極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

理想の偽装夫婦

2015年10月16日 | 時事書評

 


 

 

   何も言わないから、役者もスタッフもレベルが下がっている。言って
      あげた方がいいんですよ。みんな自覚してゼロからやりましょうと。

                             脚本家 遊川和彦

 



  



【僕たちは理想の偽装夫婦】

最近、はまったテレビドラマがある。昨夜の第2回目の『偽装の夫婦』がそれ。天海祐希が扮する嘉
門ヒロの作り笑いが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を彷彿さた。この感じは『家政婦
のミタ』の遊川和彦が手になることを理解すに時間はさほどかからなかった。映画『A・I』似の『
家政婦のミタ』のつくりと同じ、"奇想天外"つまり" It is a most unexpected original idea."、あるいは、
ファンタジック(風変わりな、幻想的な)映像に仕上げられている。ストーリーは、「孤高の美女」
「理想の女性」といわれながら、実際には人との付き合いが大嫌いだという嘉門ヒロを中心に展開。
25年前の大学時代に一度だけ恋愛を経験するも、理由不詳で姿を消し逃げられた彼氏・陽村超治(
沢村一樹)と再会するところから物語が始まり、その出会いをきっかけに「偽装結婚」生活を始めて
しまうというものらしい。
 

ヒロイン(ヒロ)は、考えによれば、強迫性パーソナリティ障害を、あるいは、これは天海の容貌か
らくる性同一障害を体現させ、ヒーロー(超治)の沢村一樹は、ゲイ(
ホモセクシュアル)を演じる。
また、内田有紀扮する家庭内暴力(DV)の被害者・水森しおりは、ヒロを愛すという、これまた後
天性性同一障害を起想?させる。そこに、医者から余命3か月宣言された超治の母・陽村華苗(冨司
純子)やヒロとの再婚を夢見る田中要次図書館部長(須藤利一)が絡みどのような人間模様を展開し
ていくのか期待湧々だ。



ここから、勝手な想像に。高度産業消費社会あるいは高度資本主義社会と言ってよいが、日本は良く
も悪くも、欧米諸国民は何らかの精神疾患、あるいは精神病を抱える社会。ここで、
精神病の原因に
は内因・外因・心因・環境因が、あるいはこれらの相互関連因が複数重なり発症――医学的、薬理学
的症状を除外した上――していると考えられるから、奇想天外なフィクションの映像であっても、リ
アルな社会現象と考えることも容易であろう。つまり、特別なものでもなく日常的なものとして演じ
られていくだろうと考える。これは面白い発見ができそうだ。

そもそも、こんな面白い構成でなくても、それに近いことを数知れず経験してきた、これまでのわた
したち夫婦
は、元から偽装であった――よく彼女が口にする「しまった騙された」「こんなはずじゃ
なかった」の台詞は耳にたこができるくらいなのだから。そこで夕食で台所に立つ彼女の肩に手をか
けて「僕たちは理想的な偽装夫婦だね」と言葉をかけると、すかさず、「わたしも見た」と顔を見上
げ答え、少し間をおき「肩をもんでくれない」と言うので、「ああっ、それは食後にしよう」と応え
部屋に戻ろうとすると「もう~、駄目なんだから!」という言葉が飛んできて背中を射貫く。
 



● 折々の読書 『職業としての小説家』21

 
  前述したレイモンド・カーヴァーは、あるエッセイの中でこんなことを書いています。
  「『時間があればもっと良いものが書けたはすなんだけどね』、ある友人の物書きがそう言う
 の
を耳にして、私は本当に度肝を抜かれてしまった。今だってそのときのことを思い出すと愕然
 と
してしまう。(中略)もしその語られた物語か、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとし
 たら、
どうして小説なんて書くのだろう? 結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精
 一杯働
いたというあかし、我々が墓の中まで持って行けるのはそれだけである。私はその友人に
 向かっ
てそう言いたかった。悪いことは言わないから別の仕事を見つけた方がいいよと、同じ生
 活のために金を稼ぐにしても、世の中にはもっと簡単で、おそらくはもっと.正直な仕事がある
 はすだ。さもなければれの能力と才能を絞りきってものを書け。そして弁明をしたり、自己正当
 化したり
するのはよせ。不満を言うな。言い訳をするな」(翻訳『書くことについて』)

   On writing

  普段は温厚なカーヴァーにしては珍しく厳しい物言いですが、彼の言わんとするところには僕
 
も全面的に賛成です。今の時代のことはよくわかりませんが、昔の作家の中には、「締め切りに
 追われてないと、小説なんて書けないよ」と豪語する人か少なからずいたようです。いかにも「
 文
士的」というか、スタイルとしてはなかなかかっこいいのですが、そういう時間に追われた、
 せ
わしない書き方はいつまでもできるものではありません。若いときにはそれでうまくいったと
 し
ても、またある期間はそういうやり方で優れた什事かできたとしても、艮いスパンをとって俯
 瞰
すると、時間の経過とともに作風が不思議に痩せていく印象があります。

  時間を自分の味方につけるには、ある程度自分の意志で時間をコントロールできるようになら
 なくてはならない、というのが僕の持論です。時間にコントロールされっぱなしではいけない。
 それではやはり受け身になってしまいます。「時間と潮は人を待たない」ということわざがあり
 ますか、向こうに待つつもりがないのなら、その事実をしっかりと踏まえたhで、こちらのスケ
 ジュールを積極的に、意図的に設定していくしかありません,つまり受け身になるのではなく、
 こちらから積極的に什掛けていくわけです。

  自分の書いた作品が優れているかどうか、もし優れているとしたらどの程度優れているのか、
 そんなことは僕にはわかりません。というか、そういうものごとは本人の目からあれこれ語るべ
 きことではない。作品にいて判断を下学のは、言うまでもなく読者一人ひとりです。そしてその
 値打ちを明らかにしていくのは時間です。作者は黙してそれを受けとめるしかありません,今の
 時点で言えるのは、僕はそれらの作品を書くにあたって惜しみなく時間をかけだし、カーヴァー
 の言葉を借りれぼ、「力の及ぶ限りにおいて最良のもの」を書くべく努力したということくらい
 です。どの作品をとっても「もう少し時間があればもっとうまく書けたんだけどね」というよう
 なことはありません。もしうまく書けていなかったとしたら、その作品をおいた時点では僕には
 まだ作家としての力量が不足していた

  それだけのことです。残念なことではありますが、恥
ずべきことではありません。不足してい
 る力量はあとから努力して埋めることができます。しか
し失われた機会を取り戻すことはできま
 せん。
僕はそのような書き方を可能にしてくれる、自分なりの固有のシステムを、長い歳月をか
 けて
こしらえ、僕なりに、丁寧に注意深く整備し、大事に維持してきました。汚れを拭き、油を
 差し、
錆びつかないように気を配ってきました。そしてそのことについては一人の作家として、
 ささや
かではありますが誇りみたいなものを感じています。個々の作品の出来映えや評価につい
 て語るよりは、むしろそういうジェネラルなシステムそのものに対して語る方が、僕としては楽
 しいかもしれません。具体的に語りがいもあります。

  もし読者が僕の作品に、温泉の湯の深い温かみみたいなものを、肌身の感覚として少しでも感
 じ取ってくださるとすれば、それは本当に嬉しいことです。僕自身ずっとそのような「実感」を
 求めてたくさんの本を読み、たくさんの作目楽を聴いてきたわけですから。
  自分の「実感」を何より信じましょう。たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係あ
 りません。書き手にとっても、また読みfにとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありま
 せん。
                  「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                             村上春樹 『職業としての小説家』

  積んで置くだけの本も多かった

  小説を書くというのは、密室の中でおこなわれるどこまでも個人的な営みです。一人で書斎に
 こもり、机に向かって、(ほとんどの場合)何もないところから架空の物語を立ち上げ、それを
 文章のかたちに変えていきます。形象を持だない主観的なものごとを、形象ある客観的なもの(
 少なくとも客観性を求めるもの)へと転換していく――ごく簡単に定義すれば、それが我々小説
 家が日常的におこなっている作業です。

  「いや、俺は書斎みたいな立派なものは持っていないよ」という人も、おそらく少なからずお
 られるでしょう。僕も小説を書き始めたころには、書斎なんてものは持ち合わせていませんでし
 た。千駄ヶ谷の鳩森ハ幡神社の近くにある、狭いアパート(今は取り壊されましたが)で、台所
 のテーブルに向かい、家人が寝てしまってから、深夜に一人で四百字詰原稿用紙に向かってかさ
 かさとペンを走らせていました。そのようにして『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』
 という、最初の二冊の小説を書き上げました。僕はこの二作を「キッチン・テーブル小説」と個
 人的に(勝手に)名付けています。

  小説『ノルウェイの森』の最初の方は、ギリシャ各地のカフェのテーブルや、フェリーの座席
 や、空港の待合室や、公園の日陰や、安ホテルの机で書きました。四百字詰め原稿用紙みたいな
 大きなものをいちいち持ち運ぶわけにはいかないので、ローマの文具店で買った安物のノートブ
 ック(昔風に言えば大学ノート)に、BICのボールペソで細かい字を書いていました。まわり
 の席ががやがやうるさかったり、テーブルがぐらぐらしてうまく字が書けなかったり、ノートに
 コーヒーをこぼしてしまったり、ホテルの机に向かって夜中に文章を吟味しているあいだ、薄い
 壁で隔てられた隣の部屋で男女が盛大に盛り上がっていたりと、まあいろいろと大変でした。今
 から思えば微笑ましいエピソードみたいですが、そのときにはけっこうめげたものです。定まっ
 た住居がなかなか見つからなかったので、そのあともヨーロでハ各地をあちこちと移動しながら、
 いろんな場所でこの小説を書き続けました。そのコーヒー(やらわけのわからない何やかや)の
 しみのついた分厚いノートは、今でも僕の手元に残っています。

  しかしたとえどのような場所であれ、人が小説を書こうとする場所はすべて密室であり、ポー
 タブルな書斎なのです。僕が言いたいのは、要するにそういうことです。
  僕は思うのですが、人は本来、誰かに頼まれて小説を書くわけではありません。「小説を書き
 たい」という強い個人的な思いがあるからこそ、そういう内なる力をひしひしと感じるからこそ、
 れなりに苦労してがんばって小説を書くのです。
  もちろん依頼を受けて小説を書くことはあります。職業的作家の場合、あるいは大半がそうか
 もしれません。僕自身は依頼や注文を受けて小説を書かないことを、長年にわたって基本的な方
 針としてやってぎましたが、僕のようなケースはどちらかといえば珍しいかもしれません。多く
 の作家は、編集者から「うちの雑誌に短編小説を書いてください」とか「うちの社の書き下ろし
 で長編をお願いします」とかいった依頼を受け、そこから話が始まるようです。そういう場合、
 約束の期日があるのが通常ですし、ことによっては前借りというかたちで前渡し金のようなもの
 をもらう場合もあるみたいです。

  しかしそれでもやはり、小説家は自らの内的衝動に従って自発的に小説を書くという、基本的
 な筋道になんら変わりはありません。外部からの依頼や、締め切りという制約がないとうまく小
 説が書き始められないという人も、あるいはおられるかもしれません。でもそもそも「小説を書
 きたい」という内的衝動が存在しなければ、いくら締め切りがあったところで、いくらお金を積
 まれ、泣いて懇願されたところで、小説は書けるものではありません。当たり前の話ですね。

  そしてそのきっかけがどうであれ、いったん小説を書き始めれば、小説家は一人ぼっちになり
 ます。誰も彼(彼女)を手伝ってはくれません。人によっては、リサーチャーがついたりするこ
 とはあるかもしれませんが、その役目はただ資料や材料を集めるだけです。誰も彼なり彼女なり
 の頭の中を整理してはくれないし、誰も適当な言葉をどこかから見つけてきてくれたりしません。
 いったん自分で始めたことは、自分で推し進め、自分で完成させなくてはなりません。最近のプ
 ロ野球のピッチャーみたいに、いちおう七回まで投げて、あとは救援投手陣にまかせてベンチで
 汗を拭いている、というわけにはいかないのです。小説家の場合、ブルペンには控えの選手なん
 ていません。だから延長戦に入って十五回になろうが、十八回になろうが、試合の決着がつくま
 で一人で投げきるしかありません。

  たとえば、これはあくまで僕の場合はということですが、書き下ろしの長編小説を書くには、
 一年以上(二年、あるいは時によっては三年)書斎にこもり、机に向かって一人でこつこつと原
 稿を書き続けることになります。朝早く起きて、毎日五時間から六時間、意識を集中して執筆し
 ます。それだけ必死になってものを考えると、脳が一種の過熱状態になり(文字通り頭皮が熱く
 なることもあります)、しばらくは頭がぼんやりしています。だから午後は昼寝をしたり、音楽
 を聴いたり、害のない本を読んだりします。そんな生活をしているとどうしても運動不足になり
 ますから、毎日だいたい一時間は外に出て運動をします。そして翌日の仕事に備えます。来る日
 も来る日も、判で押したみたいに同じことを繰り返します。

  孤独な作業だ、というとあまりにも月並みな表現になってしまいますが、小説を書くというの
 は――とくに長い小説を書いている場合には――実際にずいぶん孤独な作業です。ときどき深い
 井戸の底に一人で座っているような気持ちになります。誰も助けてはくれませんし、誰も「今日
 はよくやったね」と肩を叩いて褒めてもくれません。その結果として生み出された作品が誰かに
 褒められるということは(もちろんうまくいけばですが)ありますが、それを書いている作業そ
 のものについて、人はとくに評価してはくれません。それは作家が自分一人で、黙って背負わな
 くてはならない荷物です。

  僕はその手の作業に関してはかなり我慢強い性格だと自分でも思っていますが、それでもとき
 どきうんざりして、いやになってしまうことがあります。しかし巡り来る日々を一日また一日と、
 まるで煉瓦職人が煉瓦を積むみたいに、辛抱強く丁寧に積み重ねていくことによって、やがてあ
 る時点で「ああそうだ、なんといっても自分は作家なのだ」という実感を手にすることになりま
 す。そしてそういう実感を「善きもの」「祝賀するべきもの」として受け止めるようになります。
 アメリカの禁酒団体の標語に「One day at a time」(一日ずつ着実に)というのがありますが、
  まさにそれですね。リズムを乱さないように、巡り来る日を一日ずつ堅実にたぐり寄せ、後ろに
 送っていくしかないのです。そしてそれを黙々と続けていると、あるとき自分の中で「何か」が
 起こるのです。でもモれが起こるまでには、ある程度の時間がかかります。あなたはそれを辛抱
 強く待だなくてはならない。一日はあくまで一日です。いっぺんにまとめて二、三日をこなして
 しまうわけにはいきません。

  そういう作業を我慢強くこつこつと続けていくためには何か必要か?
  言うまでもなく持続力です。
  机に向かって意識を集中するのは三日が限度、というのではとても小説家にはなれません。三
 日あれば短編小説は書けるだろう、とおっしゃる方がおられるかもしれません。たしかにそのと
 おりです。三日あれば短編小説一本くらいは書けちゃうかもしれません。でも三日かけて短編小
 説をひとつ書き上げて、それで意識をいったんちゃらにして、新たに体勢を整えて、また三日か
 けて次の短編小説をひとつ書く、というサイクルは、いつまでも延々と繰り返せるものではあり
 ません。そんなぶつぶつに分断された作業を続けていたら、たぶん書く方の身が持たないでしょ
 う。短編小説を専門とする人だって、職業作家として生活していくからには、流れの繋がりがあ
 る程度なくてはなりません。長い歳月にわたって創作活動を続けるには、長編小説作家にせよ、
 短編小説作家にせよ、継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になってきます。

  それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?
  それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものです――基礎体力を身につけるこ
 と。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。
  もちろんこれはあくまで僕の個人的な、そして経験的な意見に過ぎません。普遍性みたいなも
 のはないかもしれません。しかし僕はここでそもそも個人として話をしているわけですから、僕
 の意見はどうしたって個人的・経験的なものになってしまいます。異なった意見もあるとは思い
 ますが、それは違う人の口から聞いてください。僕はあくまで僕自身の意見を述べさせていただ
 きます。普遍性があるかないかは、あなたが決めてください。

  世間の多くの人々はどうやら、作家の仕事は机の前に座って字を書くくらいのことだから、体
 力なんて関係ないだろう、コンピュータのキーボードを叩くだけの(あるいは紙にペンを走らせ
 るだけの)指の力があればそれで十分ではないか、と考えておられるようです。作家というのは
 そもそも不健康で反社会的、反俗的な存在なんだから、健康維持やフィ″トネスなんてお呼びじ
 やあるまい、という考え方も世の中には根強く残っています。そしてその言い分は僕にもある程
 度理解できます。そういうのはステレオタイプな作家イメージだと、簡単に一蹴することはでき
 ないだろうと思います。

  しかし実際に自分でやってみれば、おそらくおわかりになると思うのですが、毎日五時聞か六
 時間、机の上のコンピュータ・スクリーンの前に(もちろん蜜柑箱の上の四百字詰原稿用紙の前
 だって、ちっともかまわないわけですが) 一人きりで座って、意識を集中し、物語を立ち上げ
 ていくためには、並大抵ではない体力が必要です。若い時期には、それもそんなにむずかしいこ
 とではないかもしれません。二十代、三十代……そういう時期には生命力が身体にみなぎってい
 ますし、肉体も酷使されることに対して不満を言い立てません。集中力も、必要とあらば比較的
 簡単に呼び起こせるし、それを高い水準で維持することができます。若いというのは実に素晴ら
 しいことです(もう一回やってみろと言われてもちょっと困りますが)。しかしごく一般的に中
 し上げて、中年期を迎えるにつれ、残念ながら体力は落ち、瞬発力は低下し、持続力は減退して
 いきます。筋肉は衰え、余分な贅肉が身体に付着していきます。「筋肉は落ちやすく、贅肉はつ
 きやすい」というのが僕らの身体にとっての、ひとつの悲痛なテーゼになります。そしてそのよ
 うな減退をカバーするには、体力維持のためのコソスタントな人為的努力が欠かせないものにな
 ってきます。

  そしてまた体力が落ちてくれば、(これもあくまで一般的に言えば、ということですが)それ
 に従って、思考する能力も徴妙に衰えを見せていきます。思考の敏捷性、精神の柔軟性も失われ
 てきます。僕はある若手の作家からインタビューを受けたとき、「作家は贅肉がついたらおしま
 いですよ」と発言したことがあります。これはまあ極端な言い方で、例外的なことはもちろんあ
 ると思うんですが、でも多かれ少なかれそういうことは言えるのではないかと考えています。そ
 れが物理的な贅肉であれ、メタファーとしての贅肉であれ。多くの作家はそのような自然な衰え
 を、文章テクニックの向上や、意識の熟成みたいなものでカバーしていくわけですが、それにも
 やはり限度があります。


                     「第七回 どこまでも個人的でフィジカルな試み」
                             村上春樹 『職業としての小説家』

                                     この項つづく
 

 

  ● 今夜の一曲

  
     Je suis une poupée de cire

     Une poupée de son
     Mon cœur est gravé dans mes chansons
     Poupée de cire poupée de son

     Suis-je meilleure suis-je pire
     Qu´une poupée de salon
     Je vois la vie en rose bonbon
     Poupée de cire poupée de son

     Mes disques sont un miroir
     Dans lequel chacun peut me voir
     Je suis partout à la fois
     Brisée en mille éclats de voix

     Autour de moi j´entends rire
     Les poupées de chiffon
     Celles qui dansent sur mes chansons
     Poupée de cire poupée de son

                                       Poupée de cire poupée de son
                                             夢見るシャンソン人形 

                                     Music&Word  Serge Gainsbourg

フランス・ギャルが最初に歌い、65年にルクセンブルクにて第10回ユーロビジョン・ソング・
ンテストでグランプリを獲得したのをきっかけに、このフレンチ・ポップス(イエイエ)の歌が
大ヒ
ットしヨーロッパだけでなく日本でもヒットする。弘田三枝子が岩谷時子の訳詞で歌ったことを思い
出す
。原題は「蝋人形、詰めもの人形」(文法構成からこのように対訳される)。また、ゲンスブー
ルの歌詞には、人生経験も浅く、若いアイドルが恋愛について歌うことの揶揄が含まれるため、イザ
ベル(フランス)・ギャルは、この歌詞の二重性に気付かなかったとし、後年は歌わなくなる。解釈
はいろいろあるだろうが、英米音楽の影響をうけたフレンチ・ポップは、団塊世代の学生には、甘く
切なく弾けた曲として受け入れられ、秋の夕暮れに似合う追憶の一曲。



なお、この曲は、前述のテレビドラマ『偽装の夫婦』の主題歌「What You Want」が挿入されたJU
JU31枚目のシングル、リーリス(15.11.18)されるCDに収録される(この曲は有償でダウンロ
ード済みだが、セブン&アイ・ホールディングスのCMとしてユーチューブでも視聴可)。
 

  

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豆腐と餅の最新製造工学

2015年10月14日 | デジタル革命渦論




 

   でも「やるべきことはきちんとやった」という確かな手応えさえあれば、基本
      的に何も恐れることはありません。あとのことは時間の手にまかせておけばい
      い。時間を大事に、慎重に礼儀正しく扱うことはとりもなおさず、時間を味方
      につけることでもあるのです。女性に対するのと同じことですね。

                          村上春樹 『職業としての小説家』

 

 

【豆腐と餅の最新製造工学】

昨夜は、「サーモグラフィーカメラ付リモート電子レンジ工学」という最新の食品調理技術を取り上
げたが、今日も「餅つき装置」(家庭内の少量生産向け)と「豆腐製造装置」(中大量生産市販向け
)の二つを取り上げてみよう。

●「つき姫」を開発 みのり産業株式会社

この商品を知ったのは NHKのまちかど情報室(2015.10.13)なのだが、これも出会い頭で、従来
の「餅つき機」をコンパクトにし、蒸した餅米を練るパドルを小さくしたことで、空気(=酸素が関
与する?)を入れず圧練
することで、餅米を「α化(糊化)」(→この逆は「「β化(老化)」)でき
ることを発見したという紹介の件がピンときた。もとものこの会社は農作機器の製造メーカ、餅つき
機研究の原点は、生ごみ処理機の開発にある(特開平06-312167  生ごみ処理機 )。

 特許事例

さて、メーカーのうたい文句は、もちつき機を研究し続けて40年。つきたての味が少量から楽しめ
る「つき姫」を誕生させた。
家で餅つきをしたいけど、少なく手軽にできなかった。だけど、つきた
て餅が食べたい。
そんな消費者に必見の少量から楽しめる餅つき機(三合)。 操作はボタン1つ。
「むす」「つく」だけ――とある。それにしても、大晦日前になると、家族でお餅ちをつくのが伝統
だったが、両親が他界するとそれもなくなり、神社の氏子達も近くの和菓子店に注文するだけとなっ
たが、中国大陸から渡ってきた「日本の餅文化」は衰えることなく、和菓子の一部として世界で認知
されるようになったが、それにしてもマイクロプロセッサをベースとしたデジタル家電は、電子レン
ジと同様、食文化(食品加工工学)著しく変化させ、『デジタル革命渦』に飲み込まれていく。この
「つき姫」は「ホームベーカリー」の派生デジタル家電としてどの程度普及していくのかいまのとこ
ろ見当つかないが、品質の良い水と餅米と電気に「レシピ」の充実が揃えば波及していくだろう。

そこで、事業の世界展開には、電気と水は各国・各地域に依存するとし、(1)餅米、(2)家庭用
つき機、(3)
レシピコンテンツ(これは無償を原則として)+α(農産品など)の拡販事業拡大が
期待できるぞ!と、考えた次第でこれは面白い。

※ パン文化(小麦:西方)VS. 餅文化(米:東方)→東方の逆襲?(ビートルズなどの英国楽曲が
  米国を 席捲したのイングリッシュ・インバージョンをなどって、なんちゃって。)




● 豆腐製造にロボット 相模屋食料株式会社

これは今朝の情報っだが、人手ならではの作業が多いため、ロボットが普及しなかった食品製造業だ
が、汎用
のロボットを用い経営革新を成し遂げた企業として、市販向けの豆腐製品を手がける相模屋
食料が
その代表格として紹介。05年に稼働開始した第三工場(同)で初めてロボットを採用。常識
を覆す製造法を確立し、導入当初と比べ売上高を4倍以上に拡大させたというが(日刊工業新聞 2015.
10.14)、上の写真だけでは、豆腐製造工場――ファナック製5軸多関節ロボット「M―710iC/
50H」3台が、コンベアを流れる無数の豆腐に、次々と容器をかぶせていく、主力の一つである木
綿豆腐の封入工程。活躍するのはファナックカラーの黄色ではなく、クリーン仕様の白いロボット―
―だとはだれもわからないだろう。 

 

同上記事によると、豆腐は冷やさず熱いままで食べるのが一番おいしいが、その状態でパックしない
のかとの疑問から始まり、製品サイズに切断した豆腐を容器に詰めるのは、従来は人手作業。高温で
行うのは不可能で、水中で冷やし詰める方法が定着―――そんな常識を打ち破る封入法を追求したか
当初考えた水中で豆腐が冷える前に高速で自動封入するシステムは、水中での高速制御が困難で結局
頓挫
する。水の外、つまりコンベア上で容器と豆腐を組み合わせる方式を発案し、容器に豆腐を収め
るのではなく、豆腐にロボットが容器をかぶせ、後に反転させる仕組みを考案し今回の成功につなが
ったとの経緯を掲載。


【符号の説明】

1…凝固部 2…成型部 3…切断・整列部 4…パック詰め装置 5…パック供給手段 6…豆腐
製造装置 10…豆腐 11…切断・移動手段 12…コンベア 13…位置決め手段 14…豆腐
15…切断・整列手段 16…豆腐 17…豆腐移動手段 18…スクレイパー 19…貯蔵手段
20…豆腐 51…パック 52…パック 53…パック貯蔵部 54…パック貯蔵部 55…パッ
ク搬送コンベア 56…パック搬送コンベア 57…穴 58…穴 71…シャッター板 74…
が充填されたパック 75…豆腐が充填されたパック 76…コンベア 77…コンベア 80…
封止部 100…パック詰め装置 155…コンベア 158…コンベア制御手段 170…パック
設置手段 171…シャッター板 172…シャッター板制御手段 180…パック取り出し手段
185…パック 186…豆腐が充填されたパック 188…パック取り出し手段 189…パック
取り出し手段 190…パック移動手段 192…可動部 193…先端部 194…先端部の爪部
195…先端部の爪部ベース 196…先端部の爪部固定部材 200…パック詰め装置 201…
パック取り出し手段 202…パック取り出し手段 203…パック取り出し手段 211…パック
送りコンベア 212…パック送りコンベア 213…パック送りコンベア 221…大きなパック
222…中くらいの大きさのパック 223…小さなパック 231…先端部 232…先端部
233…先端部

しかし、これだけでは開発の背景がいまいちなので、上図の特許を参考にすると、従来、豆腐のパッ
ク詰めは、所定の形状に切断された豆腐を水中に浮遊させ、下方からパックですくい取りで行われて
いたが、(1)衛生状態に問題が生じ易いこと、(2)大量の汚水が発生すること、(3)効率が悪
く大量生産に不向きであること等の理由により、今回のように、大気中(陸上)でパック詰めを行う
こと(いわゆる陸詰め)が行われるようになっているが、「陸詰め方式」でも、(1)多品種に対応
すればするほど、パック詰めに時間がかかり、スループットが低下する、(2)洗浄に手間がかかる
(3)高コスト、(4)大きな設置スペースが必要だという課題がある。

この新規考案では、品種に対応しても短時間にパック詰めを行うことができ、洗浄に手間がかからず
製造や保守・点検にコストがかからず、設置面積が少なくて済む豆腐のパック詰め装置が提案されて
いる。しかし、多軸ロボットの導入は、高度消費社会にあって避けることのできない格好事例がここ
で示されていて、大変面白い。

【参考特許】

・特許5297883  豆腐用凝固製剤                 花王株式会社
・特許4863860  豆腐の製造方法及びその方法によって得られた豆腐 相模屋食料株式会社



【メガソーラービジネスインタビュー:
   屋根上は太陽光の本命 4百メガワットをめざし開発する】

カナダに本拠を置くソーラーパワーネットワーク(SPN)は、ルーフトップ(屋根上)設置を中心に
太陽光発電システムの設計・施工から運営などを手がけ、日本でも工場や流通店舗の屋根上への設置
で実績を伸ばす。同社の社長兼CEO(最高経営責任者)を務めるピーター・グッドマン氏に、日本で
の戦略と市場展望のインタビューしている(「屋根上は太陽光の本命。400MWの開発目指す」日
経テクノロジー 2015.10.14)。ここでは興味を惹いた問答を掲載する。




Q:経済産業省は、30年の目指すべき電源構成(べストミックス)を公表し、太陽光は認定量を下
  回る64ギガワットとされ、抑制的な対策に転じるとのイメージも与えた。こうした日本政府の
  エネルギー政策をどのように見る?
A:太陽光の推進という点から、明らかな間違いだと思う。認定容量が80ギガワットを超えている

  にもかかわらず、ベストミックスで64ギガワットしか見込まなかったことは、日本の太陽光市
  場を
冷やすことになった。そもそも接続保留問題で、無制限無補償の出力抑制を条件とした案件
  が出てき
たことで、こうしたプロジェクトへのファイナンスは難しくなった。

Q:国内では、地産地消型の再生可能エネルギーについて、今後も政策的に普及を支援していくべき
  だとの声も強まっているが?
A:その考え方は正しいと思う。需要地から離れた野立てのメガソーラーや風力と、需要地に近接し
  た分散型の再エネを同じ仕組みで支援するべきではない。カナダのオンタリオ州では、FIT導入当
  初、日本のように一律の制度だったが、試行錯誤を経て、ルーフトップの太陽光を含む小規模分
  散型に対してはFIT、大規模な野立てのメガソーラーについては入札方式という2本立てになった。

  
ルーフトップをFITの対象にしたのは、需要地に近い太陽光は、電力系統に負担が少ないなど意義
  が大きいとの認識が背景にある。その上で、スケールメリット効果の大きい野立てのメガソーラ
  ーに比べ、ルーフトップなどの小規模分散型の太陽光は、手間もかかりコスト面で不利なことに
  も配慮している。

Q:FITにおける10キロワット以上の太陽光発電の買取価格は、15年度下期に27円/キロワット
  時に下がった。日本企業の中には、事業性が低いとして、新たな案件の開発を断念する企業も出
  ている。この価格設定をどのように見る?
A:27円/キロワット時の買取価格は、太陽光発電の事業性を満たせる価格だと考える。電力利用
  者の賦課金を下げる意味で正しい判断と思う。買取価格を27円/キロワット時に下げることに
  よって、太陽光発電の関連分野はコスト削減を強いられるが、結果的に事業の効率が上がったり、
  再エネ分野全体の経済合理性が高まることが期待できます。

  
カナダのオンタリオ州でも、同じようなペースで買取価格を下げてき。32セント/キロワット
  時でスタートし、29セント/キロワット時、27セント/キロワット時と下がってきた。日本
  でもカナダでも、買取価格を下げ、電力利用者への負担を減らすことが重要。

  海外企業の中にも、この価格設定では事業性を満たしにくいと判断し、日本市場から出ていく企
  業があるかもしれない。SPNは、日本にとどまるつもりです。技術革新の速い産業分野の常とし
  て、時間とともに経験を積んで効率が高まり、価格が下がっていく。太陽光発電も同じ状況にあ
  る。

Q:コスト削減の余地は、どの辺に?
A:4つのポイントがある。(1)太陽光パネルとパワーコンディショナー(PCS)などの主要設備。
  
オンタリオ州では、FITの買取価格が低下するに従い、関連設備や資材のコストが下がっていった。
  国際競争の中で、メーカーが破綻する例もある一方、新興企業が次々に登場し、パネルやPCSの効
  率は向上を続けている。(2)
、設計・施工です。北米でも欧州でも日本でも、2~3年前に比
  べ、太陽光発電設備をより効率的に設計し設置。コスト削減と高効率化の圧力が強まることで、
  設計と施工の革新が進んでいる。(3)
ファイナンス。日本では、FIT開始後、2~3年は、太陽
  光発電に対する理解があまり進まず、金融機関はリスクを判断できなかった。実際には、政府に
  よる20年間の買取保証があり、リスクは十分に管理できるが、理解が得られず、返済の利率に
  も反映してもらえなかった。しかし、現在では、金融機関の理解が進み、前向きになっている。
  (4)
太陽光発電事業者が得る利幅。買取価格が27円/キロワット時に下がったから、撤退し
  ようなどという判断は、近視眼的な経営判断と感じる。太陽光発電には、今後も明らかに巨大な
  需要がある。これまで想像できなかったようなレベルの需要が出てきている。G7
でも確認され
  ているが、今後、石油の時代から、再エネと原子力発電の時代に急速に移行していく。その中で
  より効率的に発電事業を実現するような、クリエイティブ(創造的)な手法が、いまほど求めら
  れている時代はない。

Q:日本ではFIT開始以降、野立ての太陽光発電所が急速に増えている。
A:野立てのメガソーラー事業は今後もなくらないが、先進国で再エネ事業を成功させるための条件
  を満たしていない場合もある。その条件とは、(1)クリーンであること、(2)経済的である
  こと、(3)供給の安定性。

  
メガソーラーと、小規模な分散型の太陽光発電所を、これらの3つの条件で比べると、メガソー
  ラーは供給の安定性で劣る。小規模な分散型の太陽光発電所は、街の中にあるのに対し、メガソ
  ーラーは遠隔地に立地。メガソーラーで発電した電力の送電で、コストを要す。送電網の増強な
  どが必要になる。

  小規模な分散型の太陽光発電所ならば、例えば、街にある工場の屋根上にあり、送電網のコスト
  は最小
で済む。先進国では、既存の送電網を使うため、従来の発電所から、太陽光発電所に置き
  換えると、どう
しても送電網に要するコストが増える。いまの送配電網は、既存の電源による配
  電を前提に最適化したも
の。 

  送電網に要するコストは、発電所の約2倍となる。日本の大手電力会社の財務情報を分析しても、
  送電網に発電所の約2倍のコストがかかっていることがわかっている。14年9月に起きた、い

  わゆる「九電ショック」(再エネの接続申し込みの回答保留)は、送電網の空き容量が一杯にな
  ってしまった後の送電網の整備を、電力会社だけでは負担しきれないという問題提起だった。従
  来の電力システムの中で、最もコストがかかるのが送電網、遠隔地から送電するメガソーラーは、
  送電網
に追加的なコストを強いるという点で、小規模な分散型太陽光に劣る。



Q:日本の場合、人口密度が高く、都市や市街地に人口が集中しているため、都市部の電力需要を屋
  根上の太陽光だけで賄うのは限界がある。遠隔地に置くメガソーラーも必要になるのでは?
A:分散型というと、ルーフトップをイメージしがちだが、駐車場、カーポート、小さな空き地など
  さまざまな場所を想定している。探せば候補地はたくさんある。街中のちょっとした場所を太陽
  光発電所にできる。

  日本では特に屋根上の利用権に関する制約が大きいと感じる。例えば、建物の所有者が破産した
  場合、屋根を借りる権利への影響が日本と北米では異なる。米国やカナダでは、建物の所有者が
  破産したとしても、屋根上を利用する権利は保持される。

  
日本の場合は、建物の所有者が破産したら、屋根を利用する権利まで消失する。知っている限り
  この問題があるのは日本だけです。SPN社では、世界的な戦略として、あらゆるビルを対象に太
  陽光発電システムを設置し、事業化する方針を持つが、日本ては、こうした事情から、20年間、
  利用し続けられると金融機関が評価したビルへの設置に限定される。

なお、ここでは補足することはないが(その理由はブログ掲載済み)、原子力発電の問題点について
の現状認識は楽観的である。
  
 



● 折々の読書 『職業としての小説家』20

  何度くらい書き直すのか?そう聞かれても.性格な回数まではわかりません。原稿の段階でも
 う数え切れないくらい書き直しますし、出版社に渡してゲラになってからも、相手かうんざりす
 るくらい何度もゲラを出してもらいます。ゲラを真っ黒にして送り返し、新しく送られてきたゲ
 ラをまた真っ黒にするという繰り返しです。前にも言ったように、これは根気のいる作業ですが、
 僕にとってはさして苦痛ではありません。同じ文章を何度も読み返して響きを確かめたり、言葉
 の順番を入れ替えたり、些細な表現を変更したり、そういう「とんかち仕事」が僕は根っから好
 きなのです。ゲラが真っ黒になり、机に並べた十本ほどのHBの鉛筆がどんどん短くなっていく
 のを目にすることに、大きな喜びを感Uます。なぜかはわからないけれど、僕にとってはそうい
 うことが面白くてしょうがないのです。いつまでやっていてもちっとも飽きません。

  僕の敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーもそういう「とんかち仕事」か好きな作家の一人
 でした。彼は他の作家の言葉を引用するかたちで、こう書いています。「ひとつの短編小説を書
 いて、それをじっくりと読み直し、コンマをいくつか取り去り、それからもう一度読み直して、
 前と同じ場所にまたコンマを置くとき、その短編小説か完成したことを私は知るのだ」と。その
 気持ちは僕にもとてもよくわかります。同じようなことを、僕白身何度も経験しているからです。
 このあたりか限度だ。これ以下書き直すと、かえってまずいことになるかもしれない、という微
 妙なポイントかあります。彼はコンマの出し入れを例にとって、そのポイントを的確に示唆して
 いるわけです。

  そのようにして僕は長編小説を書き上げます。人それぞれ、気に入ってもらえるものもあり、
 あまり気に入ってもらえないものもあるでしょう。僕自身、過去に書いた作品については、決し
 て満足しているわけではありません。「今ならもっとうまく書けるんだけどな」と痛感するもの
 もあります。読み返すとあちこち欠点が目についてしまうので、何か特別な必要がなければ、自
 分の書いた本を手に取ることはまずありません。

  でもその作品を書いた時点では、きっとそれ以トうまく河くことは僕にはできなかっただろう
 と、基木的に考えています。自分はその時点における全力を尽くしたのだということかわかって
 
いるからです。かけたいだけ長い時間をかけ、持てるエネルギーを惜しみなく投入し、作品を完
 成させました。言うなれば「総力戦」をオールアウトで戦ったのです。そういう「出し切った」
 手応えが自分の中に今でも残っています。少なくとも長編小説に関しては、僕は注文を受けて書
 いたこともないし、締め切りに追われたこともありません。自分の書きたいことを、書きたいと
 きに、書きたいように書きました。それだけは自信をもって断言でぎます。だから後日「あそこ
 はこうしておけばよかったな」と悔やむようなことはまずありません。

  時間は、作品を創り出していくヒで非常に人切な要素です。とくに長編小説においては、「仕
 込
み」が何より大事になります。自分の中で来るべき小説の芽を育て、膨らませていく「沈黙の
 期間」です。「小説を書きたい」という気持ちを自分の中に作り上げていきます。そのような仕
 込みにかける時間、それを具体的なかたちに仕上げていく期間、立ち上がったものを冷暗所で
 じっくり「養生する」期間、それを外に出して自然の光に晒し、固まってきたものを細かく検証
 し、とんかちしていく時間……そのようなプロセスのひとつひとつに十分な時間をかけることが
 できたかどうか、それは作家だけか実感できるものごとです。そしてそのような作業ひとつひと
 つにかけられた時間のクオリティーは必ず作品の「納得性」となって現れてぎます。目には見え
 ないかもしれないけど、そこには歴然とした違いが生まれます。

  身近な例にたとえると、これは温泉のお湯と家庭風Mのお湯の違いに似ています。温泉に入る
 と、たとえ湯温が低くても、じんわりと身体の芯にまで温かみが浸みてきますし、お風呂を出て
 からも温かみが冷めません。しかし家庭のお風呂のお湯だと、身体の芯まで浸みないし、お湯か
 ら出るとすぐに冷めてしまいます。これはたぶんみなさんも体験されたことがあると思います。
 たいていの日本人なら温泉につかつて、ほっと一息ついて、「うん、そうだ、これか温泉のお湯
 だよな」と肌身にじわっと実感できると思いますが、生まれてから一度も温泉につかったことの
 ない人に向かって、この実感を言葉で眼確に表現するのは簡単ではありません,

  優れた小説や、優れた音楽にも、それに似たところがあるようです,温泉の湯と家風呂のお湯、 

 温度計で測ると同じ温度でも、実際に裸になってそこにつかってみると違いかわかります。肌で
 実感できます。しかしその実感を言語化するのはむずかしい。「いや、じんわりくるんだよ、こ
 れが。うまく言えないけどさ」みたいなことしか言えません。「でも温度は数字的には同じだよ。
 気のせいなんじゃないの」と言われるとは―――有効に反論できません。

  少なくとも僕のような科学方面に知識のない人間に
 だから僕は自分の作品が刊行されて、そ
 れがたとえ厳しい―――思いも寄らぬほど厳しい―――批
評を受けたとしても、「まあ、それも
 仕方ないや」と思うことができます。なぜなら僕には「や
るべきことはやった」という実感があ
 るからです。仕込みにも養生にも時間をかけだし、とんかち仕事にも時間をかけた。だからいく
 ら批判されても、それでへこんだり、自信を失ったりすることはまずありません。もちろんいさ
 さか不快に思うくらいのことはたまにありますか、たいしたことではない。「時間によって勝ち
 得たものは、時間が証明してくれるはずだ」と信じているからです。そして世の中には時間によ
 ってしか証明できないものもあるのです。もしそのような確信が自分の中になければ、いくら厚
 かましい僕だって、あるいは落ち込んだりするかもしれません。でも「やるべきことはきちんと
 やった」という確かな手応えさえあれば、基本的に何も恐れることはありません。あとのことは
 時間の手にまかせておけばいい。時間を大事に、慎重に礼儀正しく扱うことはとりもなおさず、
 時間を味方につけることでもあるのです。女性に対するのと同じことですね。


                  「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』


次回は、このつづきと、「第七回 どこまでも個人的でフィジカルな試み」に移っていく。いよいよ
佳境を味あうことになるだろうと考える。


                                     この項つづく  
 

   ●今夜の一品

Introducing the Light L16 Camera, the world's first multi-aperture camera.

世界初のマルチレンズ(開口数16)カメラ登場!デジタル革命ギャラクシーならではの一品なのだ。

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナの燎原の火がフクシマに。

2015年10月13日 | 緊急|東日本大震災

 

 

   長編小説を書き終えた作家はほとんどの場合、頭に血が上り脳味噌か過熱して.
      正気を失っています。なぜかといえば、正気の人間には長編小説なんてものは、
      まず書けっこないからです。

                          村上春樹 『職業としての小説家』
                                   

 

 

 

     

【緊急|東日本大震災】

● ウクライナの燎原の火がフクシマに!?

旧ソ連のウクライナのチェルノブイリ原発周辺で、事故発生から29年が過ぎた今年、新たな放射能
汚染の脅
威が浮上している。原発周辺の森林や野原で大規模火災が相次ぎ、一部で大気中に基準値を
超える放射性物質が検出されたためだ。周辺地域の除染が徹底されておらず、土壌や草木に残る放射
性物質が火災の際の強風にあおられ、大気中に拡散したものとみられる(「チェルノブイリで第2の
放射能汚染の危険 森林火災で大気中に拡散し」産経新聞 2015.10.12)。

コハクチウの観察を終え、やっといつもの作業に取りかかり、ネット検索をするとこの記事が飛び込
んでくる。それによると、ロシアの専門家は独自の調査データから「危険性はそれほど高くない」と
公式?見解を主張したというが、これに対し、環境保護団体は、ガンの発生率があがる恐れがある―
―ウクライナ政府に対して徹底した情報公開と対策を要請と、住民の間には事故発生時に真実が発表
されなかった国に対する不信感が今も根強く残り、今後の生活に大きな不安を呼び起した――と、こ
れまたよくある構図を描写。

ところで、大規模火災はこの規制区域内で発生。最初の発生は4月末。炎は風にあおられて燃え広が
り、数メートルの高さの樹木の最上部まで燃え、ウクライナ国家緊急事態省は数百人の消防隊員を現
場に派遣する特別態勢を組み消火活動にあたっている(下図クリック)
。当日は 空中から放水す
るヘリコプターも2機投入されるが、強風の天候が続いて消火作業は困難を極め、火は一時、原発ま
で約10キロのところまで迫る。結局、完全鎮火には約1週間かかり、焼失面積が東京ドーム85個
分の約400ヘクタールを消失。燃え広がる森林の映像や懸命な消火活動の様子はロシアや欧州各国
で報じられていると不安視する住民の声が伝えられている。
 

今年7月の火災で、周囲に設置されたモニタリングポスト1カ所でセシウム137が基準値の10倍
に増大――原発事故で放出された放射性物質――する。地元メディアは、ウクライナ当局は「健康被
害はない」ことを繰り返し強調、関連する他の詳細な情報は伝えられず――ウクライナの環境団体の
は、地元メディアに立ち入り禁止区域で起きた火災は極めて危険で、こうした乾燥した気候が続けば、
火はいつでも燃え広がる可能性がある。放射性物質を含んだ灰はその後、風に運ばれて広範囲に広が
り土壌や河川に降り積もり、これは環境汚染と健康被害に対する大きな脅威――と警鐘を鳴らしてい
る。
ことはそれだけですまず、欧州各国は、経済危機に陥っているウクライナ政府対策が不十分で、
放射能危機
問題に従事する欧州委員会の幹部もロシアのメディアに対し、最悪のシナリオは、この地
域でガンの発生率があがると指摘するも、
この立ち入り禁止区域に、ウクライナとは別の独自のモニ
タリングポストを設けているロシアは「危険性は最小限に過ぎない」と主張。
 

ところが、クライナ政府は沈静化に躍起となり、チェルノブイリ原発や、周囲のモニタリングポスト
の調査から"第2次の放射能汚染"の危険性はないとこれまたよくある広報を繰り返しているが、この
森林火災で大気中に拡散し、その後も大規模火災は相次いだ。6月下旬から7月上旬にかけては13
0ヘクタールが延焼、乾燥した天候が続いた8月、9月にも枯れ草や落ち葉から出火し、再び数十ヘ
クタールが燃え、ウクライナ非常事態省は8月、火災は放火の可能性があると発表。ここで、チェル
ノブイリ周辺で火災が広がる理由として、(1)規制区域の一部で自然発火する恐れのある泥炭地帯
であること、(2)さらに原発事故後の30年間――福島第一原発事故後のよに――適正な管理が加
えられず周辺一帯に落ち葉や枯れ木などが積み重なったっことも火災誘発の原因挙げられている。チ
ェルノブイリ周辺では十分な徐染作業や処理が行われず、大量の放射性物質が草木に付着してたとみ
られているが、これに対し、原発専門家はチェルノブイリ原発周辺では10年にも大規模火災があり
健康を害するレベルの放射性物質のデータが検出されなかった指摘。その上で、原発事故時の汚染さ
れた土壌は地中深くまで浸透しており、大きな影響を及ぼすメカニズムにはない。今回の火災でも異
常は検出されていないと語っている。

しかし、ウクライナ政府はソ連時代の措置を引き継ぎ、原発周辺の30キロ圏内を立ち入り禁止区域
に指定し、この措置に反して、数百人の住民らが故郷の規制区域内に入り、生活しているといわれ、
さらに、発生から29年後の今も、4号機を封じ込める巨大なシェルターの建設工事が行われ、約7
千人が立ち入り禁止区域で作業に従事している。




この記事を読んで、鬼怒川決壊を引き起こしたゲリラ豪雨罹災のフクシマでも洪水により除染廃棄物
回収袋が流された事故が思い出され(『個性的な線状降水帯』2015.09.12)、仮に渇水や干魃に見舞
われたなら、この廃棄物も場合によればマッチを擦るより簡単に発火・類焼に及ぶのではという不安
が過ぎる。ことは、大規模気象変動な「環境リスク本位制時代」である。用心に越したことはないし、『
沈黙の2016年』(2015.09.24)である、悪いことは言わない、ここは、"突っ張り"は不要。




● 世界平均気温の上昇が著しい

それならば、今後も気象変動は大きくなるのだろうか、なるとして、どのようなペースで上昇してい
くのだろうか?  これに対し、気象庁は今年8月度の平気気温の上昇傾向分析し、世界平均気温が再
び顕著な上昇傾向に突入しているのではとの見解を公表。これに足し対し、去年から今年にかけて世
界平均気温が高いことの直接的な原因は、エルニーニョ現象であるといってよいだろう。
エルニーニ
ョ現象は、熱帯太平洋の東部から中部までの水温が上昇する現象で、その逆に熱帯太平洋西部の水温
が上昇するラニーニャ現象との間を数年おきに不規則に行ったり来たりする。地球全体において占め
る面積の大きい東部~中部熱帯太平洋の水温が上昇すると、世界平均気温でみても高温になる傾向が
あると指摘する「地球温暖化リターンズ 世界平均気温が再び顕著な上昇傾向に突入か」(江守正多
2015.10.12)。



具体的にみてみよう。今年はたまたまエルニーニョが起こって世界平均気温が高くなったということ
自体は、いってみれば自然現象であるが、それに伴い世界平均気温の大幅な最高記録更新が起こって
ることの背景に、じわじわとした気温の長期的な上昇傾向が進行していたことを認め、人間活動に
伴う温室効
果ガスの増加により平均気温のベースが上がってきていたところにエルニーニョが重なっ
て起きたことにより
記録的な気温上昇――15年も1月、3月、5月、6月、7月、8月と、ほぼ毎
月という勢いで最高記録更新が続く。
特に今年5月に入り、平年値(81~10年の平均)からの偏
差が5月:+0.38℃、6月:+0.41℃、7月:+0.38℃、8月:+0.46℃と大きく、それまでの記録
がせいぜい+0.3℃強であったことと比べると、ぶっちぎりの記録更新
―が生じているが。が、ちな
みに、この間に日本の平均気温が最高記録を更新したのは15年5月の1回のみ。日本で体感できる
気温のみで考えては、地球全体の傾向を見誤る。


そこで、平洋十年規模振動(Pacific Decadal Oscillation: PDO)とよばれる現象がキーワードとなる。
気候の自然変動パターンはエルニーニョ・ラニーニャのほかに、近年の気温上昇の鈍化との関係で気
候科学者が研究している。
PDOは北太平洋域に変動の中心を持つが、それに伴う熱帯太平洋の変動パ
ターンは、
エルニーニョ・ラニーニャによく似る。そこで、この周期は10年~数十年である。する
と、熱帯太平洋では「エルニーニョっぽい」状態と「ラニーニャっぽい」状態が10年~数十年で入
れ替わる現象――温室効果ガスの増加によって赤外線が地球から宇宙に逃げにくくなり、地球がシス
テム全体として持つエネルギーは増え続け、その増加分が海洋深層に運ばれ、地表付近の気温上昇と
して現れず、このパターンが逆転すると、海洋深層に貯め込まれていた熱が逆に地表付近に運び出さ
れ、
急激な気温上昇が生じる可能性――があり、去年あたりからそのような期間に突入したのかもし
れないと教えてくれる
。これは要細心だ。

● サーモグラフィーカメラ付リモート電子レンジ工学

弁当のおかずなどを部分的に温められる電子レンジが開発された(上図)。サラダや漬物などはそのままで、
ご飯やおかずを温められ、狙った部分にマイクロ波を当てる技術だというから当然、興味が惹く。これを開発し
た、上智大学の堀越智准教授は、半導体発振器を利用した、マイクロ波発生器を使う。

対象物のマイクロ波の吸収率にもよるが、最小で直径3~5センチメートルの範囲を温め、上下のア
ンテナの出力を制御して、上部や下部だけを温めることも可能だ。丼のご飯のみを温めるといった
使い方ができる。堀越准教授は、技術を改良して、将来的には温められる範囲を1センチメートル程
度くらいにしたいと語り、温めたい部分を指定して温め、サーモグラフィーで目的の温度になってい
るかどうか、状況を確認しながら使えるようなシステムを構築―――
複数の発生器でマイクロ波の
形調整
する位相制御で、温める位置を変える――家電メーカーなどとの連携を視野に、20年までの
製品化を目指し、コンビニエンスストアにある電子レンジと同程度の価格で作れるとのこと。ハード
ルも高そうだが、廉価であれば世界展開できる事業になりそうで、これは面白い。



【参考特許】

熱硬化性プラスチック材料を成型用のモールドを、加熱硬化させる手法に熱硬化化性プラスチック材
料にマイクロ波を照射し、マイクロ波のエネルギーによって分子内部に極性のある熱硬化性プラスチ
ック材料の微小振動を励起して発熱させ硬化を促進する、マイクロ波の誘電加熱を利用した装置が知
られている。マイクロ波の誘電加熱利用装置は、ヒーターによりモールドを介して熱硬化性プラスチ
ック材料を伝導加熱するものに比べ、熱硬化性プラスチック材料全体を均一に加熱することができ、
対流の発生を防止することができ、加熱時間を短縮できる。そこで、
マイクロ波(周波数0.3GHz
(ギガヘルツ)~300GHz程度)の熱硬化性プラスチック材料の誘電加熱装置が多く提案されて
きたが、高周波(周波数3MHz(メガヘルツ)~0.3GHz程度)を用いた熱硬化性プラスチッ
ク材料の誘電加熱装置は提案されておらず、これに類するものとして、ゴム製の成形型を用いた熱可
塑性樹脂の成形装置であるが少ない。

  

● 折々の読書 『職業としての小説家』19

 
  ひとつ面白い話があります。一九八〇年代の末頃、僕が『ダンス・ダンス・ダンス』という長
 編小説を潟いていたときのことです。僕はこの小説を初めてワード・プロセッサー(富士通のポ
 ータブル)で書きました。ほとんどはローマのアパートメントで書いたのですか、最後の部分は
 ロンドンに移って書きました。書きhげた原稿をフロッピー・ディスクに入れて、それを持って
 ロンドンに移動したのですが、ロンドンに落ち着いて開けてみると、章が丸ごとひとつ消えてし
 まっていました。一時はまだワープロを使い慣れていなかったので、操作を間違えてしまったの
 でしょう。まあ、よくあることです。もちろんがっくりしてしまいました。かなりのショックで
 した。長い谷だったし、「ここは我なからうまく書けた」と自負していたからです。「まあ、よ
 く
あることだから」と簡単にあきらめることはできません。

    

  でもいつまでもため息をついて首を横に振っているわけにもいかない。気を取り直し、数週間

 前に苦心惨憺して書き上げた文章を、「ええと、こうだったっけなあ……」と思い出しながら再
 現していきました。そしてその本をなんとか復活させることができました。ところが、その小説
 が本になって刊行されたあとで、行方不明になっていたオリジナルの章がひょっこり出てきたの
 です。ぜんぜん予想もつかないフオルダーに紛れ込んでいた。それもまたよくあることですね。
 それで「ええ、参ったな。こっちの方が出来が良かったらどうしよう」と心配しながら読み返し
 てみたのですが、結論から言いますと、あとがら書き直したヴァージョンの方が明らかに優れて
 いました。
 
  ここで僕か言いたいのは、どんな文章だって必ず改良の余地はあるということです。本人が
 どんなに「よくできた」「完璧だ」と思っても、もっとよくなる可能性はそこにあるのです。だ
 から僕は書き直しの段階においては、プライドや自負心みたいなものはできるだけ捨て去り、頭
 の火照りを適度に冷やすように心がけます。ただ火照りを冷やしすぎると、書き直しそのものが
 できなくなるので、そのへんはある程度注意しなくてはなりませんか。そして外からの批判に耐
 えられる体勢を作っていきます。何か、面白くないことを言われても、できるだけ我慢してぐっ
 と.呑み込むようにする。作品が出版されてからの批評はマイペースで適当に受け流せばいい。
 そんなものいちいち気にしていたら身かもちません(ほんとに)。でも作品を書いているあいだ
 にまわりから受ける批評・助言は、できるだけ虚心に謙虚に拾い上げていかなくてはならない。
 それか僕の詐からの持論です。



  僕は小説家として長く仕事をしてきましたが、正直に言って担当編集者の中には、「ちょっと
 合わないかな」と感じる人もいました。人間としては悪くない人だし、ほかの作家にとっては良
 き編集者なのかもしれないけど、僕の作品の編集者としては相性があまり良くないんじゃないか、
 ということです、そういう人の口にする意見は、僕としてはいささか首を傾げたくなることが多
 いし、時として(正直に言って)神経に障ります。いらっとすることもあります。でもお互い仕
 事ですから、そこはうまくやりくりしてやっていくしかありません。

  ある長編小説を書いていたときのことですが、僕は原稿の段階で、あまり「合わない」編集者
 から指摘があった箇所をすべて汽き直しました。ただし大半は、その人の助肯とは真逆の方向に
 書
き直しました。たとえば「ここは長くした方がいい」と言われた部分は短くし、「ここは短く
 した方がいい」と.言われた部分は長くしたわけです。今から思えばかなり乱暴な話なんですか、
 それでもその書きき直しは結果的にうまくいきました。作品はそれでより優れたものになったと
 思います,つまり逆説的にではあるけれど、その編集者は僕にとって有用な編集者であったわけ
 です。少なくとも「おいしいこと」しか口にしない編集者よりはずっと助けになった。僕はその
 ように考えています。

  つまり人事なのは、書き直すという行為そのものなのです。作家か「ここをもっとうまく書き
 直してやろう」と決意して机の前に腰を据え、文章に手を入れる、そういう姿勢そのものが何よ
 り重要な意味を持ちます。それに比べれば「どのように書き直すか」という方向性なんて、むし
 ろ二次的なものかもしれません。多くの場合、作家の本能や直感は、論理件の中からではなく、
 決意の中からより有効に引き出されます。藪を棒で叩いて、中に潜んでいる鳥を飛び羽ばたかせ
 るようなものです。どんな棒で叩こうか、どんな叩き方をしようが、結果にたいした違いはあり
 ません。とにかく鳥を飛び立たせれば、それでいいのです。鳥たちの動きのダイナミズムが、固
 定に向かおうとする視野に揺さぶりをかけます。それが僕の意見です。まあ、かなり乱暴な意見
 かもしれませんが。

  とにかく書き直しにはできるだけ時間をかけます。まわりの人々のアドバイスに耳を傾け(腹
 が立っても立たなくても)、それを念頭に置いて、参考にして書き直していきます。助言は人事
 です。長編小説を書き終えた作家はほとんどの場合、頭に血が上り脳味噌か過熱して.正気を失
 っています。なぜかといえば、正気の人間には長編小説なんてものは、まず書けっこないからで 
 す。ですから正気を失うこと自体にはとくに問題はありませんか、それでも「自分かある程度正
 気を失っている」ということだけは自覚しておかなくてはなりません。そして.正気を失ってい
 る人間にとって、正気の人間の意見はおおむね大事なものです。

  もちろん他人の意見をすべて鵜呑みにしてはいけない。中には見当外れの意見、不当な意見も
 あるかもしれません。しかしどのような意見であれ、それか正気なものであれば、そこには何か
 しらの意味が含まれているはずです。それらの意見は、あなたの頭を少しずつ冷却し、適切な温 
 度へと導いてくれるでしょう。彼らの意見とはすなわち世間であり、あなたの本を読むのは結局
 のところ世間なのですから。あなたか世間を無視しようとすれば、おそらく世間も同じようにあ
 なたを無視するでしょう。もちろん「それでかまわない」ということであれぼ、僕としても全然
 かまいません。しかしもしあなたが、人間とある程度まともな関係を維持したいと考えている作
 家であるなら(おそらく大部分はそうでしょう)、あなたの作品を読んでくれる「定点」をひと
 つなり、ふたつなり周囲に確保しておくのは大事なことです。その定点が正直に率直に感想を述
 べてくれる人でなくてはならないのは当然のことです。たとえ批判を受けるたびに頭に来るとし
 ても。  

                  「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』

                                     この項つづく  
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代は太陽道を渡る 16

2015年10月12日 | デジタル革命渦論

 

   人は勝つこともあるし、負けることもあります。
      でもその深みを理解していれば、人はたとえ負け
      たとしても、傷つきはしません。
      人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。
      人はいつか必ず負けます。
      大事なのはその深みを理解することなのです。

                        村上春樹

 

 

 

● ウィンドウズ10騒動で朝を迎える

ウィンドウズ7(Windows 7)で作業をしていたが、画面にウィンドウズ10への無償ダウンロード
がチコチョコ
表示されていたが、それと同期するかのように、IEなどのエラーがでてくるようにな
り、いよいよこれはだめか
と考え載せ替えてみたが、タブレットやスマホを意識した、ワイヤレス、
マウスレスのフラットデザインに変化し、いかにも指先で画面移動できるよ
うな中途半端なOS思想
で設計。(1)アイコンはなくなり、(2)表示フォント太めの「Meiryo UI」で美しくなく、(3)
スタートメニューがなくなり、(4)言語変換のATOKなどが使いずらいえない囲み込み(マイク
ロソフト以外のアプリをボイコット)。フォント変換をネット上のフリーソフトを使うも、ホームペ
ージ作成中、文字化けが発生、(5)動作が重いとストレスが溜まる一方。これではだめと判断し、
ウィンドウズ7(Windows 7)にリカバリーさせ、アプリを再搭載させるとという操作にはいる。お
陰でほぼ三日潰すことに――この損害と慰謝料をマイクロソフト社に請求しようかとも考える。さら
に、夜になるとアルコール消費量が急増し、サントリーの角瓶のほぼ1本を要することに。それだけ
ではない、マイクロソフトのIEは、米政府の国土安全保障省が昨年年4月28日、ハッカーの攻撃
を受ける可能性があるため使用停止――細工されたウェブサイトにアクセスするとウイルスに感染し
個人情報を抜き取られたりパソコンを乗っ取られたりする可能性があるバー
ジョン6から最新の11
が対象――要請が行われていた。

ストレスが溜まった精神を解放するため、湖北野鳥センタの"コハクチョウ"を観察しにいこうと車を
走らせる。湖岸を走らせている、対向車線を大量のクラッシカーが走り抜けるが、ドライバー(ある
いは同乗者)の多くは外人だった。天候は良好で目的地に到着、目当てのコハクチョウはというと、
南方沖合に移動し望遠鏡では観察できないということだった。彼女が、女性の係員から聞いた話では
日中は食餌のため山里に移動し、夕暮れになると湖畔に移動し眠るとのことだ。へぇ~そんなものか
と感心。野鳥センタから光り輝く湖面を背景に帰ってくる。



● 折々の読書 『職業としての小説家』18
 

  第一稿を終えると、少し間を置いて一服してから(そのときによりますが、だいたい一週間く
 らい休みます)、第一回目の書き直しに入ります。僕の場合、頭からとにかく全部ごりごりと書
 
き直します。ここではかなり大きく、全体に手を入れます。僕はそれがどれほど長い小説であれ、   
 複雑な構成を持つ小説であれ、最初にプランを政てることなく、展開も結末もわからないまま、
 いきあたりばったり、思いつくままどんどん即興的に物語を進めていきます。その方が書いてい
 て断然面白いからです。でもそういう書き方をしていると、結果的に矛盾する箇所、筋の通らな
 い箇所がたくさん出てきます。登場人物の設定や性格が、途中でがらりと変わってしまったりも
 します。時間の設定が前後したりもします。そういう食い違った箇所をひとつひとつ調整し、筋
 の通った整合的な物語にしていかなくてはなりません。かなりの分ほをそっくり削ったり、ある
 部分を膨らませたり、新しいエピソードをあちこちに付け加えたりします。




 『ねじまき鳥クロニクル』を書いていたときのように、「ここの部分は全体的に見てもうひとつ
 そぐわないな」と判断して、章のいくつかを丸ごと削除し、その削除したものをベースにして、
 まったく新しい別の小説(『国境の南、太陽の西』)を立ち上げていったりするようなケースも
 あ
ります。まあこれはかなり極端な例で、おおかたの場合削除した部分は削除したまま消えてし
 ま
います。

  その書き直しに、たぶん一か月か二か月はかかります。それが終わると、また一週間ほど置い
 て、二回目の書き直しに入ります。これも頭からどんどん書き直していく。ただし今度はもっと 
 細かいところに目をやって、丁寧に書き直していきます。たとえば風景描写を細かく書き込んだ
 り、会話の調子を整えたりします。筋の展開にそぐわない点がないかどうかチェックし、一読し
 てわかりにくい部分をわかりやすくし、話の流れをより円滑で自然なものにします。大手術では
 なく、細かい手術の積み重ねです。それか終わると、また.一服してから次の書き直しにかかり
 ます。今度は手術というよりは、修正に近い作業になります。この段階では、小説の展開の中で、
 どの部分のねじをしっかり締めるべきか、どの部分のねじを少し緩ませておくかを見定めること
 が大事になります。



  長編小説は文字通り[長い話]なので、隅々まできりきりとねじを締めてしまったら、読者の
 息か詰まります。ところどころで文書を緩ませることも大事です,そのへんの呼吸を読まなくて
 はなりません。全体と細部のバランスをよくすること。そういう観点から文章の細かい調整をお
 こないます。ときどき評論家で長編小説の一部を抜き出して『こんなに雑な文章を書いていては
 いけない」と批判する人がいますが、それは僕に言わせればあまりフェアな行為とは言えない。

  というのは、長編小説というものには
――ちょうど生身の人間と同じように――ある程度雑な
 緩んだ部分だって必要だからです。そういうものがあってこそ、きりきりと締めた部分か正当な
 効果を発揮します。

  そしてだいたいこのあたりで、一度長い休みを取ることにしています。できれば半月から一か
 月くらいは作品を抽斗にしまい込んで、そんなものがあることすら忘れてしまいます。あるいは
 忘れてしまおうと努力します。そのあいだ旅行をしたり、まとめて翻訳の仕事をしたりします
 長編小説を書くときには、仕事をする時間ももちろん人事ですか、何もしないでいる時間もそれ
 に劣らず大事な意味を持ちます。工場なんかの製作過程で、あるいは建築現場で、「養生」とう
 い段階があります。製品や素材を「寝かせる」ということです。ただじっと置いておいて.そこ
 に空気を通らせる、あるいは内部をしっかりと固まらせる。小説も同じです。この養生をしっか
 りやっておかないと、生乾きの脆いもの、組成が馴染んでいないものかできてしまいます。

  そのように作品をじっくりと寝かせたあとで、再び細かい部分の徹底的な書き直しに入ってい
 きます。しっかり寝かせたあとの作品は、前とはかなり違った印象を僕に与えてくれます。前に
 見えなかった欠点もずいぶんくっきり見えてきます。奥行きのあるなしか見分けられます。作品
 が「養生」したのと同じように、僕の頭もまたうまく「養生」できたわけです。


 
  しっかり養生を済ませたし、そのあとある程度の書き直しもした。この段階で大きな意味を持
 ってくるのか、第三者の意見です。僕の場合、ある程度作品としてのかたちかついたところで、
 まず奥さんに原稿を読ませます。これは僕の作家としてのほぼ最初の段階から、一貫して続けて
 いることです。彼女の意見は僕にとっては、言うなればか楽の「基準書」のようなものです。う
 ちにある古いスピーカー(失礼)と同じことです。僕はすべての種類の音楽をこのスピーカーで
 聴きます。とくに立派なスピーカーじやありません。一九七〇年代に買ったJBLのシステムで、
 図体は大きいんですが、現代の最新の高級スピーカーに比べれば、出てくる音の領域はかなり限
 られています。音の分離もそれほど良いとは言えません。いねば骨董品みたいなものです。でも
 僕はなにしろこのスピーカー・システムでこれまで、ありとあらゆる音楽を聴いてきたので、そ
 こから出てくる音が僕にとっての音楽の再生の基準になっているわけです。それが身についてし
 まっている。

  こういうことを言うと、あるいは腹を立てる人もいるかもしれませんが、出版社の編集者は日
 本の場合、専門職とはいっても、結局のところサラリーマンですから、それぞれの会社に属して
 いるし、いつ配置換えになるかもしれません,もちろん例外はありますか、大方の場合、上から
 「君がこの作家を担当しなさい」と指名されて、担当編集者になっているわけで、どこまで親身
 につきあえるか予測の在たないところがあ今その点、友というのは良くも悪くも、まず配置換え
 にはなりません、僕が「観測定点」と言うのは、そういう意味です,長年つきあっているから、
 「この人がこういう感想を持つのは、こういう意味合いで、こういうところから来ているんだな」
 というニュアンスがおおよそ理解できます(おおよそと僕が言うのは、妻についてすべてを理解
 するのは原理的に不可能だからです)。

  でもだから、相手から言われたことかそのまますらすら受け入れられるかというと、そうはい
 きません。こちらは長い時間をかけて、長い小説を書き終えたばかりで、養生によって多少冷め
 たとはいえ、頭にはまだじゅうぶん血がのぼっていますから、批判的なことを言われると頭に来
 ます。感情的にもなります。激しい言い合いになることだってあります。他人である編集者を相
 手に、正面からそんなきつい物言いをすることはできませんから、そのへんはまあ身内の利点と
 言えるかもしれない。僕は現実生活においてはとくに感情的な人間ではありませんが、この段階
 ではある程度感情的にならざるを得ないところかあります。というか、感情をいったん外に吐
 出してしまうことが必要になってきます。

  彼女の批評には、「たしかにそうだな」「ひょっとしたらそうかもしれない」と思えることも
 あります。そう思えるようになるまでに、数日を要する場合もありますが。また「いや、そんな
 ことはない。僕の考えの方がやはり正しい」と思うこともあります。でもそのような「第三者導
 入」プロセスにおいて、僕にはひとつ個人的ルールがあります。それは「けちをつけられた部分
 かあれば、何はともあれ書き直そうぜ」ということです。批判に納得がいかなくても、とにかく
 指摘を受けた部分があれば、そこを頭から書き直します。指摘に同意できない場合には、相手の
 助言とはぜんぜん違う方向に書き直したりもします。

  でも方向性はともかく、腰を据えてその箇所を書き直し、それを読み直してみると、ほとんど
 の場合その部分か以前より改良されていることに気づきます。僕は思うのだけど、読んだ人があ
 る部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題か含ま
 れていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れか、多かれ少なかれつっかえている
 ということです。そして僕の仕事はそのつっかえを取り除くことです。どのようにしてそれを取
 り除くかは、作家か自分で決めればいい。たとえ「これ完璧に書けているよ。書き直す必要なん
 てない」と思ったとしても、黙って机に向かい、とにかく書き直します。なぜならある文章か「
 完蔡に書けている」なんてことは、実際にはあり得ないのですから。

  今回の書き直しは頭から順番にやっていく必要はありません。問題になった部分、批判された 
 部分だけを集中して、書き直していきます。そして書き直した部分をもう一度読んでもらい、そ
 れについてまた討論をし、必要があれば更に書き直します。それを読んでもらい、まだ不満かあ
 れば、更にまた書き直します。そしてある程度片がついたところで、また頭から書き直して全体
 の流れを確認し、調整します。いろんな部分を細かくいじったせいで、全体のトーンか乱れてい
 れば、それを修正します。そこで初めて編集者に正式に読んでもらいます。その時点では、頭の
 過熱状態はある程度解消されていますから、編集者の反応に対しても、それなりにクールに客観
 的に対処することができます。

                 「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』


長編小説を読むのも、ビジネスマンにとって所要時間が大きくなるので、ぱっと斜め読みして、ピン
とこなければそのまま積んでおくだけということはよくあることではないか――作家にすればどんな
にエネルギーを要し、神経をすり減らても―――と思っている。ここでは、書き手のノウハウが開陳
されているものの、ここではそのまま鵜呑みにして読み進める。さて、今回もノーベル文学賞は、ベ
ラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチが受賞。ノンポリ派作家?の村上春樹の評価は、
かっての文学論争での「テーマの積極性」が優位に働き分が悪かったのではとの考えが頭を過ぎる。
だからといって、彼の秀抜な作品集の輝きは失せることはないのだが。

  

                                                                      この項つづく



 

 

 

【時代は太陽道を渡る 16】

● ハウステンボス「変なホテル」 太陽道システム導入

東芝は、ハウステンボスから、自立型水素エネルギー供給システム「H2OneTM」を受注したと発表。
16年3月にオープン予定のスマートホテル「変なホテル」第2期棟に設置する。同システムの受注
は初めてで、太陽光の余剰電力を水素として蓄え、燃料電池で電気に戻すことで、日照変化による出
力変動を安定化させるためのもの(「ハウステンボスの「変なホテル」、太陽光と水素でエネルギー
自活」 日系テクノロジー・オンライン 2015.10.08)。

  

今回、受注した水素エネルギー供給システムは、リゾート施設向けとして設計する。エネルギーイン
フラが十分に整っていない地域でも、再生可能エネルギーと水素を活用して、ホテル・リゾート施設
内のエネルギーを自給自足できるもの。例えば、日照時間の長い夏の間、太陽光で発電した電力の余
剰分を利用し、水素製造装置で水素を製造して水素タンクに貯蔵しておく。貯蔵した水素を日照の減
る冬期に利用、燃料電池で発電することで、年間を通じてホテル1棟分の電力量を安定的に供給する。

今回、導入する「H2OneTM」では、水素を高密度で貯蔵できる水素吸蔵合金を水素貯蔵タンクとして
搭載する。従来の水素タンクと比べ、貯蔵タンクのサイズが10分の1以下になり、敷地面積の限ら
れる場所でも導入が容易になる。これは太陽光発電だが、風力発電などで電解すれば水素製造も可能。

 

特開2012-255200 電解装置及び電解方法

 

● パナソニック モジュール変換効率で世界最高22.5%達成

パナソニックHIT太陽電池――内層の単結晶シリコンと表面層の薄膜シリコン(アモルファスシリ
コン)を組み合わせた構造を採り、量産品としては最も変換効率が高い太陽電池、わずかに遅れて単
結晶太陽電池が追う。変換効率の「第2グループ」はCdTe太陽電池とCIS太陽電池、多結晶シリ
コン太陽電池。セル変換効率の世界記録ではいずれも20%を超える。新製品「HIT N330(VBHN330
SJ47)」は、96セルを用いた出力330ワットの太陽電池モジュール(上図)。モジュール効率は
19.7%。一般的な多結晶シリコン太陽電池製品(出力260ワット)と比較して最大出力が約27
%高い。新製品を15枚設置したときの出力は4.95キロワット、260ワット品の3.90キロワ
ットよりも1キロワット増となる。

HIT N330は、変換効率24.3%の太陽電池セルを用いる。同社は14年4月に太陽電池セル
で25.6%という世界記録を達成。太陽電池モジュール製品の効率向上はまだ余裕がある。同社は、
HIT  N330を16年3月、英国と欧州諸国向けに投入。断念ながら、日本は太陽電池市場で向
けとしてでなく
、N330は欧州向け、日本向けに投入する予定はないというから不思議な話である
が、変換効率で世界最高レベルなのである。

 

 

 

● 人口10万人単位のコミュニティーソーラーブロック構築

このように考えていくと、「太陽光と無償電気温水器をセットで提供」(『北陸新幹線「新三都物語
」』2015.10.08)で掲載しように、人口10万単位とした、コミュニティーソーラーブロック圏を組
織し、(A)各世帯別に(1)太陽光発電パネル、(2)燃料電池、(3)蓄電池と(B)コミュニ
ティ専用の(1)メガソーラー発電、(2)余剰蓄電設備――①電解水素、②蓄電池、③揚水発電、
④その他、(3)配送電制御設備――コミュニティーソーラーブロック間の調整システムを備え(A)
の設備を会員に格安リース(設備工事費込み)、リース費用は、コミュニティーソーラー所有パネル
プラス(A)で所有しているパネルの発電量と消費電力の差額電力費用(メンテ費用もリース料金に
含まれている)で相殺し、その結果、余剰電力分は基本的に会員の収入となるが、そのトータル量が
コミュニティーソーラー大幅超過しないように管理組織(民営)がコントロールすることを基本とす
る。ここに関わる設計・設備製造・保全・サービスなどの機構は民間(=営利企業)が行う――そん
なことを構想してみたがどうだろうか。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸新幹線「新三都物語」

2015年10月08日 | 時事書評

 

 

   宗教とは真実よりもむしろ美しい仮説を提供するもの  / 村上春樹『1Q84』

 

 

 

【北陸新幹線「新三都物語」】

北陸新幹線敦賀以西ルートをめぐり、沿線首長らの発言が九月以降、活発化している。背景にはJ
R西日本
が内部で検討した小浜市と京都駅を通る案の浮上がある。ルート候補は三案あり、福井は
若狭(小浜)、関
西広域連合などは米原を求めるが、判断材料が少ないとして明言を避けるケース
も。七日の与党検討委員
会では、北陸三県の知事から意見聴取している(中日新聞 2015.10.07)。
このニュースでは上下図の「ルート図(案)」と「沿線首長の発言(9月)」を掲載している。
当たる、滋賀県の三日月大造知事は工費や建設期間などの面から米原ルートを推し、。記者会見で
はJR西の内部案を「小浜ルートより長い。建設費はどうなるのか」と指摘している。

 

この計画についてはブログ掲載してきた(例えば『日本周回新幹線構想Ⅱ』2015.04.08)。その第
1ステージが北陸新幹線敦賀駅を結接駅とし東海道新幹線米原駅結接として、大阪と名古屋に分岐
する「新三都物語」路線とするもので、京都をはじめとして、新しく大阪、金沢、名古屋を三都と
して加えた新幹線に、関西空港、セントレア空港、小松空港を接続するという構想である。この経
済効果には、日本海側の韓国、北朝鮮、ロシア、中国(東北部)と太平洋側の台湾、中国、東南ア
ジア、また、環太平洋諸国(豪、ニュージランド、北米西部、中米西部、南米西部)諸国と結ぶ経
済圏との交易観光の新規興産をベースとしているので、その経済効果を各国地区のGDPの数パー
セントと超概算見積として試算。特に、北朝鮮の経済成長寄与度は魅力的。同然、海運・港湾
業市
場規模の伸長も魅力的。

※これは老婆心なのだが、JR東海とJR西日本の二社の融和がキーとなりそうだ。

 

  
● 折々の読書 『職業としての小説家』17
 

  これは僕の昔からの持論ですか、世代間に優劣はありません。あるひとつの世代か他のひと
 つの世代より優れている、あるいは劣っているなんてことはまずありません。世間ではよくス
 テレオタイプな世代批判みたいなことがおこなわれていますが、そういうのはまったく意味の
 ない空論だと僕は確信しています。それぞれの世代間には優劣もなければ、上下もありません。
 もちろん傾向や方向件においてはそれぞれに差毀かあるでしょう。しかし質量そのものにはま
 ったく差がありません。あるいはあえて問題にするほどの差はありません。

  具体的に言うなら、たとえば今の若い世代は、漢字の読み書き能力なんかに関しては先行す
 る世代よりいくぶん劣っているかもしれません(事実がどうなのかはよく知らないけど)。で
 もたとえば、コンピュータ言語の理解処理能力なんかにおいては間違いなくより優れているで
 しょう。僕が言いたいのはそういうことです。それぞれに得意分野があり、若手分野かあるの
 です。それだけのことです。だとしたら、それぞれの世代は何かを創造するにあたって、それ
 ぞれの「得意分野」をどんどん前面に押し出していけばいいわけです。自分の得意な言語を武
 器とし、自分の目にいちばんクリアに映るものを、自分に使いやすい言葉を使って記述してい
 けばいいわけです。他の世代に対してコンプレックスを持つ必要もありませんし、また遂に妙
 な優越感を持つ必要もありません。

  僕か小説をがき始めたのは三十五年も前のことですが、その当時はよく「こんなものは小説
 じゃない」「こんなものは文学とはいえない」と先行する世代から厳しい批判を受けました。
 そういう状況がなにかと収くて(というか、鬱陶しくて)、けっこう長く日本を離れて外国で
 暮らし雑音のない静かな場所で好きなように小説を書いていました。でもそのあいだも、自分
 が間違っているかもしれないとはまったく思いませんでしたし、不安みたいなものもとくに感
 じませんでした。「実際にこうとしか書けないんだもの、こう書くしかないじゃないか。それ
 のどこがいけないんだ」と開き直っていました。今はたしかにまだ不完全かもしれないけど、
 そのうちにもっとちゃんとした、質の高い作品が書けるようになるだろう。またその頃になれ
 ば時代も変化を遂げているだろうし、僕のやってきたことは間違っていなかったと、しっかり
 証明されるはずだと信じていました。なんだか厚かましいようですが。

  それが現実に証明されたのかどうか、今こうしてあたりをぐるりと見回しても、僕自身には
 まだよくわかりません。どうなんだろう? 文学においては、何かが証明されるなんてことは
 永遠にないのかもしれない。でもそれはともかく、三十.九年前も今も、自分がやっているこ
 とは基本的に間違っていないという信念は、ほとんど揺らいでいません。あと三十五年くらい
 経ったら、また新しい状況か生まれているかもしれませんが、その顛末を僕が見届けることは、
 年齢的にみてちょっとむすかしそうです。どなたか僕のかわりに見ておいてください

  ここで僕か言いたいのは、新しい世代には新しい世代固有の小説的マテリアルかあるし、そ
 のマテリアルの形状や収さから逆算して、それを運ぶヴィークルの形状や機能が設定されてい
 くのだということです。そしてそのマテリアルとヴィークルとの相関性から、その接面のあり
 方から小説的リアリティーというものが生まれます。
  どの時代にも、どの世代にも、それぞれの固有のリアリティーがあります。しかしそれでも
 小説家にとって、物語に必要なマテリアルを丹念に収集し、蓄積するという作業がきわめて重
 要であるという事実は、おそらくいつの時代にあっても変わることはないと思います。
  もしあなたが小説を書きたいと志しているなら、あたりを庄意深く見回してください――と
 いうのが今回の僕の話の結論です。世界はつまらなそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎め
 いた原石に満ちています。小説家というのはそれを見出す目を持ち合わせた人々のことです。
 そしてもうひとつ素晴らしいのは、それらが基本的に無料であるということです。あなたは正
 しい一対の目さえ具えていれば、それらの貴重なな原石をどれでも選び放題、採り放題なので
 すこんな晴らしい職業って、他にちょっとないと思いませんか?
 

                                          「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』


ここで述べられている信条や体験は、何も小説家だけでなくそれぞれの職域で日常的に体験するこ
とだという感想を、というより確信に近いもの感じさせ、それが、読み手それぞれの違いはあるも
のの、よく似た着地点ではないかと思えたことが1つ。そして、彼の小説のバックグランドには、
北欧のような、人口密集度の小さい、乾燥した寒いの風に似たもの感じさせるものがあると思もわ
せる。とくに、現在読み進めている、又吉直木の『火花』の芸能界の猥雑な人情が溢れる大阪のバ
ックグランドとは対照的な展開を追っていることもあり強い印象として残る。



  僕はかれこれ三十五年ばかり、いもおう職業的作家として活動を続けていて、その間にいろ
 んな形式の、いろんなサイズの小説を書いてきました。分冊にしなくてはならないような長め
 の長編小説(たとえば『IQ84』)、一冊に収められるくらいのサイズの長編小説(たとえ
 ば『アフターダーク』)、いわゆる短編小説、そしてごく短い短編(掌編)小説、などです。
 艦隊にたとえれば戦艦から巡洋艦、駆逐艦、潜水艦まで、各種艦船かだいたい取り揃えてある
 わけです(もちろん攻撃的意図は僕の小説にはありませんか)。それぞれの船には、それぞれ
 の機能があり、役割があります。そして全体として、お互いをうまく補足し合えるようなポジ
 ションに配置されています。どういう長さのフォームを取り上げて小説を刄くかは、そのとき
 の気持ち次第です。ローテーションみたいなものに従って、規則的に回しているのではなく、
 心の赴くままというか、あくまで自然の成り行きにまかせています。「そろそろ長編を書こう
 かな」とか「また短編が書きたくなってきたな」とか、そのときどぎの心の動きによって、あ
 るいは求めに応じて、容れ物を自由に選択するようにしています。選ぶにあたって、迷うよう
 なことはまずありません、「今はこれ」とはっきり判断できます。短編小説を書く時期が来た
 ら、ほかのことには目を向けず、集中して短編小説を書きます。

  でも僕は基本的には、というか最終的には、自分のことを「長編小説作家」だと見なしてい
 ます。短編小説や中編小説を書くのもそれぞれに好きですし、書くときはもちろん夢中になっ
 て書きますし、書き上げたものにもそれぞれ愛着を持っていますが、それでもなお、長編小説
 こそが僕の主戦場であるし、僕の作家としての特質、持ち味みたいなものはそこにいちばん明
 確におそらくは最も良いかたちで-現れているはずだと考えています(そうは思わないという
 方かおられても、それに反論するつもりは毛頭ありませんか)。僕はもともとか長距離ランナ
 ー的な体質なので、いろんなものごとがうまく総合的に、立体的に政ち上かってくるには、あ
 る程度のかさの時間と距離が必要になります。本1にやりたいことをやろうとすると、飛行機
 にたとえれば、長い滑走路かなくてはならないわけです。

  短編小説というのは、長編小説ではうまく捉えきれない細部をカバーするための、小回りの
 きく俊敏なヴィークルです、そこでは文章的にもプロット的にも、いろんな思い切った実験を
 行うことができますし、短編という形式でしか扱えない種類のマテリアルを取り上げることも
 できます。僕の心の中に存在する様々な側.面を、まるで細かい網で微妙な影をすくい取るみ
 たいに、そのまますっと形象化していくことも(うまくいけば)できます。書き上げるのにそ
 れほど時間も
かかりません。その気になれば準備も何もなく、一筆書きみたいにすらすらと数
 日で完成させてしまうことも可能です。ある時期には僕は、そういう身の軽い、融通の利くフ
 オームを何より必要とします。しかし――これはあくまで僕にとってはという条件付きでの発
 言ですか 自分の持てるものを好きなだけ、オールアウトで注ぎ込めるスペースは、短編小説
 というフォームにはありません。

  おそらく自分にとって重要な意味を持つであろう小説を潜こうとするとき、言い換えれば「
 自分を変革することになるかもしれない可能性を有する総合的な物語」を立ち上げようとする
 とき、自由に制約なく使える広々としたスペースを僕は必要とします。ますそれだけのスペー
 スか確保されていることを確認し、そのスペースを満たすだけのエネルギーか自分の中に蓄積
 されていることを見定めてから、言うなれば蛇口を全開にして、長F場の仕事にとりかかりま
 す。そのとぎに感じる充実感は何ものにも代えがたいものです。それは長編小説を書き出すと
 きにしか感じられない、特別な種類の気持ちです。

  そう考えると、僕にとっては長編小説こそが生命線であり、短編小説や中編小説は極言すれ
 ば長編小説を河くための人事な練習場であり、有効なステップあると言ってしまっていいので
 はないかと思います。一万メートルや五千メートルのトラック・レースでもそれなりの記録は
 残すけれど、軸足はあくまでフル・マラソンに置いている長距離ランナーと同じようなものか
 もしれない。 




  そんなわけで今回は、長編小説を爾くという作業について語りたいと思います。というか、
 長編小説を書くことを例にとって、僕がどういう小説の書き方をするのかを、具体的に語りた
 いと思います。もちろん一口に長編小説といっても、ひとつひとつの小説の中身が違っている
 のと同じように、その執筆の方法や、仕事をする場所や、要する期間もそれぞれ異なってきま
 す。しかしそれでも、その基本的な順序やルールみたいなものは書くことが初めて吋能になる
 あくまで僕自身の印象ではということですが 大筋ではほとんど変化しないようです。それは
 僕にとって「通常常業行為=ビジネス・アズ・ユージュアル」とでも呼ぶべきものになってい
 ます,というか、そういう決まったパターンに自分を追い込んでいって、生活と仕事のサイク
 ルを確定することによって、長編小説をという部分かあります。尋常ではない量のエネルギー
 か必要とされる長丁場の作業ですから、ますこちらの体勢をしっかり固めておかなくてはなり
 ません。そうしておかないと、下手をすると途中で力負けしてしまうかもしれません。

  長編小説を書く場合、僕はまず(比喩的に言うなら)机の上にあるものをきれいに片付けて
 しまいます。「小説を潟くほかには何も書かない」という体勢を作ってしまうわけです。もし
 そのときエッセイの連載なんかをやっていたら、そこでいったん中眼してしまいます。飛び込
 みの仕事
も、よほどのことかなければ引き受けません。何かを真剣にやり出したら、ほかのこ
 とがでぎなくなってしまう性格だからです。締め切りのない翻訳作業なんかを自分の好きなペ
 ースで、同時進行的にやることはよくありますが、これは生活のためというよりは、むしろ気
 分転換のためです。翻訳というのは基本的にテクニカルな作業ですから、小説を潟くのとは使
 う頭の個所が違います。ですから小説を書くための負担になりません。筋肉のストレッチング
 と同じで、そういう作業を並行してやるのは、脳のバランスを取るために、かえって有益であ
 るかもしれません。

  「おまえはそんな気楽なことを言うけれど、生活していくためには、他の細かい仕事だって
 引き受けなくちゃならないだろう」とおっしゃる同業者の方もおられるかもしれません。長編
 小説を書いている間、どうやって生活していけばいいんだよ、と。僕はここではあくまで、僕
 自身のとってきたシステムについて語っているだけです。本当なら出版社からアドバンスをも
 らえばいいわけですか、日本の場合はアドバンスという制度がないし、長編小説を書いている
 間の生活費まではまかなえないかもしれません。ただ個人的なことを言わせていただければ、
 まだそれほど本が売れていない時期から、僕はずっとそういうやり方で長編小説を潟いてきま
 した。生活費を稼ぐために、文筆とはまったく関係のない他の仕事を日常的にやっていたこと
 はあります(肉体作業に近いものですが)。でも書き物の仕事の依頼は原則として受けません
 でした。キャリア初期の段階での少数の例外を別にすれば(当時はまだ、自分の執筆スタイル
 を確包する飾だったので、いくつかの試行錯誤がありました)、基本的に小説を書くときは、
 小説だけを書いていました。


 
  僕はある時期から、長編小説は海外で書くことが多くなったのですか、これは日本にいると
 どうしても雑用(あるいは雑音)があれこれ入ってくるからです。外国に出てしまうと、余計
 なことは考えずに執筆に気持ちを集中できます。とくに僕の場合、書き始めの時期には執筆の
 ための生活パターンを固定させていく人事な時期にあたるわけですがどちらかといえば、日本
 を離れた方かいいみたいです。最初に日本を離れたのは八○年代後半のことですか、そのとき
 はやはり迷いがありました。「こんなことをして、本当に生き残っていけるんだろうかっ?」
 と不安でした。僕はけっこう厚かましい方ですが、それでもさすかに背水の陣を敷くというか、
 帰りの橋を焼き払うような決意か必要でした。旅行記を書くという約束をして、無理を言って
 出版社からいくらかアドバンスを受け取りましたが(それは後に『遠い太鼓』という本になり
 ました)。基本的には貯金を切り崩して生活しなくてはならなかったわけですから。

  でも思い切って心を決め、新しい可能性を追求したことか、僕の場合は良い結果を生んだよ
 うです。ヨーロでパ滞在中に書きLげた『ノルウェイの森』という小説がたまたま(予想外に)
 売れたことで、生活を安定させ、長期的に小説を河き続けるための個人的システムみたいなも
 のをとりあえず設定することがでぎました。そういう意味では幸運であったと思います。でも、
 こんなことを言うとあるいは傲慢に響くかもしれませんが、決して幸運だけでものごとが運ん
 だわけ
ではありません。そこにはいちおう僕なりの決意と、開き直りがあったわけです。


  長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことを
 ルールとしています。僕のマックの画面でいうと、だいたい二画面半ということになりますが、
 昔からの習慣で四百字詰で計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日
 は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事を
 するときには、規則性か大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書い
 ちゃう書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だからタイム・カードを押
 すみたいに、一日ほぼきっかり十校書きます。

  そんなの芸術家のやることじゃない。それじゃ工場と同じじゃないか、と言う人がいるかも
 しれません。そうですね、たしかに芸術家のやることじゃないかもしれない。でもなぜ小説家
 が芸術家じゃなくてはいけないのか? いったい誰がいつそんなことを決めたのですか? 誰
 も決めていませんよね。僕らは自分のやりたいやり方で小説を書けばいいのです。だいいも「
 なにも芸術家じゃなくたっていいんだ」と思えば、気持ちかぐっと楽になります。小説家とい
 うのは、芸術家である前に、自由人であるべきです。好きなことを、好きなときに、好きなよ
 うにやること、それが僕にとっての自由人の定義です。芸術家になって世間の目を気にしたり、
 不自由なかみしもをまとうよりは、ごく普通のそ
のへんの自由人になればいいんです。





  アイザック・ディネーセンは「私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます」
 と言っています。それと同じように、僕は毎日十枚の原稿を河きます。とても淡々と。「希望
 もなく、絶望もなく」というのは実に言い得て妙です。朝早く起きてコーヒーを温め、四時間
 か五時間机に向かいます。一日十枚原稿を書けば、一か月で三百枚書けます。単純計算すれば、
 半年で千八百枚が書けることになります。具体的な例を挙げれば、『海辺のカフカ』という作
 品の第一稿が千八百枚でした。この小説は主にハワイのカウアイ島のノースショアで書きまし
 た。ここは実に何もないところで、おまけによく雨か降るので、おかげで仕事は捗ります。四
 月の初めにがき始めて、十月に書き終えました。プロ野球の開幕と同時に書き始めて、日本シ
 リーズが始まる頃に書ぎ終えたので、よく覚えています。その年には野村監督のもと、ヤクル
 ト・スワローズが優勝しました。僕は長年のヤクルト・ファンなので、ヤクルトは優勝するわ、
 小説は書き終えることができたわで、けっこうほくほくしたことを記憶しています。ほとんど
 ずっとカウアイ島にいたために、レギュラーシーズソにあまり神宮球場に行けなかったのは残
 念でしたが。

  しかし長編小説の仕事は野球と違って、いったん書き終えたところから、また別の勝負(ゲ
 ーム)が始まります。僕に言わせてもらえれば、ここからがまさに時間のかけがいのある、お
 いしい部分になります。

                 「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』

                                                                      この項つづく
 

 

● 太陽光と無償電気温水器をセットで提供

太陽光とタダの電気温水器をセットで提供し、販売促進をしているという(日経テクノロジー・
オンライン 2015.10.07)。

もし、電力会社がタダで新品の電気温水器と太陽光発電システムを0.41米ドル/ワット(約
50円/ワット)で提供すると言えば、あなたならどうするだろうか?

ミネソタ州の農村部の電力会社 Steele-Waseca Cooperative Electric(SWCE)社は、ユニークなプロ
グラムを展開する。同社は小さな協同組合のメンバーが経営する地域主体の電力会社だが、コミ
ュニティーソーラーを始めた理由が、メンバーが長年、低価格で再生可能エネルギーに投資でき
るオプション開発おこなってきた。例えば、(1)アパート住まいの人や、(2)持ち家があっ
ても日照条件が悪く、(3)太陽光発電システムを設置する十分な資金がなかったりする場合、
「コミュニティーソーラー」は、このように太陽光発電システムを設置できない電力消費者でも、
太陽光発電事業の恩恵が受けられるシステムである。つまり、自宅の屋根や敷地内ではなく、地
域(コミュニティー)内に太陽光発電システムを設置し、そこで発電した電力の一部を長期契約
で購入。この発電量は、毎月の電力消費量から差し引かれ、差額を支払うだけでよく、太陽光発
電システムを自分の家に設置せずに、さらにシステムの修理やメインテナンスに煩わされずに、
「自産自消」をバーチャルに実現できる。この仕組みの利点は次の3つである、、

1)コミュニティー内の広く、比較的安く、日照条件のより良い土地を利用できる。
2)システムサイズが大きいので、規模の経済性効果が高く、住宅用の屋根置きと比べて、コス
 トも一段と低い。
3)設置ロケーションが選択できるため、太陽光発電の発電量と供給量のバランシングが容易。


SWCE社が電力を供給する地域の電力ピーク需要は夕方の6時~7時に発生。一方、太陽光発電
システムの発電量は、正午~午後2時にかけピークを迎える。分散型太陽光発電システムを一般
家庭の多い配電網に接続すると、太陽光発電の供給量が需要を超え、バックフィード(逆潮流)
を起こすリスクが高くなり、電力の安定供給を妨げるケースがでてくるため 配電網の強化する
ことで対応できるが、都会では送電線長当たりの接続軒数が多くなるのに対し、過疎地では当然
すくなくなるため、配電網を強化するのはコスト高となる。


この問題解決に、SWCE社は102.5キロワットのコミュニティーソーラーを工場付近の配電変
電所に系統連系することで、バックフィード問題を解決。太陽光の発電量がピークの時にも工場
の電力需要で十分に消費できる。問題があるとしたら配電変電所で発生する電磁波禍対策。さて、
一般的に太陽光発電システムの設置コストは3.5~5.0米ドル/ワット。コミュニティーソー
ラーへのパネル1枚当たりの参加費が1千4百~2千米ドルで、同社のメンバーにとって、高い
投資となる。数多くのメンバーに参加してもらうには、初期投資を2百米ドル以下に抑える必要
があるため、今まで提供していた温水器プログラムをセットにし、パネル1枚のコストを170
米ドルまで逓減――(2000-170)÷2000×100=91.5パーセント――できる。

ちなみに、メンバーが「16時間温水器抑制プログラム」に参加すると、電力会社はタンク容量
1055ガロン(約397リットル)の電気温水器を無料で提供。この電気温水器の小売価格は、
千2百米ドル(約14万5千円)。温水器はグリッドインタラクティブ――電力会社と系統を通
して双方向で通信――できるようになっている。電力会社が午前7時~夜11時までの16時間

温水器をコントロールできるようになっている。温水器を動かす時間を昼間のピーク時から、オ
フピークの夜11時~翌朝7時までの8時間内にシフトし、日中の電力量を抑制し、コストの低
い夜間電力を使用する。 

メンバーが「16時間温水器抑制プログラム」に参加する場合、コミュニティーソーラーへの参
加がパネル1枚分(410ワット)170米ドルという、「セット価格」になっている。この値
段をワット当たりにすると何と41.5セント。さらに、この価格にはパワーコンディショナー
など他の部材が全て含まれているだけではなく、設置コスト、今後20年間の修理、メインテナ
ンスのコストが全て含まれている。

メンバーは個人の電力消費量を超えない分のパネル枚数、または最大20枚契約できる。ちなみ
に、この地域では410ワットのパネル1枚当たり年間510キロワット時発電する。温水器の
プログラムとコミュニティーソーラーの両方に参加した場合、1枚目のパネルは1700米ドルで
2枚目からは1225米ドル。コミュニティーソーラーだけに参加したいというメンバーのパネ
ル価格は1枚1225米ドルとなる。
このコミュニティーソーラーは410ワットの太陽電池パ
ネル250250枚を設置している。ちなみパネルはミネソタ州を拠点に置く、tenKSolar社製であ
る。システムは今年4月から発電を開始している。

ところで、このシステムのからくりはセットの電気温水器。電力会社はオフピーク時に電力使用
をシフトすることで、ピーク時の高い電力を卸市場で購入する量を減らし、同時にコストの低い
オフピーク電力の販売を増やすことができる。さらに、「無料で電気温水器と格安のコミュニテ
ィーソーラー」というユニークなプロモーションで、今までプロパンガスの温水器を使用してい
たメンバーを電気温水器への「乗り換え」を促し、電力の販売量を拡大できる。

ただし、メンバーの加入数と太陽光パネル買い上げ枚数が少ないと初期投資の回収期間が長くな
る(実績では5年で可能だったという)。


【累積20ギガワットを超えた米太陽光市場】

● 16年末まで毎月1ギガワットの建設ラッシュ

 

 

全米太陽光発電協会(SEIA)と米GTM Research社の最新の太陽光発電市場レポート(U.S. Solar
Market Insight Q2 2015
によると、米国の太陽光発電市場は15年第2四半期時点で累計設置
容量20GWを超えた。これは、一般家庭約460万世帯分の年間使用電力量に相当する。15
上半期の導入量は2.7ギガワットで、GTM 社は15年の太陽光発電導入量を前年比16%ア
ップの7.7ギガワットと予想している。つまり、15年下後半期のみで約5ギガワットが設
置されることになる。さらに、16年の市場は、飛躍的に伸び12ギガワットを超えるとも予
想している。これは今後、月平均1ギガワット規模の太陽光発電が米国に導入される。

さて、太陽が自然の核融合である以上、地球のソーラーパネルさえあれば事足りる、後はパネ
ル技術と運用技術の開発だけとなる。15年のことしソーラーパワーの実用性が明確になった。
後は、詳細改良のブレークダウン段階に入る。わたし(たち)もそのフィールドワークに参加
する段階にきている。後は決断だけだ。これは大変愉快だ。、
 

 . 

 

                             

                      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュートリノなピタス

2015年10月07日 | びわこ環境

 

 

   ちょっと視点を変更すれば、発想を切り換えれば、マテリアルはあなた
           まわりにそれこそいくらでも転がっていることがわかるはずです。
           それは、
あなたの目にとまり、手に取られ、利用されるのを待っています。
   
                                            村上春樹 『職業としての小説家』

 

● ニュートリノなピタス

東大宇宙線研究所の梶田隆章教授がノーベル物理学賞を受賞、理由は素粒子ニュートリノに質量が
あることを証明し、半世紀近くに及ぶ大きな謎を解き明かしたことにある。物質や宇宙の成り立ち
に迫る新たな研究の扉を開く成果で、素粒子物理学の飛躍的な発展をもたらしたからと。宇宙の誕
生を解明を一歩?進めた。02年にノーベル賞を受けた小柴昌俊氏が岐阜県の地下鉱山跡に建設し
た「カミオカンデ」で放射線の一種である宇宙線が地球に降り注ぐ際に、大気中の原子核とぶつか
って生成される「大気ニュートリノ」を観測したところ、ミュー型の数が理論的な予測より40%
少ない「異常」を見いだし88年に発表したが、後にタウ型への変化(これを変身と呼んでいる)
による。地球の天地方向の2つのニュートリノ数は、真上からのものに真下はものは半部しかなく
「振動現象」の存在を突き止めるという話だが、そもそもは、ダークマターと同様にこの宇宙の質
量が理論量より少ないという議論にはじまる。 

時間があればゆっくり考えてみたが、頭の中はパニック状態の忙しさで、気分転換にジュブリタン
のパン工房のサーモンマリネ・ハムとレタス・トマトのピタ(あるいはポケット呼んでいる)(下
図クリック)と「いぶき牛乳」を食べたくなって、せめてネットで仮想スナックをとる。ピタパン
さえあれば、サンドウイッチと同様にツナマヨ、サラダ、具材は自由だが、ピクルス、マスタード
ソースは欠かせないとかなと考えてみる。ただし、サンドウイッチは具材がはみ出すのでこちらは
紙箱などに立てておけば、そこから取り出すだけで簡単にいただける。これは流行させる価値はあ
ると思うのだが。なんか
へんてこな話になってしまった。

 


● 折々の読書 『職業としての小説家』16
 


   
僕は(僕自身の経験から)思うんですが、「書くべきことが何もない」というところから出
 発
する場合、エンジンがかかるまではけっこう人変ですが、いったんヴィークルが起動力を得
 て前
に進み始めると、そのあとはかえって楽になります。なぜなら乙名くべきことを持ち合わ
 せてい
ない」というのは、言い換えれば、「何だって自由に書ける」ということを意味するか
 らです。
たとえあなたの手にしているのが「軽量級」のマテリアルで、その眼が限られている
 としても
その組み合わせ方のマジ″クさえ会得すれば、僕らはそれこそいくらでも物語を立ち
 上げていく
ことができます。もしあなたがその作業に熟達すれば、そして健全な野心を失わな
 ければという
ことですが、そこから驚くばかりに「重く深いもの」を構築していくことかでき
 るようになりま
す。

  それに比べると、般初から重いマテリアルを手にして出発した作家たちは、もちろんみんな
 が
みんなそうではありませんか、ある時点で「重さ負け」をしてしまう傾向がなきにしもあら
 ずで
す。たとえば戦争体験を書くことから出発した作家たちは、それについていくつかの角度
 からい
くつかの作品を書いて発表してしまうと、そのあと多かれ少なかれ「次に何を書けばい
 いのか?」
という一旦停止状況に追い込まれることが多いようです、もちろんそこで思い切っ
 て方向転換を
し、新しいテーマをつかんで、作家として更に成長していく人もいます。また残
 念なからうまく、
方向転換ができずに、力を徐々に失っていく作家もいます。


  アーネスト・ヘミングウェイは疑いの余地なく、二十世紀において最も大きな影響力を持っ
 た作家の一人ですが、その作品は「初期の方か良い」というのは、いちおう世間の定説になっ
 ています。僕も彼の作品の中では、最初の.二冊の長編『日はまた昇る』『武器よさらば』や、
 ニック・アダムズの出てくる初期の短編小説なんかがいちばん好きです。そこには息を呑むよ
 うな素晴らしい勢いかあります。でも後期の作品になると、うまいことはうまいんだけど、小
 説としてのポテンシャルはいくぶん落ちているし、文章にも以前ほどの鮮やかさが感じられな
 いようです。それはやはり、ヘミングウェイという人が素材の中から力をえて、物語を附いて
 いくタイプの作家であったからではなかったかと僕は推測します。おそらくはそのために、進
 んで戦争に参加したり(第.次大戦、スペイン内戦、第二次大戦)、アフリカで狩りをしたり、
 釣りをしてまわったり、闘牛にのめり込んだりといった生活を続けることになりました。常に
 外的な刺激を必要としたのでしょう。そういう生き方はひとつの伝説にはなりますか、年齢を
 重ねるにつれ、体験の与えてくれるダイナミズムは、やはり少しずつ低ドしていきます。だか
 ら、かどうかはもちろん本人にしかわかりませんが、ヘミングウェイはノーベル文学賞を得た
 ものの(一九五四年)、酒に溺れ、一九六一年に名声の絶頂で自らの命を絶ってしまいます。

  それに比べれば、素材の重さに頼ることなく、自分の内側から物語を紡ぎ出していける作家
 は、遂に楽であるかもしれません。自分のまわりで自然に起こる出来事や、目々目にする光景
 や、普段の生活の中で出会う人々をマテリアルとして自分の中に取り込み、想像力を駆使して
 そのような素材をもとに自分自身の物語をこしらえていけばいいわけです。そう、それはいわ
 ば「自然肖生エネルギー」みたいなものです。わざわざ戦争に出かける必.要もないし、闘牛
 を経験する必要も、チーターとかヒョウを撃つ必要もありません。

  誤解されると困るんですが、僕は、戦争や闘牛やハンティングみたいな経験に意味がないと
 言っているのではありません。もちろん意味はあります。何ごとによらず、経験をするという
 のは作家にとってすごく大事なことです。しかしそういうダイナミックな経験を持たない人で
 も小説は書けるんだということを僕は個人的に言いたいだけです。どんな小さな経験からだっ
 て人はやりようによってはびっくりするほどの力を引き出すことができます。
 「木か沈み、石か浮く」という表現があります。`日常では起こりえないことが起こるという
 ことですか、小説の世界では――あるいは芸術の世界ではと言い換えてもいいかもしれません
 が――そういう逆転現象が現実にしばしば起こります。一般的に軽いと世間で見なされていた
 ものが、時間の経過とともに無視できない重さを獲得し、一般的に重いと思われていたものが、
  いつの間にかその重みを失って形骸化していきます。継続的創造性という目に見えない力が、
  時間の助けを得て、そのようなドラスティックな逆転をもたらすのです。

  ですから「自分は小説を潜くために必要なマテリアルを持ち合わせていない」と思っている
 人も、あぎらめる必要はありません。ちょっと視点を変更すれば、発想を切り換えれば、マテ
 リアルはあなたのまわりにそれこそいくらでも転がっていることがわかるはずです。それは、
 あなたの目にとまり、手に取られ、利用されるのを待っています。人の営みというのは、一見
 してどんなにつまらないものに見えようと、そういう興味深いものをあとからあとから自然に
 生み出していくものなのです。そこでいちばん人事なことは、繰り返すようですか、「健全な
 野心を失わない」ということです。それがキーポイソトです。

  
                                         「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                                   村上春樹 『職業としての小説家』 
     
                                              この項つづく


【最新有機太陽電池工学】

● 遅れて界面に来る励起子をなくせ!

時間分解された誘導吸収スペクトルを定量的に成分分解することにより、運動エネルギーの高い励
起子のみが電荷生成に寄与することを発見。有機太陽電池の光電効果の解明により、高効率化に向
けた設計指針が得られる。無機太陽電池に対し、有機太陽電池は励起子が極めて安定で、光から電
流への変換(光電効果)を起こすには、まず、トナー/アクセプター界面において励起子が電子と
正孔に分離するが、励起子がどのように分離するのか、その必要条件は何か、に関して――そうな
のだが、わたしが調査(>開発)を行っていた段階では、そこが詳細に――解明されていなかった。
このほど、筑波大学の守友浩教授らの研究グループは、励起子の数と電荷の数が時間とともにどの
ように変化するかを精密に調べ、遅れて界面に到達する励起子は電荷に分離できないことを突き止
め、運動エネルギーの低い励起子は電荷生成にしない根拠を実験ではじめてとらえること成功する。

さて、励起し分離プロセスは大きく2つの考え方がある。

1)励起子の運動エネルギーで分離:励起子がドナー/アクセプター界面に到達すると、電子はアク
 セプターに、正孔はドナーに移動するが、電子と正孔の間にはクーロンカが働くが、励起子の運動
 エネルギーで束縛を断ち切る。
2)電荷移動状態を介し分離:電子はアクセプターに、正孔はドナーに移動するが、電子と正孔はク
 ーロンカで束縛され電荷移動状態を形成する。時間の経過とともに、この電荷移動状態が緩やかに
 解離する。 

ところで、興味深いのは、電荷の生成時間が温度依存性を示さないこと。低温における電荷の生成時
間も、室温と同じ、0.4ピコ秒。一般に、低温では励起子のドメイン内の移動速度が遅く、励起子が
界面に到達する時間が長くなるが、温度依存性がないため、励起子が移動していないことを意味す
る。これは界面付近で励起された励起子のみ電荷生成に寄与する。今後、ドナー分子とアクセブター
分子を分子レベルで混合する等により、運動エネルギーの低い励起子でも電荷生成できる界面の構
高効率有機太陽電池の開発を行う。



【滋賀の再エネ:太陽光だけで電力需要の8%に】

賀県は太陽光発電を中心に分散型のエネルギー供給体制を強化して災害に強い地域づくりを推進し
ていく。30年には電力需要の8%を太陽光発電で供給できるようにし、農地には営農型のソーラ
ーシェアリングを広めながら、農業用水路を利用した小水力発電も普及させる計画だという(スマ
ート・ジャパン、2015.10.06.)。政府が30年のエネルギーミックス(電源構成)を決めるよりも
2年早く、滋賀県は県内の電力需要に占める再生可能エネルギーの比率を10%に引き上げる目標
を設定。家庭用の「エネファーム」など天然ガスと燃料電池を組み合わせたコージェネレーション
も拡大して、電力会社に依存しない分散型の電源を25%まで増やす計画(上図)。

再生可能エネルギーの中では太陽光発電が多くを占める。30年には太陽光だけでも県内の電力需
要の8%にあたる10億キロワット時を供給できるようにする。滋賀県では平野が広く、面積の6
分の1を琵琶湖が占めているために、風力や水力を導入できるポテンシャルが他県と比べて小さい。
代わりに太陽光発電の導入プロジェクトが各地域で急速に進んでいる――おかしな、工事費をけっ
ちったプチメガソーラーも見受けられるが!――すでに33か所でメガソーラーが運転を開始、加
えて、固定価格買取制度の認定を受けて開発中のメガソーラーが80か所もある。特に県が所有す
る遊休地を活用したメガソーラーの規模が大きいのが特徴。

運転を開始した中では、滋賀県で唯一の食肉流通拠点である「滋賀食肉センター」のメガソーラー
が代表例。食肉センターの構内にある2万5千平方メートルの土地に8千6百枚の太陽光パネルを
設置(下図)。発電能力は1.75メガワットで、13年12月から稼働。年間の発電量は184万
キロワット時になり、一般家庭の使用量(年間3千6百キロワット時)に換算して5百世帯分に相
当する。パネルは京セラ。

 

これは、滋賀食肉公社が遊休地の活用と再生可能エネルギーの拡大を目的に事業者を公募し、大阪
ガスグループと京セラグループが共同で建設・運営する。食肉公社は土地の使用料のほか、発電設
備の保守管理業務を請け負い収入を得るスキーム。初期投資が不要で長期間にわたって安定した収
入を得られるメリットがある。同様のスキームを使って、さらに大きなメガソーラーの建設プロジ
ェクトも進んでいる。琵琶湖の南端に近い場所に「矢橋帰帆島」。その島にある県の所有地に滋賀
県で最大のメガソーラーを建設する計画。平坦な土地で遊ぶパークゴルフ場があった場所で、広さ
は10万平方メートルに及ぶ。3万4千枚の太陽光パネルを設置して、発電能力は8.3メガワットに
なる。15年内に運転を開始する予定で、年間の発電量は850万キロワット時で、2千3百世帯
分に相当する。この他に、長浜市の「農地ソーラーシェアリング推進実証実験」で、地域の農産物
直売組合が70平方メートルの農地に4キロワットの太陽光パネルを設置して、パネルの下で栽培
する野菜の生育状況を検証。野菜の販売収入と売電収入によって安定した所得を目指す新しい農業
のスタイルを創造する。

● 落差1メートルの小形水力発電

同じ長浜市内で農業用水路を利用した小水力発電設備が相次いで運転を開始している。市内を流れ
る「中央幹線用水路」には、落差工と呼ぶ階段状の構造が随所に設けられている。わずか1メート
ル程度の落差しかない場所が多いが、小さな落差でも発電設備を導入でき、すでに6カ所の落差工
で発電が始まっている。発電能力は1カ所あたり10~15キロワットで、年間の発電量は6カ所
を合計40万キロワット時になる。百世帯分の電力で、これまでの農業用水路が発電用途が加わり、
災害時には独立の電源として利用できる(下図)。

このように、小水力発電を普及させるプロジェクトの1つに、農村の「近いエネルギー」を推進事
業は、発電能力が1キロワットに満たない簡易型の小水力発電設備を設置して、農民の身近な場所
でエネルギーの地産地消を実施する試み。長浜市をはじめ県内の6カ所で運転・管理状況の検証が
進んでいる。また、ダムから下流の自然環境保護に放流している「河川維持流量」を利用し発電す
る事業は、農業用水路と違い52メートルの落差があるダムから水流を利用し、830キロワット
年間の発電量は470万キロワット、一般家庭で1千3百世帯分に相当する。


● 廃棄物使用のバイオマス発電事業

山室木材工業グループが、県内で初の木質バイオマス発電所を15年1月に稼働させた。同社は収
集した木質廃棄物からチップを製造して燃料に再生させる。木質チップを活用した発電事業を開始
するために、12年に「いぶきグリーンエナジー」を設立して発電所の建設に乗りだす。米原市内
で運転を開始した木質バイオマス発電所は3.55メガワットの電力を供給できる(下図)。1日
24時間の連続運転で、1年間に330日稼働予定で、年間の発電量が2千8百万キロワット時に
なり、7千8百世帯分の電力供給でき、米原市の総世帯数(1万4千世帯)の半分以上をカバーで
きる規模。1日に使用する木質チップは140万トンにのぼるが、森林資源が豊富な他県のように
間伐材などを大量に調達できる環境になく、廃棄物利用して木質バイオマス発電を拡大することが
できる。また、太陽光や小水力と比べてバイオマス発電の電力供給量は大きく、今後の知財蓄積が
焦点になる。

 

さて、地球温暖化の進行スピードと縮原発を考えると、政府計画では問題であり、またその計画を
ゼロから見直すことなく、ダウンストリームさせた滋賀県のエネルギー計画が正答であるか甚だ疑
わしい。が、少しでも積極的に展開させようとする環境立県の意気込みは感じられそうだ。 

.

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新デジタル印刷工学

2015年10月06日 | デジタル革命渦論

 

 

 

   天才は間違いを犯さない。 天才にとって過ちは発見への入り口なのだ。 

                         ジェイムズ・ジョイス





● ノーベル医学生理学賞 聖にして天才  

エバーメクチン(avermectin)の創薬者の木村智北里大学名誉教授がノーベル賞医学生理学受賞がト
ップニュースになる。そのエバーメクチンとは、放線菌の1種 Streptomyces avermitilis
が産生する
マクロライド抗生物質の一つで、フィラリアなどの線虫の発育を阻止するまれな抗寄生虫性抗生物
質である。A1(a,b),A2(a,b),B1(a,b),B2(a,b)の8
種の誘導体があり、フィラリアによっておこる風土病
として知られているオンコセルカ症には、とくにジヒドロ誘導体が有効で実用化されているが、化
学構造式であらわすと下図のようになる。

Wikipedia

 


もう少し付け加えると、木村教授の提案で、73年に北里研究所抗生物質研究グループと米国メル
ク社の研究所
MSDR(Merck Sharp &Dohme Research Laboratories)とで、微生物代謝産物を対象にした
探索研究の共同研究プロジェクトが開始。この過程で79年に
W.Campbell――今回木村教授と同様
にノーベル賞を受賞――
により開発されたN.dubiusを感染させたマウを用いたスクリーニング系を用
いて、教授らが
分離した放線菌 Streptomyces avvermectinius が生産する抗寄生虫薬エバーメクチン
発見する。

 

また、上図でしめされた、イベルメクチン(ivermectin)は、マクロライド類に属する腸管糞線虫症
の駆虫薬の1つ。また疥癬、毛包虫症の治療薬でもある。商品名はストロメクトールなど。放線菌
が生成するアベルメクチンの化学誘導体。大村智により発見された。線虫のシナプス前神経終末で、
γ-アミノ酪酸(GABA)の遊離促進させ、節後神経シナプスの刺激を遮断する薬効がある。
吸虫や
条虫では末梢神経伝達物質としてGABAを利用せず無効で、イヌでは犬糸状虫症の
予防に使用され
る。犬糸状虫のミクロフィラリアが血中に存在しているイヌにイベルメクチンを投与すると、ミク
ロフィラリアが一度に死滅し発熱やショックを引き起こす場合がある。したがって、イベルメクチ
ンを予防薬として使用する際は犬糸状虫の感染の有無を検査する必要がある。同効薬として、ミル
ベマイシン、ミルベマイシンオキシム、マデュラマイシンが在る。

昨夜から、テレビ、ネットで記事が満載になっているが、同教授は受賞の記者会見で、「やったこ
とはだいたい失敗してきた。でも、びっくりするくらいうまくいくときがある。それを味わうと何
回失敗しても怖くない」と話していたが、アイルランドの詩人で小説家のジェイムズ・ジョイス「
天才は間違いを犯さない。 天才にとって過ちは発見への入り口なのだ」という名言を思い浮かべた
が、意地悪で陰険な天才もいるが、彼は聖にして天才である。

 Wikipedia


● 過剰な戦略思考 TPPの功罪

ノーベル賞受賞でかすんでしまったがTPPが大筋合意している。欧州連合(EU)を超える世界最
大の単一自由貿易圏を標榜する環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉が合意に達した。米アト
ランタで5日(現地時間)に開かれたTPP参加12カ国による閣僚会合は6日間に及ぶ交渉を終え、合
意を公式に宣言した。09年に米国の参加で本格化したTPP交渉は7年間の難産の末、交渉が一
段落した。TPPは世界1、3位の経済大国である米国と日本が主導し、12カ国が参加する過去
最大規模の多国間自由貿易協定(FTA)。また、中国の政治的、経済的影響力の高まりに対抗する米
日の合作という側面もある。オバマ米大統領は同日、「TPPは21世紀にに必須の域内同盟、パ
ートナー国家との戦略的関係を強化させることになる。中国のような国に世界経済の秩序を主導さ
せることはできない」と述べている。

   日本貿易会/JFTC


TPPに対する考えはこのブログでも掲載してきた。いかにも、「大きく構えてパクる」という戦略
思考がすきな米国だが、アイデアはニュージランドからパクリ、戦前のABCD包囲網よろしく、中
国のような国に世界経済の秩序主導を封じるという好戦的な戦略。「TPP合コン論」をぶったのは
高橋洋一教授だが、合コンは個人実費負担が前提だが、これは各国の勤労国民の金、これは思慮が足
りない。 とは言え合意形成したなら、関係者が責任をもって行動するよう監督していく必要がある。


 


 
【最新デジタル印刷工学:インクジェットプリントヘッド】

京セラ株式会社は、1本のヘッドでCMYK4色の同時印刷が可能で、解像度150ドット/インチ(
4色で600ドット/インチ)、印刷速度76.2メートル/分を実現したと発表(2015.
10.1)。
商業印刷では、昨今、印刷物の「小ロット化」「短納期化」「在庫削減」「可変印刷」など多様

ニーズに対応できるデジタル印刷への需要が高まり、ファッション業界では、ファストファッショ
ンの
流行が広がり、短納期で少量の商品を印刷する技術・機器が急速に求められている。

今なお、商業印刷において主流であるアナログ印刷方式は、デザイン原稿ごとに複数枚の版が必要
とし、セッティングに手間と時間を要することや、在庫管理や保管スペースなども必要となり、大
きなコ
ストが発生します。一方、インクジェット方式をはじめとするデジタル印刷は、デザインデ
ータを即座に
必要量だけ印刷でき、版の管理が不要で、生産性向上とコスト削減だけでなく、版洗
浄用の廃液も発
生しないため、環境負荷の低減にも寄与できる。

このインクジェットプリントヘッドの特徴は、(1)1本のヘッドで4色同時印刷ができ、印刷機
の小型化・軽量化できる。勿論、1本のヘッドで品質の高い4色同時印刷が可能で、
搭載ヘッド数
が削減でき、各種配線やインク配管などの部品点数も削減がきる。
(2)ヘッドの有効印刷幅を世
界最大レベルの112ミリメートと幅広の印刷が必要な場合
でもヘッドの使用本数が少なく設計で
きる。機器設計の容易さと、印刷機の組み立て工程や
部品の交換時に、ミクロン単位でのヘッドの
位置合わせやインク吐出、配線、インク配管な
どさまざまな調整の負荷低減できる。(3)インク
流路構造の設計技術や圧電アクチュエー
ターの駆動制御技術を用い、解像度150ドット/インチ
で、4色同時印刷のヘッドとして、
76.2メートル/分の高速印刷を実現。

ところで、インクジェットプリンタは、電子写真方式の記録装置に比べ小型で安価、定着プロセス
がなく(プロセスレス)、省エネでき広く用いられている。インクジェットプリンタは、ノズル
ッド
に設けられた複数のノズルからインク滴を吐出し、紙等の記録媒体上に画
像形成する。この装
置のインクには、溶剤として主に有機溶剤を使用する油性インクと、溶
剤として主に水を使用する
水性インクがあが、昨今の環境配慮の時代にあって有機溶剤を含
まない水性インクの開発が盛んに
進められている。ここで、水性インクは噴射後の洗浄が水
溶液で、環境配慮でしかも、噴射ヘッド、
キャップユニット、キャップケースやインク排出
や洗浄が容易になり、処理スピードを多少犠牲に
しても可能な場合、トレードオフし、複数
の噴射ヘットをシングルヘッドで代替できる。

 特許5787932 インクジェット記録装置

しかし、水性インクを使用する場合、紙の印刷面に水が浸透して繊維が膨潤するため、印刷面の膨
張が非印刷面の膨張より大きくなり、印刷面の伸びと非印刷面の伸びとに差が生じやすく、印刷面
と非印刷面との間に応力差が生じやすい。この応力差に起因し、印刷面が凸状に反るカール(=コ
ックリング)現象を発生するが、カール抑制対策に、(1)カール方向とは逆向
きに曲がるクセを
付ける方法(=デカール法)があるが、水性インクを用いた場合カール
を十分に矯正することがで
きないので、下記のように改良している。 

インクジェットプリンタ1は、印刷媒体の搬送機構320とヘッド部310と液体付与部400と
を備え、搬送機構320は、第1面及び第2面をもつ印刷録媒体を搬送。ヘッド部310は記録媒
体の第1面にインクを吐出し、液体付与部400は、記録媒体の第2面に液体を付与し、搬送機構
320はヘッド部310と対向する第1搬送部320Aと、第2搬送部320Bとを有し、液体付
与部400は、第1搬送部320Aと第2搬送部320Bとの間に配置構成することで、水性イン
を用いて印刷する際体に発生するカール抑制できるインクジェットプリンタを提案する(下図)

 


● 折々の読書 『職業としての小説家』15
 

  いずれにせよ、小説を書くときに重宝するのは、そういう具体的細部の豊富なコレクションで
 す。僕の経験から言って、スマートでコソパクトな判断や、ロジカルな結論づけみたいなものは、
 小説を書く人間にとってそんなに役には立ちません。むしろ足を引っ張り、物語の自然な流れを
 阻害することが少なくありません。ところが脳内キャビネ″トに保管しておいた様々な未整理の
 ディテールを、必要に応じて小説の中にそのまま組み入れていくと、そこにある物語が自分でも
 驚くくらいナチごフルに、生き生きしてきます。

  たとえばどんなことか?

 
 
 そうだな、今急にうまい例が思い浮かばないんですが、たとえば、そうだな……あなたの知っ
 ている人に、真剣に腹を立てるとなぜかくしゃみが出てくる人がいるとします。いったんそうや
 ってくしゃみが出始めると、なかなか止まらない。僕の知り合いにはそんな人はいませんが、仮
 にあなたの知り合いにいたとします。そういう人を目にしたとき、「なぜだろう? なぜ真剣に
 腹を立てるとくしゃみが出るんだろう」と生理学的に、あるいは心理学的に分析推測し、仮説を
 立てるのももちろんひとつのアプローチではあるのでしょうが、僕はあまりそういう風にはもの
 ごとを考えません。僕の頭の働きはだいたいにおいて「へえ、ふうん、そういう人がいるんだ」
 というあたりで終わってしまいます。「どうしてかはわからないけれど、そういうことも世の中
 にはあるんだ」と。そしてそのまま「ひとかたまり」にぽんと記憶してしまう。そういういわば
 脈絡のない記憶が、僕の頭の抽斗の中にずいぶんたくさん蒐集されています。



  ジェームズ・ジョィスは「イマジネーションとは記憶のことだ」と実に簡潔に言い切っていま
 す。そしてそのとおりだろうと僕も思います。ジェームズ・ジョィスは実に正しい。イマジネー
 ションというのはまさに、脈絡を欠いた断片的な記憶のコンビネーションのことなのです。ある
 いは語義的に矛盾した表現に聞こえるかもしれませんが、「有効に組み合わされた脈絡のない記
 憶」は、それ自体の直観を持ち、予見性を持つようになります。そしてそれこそが正しい物語の
 動力となるべきものです。

  とにかく我々の――というか少なくとも僕の――頭の中にはそういう大きなキャビネットが備
 え付けられています。そのひとつひとつの抽斗の中には様々な記憶が情報として詰まっています。
 大きな抽斗もあれば、小さな抽斗もあります。中には隠しポケットのついた抽斗もあります。僕
 は小説を書きながら、必要に応じてこれと思う抽斗を開け、中にあるマテリアルを取り出し、モ
 れを物語の一部として使用します。キャビネ″トにはとにかく厖大な数の抽斗がついているので
 すが、小説を書くことに意識が集中してくると、どのあたりのどの抽斗に何か入っているかとい
 うイメージが頭にさっと自動的に浮かんできて、瞬時に無意識的にそのありかを探し当てられる
 ようになります。普段は忘れていたような記憶が自然にするすると蘇ってきます。頭がそういう
 融通無碍な状態になってくると、モれはずいぶん気持ちが良いものです。言い換えれば、イマジ
 ネーションが僕の意思から離れ、立体的に自在な動きを見せ始めるわけです。言うまでもないこ
 とですが、小説家である僕にとって、その脳内キャビネットに収められた情報は、何ものにも代
 えがたい豊かな資産となります。



  スティーブン・ソダーバーグが監督した『KAFKA/迷宮の悪夢』(一九九一)という映画
 の中で、ジェレミー・アイアンズ演ずるフラソツ・カフカが、厖大な数の抽斗のついたキャビネ
 ットが並ぶ不気味な城(もちろんあの「城」がモデルです)に潜入するシーンがありましたが、
 それを見て「ああ、これは僕の脳内の構造と、光景的にちょっと通じているかもな」とふと思っ
 たことを覚えています。なかなか興味深い映画だったので、もし何かで見る機会があったら、そ
 のシーンを目に留めてください。僕の頭の中はそれほど不気味ではありませんが、基本的な成り
 立ちは似ているかもしれません。

  僕は作家として、小説ばかりでなくエッセイみたいなものも書きますが、小説を書いている時
 期には小説以外のものは、よほどのことがなければ書かないと決めています。というのはエッセ
 イみたいなものを書いていると、必要に応じてついどこかの抽斗を開けて、その中にある記憶情
 報をネタとして使ってしまったりするからです。すると小説を書くときにそれを使いたいと思っ
 ても、既によそで使われてしまっているという事態が生じます。たとえば、「ああ、そういえば、
  真剣に腹を立てるとくしゃみが止まらなくなる人のことは、週刊誌の連載エッセイでこのあいだ
 書いちゃったな」みたいなことが起こります。もちろんエ″セイと小説とで同じネタを二度使っ
 たって、べつにかまわないわけなんですか、そういうバごアィングみたいなことがあると、小説
 が不思議に痩せてくるみたいです。だから小説を書く時期には、とにかくあらゆるキャビネット 
 を小説専用のものとして確保しておいた方『がいい。いつ何か必要になるかもわからないんだか
 ら、できるだけけちけち出し惜しみする。これが長年にわたって小説を書いてきた経験から、僕
 が身につけた知恵のひとつです。

  小説を書く時期か一段落すると、一度も開くことのなかった抽斗、使いみちのなかったマテリ
 アルがけっこうたくさん出てきますから、そういうもの(言うれば余剰物資ですね)を使って
 まとめてエッセイを書いたりします。でも僕にとってはエ″セイというのは、あえて言うならビ
 ール会社が出している缶入りウーロン茶みたいなもので、いねば副業です。本当においしそうな
 ネタは次の小説=正業のためにとっておくようにします。そういうネタか貯まってくれば、「あ
 あ、小説を書きたいな」という気持ちも自然に湧いてくるみたいです。だからできるだけ大事に
 しておかなくてはならない。



  また映画の話になりますか、スティーブン・スピルバーグの作った『E.T.』の中でE.T.
 が物置のがらくたをひっかき集めて、それで即席の通信装置を作ってしまうシーンがあります。
 覚えていますか? 雨傘だとか電気スタンドだとか食器だとかレコード・プレーヤーだとか、ず
 っと昔見たきりなので詳しいことは忘れたけど、ありあわせの家庭用品を適当に組み合わせて、
 ささっとこしらえてしまう。即席とはいっても、何千光年も離れたり星と連絡をとれる本格的な
 通信機です、映画館であのシーンを見ていて僕は感心してしまったんですか、優れた小説という
 のはきっとああいう風にしてできるんでしょうね。材料そのものの質はそれほど大事ではない。

 何よりそこになくてはならないのは「マジック]なのです。日常的な素朴なマテリアルしかなく
 ても、簡甲で平易な言葉しか使わなくても、もしそこにマジ″クがあれば、僕らはそういうもの
 から驚くばかりに洗練された装置を作りLげることができるのです。
 しかしいずれにせよ僕らには、それぞれの自前の「物置」か必.要です。いくらマジックを使う
 といっても、何もないところから実体を作り出すことはできません。E.T.がひょっこりやっ
 てきて、「悪いんだけど、れの物置の中のものをいくつか使わせてくれないかな」と言ったとき
 に「いいとも。なんでも好きに使ってくれ」とさっと扉を開けて見せられるような、「がらくた」
 の在庫を常備しておく必要があります。

  最初に小説を書こうとしたとき、いったいどんなことを書けばいいのか、まったく考えが浮か
 びませんでした。僕は親の世代のように戦争を体験していないし、ひとつ上の世代の人たちのよ
 うに戦後の混乱や飢えも経験していないし、とくに革命も体験していないし(革命もどきの体験
 ならありますか、それはとくに語りたいようなしろものではありませんでした)、熾烈な虐待や
 差別にあった覚えもありません。比較的穏やかな郊外住宅地の、普通の勤め人の家庭で育ち、と
 くに不満も不足もなく、とくに幸福というのでもないにしても、とくに不幸というのでもなく(
 ということはおそらく相対的に幸福であったのでしょうが)、これといって特徴のない平凡な少
 年時代を送りました。学校の成績もそれほどぱっとはしなかったけど、とりたてて悪くもなかっ
 た。

  まわりを見回してみても、「これだけはどうしても書いておかなくてはならない!」というも
 のが見当たりません。何かを書きたいという表現意欲はなくはないのですが、これを書きたいと
 いう実のある材料がないのです。そんなわけで、僕は二十九歳を迎えるまで、自分が小説を書く
 ことになるなんて考えもしませんでした。書くべきマテリアルもなければ、マテリアルのないと
 ころから何かを立ち上げるほどの才能もありません。僕にとって小説というのは、ただ読むだけ
 のものだと思っていました。だから小説はずいぶんたくさん読みましたか、自分が小説を書くこ
 とになるなんて、とても想像できなかった。

  僕は思うんですが、こういう状況って、今の若い世代の人たちにとってもだいたい同じような
 ものなんじゃないでしょうか。というか、僕らが若かったときよりも更に「驚くべきこと」が少
 なくなっているかもしれません。じゃあ、そういうときどうすればいいのか?
  これはもう「E.T.方式」でいくしかないと、僕は思うんです。裏の物置を開けて、そこに
 とりあえずあるものをもうひとつぱっとしないがらくた同然のものしか見当たらないにせよ
 とにかくひっかき集めて、あとはがんばって、からとマジックを働かせるしかありません。

 それ以外に僕らが他の惑星と連絡を取り合うための手だてはないのです。とにかくありあわせの
 もので、かんばれるだけがんばってみるしかない。でももしあなたにそれができたなら、あなた
 は大きな可能性を手にしたことになります。それは、あなたにはマジックが使えるのだという素
 晴らしい乍実です(そう、あなたに小説が潟けるというのは、あなたが他の惑星に住む人々と連
 絡を取り合えるということなのです。実に?)。

  僕が最初の小説『風の歌を聴け』を書こうとしたとき、「これはもう、何も書くことがないと
 いうことを書くしかないんじやないか」と痛感しました。というか、「何も書くことかない」と
 いうことを遂に武器にして、そういうところから小説を潜き進めていくしかないだろうと。そう
 しないことには、先行する匪代の作家たちに対抗する手段はありません。とにかくありあわせの
 もので、物語を作っていこうじやないかということです,
  そのためには、新しい言葉と文体が必要になります。これまでの作家が使ってこなかったよう
 なヴィークル=言葉と文体をこしらえなくてはなりません。戦争とか革命とか飢えとか、そうい
 う咀い問題を扱わない(扱えない)となると、必然的により軽いマテリアルを扱うことになりま
 すし、そのためには軽ほではあっても俊敏で機動力のあるヴィークルがどうしても必要になりま
 す。

  僕は何度か試行錯誤した末に(この試行錯誤については第二回に書き
ました)、ようやく何と
 か使用に耐えうる日本語の文体をこしらえることに成功しました。まだ不完全な問に合わせだし、
 あちこちでぽろは出ているけど、これはまあ生まれて初めて書いた小説だから、仕方ありません。
 欠点はあとで――もしあとがあればということですか――少しずつなおしていけばいい。

  ここで僕が心がけたのは、まず「説明しない」ということでした。それよりはいろんな断片的
 なエピソードやイメージや光景や言葉を、小説という容れ物の中にどんどん放り込んで、それを
 立体的に組み合わせていく。そしてその組み合わせは世間のロジック文芸的イディオムとは関わ
 りのない場所でおこなわれなくてはならない。それか基木的なスキームでした。



  そういう作業を進めるにあたっては音楽が何より役に立ちました。ちょうど″音楽を演奏する
 ような要領で、僕は文章を作っていきました。主にジャズが役に立ちました,ご存じのように、
 ジャズにとっていちばん大事なのはリズムです。的確でソリッドなリズムを終始キープしなくて
 はなりません。そうしないことにはリスナーはついてきてくれません。その次にコード(和音)
 があります。ハーモニーと言い換えてもいいかもしれません。綺麗な和音、濁った和音、派生的
 な和音、基礎音を省いた和音。バド・パウエルの和音、セロニアス・モンクの和音、ビル・エヴ
 ァンズの和音、ハービー・パンコックの和音。いろんな和音があります。みんな同じ88鍵のピ
 アノを使って演奏しているのに、人によってこんなにも和和音の響きが違ってくるのかとびっく
 りするくらいです。そしてその事実は、僕らにひとつの重要な示唆を教えてくれます。限られた
 マテリアルで物語を作らなくてはならなかったとしても、それでもまだそこには無限のあるいは
 無限に近い――可能性が存在しているということです。「鍵盤が88しかないんだから、ピアノ
 ではもう新しいことなんてできないよ」ということにはなりません。
 
  それから最後にフリー・インプロピゼーションかやってきます。自由な即興演奏です。すなわ
 ちジャズという音楽の根幹をなすものです。しっかりとしたリズムとコード(あるいは和声的構
 造)の上に、自由に音を紡いでいく。
  僕は楽器を演奏でぎません。少なくとも人に聞かせられるほどにはできません。でも音楽を演
 奏したいという気持ちだけは強くあります。だったら音楽を演奏するように文章を肖けばいいん
 だというのが、僕の最初の考えでした。そしてその気持ちは今でもまだそのまま続いています。
 こうしてキーボードを叩きながら、僕はいつもそこに正しいリズムを求め、相応しい響きと音色
 を探っています。それは僕の文章にとって、変わることのない人事な要素になっています。


まったりとした空間で漂っていた、あるいは平凡な緊張感のない日常で惰眠を貪ることへの青年特有
の過剰な焦燥感もなく平和ぼけしていたという感想に、半身共感もするが、そんなに"かったるい"も
のでもなかったぞ。と、肩すかしをくらった思いが後を引くが、次回は第五回から第六回の「時間を
味方につける――長編小説を書くこと」にうつる。

    

  
                                           「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                                    村上春樹 『職業としての小説家』 

     
                                               この項つづく

  ● 今夜の一枚の写真

オランダのヘルダーラント州では、「WEpods」と呼ばれるドライバーレスカーが運行開始した。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武力行使という過剰

2015年10月05日 | 時事書評

 

 

 

    戦争は、外交の失敗以外の何物でもない。 /  ピーター・ドラッカー

         " Never think that war, no matter how necessary, nor how justified, is not a crime."



 

● 牛乳でアルツハイマー症状の緩和ができるって本当 ?!

森永乳業は、乳たんぱく質から抽出し、血圧を下げたり記憶力を高める効果が期待できる機
能性食材「ブレインペプチド」を7日からサプリメント企業や飲料、洋菓子メーカーなどに
販売する。健康志向や機能性表示食品市場の成長に応じ、業務向け食品素材の拡販を図る。
業務用機能性食品を、洋菓子店などに生クリームやバターを供給していた業務用食品事業部
を統合し食品素材事業部を新設し、ビフィズス菌やラクトフェリンなどの機能性食材を、売
上金額の大きい洋菓子店関係に販売する。

つまり、森永乳業は粉ミルクやヨーグルトで培った多くの知財を利用し、介護食品事業のク
リニコ(東京都目黒区)の知財も業務向け食材の拡販に活用する。また、投入するブレイン
ペプチドは、血圧降下作用やアルツハイマー症状緩和作用を確認し、特許成分「トリペプチ
ドMKP」を配合したアミノ酸化合物で、ペプチド特有の雑味や苦味を抑え、耐熱性や耐酸
性にも優れ、さまざまな食品への加工が可能である。

 

ACE阻害剤

牛乳加工食品技術の専門店が薬剤品開発領域に踏み出すことは自然な流れ。ところで、 アン
ジオ
テンシン変換酵素(ACE)は、レニンによる切断によりアンジオテンシノーゲンから
生じるアンジオテ
ンシンIに働き、C末端の2個のアミノ酸を遊離させて、アンジオテンシ
ンⅡに変換する酵素。ア
ンジオテンシン変換酵素は強い昇圧作用を有するアンジオテンシン
Ⅱを生成させるとともに、降圧作
用を有するブラジキニンを不活性化する作用をもつ(上図)。

一方、アンジオテンシン変換酵素阻害作用をもつペプチドが、天然物中に、カゼイン、ゼラ
チン等の動物性蛋白質、コムギ、コメ、トウモロコシ等の植物性蛋白質、または、イワシ等
の魚類蛋白質等の酵素分解物から発見されている。例えば、天然物中に見出されるペプチド
の、テプロタイド(ノナペプチド,SQ20881)等や、ストレプトミセス属の放線菌の
代謝産物IS83(特開昭58-177920号公報)がある。さらに、酵素分解物には、
カゼインをトリプシンで分解し得たペプチド類(特開昭58-109425号、同59-4
4323号、同59-44324号、同61-36226号、同61-36227号)、カ
ゼインをサーモライシンで分解し得たペプチド類(特開平6-277090号、同6-27
7091号、同6-279491号、同7-101982号、同7-101985号)、カ
ゼイン等を乳酸菌あるいは、プロテイナーゼとペプチダーゼの組み合わせで分解し得たペプ
チド類(特開平6-197786号、同6-40944号、特開2001-136995号)
等があり、これらは、血圧降下作用をもつ特定保健用食品である。




但し、前記のペプチド類の中で、特開平7-101982号のペプチド――2個以上のアミ
ノ酸がアミノ基とカルボキシル基の間で脱水し、結合してペプチド結合を形成物質の総称.
結合アミノ酸の数によって,ジペプチド(アミノ酸2個)、トリペプチド(アミノ酸3個)、

オリゴペプチド(アミノ酸数個から10数個),ポリペプチド(アミノ酸多数)などと区別
される。タンパク質はポリペプチドに属する――
が、比較的単純な構造を有している。最も

アンジオテンシン変換酵素阻害活性が高いものの、食品中の機能には、アンジオテンシン変
換酵素阻害活性は不十分。そこで、カゼインを特定の酵素で加水分解し、加水分解物中の高
いアンジオテンシン変換酵素阻害活性を有する新規なペプチドが存在し、同ペプチドがMe
t-Lys-Proで表される配列をもつペプチドを発見する(下図クリック)。

かくして、森永乳業という会社は、東レ、富士フイルムなどがそうであるように、異業種(
ここでは食品)→製薬へと変貌を遂げているのである。これは、欧米的な自然のストリーム
である。

WO 2013125622 A1

※ 再表2013/047128 ペプチドおよびアンジオテンシン変換酵素阻害剤 森永乳業株式会社



● 長浜バイオ大学金賞受賞:「香蔵庫」(KOZOKO)って ???

長浜バイオ大学の学生チームが9月、合成生物学の世界大会で金メダルを獲得し、2日、記
者会見を開いた。長浜バイオ大学の学生チームは、先月、アメリカ・ボストンで開かれた世
界最大級の合成生物学の大会アイジェムに出場。アイジェムは、遺伝子組み換え技術を駆使
し独自の生物を作り、その技術を競うもので、今年は世界各国から259チームが参加して
いた。

 

「iGEM Nagahama」は、ワサビの様に抗菌作用のあるバラの香りで、電気冷蔵庫の代わりに
食品を保存することができる魔法の箱、遺伝子組換え生物を活用した「香蔵庫」を開発し世
界大会に臨む。この「香蔵庫」は、電気を使わないことからエコ社会の実現に貢献するとと
もに、電気が通っていない地域でも食品の保存を可能にする画期的な発想だ。今回の
金メダ
ルは長浜バイオ大学と東京工業大学、銀メダルには北海道大学、東京学生連合(東京大学、
早稲田大学など)、神奈川工科大学、岐阜大学、そして銅メダルには東京農工大学がそれぞ
れ獲得する。そういえば、NHKスペシャル「新アレルギー治療 鍵を握る免疫細胞」(20
15.04.05)で紹介された
坂口志文阪大教授は長浜出身で、ことしのノーベル医学生理賞候補
にもなっているから(下図クリック)、バイオ科学産業の先進都市として脚光を浴びる可能
性が出てきたのでは?!
 

 

 





【ガリバー病原発電システム:太陽光発電が増えた九州に新たな課題】

● 夏の19時台に電力が厳しくなる

今年の夏も九州地方の電力は問題なく供給することができたが、原発が運転していない状況
でもピーク時の需給率は90%以下に収まったが、太陽光発電の増加によって新たな課題が
明らかになった。昼間の電力は十分に足りても、夜間の19時台に需給率が95%を超える
日が発生したという(「太陽光発電が増えた九州に新たな課題、夏の19時台に電力が厳しく
なる 」スマート・ジャパン 2015.10.02)。

九州電力は8月14日に「川内原子力発電所」の1号機を再稼働させて、8月31日からは
最大出力の89万キロワットで電力の供給を開始。それに伴って9月上旬から火力発電所の
補修作業に入り、9月下旬には合計で2百万キロワットを超える規模の火力発電設備が運転
を停止していた。ところが晴天が続いて最高気温が30℃
を上回り、想定外に需要が増え、
供給力の余裕を十分に確保できなくなってしまったのが原因。この背景に、
原子力発電は一
定の出力で運転を続けることが前提になって、需要に応じて出力を調整できないシステムで
あると指摘した
上、今後さらに原子力が増えていくと、需給バランスの調整はいっそうむず
かしくなり、特性の違う複数の電源を最適に組み合わせる技術の開発が不可欠だとむすんで
いる。



しかし、コスト高で機敏に動けず、プロトニウムの核ゴミ処理の玉突き状態の巨人病の原発
にはスマートグリッド時代には似合わない。記事が指摘するするほど、最適電源制御システ
ムの設計は難しくはないだろう、あとは、キャッシュフローの担保だが、ここは政策推進の
気合い次第とわたし(たち)は考えるが如何に。^^;



 

 

【武力行使という過剰】

● ロシアの皇帝プーチンはさらに空爆強化

ロシア国防省によると、軍参謀本部高官は3日、シリアでの空爆について、「継続するだけ
でなく、一層強化する」と語った。
また、同高官は、米国に対し、反体制派を支援する要員
を撤収させ、ロシアの作戦地域で米軍機の飛行を停止するよう、国防当局間協議で求めたこ
とを明らかにした。
一方、9月30日~10月3日に行った空爆については「空軍機が、計
60回以上発進し、(過激派組織)『イスラム国』の50以上の施設を破壊した」とと主張・
同組織の戦闘員約6百人が撤退し、欧州への逃亡を図っていると述べたが、米政府などは、
ロシアのシリア空爆はアサド政権支援が目的で、反体制派が標的になっていると判断。米紙
ワシントン・ポストによると、反体制派は空爆に対抗するため、地対空ミサイルの供与を米
国に要請した。 

 

戦後70年を振り返えり、大国の軍事的紛争が根本的な解決をみないことをつぶさに目にし
てきた。
プーチン大統領は、第一次世界大戦前のツァリー(帝政ロシア)再来の悪夢をみる
せつけるかのよ
うだ。ここに、"遅れてきた赤色帝国主義"の中国 が軍事介入(?)してき
たなら、この世界はどのようなことになるのか?!  怒りを通り越し、もう笑うしかないだ
ろうが、戦後民主主義の真価がと問われる。ここは是が非でもこれを踏みとどめ 、"反動の
嵐"を押し返す以外に道はない。                                                         
                                         


● 折々の読書 『職業としての小説家』14


  小説家になるためには、どんな訓練なり習慣が必要だと思いますか? 若い人たちを
 相手に質疑応答みたいなことをしていると、そういう質問をよく受けます。それは世界
 中どこでもだいたい同じみたいです。それだけ「小説家になりたい」「自己表現をした
 い」と考えている人が数多くいるということなんだと思うんですが、これはとても答え
 るのがむずかしい質問です。少なくとも僕は「ううむ」と腕組みしてしまいます。
  というのは、自分がいったいどうやって小説家になったか、それさえよく把握できて
 いないからです。若い頃から「ゆくゆくは小説家になろう」と心を決め、そのための特
 別な勉強をしたり、訓練を受けたり、習作を積み重ねだりして、段階を踏んで小説家に
 なったわけではありません。

  これまでの僕の人生における多くのものごとの展開がそうであったように、「あれこ
 れやっているうちに、なんだか勢いと成り行きでこうなってしまった」というところが
 あります。運に助けられた部分もけっこうあります。振り返ってみればそらおそろしい
 話ですが、でも実際にそうなんだから仕方ありません。 

  それでも、若い人たちから[小説家になるためにどんな訓練なり習慣が必要だと思う
 か?」と真剣な面持ちで質問されると、「いや、そんなことちょっとわかりませんね。
 すべては勢いと成り行きみたいなものですし、運も大きいですから。考えたら、おっか
 ない話ですよね」みたいにあっさり片づけてしまうわけにもいきません。そんなことを
 言われても、向こうだって困るでしょう。場がしらけちゃうかもしれない。だから僕と
 してもいちおう真剣に正面から「さて、どういうものかな」と考えてみます。

  それで僕は思うのですが、小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず
 本をたくさん読むことでしょう。実にありきたりな答えで中し訳ないのですが、これは
 やはり小説を書くための何より大事な、欠かせない訓練になると思います。小説を書く
 ためには、小説というのがどういう成り立ちのものなのか、それを基本から体感として
 理解しなくてはなりません。「オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない」
 というのと同じくらい当たり前のことですね。

  とくに年若い時期には、一冊でも多くの本を手に取る必要があります。優れた小説も、
 それほど優れていない小説も、あるいはろくでもない小説だって(ぜんぜん)かまいま
 せん、とにかくどしどし片端から読んでいくこと。少しでも多くの物語に身体を通過さ
 せていくこと。たくさんの優れた文章に出会うこと。ときには優れていない文章に出会
 うこと。それがいちばん大事な作業になります。小説家にとっての、なくてはならない
 基礎体力になります。目が丈夫で、暇があり余っているうちにそれをしっかりすませて
 おく。実際に文章を書くというのもおそらく大事なことなのでしょうが、順位からすれ
 ばそれはもっとあとになってからでじゅうぶん間に合うんじゃないかという気がします。

  その次に――おそらく実際に手を動かして文章を書くより先に――来るのは、自分が
 目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつけることじゃないでしょうか。
 まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、注意深く
 観察する。そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。しかし「考えをめぐらせる」
 といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論
 みたいなものはできるだけ留保し、先送りするように心がけます。大事なのは明瞭な結
 論を出すことではなく、そのものごとのありようを素材=マテリアルとして、なるたけ
 現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。

  よくまわりの人々やものごとをささっとコソパクトに分析し、「あれはこうだよ」
 「これはああだよ」「あいつはこういうやつなんだよ」みたいに明確な結論を短時間の
 うちに出す人がいますが、こういう人は(僕の意見では、ということですが)あまり小
 説家には向いていません。どちらかといえば評論家やジャーナリストに向いています。
 あるいは(ある種の)学者に向いています。
  小説家に向いているのは、たとえ「あれはこうだよ」みたいな結論が頭の中で出たと
 しても、あるいはつい出そうになっても、「いやいや、ちょっと持て。ひょっとしてそ
 れはこっちの勝手な思い込みかもしれない」と、立ち止まって考え直すような人です。
 「そんなに簡単にはものごとは決められないんじゃないか。先になって新しい要素がひ
 ょこっと出てきたら、話が180度ひっくり返ってしまうかもしれないぞ」とか。

  僕はどうやらそちらのタイプみたいです。もちろん頭の回転がそんなに速くないとい
 うこともありますが(かなりある)、その時点で早急に結論を出したものの、あとにな
 ってみると、そこで出てきた結論が正しくなかった(あるいは不正確であった、不十分
 であった)ことが判明したという苦い経験を、これまでに幾度となく繰り返してきたか
 らです。それでずいぶん恥じ入ったり、冷や汗をかいたり、無駄な回り道をしたりした
 ものです。そのせいで「すぐにはものごとの結論を出さないようにしよう」「できるだ
 け時間をかけて考えよう」という習慣が、僕の中に徐徐に形作られていったような気が
 します。これは生来の性向というよりは、むしろ後天的に経験的に、痛い目にあいなが
 ら身についたものみたいです。

  そんなわけで僕の場合、何かが持ち上がっても、それについてすぐに何かしら結論を
 出すという方には顛が働きません。それよりはむしろ自分が目撃した光景を、出会った
 人々を、あるいぱ経験した事象を、あくまでひとつの「事例」として、言うなればサン
 プルとして、できるだけありのままの形で記憶に留めておこうと努めます。そうすれば
 それについて後日、もっと気持ちが落ち着いたときに、時間の余裕があるときに、いろ
 んな方向から眺めて注意深く検証し、必要に応じて結論を引き出すこともできるからで
 す。

  しかし僕の経験から中し上げますと、結論を出す必要に迫られるものごとというのは、
 僕らが考えているよりずっと少ないみたいです。僕らは――短期的なものであるにせよ、
 長期的なものであるにせよ――結論というものを本当はそれほど必要としていないんじ
 ゃないかという気がするくらいです。だから新聞記事を読んだり、テレビのニュースを
 見たりするたびに僕としては、「おいおい、そんなにとんとんと結論ばかり出して、い
 ったいどうするんだ?」と首をひねってしまいます。

  だいたいにおいて今の世の中は、あまりにも早急に「白か黒か」という判断を求めす
 ぎているのではないでしょうか? もちろん何もかもを「また今度、そのうちに」と先
 送りにするわけにはいかないとは思います。とりあえず判断を下さなくてはならないも
 のごともいくつかはあるでしょう。極端な例をあげれば、「戦争が起こるか起こらない
 か」「原発を明日から動かすか動かさないか」みたいなことであれば、僕らは何はとも
 あれ早急に立場をはっきりさせなくてはなりません。そうしないとえらいことになって
 しまいかねない。しかしそういう切羽詰まったことはそれほど頻繁にはないはずです。

  情報収集から結論提出までの時間がどんどん短縮され、誰もがニュース・コメンテー
 ターか評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないものに
 なってしまいます。あるいはとても危ういものになってしまいます。よくアンケートな
 んかで「どちらともいえない」という項目がありますが、僕としてはむしろ「今のとこ
 ろどちらともいえない」という項目があるといいなと、いつも思ってしまいます。

  まあ世の中は世の中として、とにかく小説家を志す人のやるべきは、素早く結論を取
 り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積することで
 あると僕は考えます。そういう原材料をたくさん貯め込める「余地」を自分の中にこし
 らえておくことです。とはいえ「できるだけありのままに」といっても、そこにあるす
 べてをそっくりそのまま記憶することは現実的に不可能です。僕らの記憶の容量には限
 度があります。ですからそこには最小限のプロセス=情報処理みたいなものが必要にな
 ってきます。

  多くの場合、僕が進んで記憶に留めるのは、ある事実の(ある人物の、ある事象の)
 興味深いいくつかの細部です。全体をそっくりそのまま記憶するのはむずかしいから(
 というか、記憶したところでたぶんすぐに忘れてしまうから)、そこにある個別の具体
 的なディテールをいくつか抜き出し、それを思い出しやすいかたちで頭に保管しておく
 ように心がけます。それが僕の言うところの「最小限のプロセス」です。

  それはどのような細部か? 「あれっ」と思うような、具体的に興味深い細部です。
 できればうまく説明かつかないことの方がいい。理屈と合わなかったり、筋が徴妙に食
 い違っていたり、何かしら首を傾げたくなったり、ミステリアスだったりしたら言うこ
 とはありません。そういうもを採集し、簡単なラベル(日付、場所、状況)みたいなも
 のを貼り付けて、頭の中に保管しておきます。言うなれば、そこにある個人的なキャビ
 ネットの抽斗にしまっておくわけです。もちろんそういう専用のノートを作って、そこ
 に書き留めておいてもいいんですが、僕はどちらかといえばただ頭に留める方を好みま
 す。ノートをいつも持ち歩くのも面倒ですし、いったん文字にしてしまうと、それで安
 心してそのまま忘れてしまうということがよくあるからです。頭の中にいろんなことを
 そのまま放り込んでおくと、消えるべきものは消え、残るべきものは残ります。

  僕はそういう記憶の自然淘汰みたいなものを好むわけです。

  僕の好きな話があります。詩人のポール・ヴァレリーが、アルベルト・アインシュタ
 インにインタビューしたとき、彼は「着想を記録するノートを持ち歩いておられますか
 ?」と質問しました。アインシュタインは穏やかではあるけれど、心底驚いた顔をしま
 した。そして「ああ、その必要はありません。着想を得ることはめったにないですから」
 と答えました。
  たしかに、そう言われてみれば、僕にも「今ここにノートがあればな」と思うような
 ことって、これまでほとんどなかったですね。それに本当に大事なことって、一度頭に
 入れてしまったらそんなに簡単には忘れないものです。
  
                                      「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                              村上春樹 『職業としての小説家』 


     
                                 この項つづく

 

 

 


     I, I'm so in love with you
     Whatever you want to do
     Is all right with me
     'Cause you make me feel so brand new
     And I want to spend my life with you

     Since, since we've been together
     Loving you forever
     Is what I need
     Let me be the one you come running to
     I'll never be untrue

     Let's, let's stay together
     Lovin' you whether, whether
     Times are good or bad, happy or sad

     Whether times are good or bad, happy or sad

     Why, why some people break up
     Then turn around and make up
     I just can't see
     You'd never do that to me (would you, baby)
     Staying around you is all I see
     (Here's what I want us to do)

                                       ”Let's Stay Together”

                                        Music&Word    AL Green,
                                                                                                              W.Mitched,
                                                                                                             I.A.Jackson

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の森のハロウィン

2015年10月04日 | びわこ環境

 

 

   すべては千変万化する。石でさえも。/ クロード・モネ                                   

 

 


 

       秋の野に咲きたる花を指折り かき数ふれば七種くさの花     

           萩の花尾花葛花なでしこが花 女郎花また藤袴あさがほが花
 

                                            山上憶良




キャスルロードでジェラートを食べたいと朝から言うので、なぜと聞くが、気分転換で行ってみたい
とというので、そんな近場よりドライブしようと切り返すと、しばらく考えた風で、それなら草津の
みすの森(水生植物公園)の蓮をみにいきましょということになり、彼女が買い物を手早くすませ、
11時過ぎに家をでる。

 

まず、水生植物公園みずの森――日本最大級のハス群生地の滋賀琵琶湖烏丸半島――の前の駐車場に
車とめ入場券を買い求め入場すると正面ゲートの億のロータス緩①に入るとエントランスホールには
ハロウィン――毎年10月31日に行われる、古代ケルト人の祭りで、秋の収穫を祝い、悪霊などを
追い出す宗教的行事、日本の秋祭りの行事だったが、現代は米国の民間行事として定着。祝祭本来の
宗教的な意味合いは薄れ、カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾っ
たり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習に変化
――のディスプレがわたしたちを出迎える。
 

  ハロウイン

 



そこから、アトリウム(温室)の通路の壁両面にはクロード・モネの睡蓮(レプリカが展示作品をみ
ながら入ると、琵琶湖
固有のネジレモの池、水草をはじめとする水生植物や国内やアジアの水草や熱
帯原産の水生植物を中心に
様々の熱帯スイレンなど様々な植物が観賞できるとあり二人めいめいデジ
カメ撮影しながら楽しむこととなる
が、なにせ、たくさんの展示植物名のインデックスをみるだけで
も相当時間がかかり、あらかじめ予備知識をもって鑑賞しなければ面白さが半減しそうに思えた。
 

ところで、水草(みずくさ、すいそう)は、高等植物で、二次的に水中生活をするようになったもの
を指す総称とされ、主に淡水性のもので被子植物、シダ植物に含まれるものもあるとか。したがって
コケ植物や、形態的な類似性から車軸藻類を含んでそう呼ぶことか。庭園の池や泉水での栽培や、熱
帯魚飼育などのアクアリウムなど、観賞用に広く使われている。

  オニバス

  睡蓮

スイレンといえば、日本ではヒツジグサ(未草)――日本を含めアジアからヨーロッパ、北アメリカ
など北半球に広く分布。
地下茎から茎を伸ばし、水面に葉と花を1つ浮かべる。花の大きさは3~4
センチ、萼片が4枚、花弁が10枚ほどの白い花を咲かせ、花期は6月~11月。
未の刻(午後2時
)頃に花を咲かせることから、ヒツジグサと名付けられたが、実は朝から夕方まで花を咲かせる――
の1種類のみ自生。日本全国の池や沼に広く分布。睡蓮はヒツジグサの漢名だが、一般にスイレン属
の水生植物の総称として用いられているとか。水位が安定した池などに生息し、地下茎から長い茎を
伸ばし、水面に葉や花を浮かべる。葉は円形から広楕円形で円の中心付近に葉柄が着き、その部分に
深い切れ込みが入っているというから、などほどと感心する。葉の表面に強い撥水性はなく、多くの
植物では気孔は葉の裏側だが、スイレンは葉の表側に分布している。

このヒツジグサイを含めたスイレン属には、(1)ブルー・ロータス――青スイレン。アフリカから
東南アジアに分布。古代エジプトの壁画などにも描かれる。(2)ヨザキスイレン―― 白スイレン。
別名タイガー・ロータス。アフリカから東南アジアに分布。古代エジプトの壁画に描かれている。
(3)ホシザキスイレン――別名セイロン・ヌパール。インド、ラオス原産。ヌパール(コウホネ属
の総称)と呼ばれ、葉は、黄緑色のグリーンと、濃い赤のレッドがある。(4)アカバナスイレン―
―別名タイ・ニムファ。葉が真紅に染まる東南アジア原産のスイレン。アクアリウムで水中葉が観賞
できる。(5)ティナ――園芸種。小型で花付きが良く育てやすい。ムカゴで増えるため繁殖も容易。
色は青みがかった紫、生育条件によって変化する。昼咲き。初心者用の熱帯スイレン。



ここでは、仏法五木――仏教の三大聖樹の①サラノキ(フタバガキ科の娑羅双樹:釈迦が亡くなった
所にあった木)、②ムユウジュ(マメ科の無憂樹:釈迦が生まれた所にあった木で、二千五百年以上
も前、釈迦の母の王妃マーヤが、インドに程近いネパールの"藍毘尼園(ルンビニー園)"「無憂樹」
の花があまりに見事に咲いていたので、花房を手折ろうとし、右手を上げた瞬間、この右脇からお釈
迦様が生まれたと伝わる)、③インドボダイジュ(クワ科の印度菩提樹:釈迦が悟りを開いた所にあ
った木)の三木にマンゴともう1つ?(レッドラワン? 忘れてしまった)を加えてそのように呼称
――が鑑賞できたのが印象的だった。

    

 
アートフラワー

ロータス館をでると、サブビア、キク(これは時期尚早?)、アキランサス、フジバカマ、フヨウ、
マリーゴールド、コスモスなどの季節の花のが咲き乱れるなか、壁掛けアートフラワーなどを鑑賞し、
その後③→④→⑤→⑥→⑦を巡り戻ってくる。絶好の秋日和のなか約1時間ほど散策しながら戻り、
その場を後にして、オープン状態で湖岸を疾走し、午後2時には帰宅していた。余りにも種類が多い
ので、次回訪問時、その季節の花々など鑑賞したいものをあらかじめ決めておいた方が好いのではと
いうことで再訪問する。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武器よさらば されど殺戮はやまず

2015年10月03日 | 時事書評

 

 

   彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、
              そして間違いなく彼ら自身のものだった

                                                 アラン・キジン

 

 

【武器よさらば されど殺戮はやまず

オバマ大統領が激怒。今月1日、ホワイトハウスで記者会見し、西部オレゴン州で起きた銃撃事件に
ついて「われわれは数カ月ごとに銃の乱射事件を繰り返している唯一の先進国だ」と怒りをあらわに
、事件や報道、自身の対応を含め、全てが「日常化している」と非難。大統領は、銃規制強化の反
対派が今回の事件を受けて「銃がもっと必要と主張するだろう」とつづけ、そして「誰がそれを本気
で信じるのか。多くの責任ある銃の所持者はそれが真実でないと分かっている」と述べ、記者団に、
「過去10年にテロで亡くなった米国人の数と銃で死亡した数を集計してもらいたい」「テロ攻撃から
米国を守るため、これまでに1兆ドル以上を費やしているのに、議会は銃の死者を減らす努力を阻ん
でいる」と批判したという。が、この建国の生い立ちの半分が、「盗むことのみを目的とする」(ヴ
ォルテール)でなりたっているのだというリアリティを忘れるわけにはいかない。この国が生まれ変
わるには腹をすえた”自己超克”以外に救いはなく、米国が変われば、世界は変わる。

  01 Oct 2015

ロシアが1日、シリア領内で過激派組織「イスラム国」(IS)以外の過激派の拠点を空爆した。A
FP通信が伝えた。9月30日に空爆を始めた際には、標的をISに限定すると説明していたが。シ
リアのアサド政権の延命のため、米国が支援する反体制派を攻撃している可能性――シリアの治安当
局者は1日、ロシアが、シリア北西部イドリブ県にある国際テロ組織アルカイダ系組織の拠点を攻撃
するとししていた――があり、ロシアと米国の対立が深まると懸念する。このことは、ロシアのラブ
ロフ外相も同日、米ニューヨークでの会見で「ロシアはISやその他のテロリストを攻撃している」
と述べ、空爆の対象を拡大する意向を示していた。国際的に理解の得やすいISへの空爆を大義名分
に、他の反体制派の拠点を攻撃している疑い――30日にシリア中部ラスタンなどで行った空爆で、
米欧などが支援するシリア反体制派の統一組織「シリア国民連合」のハーリド・ホジャ議長が「ロシ
ア軍はISもアルカイダもいない場所を襲撃し、36人の民間人が殺された」と、ツイッターに投稿
――があるという。



アラブの春 ジャスミン革命を発端にシリア内戦に発展したものの、イラク臨時政府の瓦解、イスラ
ム内戦状態
からISIL=イスラム国の台頭やアフガニスタンではタリバンの反攻がつづく混沌化し
た中東情勢。欧米露(旧ソ連)による武断制圧中東史でもあるが、ここにきて冷戦構造回帰の様相を
しめし、出口のない虐殺史を繰り返している。欧米露列強はいつまでこのような過ちを繰り返すとい
うのだろうか。無惨な千年戦争の地獄絵図が展開する。


● 国内は金権政治の旧態回帰?!

日本歯科医師連盟(日歯連)の政治資金規正法違反事件――日歯連が10年参院選の1年半前から
自民党から擁立予定の新人候補に迂回(うかい)献金する計画を立てていたが、09年の政権交
代を
受けて計画は中止――で、10年参院選での迂回献金に利用された
民主党支部を日歯連が実質的に管
理していたことが、関係者の話でわかったという
。支部の要職を日歯連幹部が占め、会計も担当して
いたという。東京地検特捜部は、日歯連に政党支部を利用することで迂回献金を目立
たなくする狙い
があったとみて調べている。この支部は、日歯連が10年参院選で
支援した西村正美参院議員
(民主)が代表を務める「民主党参議院比例区第80総支部」。特捜部の
発表などによると、日歯連は同年3~
5月、80総支部を経由する形で「西村まさみ中央後援会」に
5000万円を寄付。日歯連は別途、西村後援会
に5000万円を直接寄付しており、日歯連から西
村後援会への資金移動は、政治団体間の寄付の法定上限
(年5000万円)を超える計1億円に上っ
た。さらに、内部資料などによると、10年参院選に自民から新人候補を擁立する予定だった日歯連
は09年2月、新人の後援会への直接寄付とは別に、「石井みどり自民党中央後援会」を経由して新
人の後援会に5000万円を移す前提で、石井後援会に同額を寄付したとのこと。

経団連の榊原会長が、昨年9月に5年ぶりに政治献金への関与を再開するという方針を表明(政治献
金への経団連の関与は55年から)。民主党へ政権交代した09年に廃止。それが再度、安倍政権下
で復活したというわけで、またぞろ金権政治を復活させるのなら、政党助成金制度の廃が筋目。
 

 
● 折々の読書 『職業としての小説家』13
 

  これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あな
 たは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。もしあな
 たが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜
 びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か
 間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に
 戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、片端から放り出していかなくては
 なりません。
 
  でもそれは口で言うほど簡単にはできないことかもしれない。

 『風の歌を聴け』を書いて、それが「群像」の新入賞を取ったとき、僕が当時経営していた店を、
 高校時代の同級生が訪ねてきて、「あれくらいのものでよければ、おれだって書ける」と言って
 帰って行きました。そう言われて、もちろんちょっとむっとはしたけれど、それと同時にわりに
 素直に「でも、たしかにあいつの言うとおりかもしれない。あれくらいのものなら、たぶん誰だ
 って書けるだろうしな」とも思いました。僕は頭に浮かんだことを、簡単な言葉を使ってただす
 らすらと書き留めただけです。むずかしい言葉や、凝った表現や、流麗な文体、そんなものはひ
 とつも使っていません。言うなれば「すかすか」同然のものです。でもその同級生がそのあと自
 分の小説を書いたという話は耳にしていません。もちろん彼は「あの程度のすかすかの小説が通
 用する世の中なら、あえておれが書く必要もないだろう」と思って、そのまま何も書かなかった
 のかもしれない。もしそうだとしたら、それはひとつの見識というべきかもしれません。
 
  でも今にして思えば、彼の言うところの「あれくらいのもの」は、小説家を志す人間にとって
 は、かえって書きにくいものだったのかもしれない。そういう気がします。頭の中から「なくて
 もいい」コソテンツを片端から放り出して、ものごとを「引き算」的に単純化し簡略化していく
 というのは、頭で考えるほど、口で言うほど簡単にはできないことだったのかもしれません。僕
 は「小説を書く」ということに最初からあまり思い入れがなかったので、無欲が幸いしてという
 か、遂にあっさりとそれができてしまったのかもしれません。

  何はともあれ、それが僕の出発点でした。僕はそのいわば「すかすか」の風通しの良いシンプ
 ルな文体から始め、時間をかけて一作ごとに、そこに少しずつ自分なりの肉付けを加えていきま
 した。ストラクチャーをより立体的に重層的にし、骨格を少しずつ太くして、より大がかりで複
 雑な物語をそこに詰め込める態勢を整えていきました。それにつれて小説の規模も次第に大きな
 ものになっていきました。前にも言ったように「こういう小説をゆくゆくは書きたいんだ」とい
 うおおよそのイメージは自分の中にあったわけですが、進行のプロセス自体は意図的というより、
 むしろ自然なものでした。あとになって振り返ってみて「ああ、結局そういう流れだったんだな」
 と気づいたことで、最初からきちんと計画してやったことではありません。

  もし僕の書く小説にオリジナリティーと呼べるものがあるとしたら、それは「自由さ」から生
 じたものであるだろうと考えています。僕は二十九歳になったときに、「小説を書きたい」とご
 く単純にわけもなく思い立って、初めて小説を書きました。だから欲もなかったし、「小説とは
 このように書かなくてはならない」という制約みたいなものもありませんでした。今の文芸状況
 がどのようなものかという知識もまったく持ち合わせていなかったし、尊敬し、モデルとするよ
 うな先輩作家も(幸か不幸か)いませんでした。そのときの自分の心のあり方を映し出す自分な
 りの小説が書きたかった――ただそれだけです。そういう率直な衝動を身のうちに強く感じたか
 ら、あとさきのことなんて考えずに、机に向かってやみくもに文章を書き始めたわけです。ひと
 ことで言えば「肩に力が入っていなかった」ということでしょう。そして書いている間は楽しか
 ったし、自分が自由であるというナチュラルな感覚を持つことができました。

  僕は思うのですが(というか、そう望んでいるのですが)、そのような自由でナチュラルな感
 覚こそが、僕の書く小説の根本にあるものです。それが起動力になっています。車にたとえれば
 エンジンです。あらゆる表現作業の根幹には、常に豊かで自発的な喜びがなくてはなりません。
 オリジナリティーとはとりもなおさず、そのような自由な心持ちを、その制約を持たない喜びを、
 多くの人々にできるだけ生のまま伝えたいという自然な欲求、衝動のもたらす結果的なかたちに
 他ならないのです。

  そして純粋に内的な衝動というものは、それ自体のフォームやスタイルを、自然に自発的に身
 につけて出てくるものだということになるかもしれません。それは人為的に作り出されるもので
 はありません。頭の切れる人がいくら知恵をしぼっても、図式を使っても、なかなかうまくこし
 らえられるものではないし、たとえこしらえられたとしても、おそらく長続きしないはずです。
 根がしっかり地中に張っていない植物と同じです。しばらく雨が降らなければ、それはほどなく
 活力を失い、しおれて枯れてしまいます。あるいはちょっと強い雨が降ったら、土壌ごとどこか
 に流されてしまいます。


  これはあくまで僕の個人的な意見ですが、もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいる
 なら、「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそ
 もどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといい
 かもしれません。「自分が何を求めているか?」という問題を正面からまっすぐ追求していくと、
 話は避けがたく重くなります。そして多くの場合、話が重くなればなるほど自由さは遠のき、フ
 ットワークが鈍くなります。フットワークが鈍くなれば、文章はその勢いを失っていきます。勢
 いのない文章は人を-あるいは自分白身をもI惹きつけることができません。

  それに比べると「何かを求めていない自分」というのは蝶のように軽く、ふわふわと自由なも
 のです。手を開いて、その蝶を自由に飛ばせてやればいいのです。そうすれば文章ものびのびし
 てきます。考えてみれば、とくに自己表現なんかしなくたって人は普通に、当たり前に生きてい
 けます。しかし、にもかかわらず、あなたは何かを表現したいと願う。そういう「にもかかわら
 ず」という自然な文脈の中で、僕らは意外に自分の本来の姿を目にするかもしれません。
 
  僕は三十五年くらいずっと小説を書き続けていますが、英語で言う「ライターズ・ブロック」、
 つまり小説が書けなくなるスランプの時期を一度も経験していません。書きたいのに書けないと
 いう経験は一度もないということです。そういうと「すごく才能が溢れている」みたいに聞こえ
 るかもしれませんが、そんなわけではなく、実はとても単純な話で、僕の場合、小説を書きたく
 ないときには、あるいは書きたいという気持が湧いてこないときには、まったく書かないからで
 す。書きたいと思ったときにだけ、「さあ、書こう」と決意して小説を書きます。そうじゃない
 ときにはだいたい翻訳(英語→日本語)の仕事をしています。翻訳は基本的に技術的な作業なの
 で、表現意欲とは関係なくほぼ日常的に仕事ができますし、同時にまた文章を書くためのとても
 良い勉強になります(もし翻訳をしていなくても、何かそれに類する作業を見つけていたと思い
 ます)。また気が向けばエ″セイなんかを書くこともあります。そういうことをぼちぼちとやり
 ながら、「べつに小説を書かなくたって死ぬわけじゃないんだし」と開き直って生きています。
 
  でもしばらく小説を書かないでいると、「そろそろ小説を書いてもいいかな」という気持ちに
 なってきます。雪解けの水がダムに溜まるみたいに、表現するべきマテリアルが内側に蓄積され
 てくるわけです。そしてある日、我慢できずに(というのがおそらく最良のケースです)机に向
 かって新しい小説を書き始めます。「今はあまり小説を書きたい気持ちじゃないんだけど、雑誌
 の注文を受けているからしょうがない、何か書かなくては」みたいなことはありません。約束も
 しないから、締め切りもありません。ですからライターズ・プロックみたいな苦しみも、僕には
 無縁であるわけです。それは、あえて言うまでもないことですが、僕にとってはずいぶん精神的
 に楽なことです。物書きにとって、とくに何も書きたくないときに何かを書かなくてはならない
 というくらいストレスフルなことはありませんから(そうでもないのかな? 僕の方がむしろ特
 殊なのだろうか?)。

  最初の話に戻りますが、「オリジナリティー」という言葉を口にするとき、僕の順に浮かぶの
 は十代初めの僕自身の姿です。自分の部屋で小さなトランジスタ・ラジオの前に座り、生まれて
 初めてビーチボーイズを聴き(『サーフィンUSA』)、ビートルズを聴いています(『プリー
 ズ・プリーズ・ミー』)。そして心を震わせ、「これはなんと素晴らしい音楽だろう。こんな響
 きはこれまで耳にしたことがなかった」と思っています。その音楽は僕の魂の新しい窓を開き、
 その窓からこれまでにない新しい空気が吹き込んできます。そこにあるのは幸福な、そしてどこ
 までも自然な高揚感です。いろんな現実の制約から解き放たれ、自分の身体が地上から数センチ
 だけ浮き上がっているような気がします。それが僕にとっての「オリジナリティー」というもの
 のあるべき姿です。とても単純に。

   JAN. 31, 2014


  このあいだ「ニューョーク・タイムズ」(2014/2/2)を読んでいたら、デビュー当時のビート
  ルズについてこのように書いてありました。

       They produced a sound that was fresh, energetic and unmistakably their own.

   (彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなく彼ら自身の
    ものだった)

  とてもシンプルな表現だけど、これがオリジナリティーの定義としてはいちばんわかりやすい
 かもしれませんね。「新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものである
 こと」。
  オリジナリティーとは何か、言葉を用いて定義するのはとてもむずかしいけれど、それがもた
 らす心的状態を描写し、再現することは可能です。そして僕はできることなら小説を書くことに
 よって、そのような「心的状態」を自分の中にもう一度立ち上げてみたいといつも思っています。
 なぜならそれは実に素晴らしい心持ちであるからです。今日という一日の中に、もうひとつ別の
 新しい一日が生じたような、そんなすがすがしい気持ちがします。

  そしてもしできることなら、僕の本を読んでくれる読者にも、それと同じ心持ちを味わってい
 ただきたい。人々の心の壁に新しい窓を開け、そこに新鮮な空気を吹き込んでみたい。それが小
 説を書きながら常に僕の考えていることであり、希望していることです。理屈なんか抜きで、た
 だただ単純に。
 
                                                      「第四回 オリジナリティについて」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』 


「天王寺七坂」の歌人・横山季由といい、村上春樹も、わたしと同年という世代の共通した感性とい
うものがそうさせるのか、また、それ以外の何ものかが共通・共感・共振(同調)つまり、固有振動
というなものがさせるか文句なく納得させる文体や言葉が凝縮されている。読みながら、ウン、ウン
と肯首、頷きながら読み進めることになる。さて、次回は「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
に移る。

                                      この項つづく

 


【まじめにバイオマス】  

●パイオマス発電地域情報(岡山)地元企業の実報を活かし発電所建設

岡山県真庭市の製材事業者は工場内で稼働するバイオマス発電のノウハウを地域に提供、地元轟林組
合らとともに間伐材や纏材を燃料にしたバイオマス発電所を建設し雇用の創出にも繋げた。
 集成材事業で国内ト7プクラスの銘建工業は、84年から加工過程で発生する端材、樹皮、おが屑(
ブレーナー屑)を原料に本社工場内で木賃バイオマスの取り組みを行ってきた。原料のうち10トン
/日発生する瑞材は、気ボイラの燃料として木材の乾燥や工場の暖房に利用し、17トン/日の樹皮は
破砕して発電剛ポイラの燃料として使い発電電力の一部を工場内で消費した。また150トン/日発
生するおが屑は燃料ペレットに加工.販売するなどバイオマスに多様なな実績と経験がある。
 12年のFITスタートでこれまでより付加価値の高い利用ができることに注目し、同社は地域経
済の活性化を目的に本社のある真庭市と林業関連の団体に真庭バイオマス発電所を設立15年4月に
稼働を開始。これに応じた市と関連団体は13年に5団体3企業と真庭市からなる真庭バイオマス発
電所を設立し15年4月に稼働開始する,

 

 代表にノウハウを持つ銘建工業社長の中島浩―郎氏が就き、真庭産業団地内に取得した約1万3千
㎡の発電所用地に発電設備を建設した。発電設備は本社工場の実績からタクマがポイラを、新日本造
機が、ターピンを納める。発電量はは1万キロワットで大規模発電のため燃料の礦保か課題となった
が、地域の林業関係の団体がまとまったことから端材を効率よく集められ1年分の備蓄が可能となっ
ている。
 総事業費は41億円、このうち補助金で16億円を賄い、23億円を借り入れた。24時間330
日/年の稼働を見込んでおり年間出力は79,000メガワット時
を計画している。FITを利用する
ためイニシャル・コストは15年程度で回収できるという。バイオマス発電所の建設により200~
300人の雇用効果が期待されている。
 
このように、当面爆弾低気圧や集中豪雨に注意しながら、しかし、地球温暖化による異常気象を早期
に食い
止めるべく、オールバイオマスシステムの世界的展開を実現しなければならない、名誉と栄光
をかけ使命を負っている事業である。特に、東南アジア地域のような多湿地帯への普及は喫緊の課題
である。これは面白い事業事例だ。

  ● 今夜のシングル曲


     「知らない」という言葉の意味

     間違えていたんだ

     知らない人のこといつの間にか「嫌い」と言っていたよ


     何も知らずに


     知ろうともしなかった人のこと


     どうして「嫌い」なんて言ったのだろう


     流されていたんだ


     「知らない」ことは怖いから


     醜い言葉ばかり吐き出して誤魔化して


     自分のことまで嫌わないで


     ひとりぼっちになりたくない


     ここにいてよ


     その言葉言えなくって


     心閉ざさないで・・・


                           
SEKAI NO OWARI 『プレゼント』
    
                    
   作詞:Saori/作曲:Nakajima/編曲:大田桜

第82回NHK全国音楽コンクール・中学校の部課題曲に選べれている。心をとらえたのは、「心閉
ざさないで」のフレーズ。この曲を納めた「SOS/プレゼント」は今年年9月25日にリリースさ
れている。

  

                  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新全印刷電子工学

2015年10月02日 | ネオコンバーテック

 

 

              
           僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と
           呼ぶためには、
基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。
 
         (1)ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体な
            りフォルムなり色
彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の
            表現だと(おおむね)瞬時に理解 できなくてはならない。
          (2)そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。
            時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっ
            ていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。
     (3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキ
      に吸収され価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。ある
      いは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。

                                      村上春樹 /  『職業としての小説家』 

 

 

 

● 真夜中の味噌ヨーグルト

雨風がきつく目を覚まし、雨漏りなどないか点検し、テレビをつけると「味噌ヨーグルト」なるもの
紹介されていた(NHKテレビ「マサカメTV」再放送)。ヨーグルトにかけるものといったら、はちみ
つやシロップなのだが、それがヨーグルト専用の味噌ソース――岩手県湯田町の株式会社湯田牛乳公
社製造する商品「ヨーグルトにかけるお味噌」――というものだが、おもしろいことを考えるものだ
とネット検索してみると、相当なレシピが展開済み。甘み、塩味、まろやか、酸味、うまみともヨー
グルトを超える。さらに、味噌ヨーグルトに野菜つけ込む、漬け物、マヨネーズを和えたヨーグルト
マヨディップもあり、醤油ヨーグルトまであり日本発酵文化も成熟沸騰?しているかのよう。考えて
みれば、イランなどの中東はヨーグルトといえば塩ヨーグルトが常識。なので、40年前「日本列島
は文化の袋小路」とはじめて喩え呼んだのは間違いなかったと納得する。ところで、値段が安い味噌
でもヨーグルトを加えるだけで高級感が簡単にえられることも掲載されていた。

 

 

【最新全印刷電子工学】

● プリンテッドエレクトロニクスを高度化する新たなラインアップ  

 

電子デバイスはどこまで薄くダウンサイジング進むものなのかを突き詰めていくと発熱によるリスク
回避できない時であると尋ねた同
期の友(若くして他界)に答えたことがある。もう、25年程前の
話だが。そんなことを思い出させる発明が提案される。
有機強誘電体では、デバイス化に必須となる
薄膜化が難しい。そこで、溶液からの膜形成を促す新たな印刷手法で、均質性の高い強誘電体単結晶
薄膜を形成させる技術。この技術を用いた薄膜素子は、各種の記録素子の標準的な動作電圧を下回る
わずか3ボルトという低電圧でメモリー動作する。印刷手法をプリンテッドエレクトロニクスと呼び、
強誘電体メモリーや不揮発トランジスタなどの低消費電力デバイスの研究開発が大きく前進するとい
うもの。

しかし、この強誘電体は、無機質でなく有機質でそれが可能だとはにわかに信じられないが、高分子
系の有機強誘電体が知られ、その性能は無機物に比べて著しく劣っていたが近年、低分子系の強誘電
性有機材料の開発が進み、無機物に匹敵する特性のものが見出されてきている。その心配はなくなっ
だのだが、この有機強誘電体は、デバイス化で必須の薄膜化が難しいことが新たな問題となる。

 

今回、有機強誘電体として、2-メチルベンゾイミダゾール(MBI)(図1a)を用いた。MBIは水素
結合型有機強誘電体の一種であり、有機溶剤への溶解性に優れ、室温で優れた強誘電性を示し、きわ
めて低い抗電場(数10 kV/cm)で分極反転する。また、単結晶内では、2つの直交した方向に自発
分極 P を現すことができる。膜の上下方向に電圧をかけるデバイスでは、自発分極は薄膜に対し垂
直な方向の成分を持つ必要があるが、MBIはそのような分極方向をもつ板状結晶に成長しやすい。

図1bに今回開発した常温・常圧下での印刷法による薄膜作製プロセスを模式的に示す。1cm角の酸
化膜付シリコン基板表面上に、幅百μmの親水領域と、幅百μmの撥水領域が交互になった縞状の親撥
パターンを作製し、その上に平坦な板(ブレード)を用いてMBIを溶解させた溶液を掃引して塗布した。
乾燥させると、親水領域上にだけ、MBI薄膜が選択的に形成された。偏光顕微鏡による観察で、特定の
方向の偏光に対し薄膜全体が消光したことから、形成された薄膜は、分子の配列方向がそろった
単結
晶薄膜であると考えられる(図1c)。

できあがった試作品を評価(下図)したところ、熱処理などの前処理をしなくても、良好なヒステリ
シスループを示した(図3a)。分極反転が生じた電圧は、10 Hzの走査周波数では平均3~4Vで、
低い電圧で分極反転可能なデバイスが得られた。また、10から千Hzの速度で掃引して分極反転の繰
り返し耐久性を調べたところ、速度千 Hz の走査周波数では数10万回程度まで強誘電特性を保持で
きることが分かった(図3b)。これにより電極構造を最適化すれば耐久性はさらに向上する。

 

 

図2 放射光X線回折測定のイメージと回折写真 (a)、結晶中の分子構造模式図(b)、単結晶薄膜内の
   分子構造と自発分極の模式図(c)

今回の有機強誘電体薄膜の、分極反転がミクロ領域の形態は。膜厚約1 µm の薄膜に10~千ミリ秒
の様々な時間の間+20 Vの電圧をかけると、それぞれ時間によりサイズの異なる円形の分極反転ド
メインが結晶表面に書き込まれていた(図4a)。ドメインのサイズは、電圧をかけた時間に対し対
数関数的に増加し、最小値は直径5百 nm(図4b)。この分極反転ドメインは、室温大気下で40
時間以上にわたり安定に保持された。なお、圧電応答顕微鏡像の位相成分から、分極方向は90度回
転ではなく180度反転である(図4c)(下図)。このように印刷法の薄膜作製技術を活用し、金
属配線や半導体薄膜の印刷技術と組み合わせて全印刷法による電子デバイスの作製の取り組みがまた
一歩前進した。

※ なお、関連特許の一例を下記に記載する。 

 

 【概要】

第1及び第2の平滑基板を離間対向させた間隙に有機強誘電体化合物を溶解させた溶液を介在させ、
この有機強誘電体化合物を晶出させ平滑基板の主面と垂直方向に配向成長するよう乾燥させることを
特徴とする。この
発明によれば、単一のプロセスで薄膜の分子配向制御と基板への接着を出来て、し
かも溶媒をそれほど必要とせず、ウエットプロセスでありながら簡便でかつ取り扱い性に優れるので
ある。

この方法での有機強誘電体化合物は、配向成長させる方向を分極方向をもってもよい。また、有機強
誘電体化合物は、クロコン酸、3-ヒドロキシフェナレノン、2-メチルベンゾイミダゾール、2,
3,5,6-テトラ(2-ピリジル)ピラジニウムブロマニル酸塩、及び、5,5’-ジメチル-2,
2’-ビピリジニウムヨーダニル酸塩重水素置換体のうちの1つからなるものとしてもよい。より配
向性に優れた結晶を簡便で、取り扱いが優れた方法で得る。

 


● 折々の読書 『職業としての小説家』12

   セロニアス・モンクの音楽も優れてオリジナルです。僕らは――少しでもジャズに興味を持つ
 人であればということですが――セロニアス・モソクの音楽をけっこう頻繁に耳にしていますか
 ら、今さら聴いてもそれほどびっくりしない。音を聴いて「あ、これはモソクの音楽だ」と思う
 くらいです。でも彼の音楽がオリジナルであることは、誰の目にも明らかです。同時代のほかの
 ジャズ・ミュージシャンの演奏する音楽とは、音色も構造もぜんぜん違います。彼は自分の作っ
 たユニークなメロディーラインを持つ音楽を、独自のスタイルで演奏します。そしてその音楽は、
 聴いている人の心を動かします。彼の音楽は長いあいだ適正な評価を得ることができませんでし
 たが、少数の人々が強く彼を支持し続けた結果、徐々に一般的にも受け入れられるようになりま
 した。そのようにしてセロニアス・モンクの音楽ぱ今では、僕らの身体の中にある音楽認知シス
 テムの自明の、そして欠くことのできない一部になっています。言い換えれば「古典」となって
 いるわけです。

  絵画や文学の分野においても同じことが言えます。ゴッホの絵や、ピカソの絵は、最初のうち
 ずいぶん人を驚かせたし、場合によっては不快な気持ちにもさせました。しかし今では彼らの絵
 を見て心を乱されたり、不快な気持ちになる人はあまりいないと思います。むしろ大多数の人々
 は、彼らの絵を目にして感銘を受けたり、前向きな刺激を受けたり、癒されたりします。それは
 時間の経過とともに彼らの絵がオリジナリティーを失ったからではなく、人々の感覚がそのオリ
 ジナリティーに同化し、それを「レファレンス」として自然に体内に吸収していったからです。

  同じように、夏目漱石の文体やアーネスト・ヘミングウェイの文体も、今では古典となり、ま
 たレファレンスとして機能しています。漱石やヘミングウェイも、しばしば同時代の人々にその
 文体を批判され、あるときには鄭楡されたものです。彼らのスタイルに強い不快感を抱く人々も
 当時は少なからずいました(その多くは当時の文化的エリートです)。しかし今日に至るまで、
 彼らの文体はひとつのスタンダードとして機能しています。もし彼らの作り上げた文体が存在し
 なかったら、現在の日本小説やアメリカ小説の文体は、今とは少し違ったものになっていたんじ
 ゃないかという気がします。更に言えば、漱石やヘミングウェイの文体は、日本人の、あるいは
 アメリカ人のサイキの一部として組み込まれている、ということになるかもしれません。

  そのように過去において「オリジナルであった」ものを取り上げて、今の時点から分析するの
 は比較的容易です。ほとんどの場合、消え去るべきものは既に消え去ってしまっていますから、
 残ったものだけを取り上げて、安心して評価することができます。しかし多くの実例が示すよう
 に、同時代的に存在するオリジナルな表現形態に感応し、それを現在進行形で正当に評価するの
 は簡単なことではありません。なぜならそれは同時代の人の目には、不快な、不自然な、非常識
 的な――場合によっては反社会的な――様相を帯びているように見えることが少なくないからで
 す。あるいはただ単に愚かしく見えるだけかもしれません。いずれにせよそれは往々にして、驚
 きと同時にショ″クや反撥を引き起こすことになります。多くの人々は自分に理解できないもの
 を本能的に憎みますし、とくに既成の表現形態にどっぷり浸かって、その中で地歩を築いてきた
 エスタブリッシュメントにとって、それは唾棄すべき対象ともなり得ます。下手をするとそれは、
 自分たちの立っている地盤を突き崩しかねないからです。

  もちろんビートルズは現役で演奏しているときから、若者たちを中心に絶大な人気を得ていま
 したが、これはむしろ特殊な例だと思います。とはいっても、ビートルズの音楽がその当時から
 世間一般に広く受け入れられた、ということではありません。彼らの音楽は一過性の大衆音楽だ
 と思われていたし、クラシック音楽なんかに比べるとずっと価値の低いものだと見なされていま
 した。エスタブリ″シュメントに属する人々の多くは、ビートルズの音楽を不快に感じていたし、
 その気持ちを機会あるごとに率直に表明しました。とくに初期のビートルズのメソバーが採用し
 たヘアスタイルやファ″ショソは、今から思うと嘘のようですが、大きな社会問題になり、大人
 たちの憎しみの対象となりました。ビートルズのレコードを破棄したり、焼き捨てたりする示威
 行動も各地で熱心におこなわれました。彼らの音楽の革新性と質の高さが、一般社会で正当に公
 正に評価されるようになったのは、むしろ後世になってからです。彼らの音楽が揺らぎなく「古
 典」化してからです。

  ボブ・ディランも一九六〇年代半ばに、アコースティック楽器だけを使ったいわゆる「プロテ
 スト・フォークソング」のスタイル(それはウディー・ガスリーやピート・シーガーといった先
 人から受け継いだものでした)を捨てて、電気楽器を使うようになったときには、従来の支持者
 の多くから「ユダ」「商業主義に走った裏切り者」と悪し様に罵られました。でも今では彼が電
 気楽器を使い出したことを批判するような人はほとんどいないはずです。彼の音楽を時系列的に
 聴いていけば、それがボブ・ディランという自己革新力を具えたクリエーターにとって、あくま
 で自然で必須な選択であったことが理解できるからです。でも彼のオリジナリティーを、「プロ
 テスト・フォークソング」という狭義のカテゴリーの檻に押し込めようとする当時の(一部の)
 人々にとって、それは「裏切り」「背信」以外の何ものでもなかったのです。

  ビーチボーイズも現役のバンドとしてたしかに人気はあったけれど、音楽的リーダーであるブ
 ライアン・ウィルソンは、オリジナルな音楽を創作しなくてはならないという重圧のために神経
 を病んで、長期間にわたる実質的な引退状態を余儀なくされました。そして傑作『ペット・サウ
 ンズ』以降の彼の緻密な音楽は、「ハッピーなサーフィン・サウンド」を期待する一般リスナー
 にはあまり歓迎されないものになっていきました。それはどんどん複雑で難解なものになってい
 きました。僕もある時点から彼らの音楽にはあまりぴんと来なくなって、だんだん遠ざかってい
 った人間の一人です。今聴き直してみると「ああ、こういう方向性を持つ素晴らしい音楽だった
 んだな」と思うんだけど、当時は正直言ってその良さがよくわからなかった。オリジナリティー
 というのは、それが実際に生きて移動しているときには、なかなか形を見定めがたいものなので
 す。

   僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには、
 基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。
 
 (1)ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり
 色
彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解 
  できなくてはならない。
  (2)そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過と
 ともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そう
 いう自発的・内在的な自己革新力を有している。
 (3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、
 価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな
 引用源とならなくてはならない。

  ※サイキ:再帰 recursion(→反復帰納)

  もちろんすべての項目をしっかり満たさなくてはならない、ということではありません。(3)
 は十分クリアしているけれど(2)はちょっと弱い、というケースもあるでしょうし、(2)と
 (3)は十分クリアしているけれど(1)はちょっと弱い、というものもあるでしょう。しかし
 「多かれ少なかれ」という範囲でこの三項目を満たすことが、「オリジナルである」ことの基本
 的な条件になるかもしれません。

  こうしてまとめてみるとわかるように、(1)はともかく、(2)と(3)に関してはある程
 度の「時間の経過」が重要な要素になります。要するに一人の表現者なり、その作品なりがオリ
 ジナルであるかどうかは、「時間の検証を受けなくては正確には判断できない」ということにな
 りそうです。
  あるとき独自のスタイルを持った表現者がぽっと出てきて、世間の耳目を強く引いたとしても、
  もし彼なり彼女なりがあっという間にどこかに消えてしまったとしたら、あるいは飽きられてし
 まったとしたら、彼なり彼女なりが「オリジナルであった」と断定することはかなりむずかしく
 なります。多くの場合ただの「一発屋」で終わってしまいます。

  実際の話、僕はこれまで様々な分野において、そういう人々を目にしてきました。そのときに
 は目新しく斬新で、「ほうっ」と感心するんだけど、いつの間にか姿を見かけなくなってしまう。
 そして何かの拍子に「ああ、そういえば、あんな人もいたっけな」とふと思い起こすだけの存在
 になってしまいます。そういう人々にはたぶん持続力や自己革新力が欠けていた、ということな
 のでしょう。モのスタイルの質がどうこうという以前に、ある程度のかさの実例を残さなければ
 「検証の対象にすらならない」ということになります。いくつかのサソプルを並べ、いろんな角
 度から眺めないと、その表現者のオリジナリティーが立体的に浮かび上がってこないからです。

  たとえばもしベートーヴェンがその生涯を通じて、九番シンフォニーただ一曲しか作曲してい
 なかったとしたら、ベートーヴェンがどういう作曲家であったかという像はうまく浮かんでこな
 いのではないでしょうか。その巨大な曲がどういう作品的意味を持ち、どれほどのオリジナリテ
 ィーを持っているかというようなことも、その単体だけではつかみづらいはずです。シンフォニ
 ーだけ取り上げても、一番から九番までの「実例」がいちおうクロノロジカルに我々に与えられ
 ているからこそ、九番シンフォニーという音楽の持つ偉人性も、その圧倒的なオリジナリティー
 も、僕らには立体的に、系列的に理解できるわけです。

  あらゆる表現者がおそらくそうであるように、僕も「オリジナルな表現者」でありたいと願っ
 ています。しかしそれは先にも述べたように、自分一人で決められることでぱありません。僕が
 どれだけ「僕の作品はオリジナルです!」と大声で叫んだところで、あるいはまた批評家やメデ
 ィアが何かの作品を「これはオリジナルだ!」と言い立てたところで、そんな声はほとんど風に
 吹き消されてしまいます。何かオリジナルで、何かオリジナルではないか、その判断は、作品を
 受け取る人々=読者と、「然るべく経過された時間」との共同作業に一任するしかありません。
 作家にできるのは、自分の作品が少なくともクロノロジカルな「実例」として残れるように、全
 力を尽くすことしかありません。つまり納得のいく作品をひとつでも多く積み上げ、意味のある
 かさをつくり、自分なりの「作品系」を立体的に築いていくことです。

  ただ僕にとってひとつ救いになるというか、少なくとも救いの可能性となるのは、僕の作品が
 多くの文芸批評家から嫌われ、批判されてきたという事実です。ある高名な評論家からは「結婚
 詐欺」呼ばわりされたこともあります。たぶん「内容もないくせに、読者を適当にだまくらかし
 ている」ということなのでしょう。小説家の仕事には多かれ少なかれ手品師(illusionist)の
  ような部分がありますから、「詐欺師」と呼ばれるのはある意味、逆説的な賞賛なのかもしれま
 せん。
  そう言われて「やったぞ!」と喜んだ方がいいのかもしれません。しかし言われる――というか
 現実には活字になって世間に流布されるわけですが――方にしてみれば、正直言ってあまり愉快
 なものではありません。手品師はちゃんとした生業だけど、結婚詐欺というのは犯罪ですから、
 そういう表現はやはりいささか礼節に欠けるのではないかという気がします(あるいはディセン
 シーの問題ではなく、ただ比喩の選択が粗雑だったというだけのことかもしれませんが)。

  もちろん中には、僕の作品をそれなりに評価してくれる文芸関係者もいましたが、数も少なく、
 声も小さかった。業界全体的にみれば「イエス」よりは「ノー」の声の方が圧倒的に大きかった
 と思います。当時もし僕が池で溺れかけていたおばあさんを、池に飛び込んで助けたとしても、
 たぶんだいたい悪く言われただろうと――半ば冗談で半ば本気で――思います。「見え透いた売
 名行為だ」とか「おばあさんはきっと泳げたはずだ」とか。

  僕は最初のうち、自分でも作品の出来にあまり納得できずにいたので、「そう言われれば、そ
 うかもしれない」というくらいに批判を素直に受け止めていた、というか、おおむね受け流して
 いたのですが、歳月を経てある程度――もちろんあくまである程度ですが-I自分で納得のいく
 ものが書けるようになっても、僕の作品に対する批判は弱まりはしなかった。いや、むしろます
 ます風圧が強くなったようでした。テニスで言えば、サーブしようと上げたボールが、コートの
 外に流されていってしまうくらい。

  つまり僕が書くものは、出来不出来にあまり関係なく、少なからぬ数の人々を終始「不快な気
 持ちにさせ続けてきた」ということになりそうです。もちろんある表現形態が人々の神経を逆な
 でするからといって、それがオリジナルであるということにはなりません。当たり前の話ですね。
 ただ「不快なもの」「どこか間違ったもの」だけで終わってしまう例の方がずっと多いでしょう。
 しかしそれは、作品がオリジナルであることのひとつの条件になり得るかもしれない。僕は誰か
 に批判されるたびに、できるだけ前向きにそう考えるように努めてきました。生ぬるいありきた
 りの反応しか呼び起こせないより、たとえネガティブであれ、しっかりした反応を引き出した方
 がいいじゃないか、と。


  ポーランドの詩人ズビグュェフ・ヘルベルトは言っています。「源泉にたどり着くには流れに
 逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」と。なかなか勇気づ
 けられる言葉ですね(ロバート・ハリス『アフォリズム』サンクチュアリ出版より)。
  僕は一般論があまり好きではありませんが、あえて一般論を言わせていただくなら(すみませ
 ん)、日本においてあまり普通ではないこと、他人と違うことをやると、数多くのネガティブな
 反応を引き起こすというのは、まず間違いのないところでしょう。日本という国が良くも悪くも
 調和を重んじる(波風をたてない)体質の文化を有していることもありますし、文化の一極集中
 傾向が強いこともあります。言い換えれば、枠組みが堅くなりやすく、権威が力を振るいやすい
 わけです。

 とくに文学においては、戦後長い期間にわたって「前衛か後衛か」「右派か左派か」「純文学か
 大衆文学か」といった座標軸で、作品や作家の文学的立ち位置が細かくチャートされてきました。
 そして大手出版社(ほとんどは東京に集中しています)の発行する文芸誌が「文学」なるものの
 基調を設定し、様々な文学賞を作家に与えることで(いねば餌を撒くことで)、その追認をおこ
 なってきました。そんながっちりとした体制の中で、作家が個人的に「反乱」を起こすことはな
 かなか容易ではなくなってしまった。座標軸から外れることは即ち、文芸業界内での孤立(餌示
 まわってこなくなること)を意味するからです。

  僕が作家としてデビューしたのは一九七九年ですが、その頃でもまだそういう座標軸は、業界
 的にかなりしっかり機能していました。つまりシステムの「しきたり」は依然として力を持って
 いたわけです。「そういうのは前例示ありません」「それが慣例ですから」みたいな言葉を、編
 集者の口からしばしば耳にしました。僕は作家というのは、制約なんかなしに好きなことができ
 る、自由な職業だという印象を持っていたので、そういう言葉を聞かされるたびに「どうなって
 いるんだろう?」と首をひねってしまったものです。

 僕はもともと争いや喧嘩を好む性格ではないので(本当に)、そのような「しきたり」「業界不
 文律」に逆らおうというような意識はとくに持ち合わせていませんでした。ただきわめて個人的
 な考え方をする人間なので、せっかくこうして(いちおう)小説家になれたんだから、そして人
 生はたった一度しかないんだから、とにかく自分のやりたいことを、やりたいようにやっていこ
 うと最初から腹を決めていました。システムはシステムでやっていけばいいし、こちらはこちら
 でやっていけばいい。僕は六〇年代末のいわゆる「反乱の時代」をくぐり抜けてきた世代に属し
 ていますし、「体制に取り込まれたくない」という意識はそれなりに強かったと思います。でも
 同時に、というかそれより前に、仮にも表現者の端くれとして、何より精神的に自由でありたか
 ったのです。自分の書きたい小説を、自分に合ったスケジュールに沿って、自分の好きなように
 書きたかった。それが作家である僕にとっての最低限の自由であると考えていました。

  そしてどういう小説を自分が書きたいか、その概略は最初からかなりはっきりしていました。
 「今はまだうまく書けないけれど、先になって実力がついてきたら、本当はこういう小説が書き
 たいんだ」という、あるべき姿が頭の中にありました。そのイメージがいつも空の真上に、北極
 星みたいに光って浮かんでいたわけです。何かあれば、ただ頭上を見上げればよかった。そうす
 れば自分の今の立ち位置や、進むべき方向がよくわかりました。もしそういう定点がなかったな
 ら、たぶん僕はあちこちでけっこう行き感っていたのではないかと思います。

  そのような自分の体験から思うのですが、自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出す
 には、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、[自分から何かをマイナ
 スしていく」という作業が必要とされるみたいです。考えてみれば、僕らは生きていく過程であ
 まりに多くのものごとを抱え込んでしまっているようです。情報過多というか、荷物が多すぎる
 というか、与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試み
 るとき、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、時としてエンジン・ストールみた
 いな状態に陥ってしまいます。そして身動きがとれなくなってしまう。とすれば、とりあえず必
 要のないコンテンツをゴミ箱に放り込んで、情報系統をすっきりさせてしまえば、頭の中はもっ
 と自由に行き来できるようになるはずです。


  それでは、何かどうしても必要で、何かそれほど必要でないか、あるいはまったく不要である
 かを、どのようにして見極めていけばいいのか?    


                                                      「第四回 オリジナリティについて」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』 

                                     この項つづく

 

     ● 今夜の一曲

マーラー:交響曲第1番『巨人』

1884年から1888年にかけて作曲されたが、初め「交響詩」として構想され、交響曲となったのは1896
年の改訂による。「巨人」という標題は1893年「交響詩」の上演に際して付けられ、後に削除された。
この標題は、マーラーの愛読書であったジャン・パウルの小説『巨人』(Titan)に由来する。この
曲の作曲中に歌曲集『さすらう若者の歌』(1885年完成)が生み出された。同歌曲集の第2曲と第4
曲の旋律が交響曲の主題に直接用いるなど、双方は精神的にも音楽的にも密接な関係がある。演奏時
間約55分である。
 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

油断! 事例研究

2015年10月01日 | 時事書評

 

 

    ところが、彼らの音楽のどこがどうオリジナルなのか、ほかの音楽と
        どこがどう違うのか、ということを筋道立てて言語化しようとすると、
        これは至難の業になります。

                                  村上春樹 /  『職業としての小説家』 

 

 【油断! 事例研究Ⅰ】

● 特定外来生物「ツマアカスズメバチ」日本列島上陸中!

世界中でミツバチを食い荒らす外来種「ツマアカスズメバチ」が中国由来、韓国経由し、この日本に
も上陸し、農産物の被害をもたらせている。この蜂は非常に凶暴で、人にとって危険というだけな
く、ミツバチを主食としているため、養蜂業や農業に打撃を与える可能性があり下記の驚異の特徴を
もつ。

(1)生息範囲を急激なスピードで拡大する。
(2)養蜂・農産物に大きな被害を与える。
(3)針害事故の多発で死者も出ている。
 

すでに、12年に長崎県・対馬への侵入が確認され、中国原産の個体が船などで紛れ込んできたとみ
られている。
当初、島の北部のみだった、わずか1年ほどで島の南部にも巣が見られるようになる。
対馬ではニホンミツバチを使った日本古来の養蜂業が盛んに行われ、ミツバチをエサとするツマアカ
スズメバチにより、既に甚大な被害が発生。
ひとつの養蜂業者だけで年間、10以上の巣箱(蜂洞)
が全滅させられたという事例あり、すでに北九州でも発見されている。


     

それでは、その駆除方法はというと、早目の対策が必要だと警告されているものの、巣は、駆除が困
難な高い木の上や、崖の上などに多く現状の対策(従来のスズメバチ駆除方法)では分布の拡大を防
ぐには不十分だとされているが、スズメバチ駆除の職業専門家によると、(1)迅速な対応、(2)
蜂を一匹も逃さず、一網打尽に捕獲・駆除――蜂の出入口の封鎖・殺虫剤散布する。(3)蜂防護服
の着用、 ファイバースコープの使用、閉鎖箇所に薬剤が充満した場合に備え強制換気装置の使用、
ハシゴが届かない場所には高所作業車を使用。

手順としては、関係役所への通報――(1)発見場所、(2)蜂の種類――ツマアカスズメバチは尻
がオレンジ色している、(3)巣の大きさ、(4)駆除対象となる巣の数の把握を行い、デジカメ・
形態電話カメラでの撮影映像を伝送するなど必要な情報を伝えた上、役所の指示要項を聞き出し、職
業駆除専門家に依頼する。

以上のことを踏まえ、油断することなく脅威から防衛することが肝要と腹をくくる。とういえ、地震・
原発事故・集中豪雨などの異常気象(滋賀は火山がない直接的な被害除かれる)、シロアリ駆除・庭
の害虫退治となにかと家を守るのも大変な時代なようだ。トホホのホ・・・!。^^;。

 

● 中米で電力供給のための太陽光発電ソリューション導入

パナソニックは9月30日、中米エルサルバドルに合計出力2.5メガワットのメガソーラー(大規
太陽光発電所)を設置したと発表した。同国内で電力を供給するグルーポ・シマン社が所有する「
エル
・アンヘル綿織物倉庫」の屋根に設置。出力5百キロワットの3つの太陽光発電システムと、出
力1メガワットの1つのシステムから構成されており、1日約1万1千キロワット時の発電が可能。
発電電力は、エルサルバドル政府系電力会社に売電するほか、企業への直接売電分もある。

シャープなどの日の丸ソーラーパネルメーカは軒並み中国の官民複合メーカなどの攻勢でことごとく
惨敗のなか、京セラ、パナソニックが徳俵で踏みとどまっている感を拭えないなか、今回の導入は、
政府による入札を通じ、グルーポ・シマン社の産業部とパナソニックとのパートナーシップによって
実現したというが、その内実はどのようなものか?ほこりの多い中米地域では、導入にあたって、機
材・システムなどの保守・管理体制の構築が重要っだが、今回、パナソニックは、発電設備のほか、
システムのパフォーマンスについても保証――9台のインバーターや1万19枚のパネルの稼働状況
をオンラインでモニタリングし、不具合があっても瞬時に把握し、迅速に対処可能――したことが成
功要因である。 

 

当のパナソニックは、グローバルでクリーンエネルギーへの意識が高まる中、40年の歴史を持つ太
陽光発電システムとサービスで、世界から品質に対する信頼を集めているが、ワンストップサービス、
設計、ヒアリング、モニタリング、保守管理のすべての局面で常に技術とサービスの向上に努め、こ
れからもグローバルでのチャレンジを続けていくという。

 

   

● トヨタより先行した本田の燃料電池自動車が登場!
 
本田技研工業は、第44回東京モーターショー(開催期間:15年10月28日~11月8日。一般
公開は10月30日から)で、燃料電池自動車(FCV)のセダンを世界初公開する。このセダンは、
08年にリース販売された世界初のFCV専用設計セダン「FCXクラリティ」のコンセプトを受け継ぐ市
販モデル。FCVクラリティでは、左右座席間のセンタートンネル内に燃料電池スタックが設置。乗車
定員は4人だったが、新型モデルでは燃料電池スタックや発電システムなどを大幅に小型化。燃料電
池パワートレインをV6エンジンと同等のサイズまで小型化することで、市販車セダンとして、世界で
初めてボンネット内に集約し、「大人5人が快適に座れる、ゆとりあるフルキャビンパッケージ」を
実現。

搭載燃料電池の最高出力は百キロワット超、モーターの最高出力130キロワット、航続距離は7百
キロメートル以上(JC08モード走行時)に達する。水素タンクの充塡時間は3分程度――ガソリン車
と同等。エクステリアデザインは“BOLD and AERO”をコンセプトとし、「堂々とした車格を演出す
るワイド&ローボディーと、空力性能を追求した流麗なフォルムを融合」。
「瞬間認知・直感操作の
設計思想」に基づいたインターフェースデザインを採用した広さを感じるシンプルな構成仕上げ。

ところで、ホンダはFCVの本格的な普及を進めるため、「つくる」「つかう」「つながる」をコンセ
プトに、水素社会の実現に向けた研究開発を続けており、
「スマート水素ステーション」は独自の高
圧水電解システムを水素ステーションで、事前に工場で組み立てて設置する「パッケージ化された水
素ステーション」で、設置工事期間と設置面積が大幅削減。また
スマート水素ステーションは、すで
にさいたま市と北九州市に設置され、実証実験が進行中。さらに、
新型モデルを一般家庭のおよそ7
日分の電力をまかなう「発電所」として利用可能な外部給電用インバーターを同時公開する。



それにしてもフォルクワーゲンの不正事件は、世界の自動車産業に衝撃をあたえた。環境リスク本位
制時代にあって、致命的な倫理行動違反を犯ししたというだけでなく、米国市場進出の戦略的誤算り
は、水素電池自動車と電気自動車の二頭立ての競合舞台であることの見落としであった。、

 


● 折々の読書 『職業としての小説家』11
 

 そしてそういう人たちが二十人に一人でもこの世界に存在する限り、書物や小説の未来について
 僕が真剣に案じることはありません。電子書籍がどうこうというようなことも、今のところとり
 たてて心配はしていません。紙だろうが画面だろうが(あるいは『華氏451度』的な目頭伝承
 だろうが)、媒体・形式は何だってかまわないのです。本好きの人たちがちゃんと本を読んでく
 れさえすれば、それでいい。 

  僕が真剣に案じるのは、僕自身がその人たちに向けてどのような作品を提供していけるかとい
 う問題だけです。それ以外のものごとは、あくまで周辺的な事象に過ぎません。だって日本の総
 人口の五パーセントといえば、六、百万人程度の規模になります。それだけのマーケットがあれ
 ば、作家としてなんとか食べ繋いでいけるのではないでしょうか。日本だけではなく、世界に目
 を向ければ、当然ながら、読者の数はもっと増えていきます。
  ただし残りの人口の九五パーセントに関していえば、この人たちが文学と正面から向き合う機
 会は、日常的にそれほど多くはないだろうし、そしてその機会はこれからますます減少していく
 かもしれません。いわゆる「活字離れ」は更に進行していくかもしれません。それでもおそらく
 今のところ――これもまただいたいの目安に過ぎないのですが――少なくともその半分くらいは、
 社会文化の事象としての、あるいは知的娯楽としての文学にそれなりの興味を抱いており、機会
 があれば本を手に取って読んでみようと考えているように見受けられます。文学の潜在的受け手
 というか、選挙で言えば「浮動票」です。だからそのような人々のための、なんらかの窓口が必
 要になる。あるいはショールームのようなものが。そしてその窓口=ショールームのひとつを、
 今のところ芥川賞がつとめている(これまでつとめてきた)ということになるかもしれません。

 ワインでいえばボジョレ・ヌーボー、音楽でいえばウィーンのニューイヤーズ・コンサート、ラ
 ンニングでいえば箱根駅伝のようなものです。それからもちろんノーベル文学賞があります。し
 かしノーベル文学賞まで行ってしまうと、話がいささか面倒になります。

  僕は生まれてこの方、文学賞の選考委員をつとめたことが一度もありません。頼まれることも
 なくはないのですが、そのたびに「中し訳ありませんが、僕にはできません」とお断りしてきま
 した。文学賞の選考委員をつとめる資格が自分にはないと思っているからです。
  どうしてかといえば、理由は簡単で、僕はあまりにも個人的な人間でありすぎるからです。僕
 という人間の中には、僕自身の固有のヴィジョンがあり、それに形をyえていく固有のプロセス
 があります。そのプロセスを維持するためには、包括的な生き方からして個人的にならざるを得
 ないところがあります。そうしないとうまくものが書けないのです。
 
  でもそういうのはあくまで僕自身のものさしであって、僕自身には適していても、そのままほ
 かの作家に当てはまるとは思えません。「自分のやり方以外のすべてのやり方を排除する」とい
 うことでは決してないのですが(僕のやり方とは違っていても、敬意を抱かされるものは、もち
 ろん世の中に数多くあります)、中には「これはどうしても自分とは相容れない」、あるいは「
 これは理解することもできない」というものもあります。いずれにせよ僕は、自分という軸に沿
 ってしか、ものごとを眺め、評価をすることができないのです。良く言えば個人主義的だけど、
 べつの言い方をするなら自己本位で、身勝手なわけです。で、僕がそんな身勝手な軸やものさし
 を持ち込んで、それに沿って他人の作品を評価したりしたら、された方はたまらないだろうとい
 う気がします。既に作家としての地位がある程度固まった人ならともかく、出たばかりの新人の
 作家の命運を、僕のバイアスのかかった世界観で左右するようなことは、おそろしくてとてもで
 きない。

  とはいえ、そういう僕の態度は作家としての社会的責任の放棄にあたるんじゃないかと言われ
 れば、まあそのとおりかもしれません。僕だって「群像新人文学賞」という窓口を通過し、そこ
 で入場券を一枚受け取って、作家としてのキャリアを開始したわけです。もしその賞をとらなか
 ったら、僕はおそらく小説家になっていなかったんじゃないかという気がします。「もういいや」
 と思って、そのあと何も書かないままで終わっていたかもしれない。じゃあ、僕としても同じよ
 うなサービスを若い世代に向かって提供する責務があるのではないか? 世界観に多少のバイア
 スがかかっていたとしても、努力して最低限の客観性を身につけ、後輩のために今度はおまえが
 入場券を発行し、チャンスを与えてあげるべきなのではないか? そう言われれば、たしかにそ
 のとおりかもしれません。そういう努力をしないのはひとえに僕の怠慢であるかもしれません。

  しかし考えていただきたいのですが、作家にとって何より大事な責務は、少しでも質の高い作
 品を書き続け、読者に提供することです。僕はいちおう現役の作家だし、言い換えれば未だ発展
 途上にある作家です。今自分が何をしているのか、これから何をすればいいのか、それをまだ手
 探りで探す立場にある人間です。文学という、いねば戦場の最前線で、生身で切り結んでいる状
 態の人間です。そこで生き残り、なおかつ前に進んでいくこと、それが僕にyえられた課題です。

 他人の作品を客観的な視線で読んで評価し、責任を持って推奨したり、あるいは却ドしたりする
 作業は、現在の僕の仕事の範囲には入っていない。真剣にやれば――もちろんやるからには真剣
 にやるしかないわけですが――少なからぬ時間とエネルギーが要求されます。そしてそれは、自
 分の仕事に割く時間とエネルギーが奪われることを意味します。正直なところ、僕にはそれだけ
 の余裕はありません。そういうことがどちらも同時にうまくできる人もおられるのでしょうが、
 僕は自分自身に与えられた課題を日々こなしていくだけで手一杯なのです。

  そういう考え方はエゴイスティックではないのか? もちろん、かなり身勝手です。それに反
 論の余地はありません。批判は甘んじて受けます。
  しかしその一方で、出版社が文学賞の選考委員を集めるのに苫労しているという話を耳にした
 ことはありません。少なくとも、選考委員が集まらないので借しまれつつ廃止になった文学賞の
 話もまだ聞いたことかありません。それどころか世間の文学賞の数はますます増え続けているよ
 うに見えます。日本中で毎日ひとつは文学賞が誰かに授与されているような気がするほどです。
 だから僕が選考委員を引き受けなくても、それで「入場券」発行数が減って、社会的問題になる
 ということもないみたいです。

  それからもうひとつ、僕が誰かの作品(候補作)を批判して、それに対して「じゃあ、そうい
 うおまえの作品はどうなんだ? そんな偉そうなことを言える立場におまえはあるのか?」と問
 われると、僕としては返す言葉がなくなってしまいます。実際にその人の言うとおりなんだから。
 できることならそういう目にはあいたくない。
  かといって――はっきり断っておきたいのですが――文学賞の選考委員をしている現役の作家
 (いれば同業者です)についてあれこれ言うつもりは僕にはまったくありません。自分の創作を
 真摯に追求しながら、同時にそれなりの客観性をもって新人作家の作品を評価できる人もちゃん
 といるはずです。そういう人たちは頭の中にあるスイ″チをうまく切り替えられるのでしょう。
 そしてまた、誰かがそういう役目を引き受けなくてはならないことも確かです。そのような人々
 に対して畏敬の念、感謝の念を抱いてはいるものの、残念ながら僕自身にはそういうことはでき
 そうにありません。僕はものを考えて判断するのに時間がかかりますし、時間をかけてもよく判
 断を間違えるからです。

  文学賞というものについて、そ
れがどのようなものであれ、これまで僕はあまり語らないよう
 にしてきました。賞を取る取らないは作品の内容とは多くの場合、基本的に関わりを持だない問
 題だし、それでいて世間的にはけっこう刺激的な話題であるからです。しかし最初に言ったよう
 に文芸誌に載った芥川賞についてのこの小さな記事をたまたま読んで、そろそろここらで文学賞
 について自分の考えていることをひととおり語っておいていい時期かもしれないと、ふと思いま
 した。そうしないと、妙な誤解を受ける可能性もあるし、それをある程度正しておかないと、そ
 の誤解が「見解」として固定してしまう恐れもありますから。
 
  でもこういうものごとについて(まあ、生ぐさいものごとと言いますか)、思うところを語る
 のはなかなかむずかしいですね。ことによっては、正直に語れば語るほど嘘っぽく、また傲慢に
 響いてしまうかもしれない。投げた石は、より強い勢いでこちらに跳ね返ってくるかもしれない。
 にもかかわらず、正直にありのままを語ることが、最終的にはいちばん得策なのではないかと、
 僕は考えます。僕の言わんとするところをそのまま理解してくださる方も、きっとどこかにおら 
 れるだろうと。

  僕がここでいちばん言いたかったのは、作家にとって何よりも大事なのは「個人の資格」なの
 だということです。賞はあくまでその資格を側面から支える役を果たすべきであって、作家がお
 こなってきた作業の成果でもなければ、報償でもありません。ましてや結論なんかじゃない。あ
 る賞がその資格を何らかのかたちで補強してくれるのなら、それはその作家にとって「良き賞」
 ということになるでしょうし、そうでなければ、あるいはかえって邪魔になり、面倒のタネにな
 るようであれば、それは残念ながら「良き賞」とは言えない、ということです。そうなるとオル
 グレンはメダルをさっさと投げ捨て、チャンドラーはストックホルム行きをおそらく拒否するこ
 とになります  もちろん彼がそのような立場に置かれたら実際にどうしたかまでは、僕にはわ
 かりかねますが。

  そのように、賞の価値は人それぞれによって違ってきます。そこには個人の立場があり、個人
 の事情があり、個人の考え方・生き方があります。いっしょくたに扱い、論じることはできない。
 僕が文学賞について言いたいのも、モれだけのことです。一律に論じることはできない。だから
 一律に論じてほしくもない。
  まあ、ここでそんなことを言いたてて、それでどうなるというようなものでもないのでしょう
 が。
                             
                                「第三回 文学賞について」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』 


この章はひたすら流すしかなかった、受賞と関係なく読むもので、"求めた"から読んだのであって、
その偶然が感性を刺激し、作品シンクロナイズした余韻が糸を引き、次作品の購読を生むというわけ
そのトリガーが『風の歌を聴け』であったが、『ノルウェイの森』にはそれがなかった。それ以降、
家庭持ちが無駄と知りつつ、積んでおくだけの本として購読し続けたのは、収入に余裕があったから
で、なければ図書館や本屋の立ち読みで(しっかり)判断してから購読していた。この期間著者の書
き下ろし作品よりレモンンド・カーヴァーの翻訳本の熱心な読者だった。しかし、『ノルウェイの森』
は世界に一大旋風を巻き起こしノーベル文学賞候補の常連者として取り上げられるようになる。



  オリジナリティーとは何か?
  これは答えるのがとてもむずかしい問題です。芸術作品にとって、「オリジナルである」とい
 
うのはいったいどういうことなのか? その作品がオリジナルであるためには、どのような資格
 
が必要とされるのか? そういうことについて正面からまともに追求していくと、考えれば考え
 
るほどわけがわからなくなってくる、というところがあります。
  脳神経外科医のオリヴァー・サックスは、『火星の人類学者』という著書の中で、オリジナル
 な創造性をこのように定義しています。


   創造性にはきわめて個人的なものという特徴があり、強固なアイデンティティ、個人的ス
  
タイルがあって、それが才能に反映され、溶けあって、個人的な身体とかたちになる。この
  
意味で、創造性とは創りだすこと、既存のものの見方を打ち破り、想像の領域で自由に羽ば
  
たき、心のなかで完全な世界を何度も創りかえ、しかもそれをつねに批判的な内なる目で監
  視することをさす。

                      (吉田利子訳・ハヤカワ文庫、三二九ページ)


  まことに要を得た、的確で奥深い定義ですが、しかしそうきっぱりと言われてもなあ……と思
 わず腕組みしてしまいます。
  でも正面突破的な定義や理屈はとりあえず棚上げして、具体例から考えていくと、話は比較的
 わかりやすくなるかもしれません。たとえばビートルズが出てきたのは、僕が十五歳のときです
 初めてビートルズの曲をラジオで聴いたとき、たしか『プリーズ・プリーズ・ミー』だったと思
 いますが、身体がぞくっとしたことを覚えています。どうしてか? それがこれまでに耳にした
 ことのないサウソドであり、しかも実にかっこよかったからです。どう素晴らしいか、その理由
 はうまく言葉で説明できないんだけど、とにかくとんでもなく素晴らしかった。その一年くらい
 前にビーチボーイズの『サーフィンUSA』を初めてラジオで耳にしたときにも、それとだいた
 い同じことを感じました。「いや、これはすごいぞ!」コはかのものとはぜんぜん違う!」と。

  今にして思えば、要するに彼らは優れてオリジナルであったわけです。他の人には出せない音
 を出していて、他の人がこれまでやったことのない音楽をやっていて、しかもその質が飛び抜け
 て高かった。彼らは何か特別なものを持っていた。それは十四歳か十五歳の少年が、貧弱な音の
 小さなトランジスタ・ラジオ(AM)で聴いても、即座にぱっと理解できる明らかな事実でした。
 とても簡単な話です。

  ところが、彼らの音楽のどこがどうオリジナルなのか、ほかの音楽とどこがどう違うのか、と
 いうことを筋道立てて言語化しようとすると、これは至難の業になります。少年である僕にはそ
 んなことはまったく無理だったし、大人になった今でも、そしてこうしていちおう職業的文章家
 になった今でも、かなりむずかしそうです。そういう説明は少なからず専門的にならざるを得ま
 せんし、そういう風に理屈で説明されても、された方はあまりぴんと来ないかもしれません。実
 際にその音楽を聴いた方が早いです。聴きゃあわかるだろ、と。

  でもビートルズやビーチボーイズの音楽について言いますと、彼らが登場してから既に半世紀
 が経過しています。ですからそのときに、彼らの音楽が僕らに同時代的に、同時進行的に与えて
 くれた衝撃が、どれくらい強烈なものであったかというのは、今となってはいささかわかりづら
 くなっています。
  というのは彼らが登場したあと、当然のことながら、ビートルズやビーチボーイズの音楽に影
 響を受けたミュージシャソが数多く出てきています。そして彼ら(ビートルズやビーチボーイズ)
 の音楽は既に「ほぼ価値の確定したもの」として、社会にしっかり吸収されてしまっています。
  すると、今現在十五歳の少年がビートルズやビーチボーイズの音楽を初めてラジオで耳にして

 「これ、すごいなあ」と感激したとしても、その音楽を「前例のないもの」として劇的に体感す
 ることは、事実的に不可能になるかもしれない。
  同じことはストラヴィンスキーの『春の祭典』についても言えます。1913年にパリでこの
 曲が初演されたとき、モのあまりの斬新さに聴衆がついてこられず、会場は騒然として、えらい
 混乱が生じました。その型破りな音楽に、みんな度肝を抜かれてしまったわけです。しかし演奏
 回数を重ねるにつれて混乱はだんだん収まり、今ではコンサートの人気曲目になっています。今
 僕らがその曲をコンサートで聴いても、「この音楽のいったいどこが、そんな騒動を引き起こす
 わけ?」と首をひねってしまうくらいです。その音楽のオリジナリティーが初演時に一般聴衆に
 与えた衝撃は、「たぶんこういうものであったのだろうな」と頭の中で想像するしかありません。

  じゃあオリジナリティーというのは時が経つにつれて色梗せていくものなのか、という疑問が
 生じるわけですが、これはもうケース・パイ・ケースです。オリジナリティーは多くの場合、許
 容と慣れによって、当初の衝撃力を失ってはいきますが、そのかわりにそれらの作品は――もし
 その内容が優れ、幸運に恵まれればということですが――「古典」(あるいは「準古典」) へ
 と格上げされていきます。そして広く人々の敬意を受けるようになります。『春の祭典』を聴い
 ても、現代の聴衆はそれほど戸感ったり混乱したりしませんが、今でもやはりそこに時代を超え
 た新鮮さや迫力を体感することはできます。そしてその体感はひとつの大事な「レファレンス(
 参照事項)」として人々の精神に取り込まれていきます。つまり音楽を愛好する人々の基礎的な
 滋養となり、価値判断基準の一部となるわけです。極端な言い方をすれば、『春の祭典』を聴い
 たことのある人と、聴いたことのない人とでは、音楽に対する認識の深度にいくらかの差が出て
 くることになります。どれくらいの差か、具体的には特定できませんが、何かしらの差がそこに
 生じるのは間違いないところでしょう。

  マーラーの音楽の場合は少し事情が違います。彼の作曲した音楽は当時の人々には正当には理
 解されませんでした。一般の人々は――あるいはまわりの音楽家さえ―彼の音楽をおおむね「不
 快で、醜くて、構成にしまりがなく、まわりくどい音楽」として捉えていたようです。今から思
 えば彼は交響曲という既成のフォーマットを「脱構築」したということになるのでしょうが、当
 時はまったくそういう風には理解されなかった。どちらかといえばむしろ後ろ向きの「いけてな
 い」音楽として、仲間の音楽家だちから軽んじられていたようです。マーラーがいちおう世間に
 受け入れられていたのは、彼が非常に優れた「指揮者」であったからです。彼の死後、マーラー
 の音楽の多くは忘れ去られました。オーケストラは彼の作品を演奏することをあまり喜ばなかっ
 たし、聴衆もとくに聴きたがらなかった。彼の弟子や数少ない信奉者たちが、火を絶やさないよ
 うに大事に演奏し続けてきただけです。
 しかし一九六〇年代に入ってマーラーの音楽の劇的なまでのリバイバルがあり、今ではその音楽
 はコンサートには欠かせない重要な演目となっています。人々は好んで彼のシンフォニーに耳を
 傾けます。それはスリリングで、精神を揺さぶる音楽として我々の心に強く響きます。つまり、
 現代に生きる我々が時代を超えて、彼のオリジナリティーを掘り起こしたということになるかも
 しれません。時としてそういうことも起こり得ます。シューベルトのあの素晴らしいピアノソナ
 タ群だって、彼の生きている間はほとんど演奏されませんでした。それらがコンサートで熱心に
 演奏されるようになったのは、二十世紀も後半になってからのことです

                                                     「第四回 オリジナリティについて」

                                 村上春樹 『職業としての小説家』 

                                     この項つづく

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする