映画の表題の ” 楽園 ” とは程遠い内容の映画でした。
だからこそ、楽園を目指すということなのでしょう。
最近の社会の事件を彷彿させるもので、今の日本の社会の縮図なのでしょうか・・・
それも負の世界に圧倒され、陰鬱な気分になりますが、これが日本の現実なのだと思わざるを得ません。
まっとうな人間がまわりにつぶされ、未だに村八分が存在し、痛みと苦しみはすさましく、差別が歴然と存在するリアルさがすさまじしく伝わってきます。
話は、ある小さな町で一人の少女が行方不明になります。
その事件が解決しないまま12年間が過ぎ、再び少女が行方不明になる事件が起こります。
この分岐点で少女の行方不明が・・・ 一緒にいた紡と豪士
この集落で孤立する一人の青年中村豪士(綾野剛)に人々の疑いの目が向かいます。
前の行方不明になった事件が起こる直前まで一緒にいた湯川紡(杉咲花)は、祭りの準備最中に孤独な豪士に出会う。
豪士が容疑者として疑われ、追われてとある食堂で奇抜な行動に出ます。
なぜ、彼がこのように追い詰められなくてはならなかったのか・・・
追い詰められて善次郎もその後奇抜な行動を・・・
また、この集落の養蜂家の男 田中善次郎(佐藤浩市)が、ある出来事から村八分にされます。
愛犬と暮らす善次郎は村おこしのためと村のために役場に働きかけますが、それが村の重鎮の逆鱗に触れ村中の非難の的になります。
善次郎は、狂気に陥り、恐るべき事件へと発展します。
このように、辺境の世界では、多くの差別があり、人権とか権利とかいう以前の問題が起こっているのです。
地方と都会の差別、日本人と外国人の偏見、誰かを孤立化することで結束を保とうとする社会。
舞台の景色が美しい程、人間の醜さが浮き彫りされます。
楽園を知らない若者、楽園を探し求める少女。・・・そして、なぜ、人は罪を犯すのか、
そして、なぜ、まっとうな人間が壊れてゆくのか・・・・
この映画は、吉田修一の短編集の1部を「64-ロクヨン」シリーズなどの瀬々敬久監督が映画化したもので、幼女誘拐事件、少女行方不明事件、養蜂家事件の短編をまとめたもの。