10月1日未明、母はわたしの腕の中で息を引き取った。
早くに家を飛び出した放蕩息子のわたしのたった一つの親孝行といえるもの
だった。元々わたしは、この世は魂の修行の場だという思いを持っていたのだが、
母の死を前に、「生と死」「人生」…とは。などなど否応なく、考えさせざるを
得なかったのである。
“死”は終わりではなく、昆虫が羽化するように肉体の殻を脱ぎ捨てて
魂が宇宙次元に生まれ変わる次のスタートだと思っている。
だから母の死もそう捕らえていたのだが、そんな思いよりも現実の
喪失感のほうが強く、涙が止まらなかった。
母の死で突きつけられた今後の人生。「今」を「これから」をいかに生きるかを
考えている…。まあ…結局のとこ、どう幸せに生きるか…につきるのかなあ…
早くに家を飛び出した放蕩息子のわたしのたった一つの親孝行といえるもの
だった。元々わたしは、この世は魂の修行の場だという思いを持っていたのだが、
母の死を前に、「生と死」「人生」…とは。などなど否応なく、考えさせざるを
得なかったのである。
“死”は終わりではなく、昆虫が羽化するように肉体の殻を脱ぎ捨てて
魂が宇宙次元に生まれ変わる次のスタートだと思っている。
だから母の死もそう捕らえていたのだが、そんな思いよりも現実の
喪失感のほうが強く、涙が止まらなかった。
母の死で突きつけられた今後の人生。「今」を「これから」をいかに生きるかを
考えている…。まあ…結局のとこ、どう幸せに生きるか…につきるのかなあ…