iPhone5に同期させる音楽を選んでいたら、「Sipadan」というプレイリストが出てきた。
存在すら忘れていたが、その昔、「iPod mini」をもらった時に作ったんだった。
ちょうどシパダンクローズの年だったので、思い出にふけって作ったものと思われ・・・。
その昔、シパダンのシャレーは寝るためだけの、ほぼ掘建て小屋だった。
ただ、これでもシャレーは何回か建て直されたあとのもの。
Jettyはボロボロ、先端のほうは、何枚も板がなくなっていた。
日没後の島はものがなしく・・・
夜は水中ライト片手に足下を照らさないと、部屋まで歩けない暗さだった。
だから、何もない島の娯楽といえば音楽くらい。
私がシパダンに通いはじめたのは、グランジ終焉の、カート・コバーンが亡くなった1994年。
日本では篠原涼子の「愛しさと切なさと心強さと」が大ヒットした頃で、洋楽ではオルタナ系が流行っていたものの、島で聞くのはほぼ懐メロ。
当時は20代ダイバーが多かったので、洋楽の懐メロにはピンと来ない人々が多かったようだが、私はロックにはちょっとうるさいので、同世代の友だちが知らないような50's、60'sだって、平気でついてゆけた。
この「Sipadan」の中身は・・・
Wonderful Tonight/Eric Clapton
ゲストに対する、ほめ殺しソング。
でも、ありがたい!?
クラプトンの自伝によれば、この詩は皆が思うロマンチックなシチュエーションではなく、ジョージ・ハリソンと争ってgetしたパティ・ボイドが、外出前の支度にあまりに時間がかかることで、「うん、君はもうじゅうぶんきれいだから・・・」的シチュエーションで生まれた曲らしい。
この曲のけだるい感じが、1日5ダイブのあとの夜にはよろしい。
悲しい気持ち/桑田佳祐
マレーシアでも人気。
でも、意味はわからない、を連発していた。
If we hold on together/Diana Ross
ダイブマスターの手書きの歌本にあった1曲。
確か、ドラマの主題歌になったことで日本でもヒットし、すらすら歌えるとダイブマスターと熱唱。
でも「ダイアナ・ロスの歌って長いよね」ってことになり、ダイアナ・ロスのように歌い上げることなく挫折。
I'm not in love/10cc
初シパダンに後ろ髪を引かれつつ帰る、MH便の中で流れていた。
次はいつ来られるのかしら?という、なんとなく打ちひしがれた思いと、すぐに戻ってきてやる!という前向きな気持ちが交錯。
とはいえ、学生の男の子と友だちと3人、全員シパダン初心者で、シパダンでの日々に興奮したまま、超ハイテンションな帰り道だった、
Broken Hearted Woman/Jessica Jay
1995年2月。2度目のシパダン。
はじめての直行便で昼間にKK入り、はじめてKKを歩いた時、センターポイントでやたらと流れていた。
島に行っても、ボルネオダイバーズのカンティーンで、狂ったように流れていた。
フィリピノのおばさんスタッフが、曲にあわせてコミカルに踊っていた。
なんとなく中国っぽさを感じるメロディラインが印象的だったが、原曲が中島みゆきのルージュと知ったのは、21世紀になってから。
失恋ソングだけれど、キャッチーなメロディーで、原曲や中国語版よりいいと思う。
ちなみに、その頃、お隣のSDCでは、大黒摩季が狂ったように流れていたらしい。
SDCのカンティーンに近いハットの人々が「うるさい!」と怒っていた。
Without you/Mariah Carey
日本でマライア版ウィザウト・ユーのヒットの記憶が新しかった頃。
夕方になると、どこからともなく、誰かがつまびくギターの音にのって聞こえてきた。
なんだか、ものがなしくて、サンセットタイムにマッチしていた。
We Are The Champions/Queen
Rock You/Queen
当時、夕方になると、ダイブマスターは、毎日交替で、ナイトダイビングにゆくゲストのために、ビーチで待機していた。
とはいえ、ダイブマスターの仕事は、ライトのレンタルと、全員が無事エキジットしたかのチェックくらい。
たいていはヒマそうで所在なげにしているので、そこでバカ話でもするのだ。
初期はギターをつまびいていたりするのが、やがて「ラジカセ」となり、「ウォークマン」に進化。
当時のダイブマスターの月給は確か、1リンギット40円でも、27000円とか、そんな数字だった記憶している。
ラジカセに進化したとき、ガンガン流れていたのがQueen。
Tears In Heaven/Eric Clapton
邦題は「天国の扉」。
クラプトンが、ニューヨークの高層マンションから転落死した息子にたいして、気持ちに一区切りついたときに作った、泣ける歌。
敬愛するクラプトンなのだが、皆に嫌われてたオヤジイントラが、私たちが楽しく談笑しているところに、歌いにくると、本当に、迷惑以外の何者でもなかった。
イギリス人ダイブマスターが「みんなの邪魔をするんじゃない」と注意したら、おっさん、泣いてしまった。
Smoke On The Water/Deep Purple
なぜか島にエレキが登場。
エレキを持ったら、やはりこのリフは弾きたいだろう。
ドロップ・オフ前で、HRはないだろう、と思ったけれど・・・
Have You Ever Seen the Rain?/Creedence Clearwater Revival.
邦題は「雨を見たかい」。
Jettyでよくフィリピノのボートマンや裏方スタッフが演奏していた。
アメリカ人が「フィリピノの音楽センスは本当にすごい!」と賞賛するとともに、オジサンたちからは「彼らは、これを反戦歌と知って歌っているんだろうか?」と言われていた。
American Pie/Don McLean
これもフィリピノがよく歌っていた。
50年代後半のアメリカのロックスター、バディ・ホリー、リッチー・バレンス、ビッグ・ボッパーが1959年節分の日、飛行機事故で亡くなった日を、音楽が死んだ日と歌ったもの。
私には、島にはあわない歌だなぁ、と思った。
個人的に、フォークは苦手である。
Hotel California/The Eagles
これもフィリピノがよく歌っていた。
もともとが長めの曲なのに、夜遅くまで延々とJettyで歌われていると、早く寝たい日など、迷惑以外の何物でもなく、この歌が嫌いになった。
こうやってみると、フィリピノは、アメリカンロック、サバハンはブリティッシュ・ロックだな。
私はブリティッシュに1票。
Believe/Sher
ミレニアムの夜、この曲で踊っていた。
シェールの曲のよさもわからないし、しかも、犬猿の仲のダイブマスターと踊っていた。
そのあと、モー娘ラブマシーンと嵐のA・RA・SHIを歌いながら島内一周したっけ。
Grateful Days/Dragon Ash
持っていったCDの中に、当時ファンだったDragon Ashがあった。
ミスチルやスピッツ、ケミストリーなんかもあったと思うが、サバハンにはどれも響かないよう。
サバハンには、私が苦手とするKiroro人気は高いので、ああいう、穏やか系がよいのかと思いきや。
でも、Dragon Ashは違った。
ダイブマスター約1名、すっかりハマってしまい、おらんぷてぃ(白人)にはわからないのに、カンティーンでやたら流していた。
Sexbomb/Tom Jones
SDCのスタッフシェッドから聞こえてきた。
一度聞けば覚える、印象的なサビ。
KKのショッピングセンターでも、よく流れていた。
保守的な国なのに。
Will You Love Me Tomorrow/The Shirelles
Let It Be Me/The Everly Brothers
どちらもオールディーズの名曲。
アブディラで、ダイブマスターたちが、イタリアンゲストをエンターテインするために練習してた曲。
練習なので、いつまでもいつまでも繰り返して歌ってた。
静かな島の夜に、よくあうと思った。
How Deep Is Your Love/The Bee Gees
I want you, I need you, I love you/Elvis Presley
クローズの年の9月。
歌わないリゾート、シパダン・ダイブ・センターに、なぜかギターが登場。
ダイブマスターとすみっこの方で熱唱していたら、「ユースホステルみたい」と言われた。
こんなラインアップである。
忘れた頃なだけに、けっこうフラッシュバック。
そして、心の中にGoodbye Jamaicaの替え歌「シパダン・ソング」。
クローズから10年もたたないのに、今はダイビングでゆくような僻地でも、ほぼケータイがつながり、WiFiが使えるので、ホリデーとはいえども、常に「現実」とどこかでつながっている。
前は「電話もつながらないような場所だからさよならー」と言って、有給に入ったものだが、今はどこでも台風情報がチェックできるがごとく、完全な現実逃避の旅ができなくなってしまった。
あんな素朴な夜がなつかしい今日この頃。
存在すら忘れていたが、その昔、「iPod mini」をもらった時に作ったんだった。
ちょうどシパダンクローズの年だったので、思い出にふけって作ったものと思われ・・・。
その昔、シパダンのシャレーは寝るためだけの、ほぼ掘建て小屋だった。
ただ、これでもシャレーは何回か建て直されたあとのもの。
Jettyはボロボロ、先端のほうは、何枚も板がなくなっていた。
日没後の島はものがなしく・・・
夜は水中ライト片手に足下を照らさないと、部屋まで歩けない暗さだった。
だから、何もない島の娯楽といえば音楽くらい。
私がシパダンに通いはじめたのは、グランジ終焉の、カート・コバーンが亡くなった1994年。
日本では篠原涼子の「愛しさと切なさと心強さと」が大ヒットした頃で、洋楽ではオルタナ系が流行っていたものの、島で聞くのはほぼ懐メロ。
当時は20代ダイバーが多かったので、洋楽の懐メロにはピンと来ない人々が多かったようだが、私はロックにはちょっとうるさいので、同世代の友だちが知らないような50's、60'sだって、平気でついてゆけた。
この「Sipadan」の中身は・・・
Wonderful Tonight/Eric Clapton
ゲストに対する、ほめ殺しソング。
でも、ありがたい!?
クラプトンの自伝によれば、この詩は皆が思うロマンチックなシチュエーションではなく、ジョージ・ハリソンと争ってgetしたパティ・ボイドが、外出前の支度にあまりに時間がかかることで、「うん、君はもうじゅうぶんきれいだから・・・」的シチュエーションで生まれた曲らしい。
この曲のけだるい感じが、1日5ダイブのあとの夜にはよろしい。
悲しい気持ち/桑田佳祐
マレーシアでも人気。
でも、意味はわからない、を連発していた。
If we hold on together/Diana Ross
ダイブマスターの手書きの歌本にあった1曲。
確か、ドラマの主題歌になったことで日本でもヒットし、すらすら歌えるとダイブマスターと熱唱。
でも「ダイアナ・ロスの歌って長いよね」ってことになり、ダイアナ・ロスのように歌い上げることなく挫折。
I'm not in love/10cc
初シパダンに後ろ髪を引かれつつ帰る、MH便の中で流れていた。
次はいつ来られるのかしら?という、なんとなく打ちひしがれた思いと、すぐに戻ってきてやる!という前向きな気持ちが交錯。
とはいえ、学生の男の子と友だちと3人、全員シパダン初心者で、シパダンでの日々に興奮したまま、超ハイテンションな帰り道だった、
Broken Hearted Woman/Jessica Jay
1995年2月。2度目のシパダン。
はじめての直行便で昼間にKK入り、はじめてKKを歩いた時、センターポイントでやたらと流れていた。
島に行っても、ボルネオダイバーズのカンティーンで、狂ったように流れていた。
フィリピノのおばさんスタッフが、曲にあわせてコミカルに踊っていた。
なんとなく中国っぽさを感じるメロディラインが印象的だったが、原曲が中島みゆきのルージュと知ったのは、21世紀になってから。
失恋ソングだけれど、キャッチーなメロディーで、原曲や中国語版よりいいと思う。
ちなみに、その頃、お隣のSDCでは、大黒摩季が狂ったように流れていたらしい。
SDCのカンティーンに近いハットの人々が「うるさい!」と怒っていた。
Without you/Mariah Carey
日本でマライア版ウィザウト・ユーのヒットの記憶が新しかった頃。
夕方になると、どこからともなく、誰かがつまびくギターの音にのって聞こえてきた。
なんだか、ものがなしくて、サンセットタイムにマッチしていた。
We Are The Champions/Queen
Rock You/Queen
当時、夕方になると、ダイブマスターは、毎日交替で、ナイトダイビングにゆくゲストのために、ビーチで待機していた。
とはいえ、ダイブマスターの仕事は、ライトのレンタルと、全員が無事エキジットしたかのチェックくらい。
たいていはヒマそうで所在なげにしているので、そこでバカ話でもするのだ。
初期はギターをつまびいていたりするのが、やがて「ラジカセ」となり、「ウォークマン」に進化。
当時のダイブマスターの月給は確か、1リンギット40円でも、27000円とか、そんな数字だった記憶している。
ラジカセに進化したとき、ガンガン流れていたのがQueen。
Tears In Heaven/Eric Clapton
邦題は「天国の扉」。
クラプトンが、ニューヨークの高層マンションから転落死した息子にたいして、気持ちに一区切りついたときに作った、泣ける歌。
敬愛するクラプトンなのだが、皆に嫌われてたオヤジイントラが、私たちが楽しく談笑しているところに、歌いにくると、本当に、迷惑以外の何者でもなかった。
イギリス人ダイブマスターが「みんなの邪魔をするんじゃない」と注意したら、おっさん、泣いてしまった。
Smoke On The Water/Deep Purple
なぜか島にエレキが登場。
エレキを持ったら、やはりこのリフは弾きたいだろう。
ドロップ・オフ前で、HRはないだろう、と思ったけれど・・・
Have You Ever Seen the Rain?/Creedence Clearwater Revival.
邦題は「雨を見たかい」。
Jettyでよくフィリピノのボートマンや裏方スタッフが演奏していた。
アメリカ人が「フィリピノの音楽センスは本当にすごい!」と賞賛するとともに、オジサンたちからは「彼らは、これを反戦歌と知って歌っているんだろうか?」と言われていた。
American Pie/Don McLean
これもフィリピノがよく歌っていた。
50年代後半のアメリカのロックスター、バディ・ホリー、リッチー・バレンス、ビッグ・ボッパーが1959年節分の日、飛行機事故で亡くなった日を、音楽が死んだ日と歌ったもの。
私には、島にはあわない歌だなぁ、と思った。
個人的に、フォークは苦手である。
Hotel California/The Eagles
これもフィリピノがよく歌っていた。
もともとが長めの曲なのに、夜遅くまで延々とJettyで歌われていると、早く寝たい日など、迷惑以外の何物でもなく、この歌が嫌いになった。
こうやってみると、フィリピノは、アメリカンロック、サバハンはブリティッシュ・ロックだな。
私はブリティッシュに1票。
Believe/Sher
ミレニアムの夜、この曲で踊っていた。
シェールの曲のよさもわからないし、しかも、犬猿の仲のダイブマスターと踊っていた。
そのあと、モー娘ラブマシーンと嵐のA・RA・SHIを歌いながら島内一周したっけ。
Grateful Days/Dragon Ash
持っていったCDの中に、当時ファンだったDragon Ashがあった。
ミスチルやスピッツ、ケミストリーなんかもあったと思うが、サバハンにはどれも響かないよう。
サバハンには、私が苦手とするKiroro人気は高いので、ああいう、穏やか系がよいのかと思いきや。
でも、Dragon Ashは違った。
ダイブマスター約1名、すっかりハマってしまい、おらんぷてぃ(白人)にはわからないのに、カンティーンでやたら流していた。
Sexbomb/Tom Jones
SDCのスタッフシェッドから聞こえてきた。
一度聞けば覚える、印象的なサビ。
KKのショッピングセンターでも、よく流れていた。
保守的な国なのに。
Will You Love Me Tomorrow/The Shirelles
Let It Be Me/The Everly Brothers
どちらもオールディーズの名曲。
アブディラで、ダイブマスターたちが、イタリアンゲストをエンターテインするために練習してた曲。
練習なので、いつまでもいつまでも繰り返して歌ってた。
静かな島の夜に、よくあうと思った。
How Deep Is Your Love/The Bee Gees
I want you, I need you, I love you/Elvis Presley
クローズの年の9月。
歌わないリゾート、シパダン・ダイブ・センターに、なぜかギターが登場。
ダイブマスターとすみっこの方で熱唱していたら、「ユースホステルみたい」と言われた。
こんなラインアップである。
忘れた頃なだけに、けっこうフラッシュバック。
そして、心の中にGoodbye Jamaicaの替え歌「シパダン・ソング」。
クローズから10年もたたないのに、今はダイビングでゆくような僻地でも、ほぼケータイがつながり、WiFiが使えるので、ホリデーとはいえども、常に「現実」とどこかでつながっている。
前は「電話もつながらないような場所だからさよならー」と言って、有給に入ったものだが、今はどこでも台風情報がチェックできるがごとく、完全な現実逃避の旅ができなくなってしまった。
あんな素朴な夜がなつかしい今日この頃。