極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

スカンジウムな男

2017年09月01日 | 環境工学システム論

     

         成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い   / 晋の復覇刻の時代 

                                  

       ※  君の師を亡えり、あえてその死を忘れんや:鄢陵を引きあげた楚軍が 領内の
              瑕(か)に着いたとき、共王は子反に使いをやって、こう伝えさせた。「かつ
       て子玉
が大敗を喫したときは、主君は同行していなかった(「城濮の戦い」)。
       だが、今度
はちがう。おまえの失敗と思うことはない。行動をともにしたわた
       しに責任がある」。
子反はこれを聞くと再拝稽梢首して言った。「殿がわたく
       しに死を賜われば、そのほうがうれしゅうございます。何と申しましても、わ
       たくしの
部下が逃げ腰になったことが今度の敗戦のもとです。責任はこのわた
       くしにございます」。
子重は子反に使いをやってこう言わせた。「むかし、大
       敗を契した将軍がどのように責任をとったか、ご承知のはず(城濮の戦いに敗
       れ、子玉は
自殺。しかるべくお考えになるよう」。子反は答えた。「むかしの
       将軍がどうであったにしろ、あなたのお考えになっているとおりだと思います。
       主君の軍
を失ったからには、わたくしは死んで責任をとるつもりです」。楚王
       は子反の死を止めようとしたが、時すでにおそく、子反は自ら命を絶っていた。 

  No.59

【エネルギータイリング事業篇】 

♞ 最新ピエゾタイル技術:世界最高性能の窒化ガリウム圧電薄膜

 【概要】

8月31日、 産業技術総合研究所などの研究グループは、低コストで成膜温度の低いRFスパッタ法を
用いた、単結晶と同等の圧電性能を示す窒化ガリウム(GaN)薄膜を作製できる方法を見いだした。さ
らに、スカンジウム(Sc)添加で圧電性能が飛躍的に向上することを実証し、GaNとしては現在、世界
最高性能の圧電薄膜を開発したことを公表。この開発成果の特徴は、❶金属配向層上に成長させること
で、良質な窒化ガリウム配向薄膜をRFスパッタ法で作製、❷スカンジウムの添加により圧電性能が飛
躍的に向上、❸センサーやエナジーハーベスターとしての応用の他、製造技術への波及効果にも期待さ
れている。

GaNLEDやパワーエレクトロニクスへの利用で知られているが、窒化アルミニウム(AlN)と同様
に機械的特性に優れた圧電体でもあり、通信用高周波フィルタ
、センサー、エナジーハーベスターなど
への利用も期待されている。さまざまな応用が期待される一方で、GaNAlNに比べて圧電薄膜の作製
が難しく、RFスパッタ法では圧電体として利用できる十分に良質な配向薄膜を作製できなかった。
今回、ハフニウム(Hf)またはモリブデン(Mo)の金属配向層の上にGaNの結晶を成長させることで、良
質なGaN配向薄膜を作製できた。この薄膜は単結晶並みの圧電定数d33(約3.5 pC/N)を示した。
さらに、Scを添加するとd33が約4倍の14.5 pC/Nまで増加した。今回の成果により、GaNの圧電体とし
ての応用が広がるだけではなく、GaN薄膜の製造技術への波及効果も期待できるとのこと。


【従来の製造方法】

従来の圧電薄膜の薄膜形成法は、スパッタリング法や、CVD法等があるが、スパッタリング法で製造する(下図
3)。また、3元スパッタリング装置また下図4に示す1元スパッタリング装置でスパッタリング処理する。 図3のス
パッタリング装置は、Alの第1のターゲット2と、Mgの第2のターゲット3と、Hfの第3のターゲット4とを用い、窒
素(N2)ガスとアルゴン(Ar)ガスの混合雰囲気下で3元スパッタリング法で、基板1に成膜していた。なお、第1
のターゲット2としてAlNのターゲットを用いる。3元スパッタリング法では、第1,第2及び第3のターゲットパワー
の比率を変えることでAl、Mg及びHfの含有量を調節する。

さらに、図4に示すスパッタリング装置は、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲット5で、N2ガスとArガスの混合
雰囲気下で1元スパッタリング法で成膜。1元スパッタリング法は、予めAl、Mg及びHfの含有量が異なる合金タ
ーゲット5を用意、Al、Mg及びHfの含有量の調節を行う。なお、合金ターゲット5は、真空溶解法や、焼結法など
を用いて作製する。または、Alのターゲットの上にMgやHfの金属片を置いたり、Alのターゲットに凹み穴をあけ
てMgやHfの金属片を埋め込んだもの可。また、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲット5を用いる1元スパッタ
リング法では、6インチや8インチといった大型のウエハ上へ、均一な膜厚分布と圧電性分布で成膜可能である。
Sc含有AlNでは、Sc及びAlの合金のターゲットが用いるが、高価なため、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲ
ット5を用いることで大幅に製品価格を下げている。なお、スパッタリングは、基板1の温度としては、室温~45
0℃で行っていた。

※ 特開2015-233042  圧電薄膜及びその製造方法、並びに圧電素子

【符号の説明】

1 基板 2 第1のターゲット 3 第2のターゲット 4 第3のターゲット 5 合金ターゲット 11 圧電マイクロ
フォン 12 筒状の支持体 13 圧電薄膜 14 第1の電極 15 第2の電極 16 シリコン酸化膜 17,18
第1,第2の接続電極 17a ビアホール電極部 21 幅広がり振動子 22a,22b 支持部 23 振動板 
24a,24b 連結部 31 厚み縦振動子 32 基板 33 音響反射層 33a,33c,33 相対的に低い音響イ
ンピーダンス層 33b,33d 相対的に高い音響インピーダンス層

【今回の製造方法】

今回の製造技術は、GaNと結晶学的に相性のよいハフニウム(Hf)やモリブデン(Mo)の配向層を、あらか
じめシリコン基板上で成長させて、その上に、比較的低温で成膜できるRFスパッタ法でGaNの配向薄膜
を成長させる。X線ロッキングカーブ法で配向薄膜の結晶学的な品質を評価した結果を図1に示す。ロ
ッキングカーブの半値幅(赤い矢印)が小さい方が配向薄膜の品質が良いことを示すが、シリコン基板
上に直接成長させた薄膜より、HfMoの配向層上に成長させた薄膜の方が配向性が良いことが分かった。
このGaN配向薄膜の圧電定数d33は、MOCVD法などで作製された単結晶GaNの発表されている値と同等
であり(図2、約3.5 pC/N)、良質な薄膜を作製できたことがわかる。今回開発した技術では、MOCVD
法に比べて低い温度でGaN薄膜を作製できるため、コスト削減のほか、これまでGaN成膜後の複雑な工程
が必要だった金属電極の作製も容易になる。また、比較的低温で作製できるので、他のデバイスや製品
GaN圧電体の製造にも使用できることを確認。


さらに、これが重要なポイントであるが、AlNの圧電性能を飛躍的に高めることで知られているスカン
ジウム(Sc) ※ の添加をGaNで試みている。AlNは結晶のある一方向に圧電性を示すが、Scを添加する
と結晶構造が変化、その方向にイオンが動きやすくなり、圧電性が向上する。と考えられているが今回
の配向層を利用し、同結晶構造をもつGaNScを添加した圧電薄膜を作製。その結果、圧電定数d33が著
しく向上、無添加のGaNの4倍である約14 pC/Nを示す。これまでの作製技術では、Scのような異種元素
添加で配向薄膜ができなかった。今後、この方法はGaN 圧電体の研究開発が促進されるとみている。


さらに、GaN圧電薄膜を用いてBAW型高周波フィルターを試作し、共振特性を調べると、Sc無添加の薄
膜もScを添加した薄膜も良好な共振特性を示し、添加した薄膜の電気機械結合係数k2は約6%と、無添
加の3倍の高くなった。今回作製したSc添加GaNの圧電定数d33や電気機械結合係数k2は、現在のところ
GaN系としては世界最高値である。

 
※ X線ロッキングカーブ法とは

※ スカンジウム((Sc)とは

鉱物の産地である「スカンジナビア」を意味するラテン語「Scandia」にちなんで「スカンジウム(Sca-
ndium
)」と命名。の地球における存在量は鉛(Pb)と同程度で、それほど多くはなく、Pbとは異なり、
これを濃縮する地質学的過程が存在しないため、Scは地殻全体に広く分散して、何百種類もの鉱物に少
量ずつ含まれ、珍重されてきた。ノルウェーのIvelandで採れる暗緑色のトルトベイト石(Sc2Si2O7)の
標本などは、1950年代、その価値が同じ重さの金(Au)に匹敵。Scを必要とする生物は見つかっていな
いが、茶の葉には異常濃縮し、その原因として茶の木が成長に必要なアルミニウム(Al)を吸収する際、
化学的に類似したScを区別せず一緒に取り込むとされる。ScAl–Sc合金としての用途が評価される。
Alに0.5%量のScを加えると、軽量という利点を維持しながら強度を著しく高め、合金化によって融点が
800°Cも上昇、Alでは困難な溶接が可能となる。ロシアでは、ジェット戦闘機ミグの複数の部品にこの
合金が使われている。




※ 圧電定数とは

圧電アクチュエータの原理 | 村田製作所

 

 

          

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』  

    第49章 それと同じ数だけの死が満ちている 

  途中で雨田が用を足したいと言って、道路沿いにあるファミリー・レストランに車を停めた。
 我々は窓際のテーブルに案内され、コーヒーを注文した。ちょうど昼時だったので、私はロース
 トビーフのサンドイッチもあわせて頼んだ。雨田も同じものを頼んだ。それから雨田は席を立っ
 て洗面所に行った。彼が席を離れているあいだ、私はぼんやりとガラス窓の外を眺めていた。駐
 車場は車で混み合っていた。おおかたが家族連れだ。駐車場にはミニヴァンの数が目立った。ミ
 ニヴァンはどれもこれも同じように見える。あまりおいしくないビスケットの入った缶みたいだ。
  人々は駐車場の先にある展望台から、小さなディジタル・カメラや携帯電話で、正面に大きく見
  える富士山の写真を撮っていた。おそらく愚かしい偏見なのだろうが、人々が電話機を使って写
 真を撮るという行為に、私はどうしても馴れることができなかった。写真機を使って電話をかけ
 るという行為には、もっと馴染めなかった

  私がそんな光景を見るともなく見ていると、一台の白いスバル・フォレスターが道路から駐車
 場に入ってきた。私はそれほど車種に詳しいわけではないが(そしてスバル・フォレスターは決
 して特徴的な格好をした車とは言えないが)、それがあの「白いスバル・フォレスターの男」が
 乗っていたのと同じ車種であることは一目でわかった。その車は空いたスペースを深しながら、
 混み合った駐車場の通路をゆっくりと進み、ひとつを見つけるとそこに素早く頭から車を入れた。
  バックドアに装着されたタイヤ・ケースにはたしかに「SUBARUFORESTER」とい
 う大きなロゴがついていた。どうやら宮城県の海沿いの町で私が目にしたのと同じモデルのよう
 だ。ナンバー・プレートまでは読み取れなかったが、それは見れば見るほど、私が今年の春にあ
 の小さな港町で目にしたのと同じ車のように見えた。車種が同じというだけではない。まったく

 同一の車のように。

  私の視覚的記憶は人並み外れて正確だし、しかも長続きする。そしてその車の汚れ具合や、ち
 ょっとした個別的な特徴は、私の記憶の中あるあの車に酷似していた。息が詰まりそうな気が
 した。私は目をこらして、そこから誰が降りてくるのかを見届けようとした。しかしそのときに
 ちょうど大型観光バスが駐車場に入ってきて、私の視界をふさいでしまった。車が混み合ってい
 て、バスはなかなか前に進めないようだった。私は席を立ち、店の外に出た。そして立ち往生し
 ている観光バスを回り込むようにして、白いスバル・フォレスターが停められた方に歩いて行っ
 た。しかしその車にはもう誰も乗っていなかった。車を運転していた人間は、車を降りてどこか
 に行ってしまったのだ。レストランの中に入ったのかもしれないし、あるいは展望台に写真を握
 りに行ったのかもしれない。私はそこに立って、あたりを注意深く見回してみたが、「白いスバ
 ル・フォレスターの男」の姿はとこにも見当たらなかった。もちろんその男が車を運転していた
 とは限らないわけだが。

  それから私は車のナンバーを確かめてみた。やはり宮城ナンバーだった。そしてリアバンパー
 にはカジキマグロの絵を描いたステッカーが貼ってあった。あのときに見たのと同じ車だ。間違
 いない。あの男がここにやってきたのだ。背筋が凍りつくような感覚があった。私は彼を見つけ
 ようとした。私はもう一度その男の順を見たかった。そして私か彼の肖像画を完成させられない
 でいる理由を確かめたかった。私は彼の中の何かを見落としているのかもしれない。私はとにか
 くそのナンバーの数字を順に刻み込んだ。何かの彼に立つかもしれない。何の彼にも立たないか
 もしれない。



  私はしばらくのあいだ駐車場を歩き回り、それらしい男の姿を探し求めた。展望台にも足を違  
 んでみた。しかし「白いスバル・フオレスターの男」の姿は見当たらなかった。短い白髪混じり
 の髪、よく日焼けした中年の男。背は高い方だ。前回見たときにはくたびれた黒い革ジャンパー
 を着て、ヨネックスのロゴの入ったゴルフ・キャップをかぶっていた。私はそのとき男の順をメ
 モ帳に簡単にスケッチし、それを向かいの席に座った若い女に見せた。「ずいぶん絵が上手なの
 ね」、女はそれを見て感心したように言った。

  外にそれらしい男がいないことを確かめてから、私はファミリー・レストランの中に入り、店
 の内部を一周してみた。しかし男の姿はとこにも見当たらなかった。レストランはほとんど満員
 になっていた。雨田は既に席仁戻ってコーヒーを飲んでいた。サンドイッチはまだ違ばれてきて
 いなかった。

 「どこに行ってたんだよ?」と雨田は私に尋ねた。
 「窓の外を見ていたら、知っている人を見かけたような気がしたんだ。だから外に探しにいって
 
いた」
 「見つかった?」
 「いや、見つからなかった。思い運いかもしれない」と私は言った。

  私はそのあともずっと、駐車している白いスバル・フオレスターから目を離さなかった。運転
 していた男が戻ってくるかもしれないと思って。しかしその男が車に戻ってきたからといって、
 私はそこでいったい何をすればいいのだろう? 彼のところに行って話しかければいいのか。た
 しか今年の春、宮城県の海沿いの小さな町で、二度ばかりお目にかかりましたね、と。そうでし
 たか、でも私はあなたのことは覚えていません、と彼は言うかもしれない。たぶんそう言うだろ。 

  なぜあなたはぼくのあとを追ってくるのですか? と私は問う。いったい何のことでしょう、
 私はあなたのあとを追ってなんかいませんよ、と彼は答えるだろう。どうして私が知りもしない
 あなたのあとを追わなくてはならないのですか? そこで会話は終わってしまう。
  でもいずれにせよ、運転者はスバル・フオレスターに戻ってこなかった。その白いずんぐりと
 した車は、駐車場の中で無言のうちにオーナーの帰りを待っていた。私と雨田がサンドイッチを
 食べ終え、コーヒーを飲み終えても、まだ男は姿を見せなかった。
 「さあ、そろそろ行こうぜ。あまり時間がない」と雨田は腕時計に目をやり、私に言った。そし
 てテーブルの上のサングラスを取り上げた。
  我々は立ち上がり、勘定を払い外に出た。そしてボルボに乗り込み、混み合った駐車場をあと
 にした。私としてはそこに残って「白いスバル・フオレスターの男」が戻ってくるのを待ちたか
 ったが、今はそれよりも雨田の父親に面会することの方が優先事項だった。どのような事情があ
 
ろうとその誘いを断ってばならないと、騎士団長に釘を刺されていた

  その上うにして、「白いスバル・フォレスターの男」が私の前にもう一度姿を見せたという事
 実だけがあとに残った。彼は私がここにいることを知っており、自分ちまたここにいるという事
 実を、私に見せつけ上うとしているのだ。私にはその意図が理解できた。彼がここにやってきた
 のは、ただの偶然ではない。観光バスが前に立ちはだかって彼の姿を隠してしまったのも、もち
 
ろん偶然ではない。

  雨田典彦の入っている施設までは、伊豆スカイラインを降りてからしばらく、くねくねと曲が
 った長い山道を道んで行かなくてはならなかった。新たに聞かれた別荘地があり、洒落たコーヒ
 ーハウスかおり、ログハウスのペンションがあり、地元でとれた野菜の直売所があり、観光客向
 けの小さな博物館があった。そのあいだ私は道路のカーブにあわせて、ドアについたグリップを
 握りしめながら、「白いスバル・フォレスターの男」のことを考えていた。彼の肖像画を完成さ
 せることを、何かが阻んでいるのだ。たぶん私は、その絵を完成させるためにどうしても必要な
 要素をひとつ、見つけることができずにいるのだ。パズルの大事なピースをひとつなくしてしま
 ったみたいに。それはこれまでにはなかったことだった。私が誰かの肖像画を描こうとするとき、
 私はそのために必要な部品を、前もってすべて集めておく。しかしその「白いスバル・フォレス
 ターの男」に聞してはそれができなかった。おそらく「白いスバル・フォレスターの男」本人が
 それを阻止しているのだろう。彼は何らかの理由で、自分か絵に描かれることを望んでいないの
 
だ。あるいは強く拒否しているのだ。

  ボルボはある地点で道路を外れ、大きく聞かれた鉄の門扉の中に入った。門にはとても小さな
 看板しか出ていなかった。よほど気をつけていなければ、入り口を見落としてしまいそうだ。お
 そらくこの施設は、自らの存在を広く世間に宣伝する必要を感じていないのだろう。門の脇には
 制服を看た警備員のブースがあり、政彦はそこで自分の名前と、面会相手の名前を告げた。警備
 員がどこかに電話をかけ、身元を確認した。そのまま奥に進んでいくと、僻蒼とした林の中に入
 っていった。樹木のほとんどは背の高い常緑樹で、それが作り出す影はいかにもひやりとしてい
 た。きれいに舗装されたアスファルトの坂道をしばらく上ると、平らな車寄せに出た。車寄せは
 ロータリーになっていて、その中央には丸い花壇がつくられていた。なだらかな丘のように盛り
 上げられた花壇は、大きな花キャベツで囲まれ、真ん中には鮮やかな色合いの赤い花が咲いてい
 た。すべてがよく手入れされていた。

  雨田はロータリーの奥にある来客用の駐車場に入り、そこに車を止めた。駐車場には二台の車
 が先に停まっていた。ホンダの白いミニヴァンと、アウディの紺色のセダンだった。どちらもぴ
 かぴかの新車で、その二台のあいだに停めると、旧型ボルボは年老いた使役馬のように見えた。
 しかし雨田はそんなことはまったく気にしていないようだった(それよりはカセットテープでバ
 ナナラマを聴けることの方が大事なのだ)。駐車場からは眼下に太平洋が見下ろせた。海面は初
 冬の陽光を浴びて、鈍い色合いに光っていた。その中で中型の漁船が何隻か操業していた。沖の
 方に小さな小高い島が見え、その先に真鶴半島が見えた。時計の針は一時四十五分を指していた。



  我々は車を降りて、歩いて建物の入り口に向かった。建物は比較的最近建てられたものらしか
 った。全体的に清潔でスマートではあったが、とくに個性の感じられないコンクリートの建物だ。
 デザイン面から見る限り、この建物の設計を担当した建築家の想像力は、それほど活発なもので
 はなかったようだ。あるいは依頼主が建物の用途を考慮して、できるだけシンプルで保守的な設
 計を求めたのかもしれない。ほぼ真四角な三階建ての建物で、すべてが直線で成り立っていた。
 設計はたぶんまっすぐな定規丁寧で足りたはずだ。一階部分にはガラスが多く使用され、できる
 だけ明るい印象を与えようとしている。斜面に張り出した大きな木製のバルコニーもあって、そ
 こには1ダースばかりデッキチェアが並べられていたが、季節はもう冬に入っていたから、いく
 ら空か気持ちよく晴れ上がっているとはいえ、外に出て日光浴をしている人の姿は見当たらなか
 った。床から天井まで立ち上がったガラス壁で囲まれたカフェテリアの部分には、何人かの人々
 の姿が見えた。五人か六人、みんな年老いた人々のようだった。車いすに座っている人も二人ば
 かりいた。何をしているかまではわからない。たぶん壁についた大型のテレビ両面を見ているの

  だろう。みんなで揃ってとんぼ返りを打っているのでないことだけはたしかだった。

                                                                           この項つづく
 

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嘘ばかりとは情けない

2017年09月01日 | 時事書評

     

         成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い   / 晋の復覇刻の時代 

                                  

       ※  楚の子反、楚を敗る:その日の戦闘が終わると、楚の子反は軍吏にさっそく次
       の戦闘の準備を命じた。負傷者の手当て、
欠員の補充、武器の修理、車馬の手
       入れ、翌早朝の食事の準備、すべてはとどこおりなくすんだ。
この動きを察知
       した晋軍は、苗賁皇(びょうふんこう)が一計を案じた。かれは、
「車を整え、
       兵員を補い、馬には草をあたえよ。武器の点検、布陣、整列も完全にせよ。明
       朝はすみ
やかに朝食をすませ、戦いの祈りをささげよ。明日はまた戦うのだ」
       
と、陣中に触れを出したうえで、楚の捕虜を釈放した。楚の共王は晋軍が戦闘
       態勢をとったことを
知ると、対策を講ずるため、子反の陣に使いを出して、よ
       びつけた。ところが、召使いの穀陽が、酒
を飲ませたため、子反は酔いつぶれ
       て動けなくなってしまった。共王は、「あ
あ、これでわが楚が敗れるのか、こ
       れも天命なのであろう。敗けときまった以上、長居は無用だ」
 と言って、その
           夜のうちに 鄢陵(えんりょう)から撤退した。

       晋軍は楚の陣に進駐し、三日分の食禄を獲得した。范文子は、愿公の馬前に立
       って言
った。「ご経験も浅く、傑出した臣下ももたぬ殿が、このような勝利を
       収められたの
は何ゆえでしょうか。よくお考えの上、くれぐれも自制なされる
       ように。”天命はいつも
味方するとはかぎらない”という言葉が『伺書』にご
       ざいます。天運は徳ある者に移ると
いう意味でございます」 

       

  ● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり     

    第7章 年全商品の選び方は、「税金」と「手数料」がポイント

            第5節 高利回り商品でも、「手数料」が高ければ元も子もない

    もう一つ、見逃されがちなのは、手数料です。税制上の恩典を受けられても、手数料
   をたくさん取られたら意味かおりません。多くの金融商品は、販売会社の格好の手数料
   稼ぎになっています。
    なかなか気づきにくいのは、一般の保険の手数料の高さです。
    死亡保険(生命保険)の場合、死亡などの事故が発生したときに多額の保険金を受け
   取れますが、何も起こらなければ、掛け捨てになります。多額の保険金を受け取れるの
   は、何事もなく満期を迎える人が多いからです。保険金の額が高いので、気がつかない
   人が多いのですが、このような保険商品は保険会社がかなりの手数料を取っています。
   具体的な数字は書きませんが、その手数料率を知ったら驚く人が多いと恩います。そう
   した保険商品は、保険のおばちゃんといわれる販売員を養うためになるのかと勘違いし
   てしまいそうです。
   
    ちなみに保険商品には、大きく分けると、掛け捨て保険と、貯蓄型保険の二つがあり
   ます。

    《手数料》

    投資信託 < 貯蓄型保険(投資信託十掛け捨て保険) < 掛け捨て保険

    最近になって、金融庁は、貯蓄型保険の手数料の開示を求めるようになりました。貯
   蓄型保険は、銀行窓口などで販売され、保険会社が銀行に手数料を支払っています。金
   融庁の
開示要求に対して、手数料を開示されたくない地銀協は強硬に反対しました。そ
   れでも金融庁
の意向によって、開示の方向に進んでいます。
    私は、金融庁の人と会ったときに、「貯蓄型保険の手数料の開示をさせるなら、掛け
   捨て保険の手数料も開示させるべきではないですか」といったところ、相手は黙ってし
   
まいました。「貯蓄型保険は、掛け捨て保険と投資信託のハイブリッド商品ではないのですか
   ?」と開いたら、その点は認めました。それならば、掛け捨て保険だけ手数料を開示し
   ないの
はおかしな話です。
    すべての商品の手数料を開示させたほうがいいのですが、掛け捨て保険だけは、手数
   料が高すぎて開示できないようです。
    今後、様々な金融商品の手数料が開示されていくはずです。手数料に敏感になること
   が、自分の資産を守ることにつながります,3%の手数料だ
とすると、3%以上の利回
   りの商品でなければメリットかおりません。

    ですから、私が金融商品を検討する際のポイントは、「税制上の恩典と「手数料
   なのです。この二つだけで判断してもいいとさえ、私は思っ
ています



           第6節 税制の恩典が大きい「確定拠出年金」は、「手数料」次第

    私は、大蔵省に入ったときに、振り出しが証券局でした。証券局の新人が担当する仕
   事の中に、一般顧客からの苦情処埋かありました。とはい
え、もちろん当局に「こんな
   に儲かりました」といってくる人はいません
ので、クレームばかりの偏った情報なので
   すが、それでも多くのことを知
りました。
    投資信託の手数料稼ぎの回転売買の実態もわかりましたし、保険商品が非常に高い手
   数料を取っていることも知りました。証券会社や保険会社の
手数料稼ぎの商品はたくさ
   んあります。

     多くの苦情を受けましたので、そのときのトラウマなのか、私は金融商品に対して
   は辛口です,辛口の私がお奨めできる数少ない商品が、先ほど述べた「個人型確定拠出年金
   です。
税制の恩典かおり、販売金融機関に支払う運営管理手数料んあります,
    多くの苦情を受けましたので、そのときのトラクマなのか、私は金融商品に対しては
   辛口です
    辛口の私がお奨めできる数少ない商品が、先ほど述べた「個人型確定拠出年金」です。
   税制の恩典かおり、販売金融機関に支払う運営管理手数料が安いというメリットが
あり
   ます。

    手数料をあまり取れないので、金融機関は確定拠出年金をそれほど積極的に販売して
   きませんでした。しかし、2017年1月から、加入できる人が、公務員や主婦に拡大
   されたため、金融機関が積極的に販売するようになりました。金融機関は、低金利時代
   の収益確保が難しくなっています。確定拠出年金の資産は原則として六〇歳まで引き出
   せないため、安定収入になると考えて、金融機関が積極的に販売しはじめたのです。

    確定拠出年金は税制の恩典かおる商品ですが、販売会社選びと商品選びは慎重にしな
   いといけません,
    加入する際には、まず「運営管理機関」を選びます。「運営管理機関」は、商品の提
   示や記録の管理などを行なう金融機関です。運用するのは別の金融機関で、「商品提供
   機関」と呼ばれます。
    加入者は、「運営管理機関」から提示された商品の中から選んで、毎月自分の掛け金
   を「商品提供機関」の商品で運用します。ハイリスク・ハイリターンの商品を選んでも
   いいですし、利回りは低くても元本割れしない安全な商品を選ぶこともできます。
    気をつけるべき点は、「商品提供機関」に支払う手数料(信託報酬)です。信託報酬
   が年率0.4%も取られるような投資信託ばかり提示するところを選ばないようにしま
   しょう。せっかくの税金の恩典が、高い手数料で元も子もなくなります。

    《確定拠出年金の手数料》

      「運営管理機関」への手数料十「商品提供機関」への手数料(信託報酬)

    もう一つ気をつけなければいけないことは、確定拠出年金を入りロに、別の商品も売
   りつけてくる可能性かおる点です。旅行、宿泊、買い物を優待価格でできるようにした
   り、残高が一定以上などの場合に口座管理手数料を無料にしたりするなど、いろいろな
   特典を付けてくるところがあります。そういうところは、エサで釣って別の商品を売ろ
   うとしていないか、よく見極める必要があります。相手は、変額保険のような手数料の
   高い商品や、税制の恩典のない投資信託を売りたいと恩っているのかもしれません。
   業者選びと商品選びは、慎重に行ないましょう。

 

 Oct. 19, 2014

                   第7節 「物価連動国債」でインフレヘッジを

    公的年金は、賦課方式でやっていますから、インフレヘッジされていますが、積立方
   式の場合は、インフレヘッジが重要になります。個人で確定拠出年金に入る場合も、イ
   ンフレ率よりも高い運用をしてもらわないと、受け取るときに目減りしていることかあ
   ります。
     インフレヘッジという面で一番良い商品は、「物価連動国債」です。物価と運動し
   ている国債ですから、完全にインフレヘッジされます。
    ところが、現在は、物価連動国債を個人が購入することはできません。もし物価連動
   国債を個人向けに売り出したら、年金に入る人がいなくなって困るのかもしれません。

    私は、物価連動国債を個人が買えるようにすべきだと考えています。そうすれば、運
   用利回りが心配な民間の年金保険に入る必要がなくなります。しかし、保険会社や信託
   銀行が反対するので、財務省は個人向けに売り出そうとしません。
    物価連動国債は、投資信託で買えるようになっていますが、投信を買う時点で手数料
   を取られますから、この仕組みではあまり国民のためになりません。

    私が、国債課の担当であれば、ネット上ですぐに売り出したいくらいです。ネットで
   直接国民に売り出せば、あいだに入る証券会社も銀行もいらなくなります。これだけ
   T技術が進んでいるのですから、直接国民に売るシステムを設計できるはずです。
    金融機関を通さず、国が直接国民に物価連動国債を販売できるようにすれば、多くの
   国民がインフレを心配せずに、老後に備えることができるようになるでしょう。
    ちなみに、私は物価連動国債の生みの親です。2000代のはじめ、経済財政諮問
   議を担当していたときに、竹中平蔵大臣に強く進言して提言書に入れてもらいました。

    そのとき、財務省から抵抗が強くて、個人販売まで織り込めませんでした。この意味
   で
今でも個人販売が認められていないのは残念です。

  Floating rate government bond

                 第8節 次善の策として「変動利付国債」もある

    物価連動国債を買えれば一番いいのですが、次善の策として、「変動利付国債」とい
   うものがあります。満期が10年ですが、最低金利が決まっていて、半年ごとに金利が
   変動します。この商品も、役人時代に制度設計で関わっています。
    変動利付国債の金利はだいたい短期金利と連動します。現在は短期金利がマイナスで
   すから、本当はマイナスに連動しなければいけないのですが、晨低金利が0.05%に
   固定されています。マイナス金利の現在は、この商品が一番お得です。
    おそらく商品設計したときに、まさかマイナス金利になるとは思ってもいなかったの
   でしょう。そのため、最低金利がプラスになっています。
    短期金利とほぼ連動しますから、金利が上昇すると、この国債の金利が上がります。
    インフレをあまり心配する必要のない商品です。マイナス金利になったときにも、金
   利
がつきますので、ありかたい商品です。これは、今のようにマイナス金利環境では他
   の
商品に比べてかなりのアドバンテージです。財務省の持ち出しになっているのだと思
   い
ますが、あまり販売額は大きくないですから、何とかなっているのでしょう。

    将来に対して備えるときに、一番難しいのはインフレヘッジです。株式を買ってイン
   フレヘッジする方法もありますが、どの銘柄の株を買うかを考えなければいけません。
   投資信託商品を選ぶのも大変です。
    何も考えずに一番簡単にインフレヘッジできるのが物価連動国債、その次が変動利付
   国債です。国債は一度買ったら金融機関の口座に置いておくだけです。口座手数料はた
   いした額ではありませんから、10年間そのまま置きっ放しにすれば、自動的にインフ
     レヘッジされるはずです。

    《インフレに強い商品》

     ・物価連動国債 (投資信託商品)
     ・変動利付国債

    金融商品は、商品の特徴をよく知ることが大切です。特徴を知って、自分が求める保
   障に向いた金融商品を選ばなくてはいけません。年金の場合は、インフレヘッジという
   点も重要になります。
    安全性の高い「公的年金」をベースにしながら、民間商品の特徴をうまく組み合わせ
   て、老後のために備えておきましょう。加えていうならば、どうやって老後にも働ける
   かということも考えておくべきでしょう。それが自分自身のゆとりある暮らしと健康の
   ためであるように思えてなりません。
    最後にもう一度繰り返しますが、年金は、長生きしたときのために掛けておく「保険
   です。きちんと保険を掛けておけば、安心して長生きすることができます。
    自分自身、そして家族のための人生です。変な「思惑」に乗った情報に踊らされて思
   わぬ「損」をこうむらないよう、ぜひ真実を知る努力を続けてください。

まとめて書評しようと考えていたが、「年金の制度/運用」の原理・原則については異論ないので加
筆することはないので、同著者の『戦後経済史は嘘ばかり』に移る


                                        この項了

 

         

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』    
   

 第48章 スペイン人たちはアイルランドの沖合を航海する方法を知らず

    雨田はそれについてしばらく考えていた。「その意味はへたとえ凡庸ではあっても、代わりは
  きかない〉 ってことか?」
 「そういう言い方もできるかもしれない」
  雨田はしばらく黙ってハンドルを握っていた。それから言った。
 「それはともかく、おまえちいっぺんそういうのを試してみてくれないか?」
 「ぼくは知っての通り、肖像画を長いあいだ描き続けてきた。だから人の顔の成り立ちにかけて
 は詳しい方だと思う。専門家といっていいだろう。しかし顔の右側と左側で人格に相違があるな
 んて、これまで考えたこともないよ]
 「でも、おまえが描いてきたのはほとんど男の肖像画だろう?」

  たしかに雨田の言うとおりだ。私はこれまで女性の肖像画制作の依頼を受けたことは一度もな
 い。なぜかはわからないが、払の描いた肖像画はすべて男性のものだった。唯一の例外は秋川ま
 りえだが、彼女は女性というよりはむしろ子供に近いかもしれない。それにその作品はまだ完成
 していない。

 「男と女とは違うんだよ、ぜんぜん」と雨田は言った。

 「ひとつ試きたいんだけど」と私は言った。「女性はほとんどが、顔の左側と右側とで表す人格
 が違っていると君は言う」
 「そうだ。それがおれの導き出した結論だ」
 「それで君は、どちらかの顔の側面をもう一方より、より好きになるということかおるのか?
 あるいはどちらかの頑の側面をより好きになれないということが?」

 それについて雨田はしばらく考え込んでいた。それから言った。「いや、そんな風にはならな
 い。どちらかをより好きになって、どちらかをより好きになれないとか、そういうレベルのこと
 じゃないんだ。どちらが明るい詣でどちらが暗い側だとか、どちらがよりきれいでどちらがより
 きれいじゃないとか、そんなことでもない。問題は、打と左で違っているということだけなんだ。
 違っているという事実そのものが、おれを混乱させ、ある場合にはおびえさせるんだよ」

 「そういうのって、ぼくの耳には強迫神経症の一種のように聞こえてしまうな」と私は言った。

 「おれの耳にもそのように聞こえる」と雨田は言った。「自分で話していて、そう聞こえる。で
 もな、ほんとうにそうなんだよ。一度自分で試してみてくれ」

  試してみる、と私は言った。でもそんなことを試してみるつもりはなかった。ただでさえ多く
 のトラブルを抱え込んでいるのだ。これ以上ややこしい目にあいたくない。
 それから我々は雨田具彦について話をした。ウィーン時代の雨田具彦について。

 「父はリヒアルト・シュトラウスがベートーヴェンの交響曲を指揮するのを聴いたことがあると
 言っていた」と雨田は言った。「オーケストラはウィーン・フィルだ、もちろん。とてつもなく
 素晴らしい演奏だったそうだ。それはおれが父親の口からじかに聞いた、数少ないウィーン時代
 のエピソードのひとつだ」
 「ほかにはウィーンでの生活についてどんな話を聞いた?」
 「どうでもいいような話ばかりだ。食べ物のこと、酒のこと、そして音楽のこと。父親はなにし
 ろ音楽が好きだったからな。それ以外のことは何もしやべらなかった。絵の話や政治の話はまっ
 
たく出なかったよ、女の出てくる話もな」

  雨田はそのまましばらく黙っていたが、やがて続けた。

 「誰かが父の伝記を書くといいのかもしれない。きっと面白い本になることだろう。でもな、現
 実にはうちの父親の伝記なんて誰にも書けやしないよ。なにしろ個人情報みたいなものがほとん
 ど存在しないんだから。父親は友だちもつくらず、家族なんか放ったらかしにして、ただただ一
 人で山の上にこもって仕事をしてきた。かろうじてつきあいがあったのは馴染みの画商くらいだ。
 ほとんど誰とも口をきかなかった。手紙ひとつ書かなかった。だから伝記を書こうにも、書くべ
 き材料ってものがろくすっぽないんだ。その一生は空白部分が多いというよりは、ほとんど空白
 だらけと言った方が近いかもしれない。身よりは穴ぼこの方がずっと多いチーズみたいなもんだ」

 「あとには作品だけが残されている」
 「そう、作品の他にはほとんど何も残されていない。おそらくそれが父の望んだことだ」
 「きみも残されたもののひとつだよ」と私は言った。
 「おれが?」と言って雨田は驚いたように私の顔を見た。でもすぐに視線を前方の路上幌尻した。
 「たしかにそうだな。言われてみればそのとおりだ。このおれも父があとに残したもののひとつ
 だ。あまり出来は良くないが」
 「でも代わりはきかない」
 「そのとおりだ。たとえ凡庸でも代わりはきかない」と雨田は言った。「ときどきおれは思うん
 だ。むしろおまえが雨田典彦の息子だったらよかったんじやないかって。そうすれば、いろんな
 ことがすんなりと運んだかもしれない」
 「よしてくれよ」と私は笑って言った。「雨田典彦の息子役は誰にもつとまりっこないよ」
 「たぶんな」と雨田は言った。「でもおまえならそれなりにうまく精神的な引き継ぎみたいなこ
 とはできたんじやないのかな。そういう資格は、おれよりはむしろおまえの方に典わっているん
 じやないか――おれとしてはただ素直にそんな感じがするんだよ」



  そう言われて、私は『騎士団長殺し』の絵のことをふと思い出した。ひょっとしてあの絵は、
 私が雨田典彦から引き継いだものなのだろうか? 彼が私をあの坦坦畏部屋に導いて、その絵を
 見つけさせたのだろうか? 彼はその絵を通して、私に何かを求めているのだろうか?
  カーステレオからはデボラ・ハリーの「フレンチ・キッスイン・イン・ザ・USA」が流れて
 いた。我々の会話のバックグラウンドにはずいぶん不似合いな音楽だった。

 「父親が雨田典彦だというのは、きっとずいぶんきついことなんだろうな」と私は思い切って尋
 ねてみた。

 「ちらりともな。おまえにはDNAを半分やったんだから、そのほかにやるものはない。あとの
 ことは自分でなんとかしろ、みたいな感じなんだ。でもな、人間と人間との関係というのは、そ
 んなDNAだけのことじゃないんだ。そうだろ? 何もおれの人生の導き手になってくれとまで
 は言わない。そこまでは求めないよ。しかし父親と息子の会話みたいなものが少しはあってもよ
 かったはずだ。白分かかつてどんなことを経験してきたか、どんな思いを抱いて生きてきたか、
 たとえ僅かな切れっ端でもいい、教えてくれてもよかったはずだ」

  私は黙って彼の話を間いていた。

  彼は長い信号で止まっているあいだ、レイバンの濃いサングラスを外してハンカチで拭いた。
 そして私の方を向いて言った。「おれの印象からすると、父親は何か個人的な重い秘密を隠して
 いて、それを自分一人で抱え込んだまま、この世界からゆっくり退出しようとしている。心の奥
 には頑丈な金庫みたいなものがあって、そこにはいくつかの秘密が納められている。彼はその金
 庫に鍵をかけ、その鍵を捨てるか、あるいはどこかに隠すかしてしまったんだ。どこだったか自
 分でももう思い出せないところにな」
  そして一九三八年のウィーンで何か起こったのか、それは誰にもわからない謎として闇の中に
 葬られてしまう。でも『騎士団長殺し』という絵が、ひょっとしたらその「隠された鍵」になる
 のかもしれない。そういう思いがふと頭に浮かんだ。だからこそ彼は人生の最後に、おそらくは
 生き霊となり、山の上までその絵を確認しにやってきたのではないか。
  私は首を曲げて後部座席に目をやった。そこに騎士団長がちょこんと腰掛けているかもしれな
 いという気がして。しかし後部座席には誰もいなかった。 

 「どうかしたのか?」と雨田が私の視線を追って尋ねた。
 「どうもしない」と私は言った。

  信号が青になり、彼はアクセル・ペダルを踏んだ。

                                     この項つづく


 

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