外面如菩薩(げめんにょぼさつ)内心如夜叉
(ないしんにょやしゃ)という言葉がある。
仏教の経典から出た言葉らしいが、まあ、
字面で大体の意味はわかろうと思うのだが、
てっきり美人で心、性悪女のことかと思いきや、
女性全般に対しての、まあ、女心の裏に
用心召されよという男への警鐘のようだ。
不肖私も若かりしころは、オンナゴコロとは?
と、追及してみたこともあったが、いつの頃か
無駄だと気付いて白旗を上げたのだった。
動物の世界をみても、オスメスの伴侶選びは
メスが選ぶのが常のようだ。
そのためには、よりいいDNAを持つオスを
選別しなければならない。つまり、ニッコリと
菩薩の微笑みで引き寄せ、厳しくシビアな
眼差しで選別しなければならない宿命を
背負っているのである。
内心夜叉も、やむなき現象なのかもしれないのダ。
にもかかわらず、性懲りもなく男心は女心に
翻弄される始末である。
大抵は、想定内最大の痛手を受け、想定内
最低の結末を迎えるのだ。
しかし、男達よ、そこのところを理解して、とりあえず
夜叉となった女性を恨まず、憎まず、嫌悪せず、
泣いていさぎよく撃沈しようではないか。
さもなくば、夜叉女を抱きしめ笑って自爆への道を
たどるのも又…。
秋の夜長につらつら思ってしまった…。