<12月の鑑賞予定映画>
~太宰治生誕100年。ある夫婦をめぐる「愛」の物語~
原作を読んだので気になって観てきました。
2009年 日本 東宝配給 (09.10.10公開) PG-12作品
監督:根岸吉太郎
原作:太宰治 「ヴィヨンの妻」 新潮文庫刊
衣装:黒澤和子
音楽:吉松隆 上映時間:1時間54分
出演:松たか子・・・・・・・佐知 (小説家を愛する妻)
浅野忠信・・・・・・・大谷 (生きる事と闘う小説家)
室井滋・・・・・・・・・巳代 (飲み屋・椿屋主人の妻)
伊武雅刀・・・・・・・吉蔵 (飲み屋・椿屋主人)
広末涼子・・・・・・・秋子 (小説家の愛人)
妻夫木聡・・・・・・・岡田 (妻に想いを寄せる青年)
堤真一・・・・・・・・・辻 (過去を忘れられない弁護士)
<見どころ>
生誕100年を迎える文豪・太宰治の同名短編小説を映画化。
戦後の混乱期を背景に、道楽ざんまいの小説家の夫に振り回されながらも
明るくしなやかに生きていく女性の姿を描く。
<あらすじ>
戦後の混乱期、酒飲みで多額の借金をし浮気を繰り返す小説家・大谷(浅野忠信)
の妻・佐知(松たか子)は、夫が踏み倒した酒代を肩代わりするため飲み屋で
働くことに。生き生きと働く佐知の明るさが評判となって店は繁盛し、
やがて彼女に好意を寄せる男も現れ佐知の心は揺れる。
そんな中、大谷は親しくしていたバーの女と姿を消してしまい……。
(シネマトゥディより)
<感想>
原作は一応読みました。短編作品なので、こんな短いものをどうやって2時間
持たすのだろう?と思って映画館に行ったのですが、なるほど、けっこう脚色
してありました。
言い回しは、ほとんど現代仮名訳本に記されている言葉通りに話しているので
文学的映画らしい作品になっています。
夫婦の会話も「ですます」調になっているので、貧しいのにどこか品を感じます。
劇中に出てくる大谷は、「死にたい」が口癖の繊細な小説家。
妻子がいるのにお金は渡さない、愛人は複数いて母性本能をふりまき
出会った女性はみんな虜になって堕ちていく・・・という、女がほっとかない男。
私の最も苦手とするタイプです。
自分は好き放題しているのに、自分の借金のために佐知が飲み屋で働く
ことになるのですが、そこで佐知はお客からかわいがられます。
「自分もまだ捨てたものじゃない」というのを認識した佐知は、どんどん美しく
なっていくのですが、大谷はそれが面白くない。嫉妬心が芽生えます。
自分は愛人作っといて、妻がちょっと色気づくとこの有様。
でも、世の男性はこういうの多いんでしょうかねぇ。
その昔、元カレに「俺は浮気するけど、お前は絶対するな」と言われて
聞いたことあるんですよ。
「どうして私は浮気してはいけないのかな?」
「汚れるから。真っ白でいてほしい」ですと。
つまり、裏を返せば、「こんな男でも君はすべてを許して受け止めてほしい」と
いうことらしいです。大谷もたぶん、そういう気持ちがあったんでしょうかね?
一見、不似合いな夫婦にも見えますが、映画が進むにつれ、根本的な
ところは、似た者夫婦なのかな?というのが見えてきます。
大谷が「女がほっとかない」タイプなら、佐知は「男がほっとかない」タイプ。
従順で何でも受け入れどこか隙があるようなかんじ、これはモテますけど
こういう女も男をダメにするのよね。。。。
辻と岡田という男が佐知はに近づきますが、辻は元カレ。佐知はをふった
形になりますが、再会して「逃した獲物は大きかった」ということに
気がつきます。「どうしてこんなに君が欲しいんだろう」のセリフは
ちょっとゾクっときましたね。
太宰治を連想する大谷を演じた浅野忠信さんは、不幸さの中に美しさがあり
苦悩する姿は、さすがの演技。
佐知を演じた松たか子さんは、とにかく色っぽい。あんな演技できるんだ~
と感心しましたね。粗末な衣装を着ていても綺麗なんですよ。
あと驚いたのが広末涼子さん。いやぁ~体当たりの演技でしたね。
濡れ場のシーン、そんなに露出してないのに生々しいんですよ。
思わず凝視してしまいました。でもなんでかなぁ~愛人には見えなかった。
「死にたい」と連呼する大谷でしたが、「死ぬ」行為を行うことで
生きていることを実感したいのではないか?というふうに見えました。
また佐知も、夫に振り回されながらも、不幸感はあまり感じません。
私には理解できませんが、これもひとつの愛の形なんでしょうか。
点数:7.5点 (10点満点)