西梅田開発(ハーネスプラザ、ハーネスエント)」が一段落した今、JR大阪駅とその周辺のもう一つの再開発は、最後で最大の再開発と言われる「梅田北ヤード再開発事業」が始動します。

これらは、今後の景気の動向にどのような影響を受けるのでしょうか?

  
   北ヤードのイメージ    
1期先行開発区域A,B,Cの各地区 

御存じの通り、北ヤードというのは、梅田貨物駅跡地です。
この再開発は、三菱地所を代表とする企業連合(積水ハウス、阪急電鉄、大林組、竹中工務店など大阪を拠点とする関西連合と呼ばれる12社)は、昨年8月に先行開発区域の工事日程を発表しました。

それによると、着工は平成21年下期とずれこみ、まち開きは当初予定の平成23年(2011年)春から平成24年(2012年)秋ごろと1年半遅れることになるようです

   大阪駅周辺の建築現場と予定

2期開発ビジョンづくりも当初計画から1年半遅れており、これらは、今の不況の影響が出てきそうです。
景気の回復が遅れる場合、超一等地の物件であっても強気の価格設定がしにくくなるのではないかと、不動産関係者が呟いているとか・・・

というのも、計画では、高層ビルを4棟を建設し、オフィスや商業施設、分譲マンション、ホテルなどの進出を見込んでいるのですが、景気の動向如何では、需要の減少が懸念されるからです。

 


梅田界隈の歴史と変貌ーその3-

2009年07月06日 10時26分49秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

このシリーズの1回目は、JR大阪駅と梅田駅の地名戦争(6月5日掲載)、第2回目は、梅田の百貨店戦争(6月10日)について書きました。
今回は、梅田の影とも言うべき”梅田村事件”について書いてみます。

今でこそ、大阪駅前は、大阪最大のターミナルとして栄え発展していますが、終戦後には、この梅田の街にも暗い影があったのです。

JR大阪駅の南側には、少し古臭い感じのする4つのビルがあります。
これらのビルを「大阪駅前ビル」と呼んでいます。
ここは、当時の大阪市開発局の計画で1970~1981年までの間「ダイヤモンド地区」と呼ばれる広大な再開発エリアに建設されたビルなのです。

       
  昭和30年頃の大阪駅前(バラックが多くあります) 
右は現在の大阪駅前ビル

特に第3ビルは34階建てで高さ142mで1986年までは大阪一の高層ビルでした。
事件は、この再開発事業を起こす前の出来事なのです。

つまり、再開発事業が始まる前は、この場所にあったものは、終戦後からの闇市の時代からの不法占拠のバラックだったのです。

不法占拠しているのは、いわゆる三国人と呼ばれる人で、大阪市の行政は、何食わぬ顔で人の土地に居座る彼らに多額の立ち退き料を血税から支払い、これらのビルを建設したのです。

          
         「大阪駅前ビル」の配置図 上がJR大阪駅。

そのビルは、現在は、パチンコ屋やサラ金業者がはびこり、その同じビルに、地方公共団体の事務所や公共施設が同居している現実、そして空室が多い現実は、憤慨と同時に滑稽でさえあるようです。

しかし、その中で例外があるのです。
無法地帯の不法占拠を力で押し通した人物がいました。
かっての「丸ビル」のオーナーだった吉本晴彦氏で、間違えそうですが、あの吉本興業とは関係はありません。

この地の大地主であった吉本氏は、一向に立ち退かない不法占拠された土地に業を煮やして、ブルドーザーで強制的にバラックを破壊、撤去させました。
裁判沙汰になったのですが、最終的には吉本氏が勝訴し、逆転無罪を勝ち取ったという一連の出来事を「梅田村事件」と称しているのです。

もちろん、暴力団も絡んでいたようですが、「力には力を」で、自分の財産を取り戻し、世間の人々は、拍手喝采をしたとか・・・・

 その吉本氏は「ドケチ社長」としても有名で、自ら「大日本ドケチ教」の教祖と呼んでいたとか・・・・・


梅田界隈の歴史と変貌ーその2-

2009年06月10日 12時10分34秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

大阪では、今百貨店戦争なるものが勃発しています。
特に梅田界隈は激戦区です。

2011年にJR大阪駅に隣接する新北ビルに三越伊勢丹新規出店することが、この戦争の火ダネとなったようです。
梅田界隈には、阪急、阪神、大丸の各百貨店がひしめいていますが、各社とも増床や改装などで競っています。

JR大阪駅の正面にあるアクテイ大阪ビルに入っている大丸梅田店は、2011年春までに売り場面積を大幅に増床し、阪神百貨店本店は、今春から店舗の改装を本格的に行っています。

    
               2009年5月30日の阪急新ビル  

   
    上の画像は2005年9月13日を最後に取り壊された阪急コンコース。あのシャンデリアや壁は、今は懐かしく、新しい阪急は、どんなものが出来るか楽しみです。

この梅田で不動の地位を確立してきた阪急百貨店本店は、一番目を見張るビルの建て替えという手段で攻勢に出ています。
当初は、三越伊勢丹が開店する2011年に照準を合わしていたのですが、一部の遅れにより、2012年春の完了をめざし、41階建の新ビルに地下2階から地上13階まで売り場を設ける予定だそうです。

梅田界隈以外の大阪市内のあちこちに、百貨店戦争は起こっています。
大丸が、そごう心斎橋本店を買収し、11月には大丸心斎橋店としてリニューアル開店します。
が、問題は、そごうの今までの富裕層の顧客を取り込めるかどうかと言われています。

高島屋大阪店は、阪神なんば線の開通で、ここでも富裕層の多い阪神間の新たな顧客の獲得を狙っています。
また、天王寺の近鉄百貨店阿倍野本店も2014年に建て替えを予定しています。
完成すれば、国内最大の売り場面積を誇るメガ百貨店が誕生します。

       近鉄百貨店阿倍野本店建て替えのポスター

今まで、東京などと比べて売り場面積が小さいと言われてきた大阪の百貨店だが、前年比11.5%減と今年の2月に日本百貨店協会が発表したように売り上げが減少している中、また人口が減少するなかで、増床ラッシュの過激ぶりで、2014年には現状の1.5倍になるそうです。

ここで、各百貨店が淘汰されないキーワードは、店舗のオリジナリティ富裕層をどのようにして取り込むかにあるようです。


大阪・梅田界隈の歴史と変貌ーその1-

2009年06月05日 09時05分51秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

関西人にとって、特に大阪の人は、「梅田」が大阪の中心であると思っています。
しかし、その梅田は、JR大阪駅と同意語なのです。
地方の人にとっては、大阪駅と梅田はまったく別のところにあるように思っている方がおられるようです。

JR大阪駅の周辺には、地下鉄や私鉄の梅田駅がぐるりと囲んでいます。
大阪駅と呼ばれるのは、JRだけ
で、大阪市営地下鉄の御堂筋線の梅田駅、谷町線の東梅田駅、四ツ橋線の西梅田駅、そして阪神電鉄の梅田駅、阪急電鉄の梅田駅が狭い範囲に集中しており、こんなように狭い同じ地域に二つの呼び名があるのは、全国でもここだけだそうです。

これらの沿線の人は、大阪に行くというより、梅田に行くという方が多いようです。
なぜ、このような事態になったのでしょうか?

    
  2009年2月23日現在の大阪駅北ビル建設  右は、同年5月30日現在

   
 5月30日現在、大阪駅北ビルと大丸側を望む  同日、ヨドバシ側から望む

この事態を引き起こしたのは、明治2年の神戸・大阪間に鉄道を施設することから始まる大阪人と東京政府への反骨精神が生んだものなのです。

最近の大阪府の橋本知事が政府に噛みついているのと同じ構図が、この時からあったのです。
明治2年に大阪府判事の五代氏が大阪と神戸に鉄道敷設してほしいと政府に請願しますが、政府は、鉄道施設は政府が決めるものだからといって、一旦拒否します。
ここから、大阪人が政府に逆らう根源があるのです。

それでも、政府は、翌年明治3年に、地元の意見も聞かずに鉄道施設を決めますが、大阪人は面白くありません。
大阪駅が設置される場所は、煙をさけるため、大阪の中心部から離れた田んぼの中と決め、政府が施設する鉄道であるということで「大阪駅」と名づけました。

が、しかし、大阪人は、この「大阪駅」を、「梅田ステーション」と呼んで、「大阪駅」とは云わなかったそうです。
この大阪駅が出来た土地を「梅田」と呼ぶのは、当時の住所では、西成郡第三区七番組曽根崎村字天童という地名でしたが、この一帯はかって田んぼの中で、「田んぼを埋めた」ところから「埋め田」だったのが「梅田」という当て字をあてた別称で正式地名でも何でもなかったようです。
ちなみに現在の住所は、大阪市北区梅田3丁目1番1号。

  2009.2.5現在の新北ビル
  新北ビルは28階建てで、ここにはJR大阪三越伊勢丹が入ります。

政府に反発する大阪人の反骨精神は、その後も私鉄の大阪駅周辺に乗り入れる時にも発揮されます。
明治も中ほどになると、郊外に出来た私鉄が、大阪駅周辺に乗り入れる申請を政府に出しますが、利権を守りたい当時の大阪市長は、明治の初め鉄道施設を拒否された大阪が、逆に政府の力を利用して大阪市の利権を守ろうし、政府への反抗からか、私鉄に「大阪駅」と駅名をつけるのを拒否し続けます。

その結果、私鉄側は、大阪駅とはせず、「梅田駅」という呼称で申請、現在に至っているのです。

大阪駅に最初に乗り込んできた私鉄は明治39年に阪神電鉄で、阪急は明治43年で、いずれもこの当時から「梅田駅」と呼ばれ、三つの地下鉄の駅名も「梅田」が使われ、あたかも政府が決めたJRの「大阪駅」を包囲しているように設置され、ここでも大阪人の気概がでているようです。
(この記事は、祥伝社黄金文庫、谷川彰英著、大阪「駅名」の謎を参考にさせて頂きました)


神戸の再開発

2007年06月27日 10時57分58秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

各地で再開発とか土地区画整備が盛んに行なわれています。
大阪では、大阪駅改良、新北ビル計画や梅田阪急百貨店の立替、西梅田プロジェクト、茶町再開発、なんばパークを中心とした再開発、中之島共同開発、淀屋橋地区市街地再開発、ベイエリア開発など2008年から2011年にかけて市街地が一変します。

神戸でも震災復興再生事業が盛んに行なわれています。
昨年の暮れに、震災で倒壊した旧神戸新聞会館の跡地に商業施設として”ミント神戸”が再生されました。

  
    JR新神戸駅前             建設中の神戸芸術センター

2008~9年には、新神戸駅前のプロジェクトが次々と完成予定を向えます。
神戸製鋼所が新神戸駅前に私有地を落札して、地上42階建ての高層マンションを建設中で、2009年に完成予定です。
ここには、医療法人親鋼会の運営する人間ドッグ専用の施設も計画され、従来の商業施設とは異なる独自の施設誘致をしています。

また、新神戸駅前の神戸市バス車庫跡に芸術ホール等が入る32階建ての高層マンションが建設されており、2008年の完成予定です。
ここの低層部には、”神戸芸術センター”として映画、コンサート、舞踏などが出来、多目的スタジオも設けられます。他にスーパー、フイットネス、クリニックといった生活利便施設も完備されます。

 

JR貨物神戸港駅跡地には、震災復興記念公園みなとのもり公園が2010年の完成予定で進められています。
神戸市が復興特定事業として、総工費110億円をかけ、甲子園球場の1.4倍の広さに、市民参加型のワークショップにより基本計画作りを推進しています。

神戸市内の主な他の再開発として、中山手地区再開発新長田駅南地区震災復興市街地再開発、神戸市中央卸売市場本場再整備事業、などが進められています。