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染めと織りの楽しみ

2008-10-13 18:56:00 | アート
2009/01/31春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(1)源氏の色 2008年は、紫式部が源氏物語を書いてから千年目というので、さまざまな催しがありました。講演会も朗読会も「源氏」と名付ければ大盛況。 春庭も、千年イベントは留学生に大いに宣伝しました。なんといっても、世界最古の恋愛長編小説ですから、自慢のし甲斐があります。 37年前に55歳で亡くなった母は、村上リウのファンでした。「古文で読んでもわからない文章が、村上先生の解説を聞くと、千年前の話が現代の小説と同じようにわくわくしながら読める」と言っていたのを思い出します。「谷崎源氏」を全巻揃えていた読んでいた母の姿を見てきたので、私にとっては、「源氏」とは、光源氏や女君の物語というより、母が家事や家庭菜園の合間に読みふけっていた姿が思い浮かぶのです。本に熱中しては鍋をこげつかせていた母でした。 母は、「源氏の話をいっしょにできるような年頃にまで、娘たちが成長する日が楽しみ」と言っていましたが、「源氏の女君のなかで誰が好き」とか「女君の衣装の色、何色がいい?」なんていうたわいない話ができそうな年頃にやっとなったら、母が早死にしてしまったので、私には表紙の古びた谷崎源氏だけが残されました。 2008年の暮れ、日本橋高島屋で「紫のゆかり・吉岡幸雄の仕事」展がありました。吉岡が経営する紫紅社から『源氏物語の色辞典』が発売されたのを記念しての、本のサイン会を兼ねた展覧会です。http://www.sachio-yoshioka.com/2002jp/index.html 「源氏物語」に出てくる「色彩」を、古代染色の研究を続ける吉岡幸雄が再現し、染め物を展示してあります。若紫、花宴など、源氏五十四帖の巻名や登場する女君にちなんで題された着物の写真の上をクリックしてみてください。http://www.sachio-yoshioka.com/2002jp/0109/menu1.html 会場には着物姿の女性も多く、「染司よしおか」工房の作品「襲の色目」の布地をうっとり眺めていたり、吉岡氏にサインしてもらったりしていました。私、本を買ってサインしてもらいたかったけれど、1冊3465円したので、ちょっと躊躇。古本屋の1冊百円の本は躊躇せずに買えるようになったのですが、まだまだ千円以上の本は、1年くらい迷ってから買います。 お正月のあいだ、風邪で家にこもっていたので、「日本語言語文化における『しろ』」という論文を仕上げるために、日本の色彩表現に関する本をあれこれ読みました。そのなかの1冊が別冊太陽『源氏物語の色』 『源氏物語の色』は、1988年の発行。『太陽』の「日本のこころ」シリーズの一冊です。染司よしおかの先代、吉岡常雄さんが古代染色の方法によって源氏物語に登場する色を再現したときに発行されました。 源氏の色の再現は、常雄さんが成し遂げたものを、息子の幸雄さんが継承しています。源氏千年紀の2008年に、源氏ブーム再来にのって高島屋が展覧会を開いたのです。 光源氏の邸宅では、この美しい色の十二単や小袿(こうちぎ)を着た女房たちが行き交っていたのかと、往古に思いをはせました。 ぽかぽか春庭「一竹辻が花」春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(2)一竹辻が花 2009年はじめの「布めぐり」。 松屋銀座で開催された『辻が花』展を見ました。「久保田一竹と川崎景太」コラボレーションの展覧会です。http://www.matsuya.com/ginza/topics/090112e_kubota/index.html 辻が花は、室町末期に最盛期を迎えた絞り染めです。織物で複雑な模様を織り出すことを好んだ公家たちと異なり、武士は染め物の衣装を好みました。辻が花の華やかさは上層武士層に大人気でしたが、大変複雑な工程で、染め色を出すのも難しい布地でした。 江戸時代になるとインドや東南アジアで広まっていた更紗染めの方法が長崎貿易を通じて入り込み、それを京都の宮崎友禅斎が改良した「友禅染」の技術が広まって以後、すなわち江戸中期以後「辻が花」はすっかり廃れてしまいました。辻が花染めの技術はだれにも受け継がれず、幻の染め物と呼ばれてきました。室町期や江戸初期の絵巻物や屏風絵に描かれた衣装に、その染色の鮮やかさが残されました。 その辻が花を一生をかけて再現しようと苦心を重ねたのが初代久保田一竹(1918~2003 )です。ただし、一竹が再現した辻が花が室町末期から江戸初期の辻が花と同じ技法であるかどうかは、異論があります。「一竹辻が花」として染め出されたのは、あくまでも久保田一竹の染め技法によるものだからです。 一竹辻が花は、独自の染色作品として1977年に初個展を成功させて以後、1990年にはフランス政府より「フランス芸術文化勲章シェヴァリエ章」を受け、また1993年には文化庁より文化長官賞を受賞するなど、注目を集めてきました。1994年、河口湖畔に自ら「久保田一竹美術館」を建設し、染色作品を展示しています。 今回の展覧会は、一竹の代表作「光響」を中心に、華道家川崎景太の立花作品とのコラボレーションです。 たいへん鮮やかあでやかな着物と花。安土桃山時代や江戸初期の「傾く=かぶく」美の表現はこのようであったかと思います。 もし、これらの着物を一枚進呈すると言われても、私にはぜったいに着こなせない色と柄です。もちろんくれると言われたら貰いますけれど。一着ン百万円もする着物、いらないなんて、言いません。 麻生太郎さんに言わせると、あげると言われて必要ないのにすぐに貰うような人はサモシイ人なんだそうですけれど、どうも私は財閥の家柄出身でもないので品がない。もっとも、お嬢様で育ったはずの田中真紀子女史も国会で太郎さんのことを「高そうな背広を着ているだけの人」と評してわめいていたので、品のなさにかけてはビンボウ育ちも元首相令嬢も大差ないってことか。 会場には、父親のあとを継いだ二代目久保田一竹さんがいました。スキンヘッドに和服(たっつけ袴に袖なし羽織)という印象的な出で立ちで、「着物」や「グッズ」の売れ行きに目を配っていました。着物は無理としても、小物はなんとか買えないか、と見れば、袱紗一枚ウン万円で、やっぱり買えない、見てるだけぇ。 染め物と織物を見て歩くことが、私の楽しみのひとつです。2008年は、小袖や藍染めを見た記録として春庭コラム2008/11/01~09に書きました。http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200811A また、たばこと塩の博物館で見た「西アジアのキリム(塩袋などの織物)」について2008/05/09の春庭コラムに書きました。http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d1450#comment あわせてお読みいただければ幸いです。たばこと塩の博物館の「丸山コレクション」紹介は以下のURLに。http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventFeb08/index.html 東京ドームで開催中のキルト展、見たかったけれど、チケットが2千円もするから、パス。2月は都立美術館の「ウィリアムモリス展」と庭園美術館の「ポワレとフォルチュニィ展」を見る予定。布地や壁紙のデザインや20世紀モードの先駆者の仕事を見るのが楽しみです。ぽかぽか春庭「一竹辻が花」春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(2)一竹辻が花 2009年はじめの「布めぐり」。 松屋銀座で開催された『辻が花』展を見ました。「久保田一竹と川崎景太」コラボレーションの展覧会です。http://www.matsuya.com/ginza/topics/090112e_kubota/index.html 辻が花は、室町末期に最盛期を迎えた絞り染めです。織物で複雑な模様を織り出すことを好んだ公家たちと異なり、武士は染め物の衣装を好みました。辻が花の華やかさは上層武士層に大人気でしたが、大変複雑な工程で、染め色を出すのも難しい布地でした。 江戸時代になるとインドや東南アジアで広まっていた更紗染めの方法が長崎貿易を通じて入り込み、それを京都の宮崎友禅斎が改良した「友禅染」の技術が広まって以後、すなわち江戸中期以後「辻が花」はすっかり廃れてしまいました。辻が花染めの技術はだれにも受け継がれず、幻の染め物と呼ばれてきました。室町期や江戸初期の絵巻物や屏風絵に描かれた衣装に、その染色の鮮やかさが残されました。 その辻が花を一生をかけて再現しようと苦心を重ねたのが初代久保田一竹(1918~2003 )です。ただし、一竹が再現した辻が花が室町末期から江戸初期の辻が花と同じ技法であるかどうかは、異論があります。「一竹辻が花」として染め出されたのは、あくまでも久保田一竹の染め技法によるものだからです。 一竹辻が花は、独自の染色作品として1977年に初個展を成功させて以後、1990年にはフランス政府より「フランス芸術文化勲章シェヴァリエ章」を受け、また1993年には文化庁より文化長官賞を受賞するなど、注目を集めてきました。1994年、河口湖畔に自ら「久保田一竹美術館」を建設し、染色作品を展示しています。 今回の展覧会は、一竹の代表作「光響」を中心に、華道家川崎景太の立花作品とのコラボレーションです。 たいへん鮮やかあでやかな着物と花。安土桃山時代や江戸初期の「傾く=かぶく」美の表現はこのようであったかと思います。 もし、これらの着物を一枚進呈すると言われても、私にはぜったいに着こなせない色と柄です。もちろんくれると言われたら貰いますけれど。一着ン百万円もする着物、いらないなんて、言いません。 麻生太郎さんに言わせると、あげると言われて必要ないのにすぐに貰うような人はサモシイ人なんだそうですけれど、どうも私は財閥の家柄出身でもないので品がない。もっとも、お嬢様で育ったはずの田中真紀子女史も国会で太郎さんのことを「高そうな背広を着ているだけの人」と評してわめいていたので、品のなさにかけてはビンボウ育ちも元首相令嬢も大差ないってことか。 会場には、父親のあとを継いだ二代目久保田一竹さんがいました。スキンヘッドに和服(たっつけ袴に袖なし羽織)という印象的な出で立ちで、「着物」や「グッズ」の売れ行きに目を配っていました。着物は無理としても、小物はなんとか買えないか、と見れば、袱紗一枚ウン万円で、やっぱり買えない、見てるだけぇ。 染め物と織物を見て歩くことが、私の楽しみのひとつです。2008年は、小袖や藍染めを見た記録として春庭コラム2008/11/01~09に書きました。http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200811A また、たばこと塩の博物館で見た「西アジアのキリム(塩袋などの織物)」について2008/05/09の春庭コラムに書きました。http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d1450#comment あわせてお読みいただければ幸いです。たばこと塩の博物館の「丸山コレクション」紹介は以下のURLに。http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventFeb08/index.html 東京ドームで開催中のキルト展、見たかったけれど、チケットが2千円もするから、パス。2月は都立美術館の「ウィリアムモリス展」と庭園美術館の「ポワレとフォルチュニィ展」を見る予定。布地や壁紙のデザインや20世紀モードの先駆者の仕事を見るのが楽しみです。<つづく>00:27 コメント(3) ページのトップへ 2009年02月02日ぽかぽか春庭「江戸小紋巻き見本」2009/02/02春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(4)江戸小紋巻き見本 日本語教員養成コースの日本人学生には、「日本語学習者にとって、日本語の先生は日本社会と日本文化の窓口です。歌でも書道でも着物の着付けでも盆踊りでも、何かひとつできることがあるといいですよ。何か得意技を紹介してあげられたら、学習者が日本文化に興味を持つきっかけになりますから」と指導し、「得意技発表」の時間を作っています。 今期の日本語教師志望者たち、とても熱心に互いの発表を楽しんでいました。「変体仮名」「日本の点字」「難読漢字」の紹介あり、「日本の銭湯文化」「金魚の日中交流史」の発表あり、それぞれが工夫して発表していました。 「日本語教育研究」受講の日本人学生のひとりK君が「染め物と洗い張り」という発表をしました。クラスメートに洗い張りの道具を見せ、クイズ「これは何に使うものだと思いますか」 細い棒は一見編み棒のように見えるので「編み物の道具」という答えが出ました。クイズ出題者は「編み物、ちょっと近いけど、編み物じゃなくて、織物に使います」他の学生たち、皆はじめて見る道具で、見当がつかないようす。 私一人が「わあ、なつかしい」と声をあげました。私は、家庭内でこの道具をつかって家事をこなすのを見た最後の世代になるでしょう。K君は、布地を出して洗い張りの干し方を実演しました。昔、母がしていたのを見ていただけの私も、伸子張りを布の両端に渡すのを手伝いました。「しんしばり」という語を覚えていたのですが、伸子張りと書くのだとは知りませんでした。 若者達、みな張り手(両端をつるして真ん中に布をはさむ道具)も伸子張り(布の両端に張り渡して布が縮まないようにする棒針)も、生まれて初めて見たというのです。 布地にはいろいろな模様が染め出されていました。K君はこの布の説明をしてくれました。一反の布の中に30センチほどずつ、さまざまな小紋が染められています。これは私も初めて見ました。この反物を「巻き見本」といい、お客さんはこの見本柄を見て、どの小紋を染めるか決めるのだそうです。「駒のみどり」という名がついている江戸小紋見本と「高貴」と名付けられている江戸友禅の二反の巻き見本がありました。 発表の最後に「先生、この巻き見本ほしいですか」と聞くので、「もちろんほしいです。留学生に日本の染め物文化の紹介ができます」と答えると「じゃ、ひとつあげます」と言って「駒のみどり」をくれました。わ~い、ありがとう。「でも、こんな貴重なものをもらってしまっていいんですか」「うちの祖父の家が江戸染め物をやっているんです。この巻き見本は、もう染められる職人がいなくなってしまって、使えないから捨てるって言っていたから、授業の発表につかうからくれと言って、貰ってきた」 染め物をするには、模様の版木が必要です。三色の小紋を染めるには、三種類の版木が必要で、一色ごとに防染をして染料を版木につけて模様を写していきます。しかし何度も使っていると版木が古くなり、鮮明な模様が出なくなってくる。そのときは新しく版木を掘り直さなければならないのです。しかし、現代では細かい模様を彫れる職人さんがいなくなって、版木が古くなった後、新しい版木を更新することができなくなりました。 それで、この巻き見本「駒のみどり」は、捨てることになった、といいます。捨てられるところを救われて私の元にやってきた巻き見本。大事にして留学生に「日本の染め物文化」の紹介していきたいと思います。 毎年「会話授業の仕上げ」として、留学生による「クラスでの自国文化発表会」を行っています。留学生の発表の前の週に、私の「日本の文化発表」を行います。発表の方法、態度などを見本として示すためです。毎年「折り紙」「算盤の使い方」「百人一首かるた」などを見せて説明していたのですが、今年は「算盤」と「日本の染め物文化」のふたつを紹介しました。 「江戸小紋」の布地に留学生達は「この色が好きです」など言いながら見入ったり、触ってみたり、最後に布を広げていっしょに写真をとりました。<つづく>00:09 コメント(7) ページのトップへ 2009年02月03日ぽかぽか春庭「ガボンの布地インドネシアのバティック」」2009/02/03春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(3)留学生文化発表・ガボンの布地、インドネシアのバティック 「日本語研修コース」の正規のカリキュラムにはない授業ですが、私の受け持ちの「日本語口語表現・会話」の時間に、「日本語発表練習」として、「自国の文化発表会」を続けてきました。 後期10月にアイウエオから日本語学習を始めた留学生たち、熱心に練習して上達した人もいれば、さっぱりしゃべれるようにならなかった人もいる。まあ、語学学習というのは、習得に個人差はつきもの。 これまでに出会った100ヶ国の留学生に、毎期、授業中にそれぞれの地域の文化紹介してもらってきて、さまざまな文化に触れることができました。役得、役得。 今年も1月23日に「クラスでの文化発表会」を実施して楽しかったです。 今期のクラス、西アフリカのガボンは私にはお初の国です。私の「教えたことのある留学生の国コレクション」がまたひとつ増えました。 ガボンは、おそらく日本の人にもっともなじみのない国のひとつでしょう。 ガボンについて日本人に知られていいることがあるとしたら、故シュバイツアー博士が開設したランバレネの病院があるってことくらいかな。昭和初期の修身教科書には、ナイチンゲール、シュバイツアー、野口英世の3人が「医学のために人生をささげた三偉人」として載っていましたので。 アフリカの中央を貫く赤道の、東側インド洋に面している国がケニアで、西側・大西洋ギニア湾に面している国がガボンです。サッカーが強いカメルーンの隣の国。 国土の85%が赤道熱帯雨林で、残りの15%が南部サバンナ。公用語はフランス語。 フランス語も英語も上手な留学生マスさんは、ガボン女性の民族衣装とスカーフのいろいろな着付けの紹介紹介のあと、ガボンの歌を歌ってくれました。私は、ガボンの歌をはじめて聞きました。ガボンのスカーフは、一枚の布地を肩にかけたり、頭に巻いたり、いろんな利用方法があるということでした。  中国のウーさんは北京の観光地案内。チリのリナさんはイースター島のモアイについて説明しました。 ケニア出身の学生に出会うのは3人目になります。陽気なウモサさんは動物の木彫り人形を皆に示しながら、「ライオンはスワヒリ語でシンバ、サイはキファル、ヒョウはチュイ」など、スワヒリ語を教えたあと、体をゆするダンスをしながら歌を歌いました。着ていたのはスワヒリ語一覧表をプリントしたTシャツ。 ソロモン諸島の島々と歌の紹介。クウエートの王族の結婚式の紹介(出席者が男性だけのバージョン)などが続きましたが、「日本語で自国文化を紹介する」という発表のはずなのに、クウエートとソロモンのふたりは、90%英語の紹介になりました。みなが楽しんでくれたので「ま、いいか」ということにしました。 インドネシアの学生は3人いたので、一人はベチャという自転車タクシーを、一人はボドブドールやバリの観光地を紹介しました。そしてもうひとりは自分が着てきたバティックワンピースを見せて、染め物について紹介しました。 歌もダンスも染め物も大好きな春庭、どの学生の発表もとても興味深く思えました。バティックについては、インドネシアの学生に解説してあげられるくらい詳しくなっています。これは、昨年バティックの大規模な展覧会を観覧したおかげ。インドネシア大使館などの後援により、日本各地を巡回した最終展示を大倉集古館で見ました。http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/batik.html インドネシア更紗展についてのコラムは以下のURLに(倉庫nipponianippon)http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi?ppid=nipponianippon&mode=comment&art_no=965809<つづく>02:51 コメント(4) ページのトップへ 2009年02月04日ぽかぽか春庭「風の絨毯」2009/02/04春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(5)風の絨毯 ペルシャ絨毯の手織り作業を、銀座三越で見ました。 松屋銀座へ「辻が花」を見に行ったついでに立ち寄った銀座三越の8階催物会場で、2009年1月6日~1月12日までやっていた展示即売会。「ペルシャ絨毯の5大産地をはじめ、知る人ぞ知る産地の卓越した逸品まで一堂にご紹介します」という即売会でしたが、即売されている絨毯はとても私ごときに買えるお値段ではない。これまた、見てるだけぇ。 会場の中央で、ひとりの女性がもくもくと絨毯を織り上げているコーナーがありました。写真をとってもいいか、会場の係りの人に尋ねたら、いいということだったので、何枚か写真を撮らせて貰いました。 係りの人の説明では、絨毯を織っていた方は日本で暮らしているイラン女性で、日本へ仕事をしに来たご主人に従って来日したということでした。日本語はカタコトしか話せないということだったので、作業の邪魔になると思い、質問などはしなかったのですが、しばらくの間、細かい手作業を見せて貰いました。 横幅100cmの絨毯を織るために、縦糸を張る。一本一本の糸に色糸を絡ませ、結びつける。方眼紙に記入されている細かい模様の図と照らしあわせながら糸結びの作業を繰り返し、一日に5mm、二日でやっと1cmが織り上がる。100センチの長さまで織り上げるには、200日かかる。100×100cmの絨毯に7ヶ月かかるのだから、部屋に敷き詰めるような大きさの絨毯が200万円300万円しても当然だなあとおもったけれど、実際はほとんどがデパートや輸入業者の利益であって、ペルシャ地元の織り子の手にはいったい一日分としていくらの手間賃が渡されるのだろう。 絨毯の手織りに興味を持ったのは、『風の絨毯』という映画を見たことによります。 2007年の11月にテレビの深夜枠で放映された映画『風の絨毯』。2003年の公開作品を見逃していたので、録画して見ました。 ストーリーの重要なポイントになっているのが、絨毯の手織りシーン。縦糸に糸をからませ、一本一本結んでいく。気の遠くなるような細かい手作業です。 母親を事故で亡くし心をとざした少女サクラが、父とともに高山祭りの屋台を飾る絨毯(タペストリー)を買い付けにイランのイスファファンへでかけ、ペルシャ絨毯が織り上がるまでにさまざまな人々と交流するというストーリーです。 春庭の「映画いろいろ」に書いた『風の絨毯』紹介文は以下のとおり。http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/eiga0701a.htm============= テレビ録画をみた。三國連太郎が演じた中田金太の実話をもとに日本イラン合同制作。15回東京国際映画祭特別招待作品。 イスファファンと飛騨高山の観光を兼ねて楽しめる。 初恋に胸ときめかす少年ルーズベ。サクラに思いを伝えたい。「日本語で、僕はりんごが好きって、どういうの」と、カタコトの日本語ができるアクバルにたずねた。アクバルは「なぜ?」とたずねる。「りんごが食べたいんだ」と答えたルーズベ。教えてもらった日本語は「私はりんごが食べたい」。 母を亡くした少女サクラがやっと笑顔をとりもどしたころ、ルーズベはいっしょうけんめいニホンゴで言う。「私はサクラが食べたい」  イランの絨毯作りにたちあう日本人親子。ストーリーというストーリーはない話の展開なのだけれど、ほのぼのしてくる。=============== 『風の絨毯』の公式サイトは下記URL。http://www.cafegroove.com/movies/kazeju/ いつかイランへ行くことがあったら、一日を絨毯工房の織機のそばですごし、ぼうっと作業を見てすごしたい。糸を紡ぐ、染める、織る、編む、縫う、、、、糸と針の仕事を見つめ過ごす時間は、とても贅沢な時間に思います。 子供のころ、母が踏む足踏みミシンの前で過ごすことが好きでした。母が新しい服を作ってくれることも楽しみでしたが、糸がするすると上下して布地を縫い合わせていく様子を見ているのが面白かったのです。裁ち残った端切れをもらって人形の服を作ることも好きでした。後年、幼い娘のために「従姉妹たちからお下がりでもらったリカちゃん人形」の洋服をいろいろ作ったのも、今は遠い日々になりました。 今では繕い物専門で、服を縫うなんてことはしていませんが、糸と針の仕事を眺めている時間を持ちたいなあと思います。 暦は立春。光の春を楽しみながら、日々の暮らしの糸をつむぎ、縫い合わせ、編み続けていきたいです。 2009/02/02春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(4)江戸小紋巻き見本 日本語教員養成コースの日本人学生には、「日本語学習者にとって、日本語の先生は日本社会と日本文化の窓口です。歌でも書道でも着物の着付けでも盆踊りでも、何かひとつできることがあるといいですよ。何か得意技を紹介してあげられたら、学習者が日本文化に興味を持つきっかけになりますから」と指導し、「得意技発表」の時間を作っています。 今期の日本語教師志望者たち、とても熱心に互いの発表を楽しんでいました。「変体仮名」「日本の点字」「難読漢字」の紹介あり、「日本の銭湯文化」「金魚の日中交流史」の発表あり、それぞれが工夫して発表していました。 「日本語教育研究」受講の日本人学生のひとりK君が「染め物と洗い張り」という発表をしました。クラスメートに洗い張りの道具を見せ、クイズ「これは何に使うものだと思いますか」 細い棒は一見編み棒のように見えるので「編み物の道具」という答えが出ました。クイズ出題者は「編み物、ちょっと近いけど、編み物じゃなくて、織物に使います」他の学生たち、皆はじめて見る道具で、見当がつかないようす。 私一人が「わあ、なつかしい」と声をあげました。私は、家庭内でこの道具をつかって家事をこなすのを見た最後の世代になるでしょう。K君は、布地を出して洗い張りの干し方を実演しました。昔、母がしていたのを見ていただけの私も、伸子張りを布の両端に渡すのを手伝いました。「しんしばり」という語を覚えていたのですが、伸子張りと書くのだとは知りませんでした。 若者達、みな張り手(両端をつるして真ん中に布をはさむ道具)も伸子張り(布の両端に張り渡して布が縮まないようにする棒針)も、生まれて初めて見たというのです。 布地にはいろいろな模様が染め出されていました。K君はこの布の説明をしてくれました。一反の布の中に30センチほどずつ、さまざまな小紋が染められています。これは私も初めて見ました。この反物を「巻き見本」といい、お客さんはこの見本柄を見て、どの小紋を染めるか決めるのだそうです。「駒のみどり」という名がついている江戸小紋見本と「高貴」と名付けられている江戸友禅の二反の巻き見本がありました。 発表の最後に「先生、この巻き見本ほしいですか」と聞くので、「もちろんほしいです。留学生に日本の染め物文化の紹介ができます」と答えると「じゃ、ひとつあげます」と言って「駒のみどり」をくれました。わ~い、ありがとう。「でも、こんな貴重なものをもらってしまっていいんですか」「うちの祖父の家が江戸染め物をやっているんです。この巻き見本は、もう染められる職人がいなくなってしまって、使えないから捨てるって言っていたから、授業の発表につかうからくれと言って、貰ってきた」 染め物をするには、模様の版木が必要です。三色の小紋を染めるには、三種類の版木が必要で、一色ごとに防染をして染料を版木につけて模様を写していきます。しかし何度も使っていると版木が古くなり、鮮明な模様が出なくなってくる。そのときは新しく版木を掘り直さなければならないのです。しかし、現代では細かい模様を彫れる職人さんがいなくなって、版木が古くなった後、新しい版木を更新することができなくなりました。 それで、この巻き見本「駒のみどり」は、捨てることになった、といいます。捨てられるところを救われて私の元にやってきた巻き見本。大事にして留学生に「日本の染め物文化」の紹介していきたいと思います。 毎年「会話授業の仕上げ」として、留学生による「クラスでの自国文化発表会」を行っています。留学生の発表の前の週に、私の「日本の文化発表」を行います。発表の方法、態度などを見本として示すためです。毎年「折り紙」「算盤の使い方」「百人一首かるた」などを見せて説明していたのですが、今年は「算盤」と「日本の染め物文化」のふたつを紹介しました。 「江戸小紋」の布地に留学生達は「この色が好きです」など言いながら見入ったり、触ってみたり、最後に布を広げていっしょに写真をとりました。2009/02/03春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(3)留学生文化発表・ガボンの布地、インドネシアのバティック 「日本語研修コース」の正規のカリキュラムにはない授業ですが、私の受け持ちの「日本語口語表現・会話」の時間に、「日本語発表練習」として、「自国の文化発表会」を続けてきました。 後期10月にアイウエオから日本語学習を始めた留学生たち、熱心に練習して上達した人もいれば、さっぱりしゃべれるようにならなかった人もいる。まあ、語学学習というのは、習得に個人差はつきもの。 これまでに出会った100ヶ国の留学生に、毎期、授業中にそれぞれの地域の文化紹介してもらってきて、さまざまな文化に触れることができました。役得、役得。 今年も1月23日に「クラスでの文化発表会」を実施して楽しかったです。 今期のクラス、西アフリカのガボンは私にはお初の国です。私の「教えたことのある留学生の国コレクション」がまたひとつ増えました。 ガボンは、おそらく日本の人にもっともなじみのない国のひとつでしょう。 ガボンについて日本人に知られていいることがあるとしたら、故シュバイツアー博士が開設したランバレネの病院があるってことくらいかな。昭和初期の修身教科書には、ナイチンゲール、シュバイツアー、野口英世の3人が「医学のために人生をささげた三偉人」として載っていましたので。 アフリカの中央を貫く赤道の、東側インド洋に面している国がケニアで、西側・大西洋ギニア湾に面している国がガボンです。サッカーが強いカメルーンの隣の国。 国土の85%が赤道熱帯雨林で、残りの15%が南部サバンナ。公用語はフランス語。 フランス語も英語も上手な留学生マスさんは、ガボン女性の民族衣装とスカーフのいろいろな着付けの紹介紹介のあと、ガボンの歌を歌ってくれました。私は、ガボンの歌をはじめて聞きました。ガボンのスカーフは、一枚の布地を肩にかけたり、頭に巻いたり、いろんな利用方法があるということでした。  中国のウーさんは北京の観光地案内。チリのリナさんはイースター島のモアイについて説明しました。 ケニア出身の学生に出会うのは3人目になります。陽気なウモサさんは動物の木彫り人形を皆に示しながら、「ライオンはスワヒリ語でシンバ、サイはキファル、ヒョウはチュイ」など、スワヒリ語を教えたあと、体をゆするダンスをしながら歌を歌いました。着ていたのはスワヒリ語一覧表をプリントしたTシャツ。 ソロモン諸島の島々と歌の紹介。クウエートの王族の結婚式の紹介(出席者が男性だけのバージョン)などが続きましたが、「日本語で自国文化を紹介する」という発表のはずなのに、クウエートとソロモンのふたりは、90%英語の紹介になりました。みなが楽しんでくれたので「ま、いいか」ということにしました。 インドネシアの学生は3人いたので、一人はベチャという自転車タクシーを、一人はボドブドールやバリの観光地を紹介しました。そしてもうひとりは自分が着てきたバティックワンピースを見せて、染め物について紹介しました。 歌もダンスも染め物も大好きな春庭、どの学生の発表もとても興味深く思えました。バティックについては、インドネシアの学生に解説してあげられるくらい詳しくなっています。これは、昨年バティックの大規模な展覧会を観覧したおかげ。インドネシア大使館などの後援により、日本各地を巡回した最終展示を大倉集古館で見ました。http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/batik.html インドネシア更紗展についてのコラムは以下のURLに(倉庫nipponianippon)http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi?ppid=nipponianippon&mode=comment&art_no=9658092009/02/04春庭九年母日記>染めと織りの楽しみ(5)風の絨毯 ペルシャ絨毯の手織り作業を、銀座三越で見ました。 松屋銀座へ「辻が花」を見に行ったついでに立ち寄った銀座三越の8階催物会場で、2009年1月6日~1月12日までやっていた展示即売会。「ペルシャ絨毯の5大産地をはじめ、知る人ぞ知る産地の卓越した逸品まで一堂にご紹介します」という即売会でしたが、即売されている絨毯はとても私ごときに買えるお値段ではない。これまた、見てるだけぇ。 会場の中央で、ひとりの女性がもくもくと絨毯を織り上げているコーナーがありました。写真をとってもいいか、会場の係りの人に尋ねたら、いいということだったので、何枚か写真を撮らせて貰いました。 係りの人の説明では、絨毯を織っていた方は日本で暮らしているイラン女性で、日本へ仕事をしに来たご主人に従って来日したということでした。日本語はカタコトしか話せないということだったので、作業の邪魔になると思い、質問などはしなかったのですが、しばらくの間、細かい手作業を見せて貰いました。 横幅100cmの絨毯を織るために、縦糸を張る。一本一本の糸に色糸を絡ませ、結びつける。方眼紙に記入されている細かい模様の図と照らしあわせながら糸結びの作業を繰り返し、一日に5mm、二日でやっと1cmが織り上がる。100センチの長さまで織り上げるには、200日かかる。100×100cmの絨毯に7ヶ月かかるのだから、部屋に敷き詰めるような大きさの絨毯が200万円300万円しても当然だなあとおもったけれど、実際はほとんどがデパートや輸入業者の利益であって、ペルシャ地元の織り子の手にはいったい一日分としていくらの手間賃が渡されるのだろう。 絨毯の手織りに興味を持ったのは、『風の絨毯』という映画を見たことによります。 2007年の11月にテレビの深夜枠で放映された映画『風の絨毯』。2003年の公開作品を見逃していたので、録画して見ました。 ストーリーの重要なポイントになっているのが、絨毯の手織りシーン。縦糸に糸をからませ、一本一本結んでいく。気の遠くなるような細かい手作業です。 母親を事故で亡くし心をとざした少女サクラが、父とともに高山祭りの屋台を飾る絨毯(タペストリー)を買い付けにイランのイスファファンへでかけ、ペルシャ絨毯が織り上がるまでにさまざまな人々と交流するというストーリーです。 春庭の「映画いろいろ」に書いた『風の絨毯』紹介文は以下のとおり。http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/eiga0701a.htm============= テレビ録画をみた。三國連太郎が演じた中田金太の実話をもとに日本イラン合同制作。15回東京国際映画祭特別招待作品。 イスファファンと飛騨高山の観光を兼ねて楽しめる。 初恋に胸ときめかす少年ルーズベ。サクラに思いを伝えたい。「日本語で、僕はりんごが好きって、どういうの」と、カタコトの日本語ができるアクバルにたずねた。アクバルは「なぜ?」とたずねる。「りんごが食べたいんだ」と答えたルーズベ。教えてもらった日本語は「私はりんごが食べたい」。 母を亡くした少女サクラがやっと笑顔をとりもどしたころ、ルーズベはいっしょうけんめいニホンゴで言う。「私はサクラが食べたい」  イランの絨毯作りにたちあう日本人親子。ストーリーというストーリーはない話の展開なのだけれど、ほのぼのしてくる。=============== 『風の絨毯』の公式サイトは下記URL。http://www.cafegroove.com/movies/kazeju/ いつかイランへ行くことがあったら、一日を絨毯工房の織機のそばですごし、ぼうっと作業を見てすごしたい。糸を紡ぐ、染める、織る、編む、縫う、、、、糸と針の仕事を見つめ過ごす時間は、とても贅沢な時間に思います。 子供のころ、母が踏む足踏みミシンの前で過ごすことが好きでした。母が新しい服を作ってくれることも楽しみでしたが、糸がするすると上下して布地を縫い合わせていく様子を見ているのが面白かったのです。裁ち残った端切れをもらって人形の服を作ることも好きでした。後年、幼い娘のために「従姉妹たちからお下がりでもらったリカちゃん人形」の洋服をいろいろ作ったのも、今は遠い日々になりました。 今では繕い物専門で、服を縫うなんてことはしていませんが、糸と針の仕事を眺めている時間を持ちたいなあと思います。 暦は立春。光の春を楽しみながら、日々の暮らしの糸をつむぎ、縫い合わせ、編み続けていきたいです。<おわり> 
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