春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

はるまき(7)

2008-10-21 23:17:00 | 日記
シューベルト
mackychan
といえば、野ばら。
野ばらといえば、作家界の森村泰昌なんていうひとも居るけど、今じゃ立派なジャンキー。

先日、刑務所に入っていた友人が仮出所。
ここに書くことじゃないけど、本人がどこに書いてもいいよというので、じゃあ書こう。
盗撮で1年以上の実刑をくらうかなと怪しんでいたら、やっぱり覚せい剤だった。成る程なと合点がいく。
なぜ府中のような近所でなかったのと素人のような質問すると、黒羽のようなところは初犯とか軽犯罪専門なんだと即答。近くの独房に、完全な廃人と化したマーシーが居るんだって。彼の場合、ジャンキーというより、釈放後の社会に耐えられなかったみたい。
すぐに野ばら逮捕のニュースを彼にメールで知らせたら、「あぁ黒羽に行く可能性高いね」と。

まぁ人間性はおいておいて、彼の『鱗姫』は傑作です。
2007-09-06 06:30:48 返信フォームへ 掲示板へ戻る
ワラベは見た~り
haruniwa
ホラー、こわいから未読。

下妻は、続編が小学館の『本の窓』(だったかな)に連載されているときにときどき読んだだけで、単行本は読んでない。

という具合で、作家としての野ばらには、特別な思い入れもないのだけれど、公式サイトは閉鎖、ウィキペディアでは削除要請検討中って、なにそれって感じ。

作家なんて、逮捕されてナンボのもんでしょうがあ、、、、って、違うかもしんないけど。

でもね、午後5時に、新宿歌舞伎町あたりで、ポケットに大麻入れたまま歩いてたってのは、その時点で相当ラリってなきゃできないことだよね。

確信犯なのかアホなのか。
再犯?
初犯なら即ケームショ行きはないでしょ。
マーシーも累犯だから入所なので。

おまじめな学校図書委員とかPTAあたりが、「作者逮捕につき、作品を図書室から撤収」とか始めなきゃいいけどね。

これから先、じゃ、オトメはだれをカリスマにしたらいいのかしら、困っちゃうわね。

あ、オトメ代表に綿矢りさってのは、なしよ。
優等生俵万智、シングルマザーになったので、ようやくブンガクっていられるけど、わたしゃ綿谷りさオ嬢サマが、はやいとこハッチャケてくれないと、このまま化石化したらどうしようかと案じておりまする。

乙女は野ばらがマリファナやりながらだから乙女ってられるのであって、りさオジョーサマがいつまでもオトメしていてはいけないのでございますもの。よろしくて。そのへん、お考えあそばして。

ああ、マーシー、もう一度撮影してほしかったのに。植草教授にも。
2007-09-06 09:18:33 ページのトップへ
野ばらcome back
haruniwa
ワラベは見た~り、夜中の茉莉ふぁな

ゲーテの原詩「荒野の薔薇」 春庭翻訳

悪ガキが、野に咲くバラのようすをうかがう
若くてきれいな野原の薔薇

近くに寄ってあいつは眺める、うれしげに。
ちっちゃな野バラ、赤いつぼみの荒野の薔薇ちゃん
おまえを摘んでしまいたい

野バラは答えた「思い通りに摘まれてたまるか、あたいの棘で刺してやる」
かわいい野バラ、荒野のつぼみ

それでもあいつは野バラを摘んだ
野バラはヤツを刺しまくる

痛かあねぇよ、野バラちゃん
かわいいもんだぜ荒野の野バラ
赤いつぼみのちっちゃな野バラ
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野バラぁ、サツに摘まれちゃったけど、棘磨いてかえっておいで~
と、春庭が荒野に向かって叫ぶ声、、、、
2007-09-06 09:20:24 ページのトップ
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クレジットだけでごめんなさい
mackychan
黒澤の映画はほとんど脚本を複数で手がけていて、クレジットで「小国英雄」「橋本忍」「黒澤」・・・と出てくるだけで、もうひれ伏してしまう、すいませんでした、自分のようなちっちゃい男がひとりで脚本やろうとしていて申し訳ありません、と。もうこの時点で神聖視し過ぎかもしれんけどね。
『天国と地獄』は、自分が脚本家を目指すきっかけとなった作品ゆえ、当時としたってリアリティがないと友人がいっても聞かず、いやぁ凄いんだの一点張りでね。
スコセッシの企画にも上がっていたから、ぜひニューヨーク版が観たいところだけど、本人はそれよか『沈黙』みたいだね。
ま、『天国』の話させたら6万字は記せるので、後ほどのコラムに譲ります。
2007-09-09 07:53:23 返信フォームへ 掲示板へ戻る
天国か地獄か
haruniwa
小樽の景色がきれいだったので、わたしはリメイクこれでOK。

サスペンスは、いつも配役で犯人を決めてからみるので、「砦なきもの」ときよりもっといい人っぽい妻夫木くんの犯人役。しっくりきません。
どうもこの人が出てくると、「犯人だけど、ほんとは悪い人じゃないのよ」って、感じがしちゃって。

娘の感想は「研修医なんだから、あとちょっとがまんすれば、天国側の住人になれるのに。冬は寒くて眠れない、夏はあつくて眠れない、と研修医がつぶやいても、おいおい、医者だったら、エアコンくらい買いなさい、といいたくなるね」と、いうもの。
ヘロインを扱える職業というと限られた設定になるのだろうけれど。

医者の試験に合格したくらい頭いいのなら、どうしてこんなズサンな誘拐を計画したんだろうって、どうしても不満がのこるところ。

逆に被害者佐藤浩市だと、この人、ほんとは最後に悪いのかもって、思ってしまう。
最後の最後まで、妻を大事にして、最後に妻に手作りの靴なんぞプレゼントしていると、ウッソーと思っちゃうよ。

この配役「どんだけぇっ」ってところです。
ちょい、地獄勝ち?
2007-09-09 23:51:40 ページのトップへ
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小島よしお<猫ひろし
mackychan
小島よしおが引っ張りだこなバラエティ業界。
でも自分、なかなか彼を面白がれません。なんだろう、あの締まった身体はなかなかだと思うのですが、同じ「身体強調系」でいうと、なかやまきんに君や、パッション屋良、マイケルとか、そこらへんのほうが面白がれる。
マイケルなんか、あのダンスみたいなのと、「おし、マイケル♪」で、よく数年もったものだと感心していたり。
一発ギャグを売りにする芸人さんは、たいへんだなぁ。でもダンディ坂野は、個人的に生き残ってほしかったり。

・・・と、お笑い芸人について書いたのは、先日、猫ひろしさんにお会いしたから。新人ライターだというのに、えらい腰が低かった。やっぱりあのパンツ姿で現れ、そのとき、あぁこのひとも変化球だけど、身体強調系かぁと。
このひとはデビュー時から相性がよく、面白がれます。
小島よしおに対する相性の悪さは、『ミスター・ビーン』のローワン・アトキンソンに似ているかも。
この映画も、全然、面白がれなかった。
2007-10-03 18:26:12 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:小島よしお<猫ひろし
haruniwa
小島よしおは私もダメだあ。
「かんけーない」で、どこまでひっぱれるか。そろそろ限界か。ピークは年末にもっていきたかったんだろうけど。

猫ひろし、9月30日TBSオールスター感謝祭赤坂ミニマラソンも、いい線で走っていた。
社をあげて「東国原知事に恥をかかせない走りをさせよう」という気配り満載のなか、猫はいい立ち位置をまもって、出過ぎずひっこみすぎず、なかなかのもんでした。

猫は、あの小ささだけでつなげられるからいいよね。
いやしペット系?

『しゃべれどもしゃべれども』見たので、落語ネタ思いついてかいてみたら、10月からのNHK朝ドラは「女落語家」のはなしらしい。見てないけど。
ちょうど開始時期が重なったので、NHKに便乗したみたいに思われるのも、これまた軽薄そうでいいかな?

「下品なこと書いて、、、、」というのを「ホメコトバ」に受け取るまっき~さん、ズンズンつっぱしって、とことん自分の文章にほれてください。

わたしもね、「ずれちゃって笑うにわらえぬ」「お笑いめざしてるのに、最初からすべってる」っていう自分のスタンス、実は嫌いじゃないんだ。
「最初からこけてるんが ワ・た・し」みたいな。

がんばろうね。 
2007-10-04 00:47:37 ページのトップへ
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生まれ変わったら、
mackychan
そうだなー、やっぱり格闘家かな。完全に諦めたわけじゃない、一試合くらいしてみたいと願う自分は、鶴太郎よりも我侭かもしれない。

格闘技のちょっとしたコラムや、90年代のAVを総括するコラムを担当する日々。AVのほうはぜひ読んでほしいんだけど、特殊な書店でしか置かれておらず、しかもビニール袋で閉じられているからね、立ち読みも出来ない。あとでこっそり、ネットにアップするから読んでね、キューブリック論と同じ温度でAV史を語っていて、一部・・・ほんの、ごく一部で、評判いいです笑

格闘関係の方々との会食が増え、いやぁ食う量が半端じゃないからつられちゃって、体重を維持するのがたいへんです。面白いけど。知り合った関係者全員に腕相撲を挑み、悉く負けています。当然か。

昨日は休日で、東京国際映画祭の個人的な取材に出かけてきました。
華やかだけど、やはり、何か違うなぁって。

お薦めの映画。
デンマークからやってきました。
http://after-wedding.com/

カナダやデンマークは、ときどき、映画ファンを驚かせてくれます。
2007-10-21 08:20:17 返信フォームへ 掲示板へ戻る

Re:生まれ変わったら、
haruniwa
腕相撲挑戦、がんばってね。これ、アッピール度100%だと思うよ。

格闘家にインタビューする若いライターや記者は五万といるだろうが、腕相撲挑戦してくるライターは、そうはいないでしょう。

「去年、腕相撲に負けた牧野ですが、ぜひ再挑戦を。もう一度インタビューお願いできませんか」と、申し込むべし。

独自路線インタビューで、格闘家列伝をものしてください。
沢木光太郎の『一瞬の夏』に描かれたカシアス内藤。あれを超える21世紀のボクサー物語とか。

ビニール袋とじ本のコラム、そのうちサイトで読めるの、待ってます。

「まっき~の書く文、下品なときがある」というコメントに、「ほめてくれてありがとう」と書いたまっき~、いやあ、感動しました。

で、まねをして「春庭、錯乱状態か」と、コメントがあったので、さっそくいただき、「ほめてもらってありがとう」

でも、「錯乱状態」の評、「毒がある」と見なされたならそれこそホメコトバと思うけれど、「何が書いてあるのか、わけわからん」という意味かもしれないと、自戒はしておく。

文体については、まっき~コメントうれしかったです。
『目黒のさんま』は、本でもネットでも、もうごまんと「あらすじ紹介」の文章が並んでいる。
私は私なりの語りのリズムを生かして、サクサク読める文体を目指して書いてみた。

そこをちゃんと読んでもらえること、やっぱりまっき~、すぐれた書き手であり読み手だなあと、ありがたく思いました。

2007-10-21 10:45:22 ページのトップへ
さくらん
haruniwa
東京国際映画祭、ボクシング見たことない人が亀田親子にひとこと言いたくなってしまうくらいに、3年に1度くらいしか映画見たことない人がわくわくするお祭りにしてほしいのにね。

『アフターウェディング』は、昨日有楽町へ行ったとき、地下鉄駅のなかでポスターを見ました。
監督の名が「スサンネ」とあったので、英語読みならスザンナだろうから、そうすると女性監督かな、とおもったらあたり。

もう女性監督もめずらしくはない時代ですが、やはり女性ならではの視点も期待します。

先週は、18日にみた『こんばんは』、期待していた以上によかった。
『学校Ⅰ』のうそくさい部分がすっきりとれていて、ドラマとしても「やらせがあるのか」とおもうほど、うまくまとまっている。

森康行監督の講演のあと、質問タイムがあったので、思い切って「200時間もカメラをまわして、90分の作品に仕上げたと言うことですが、編集するとき、このエピソードを残そう、ここは使わないでおこうというシナリオ編成のご苦心はどのあたりにあったのでしょうか」と、手をあげて聞いてみました。

監督は、こちらの質問意図を察知して「テレビなどでよくあるので、あんまりストーリーがうまくいっているので、やらせがあったのではないかと思う人もいるかもしれませんが、この作品に関して、ヤラセはいっさいありません。」という証言をえて、うれしかった。

カメラを回すことで、撮る側も撮られる側も成長できる、そんなドキュメンタリーをめざす、という森監督のことば、光っていました。

カシアス内藤が、沢木に描かれることで内面を深めていき、沢木が内藤を書くことでルポライターとして新境地をひらいた、そんな出会いが、まっき~にもきっといつかやってくる。

♪その日のために、身体をきたえーておけ~!わかものよ~♪

インターナショナルと並ぶ、70年代アイショウカです。
2007-10-21 10:46:06 ページのトップへ
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傑作ケッサク
mackychan
相変わらず、自分のとこでもひとさまのページでも書き散らしている男です。

質問、よろしい?

漢字→片仮名で意味合いを変える場合も、拡大といえるのでしょうか。
例えば傑作はケッサクとすることによって、ユーモラスな事象に対する評価の意味になるけれど、これはどうなのでしょうか。

んで、松尾スズキ。
このひとの才能には嫉妬されっ放しですが、映画『クワイエットルームにようこそ』が素晴らしくて、泣けて泣けて、とんでもないと思いました。
まさに傑作、今年云々ではなく、映画史に名を刻む映画になること必至です。

友人の結婚式、素晴らしかったー。
映画の予告編を創っている新郎(バカ・ザ・バッカ=馬鹿ばかり、という意味で名づけられた、とってもポップな会社です)は、ある結婚式の二次会で新婦に出会った、だから今日はそういうのを期待してもいいのではなかしら、と司会のかたが笑わせていました。
じゃ、自分はどうなのか。
無精髭坊主は新婦さん曰く「一際異彩を放っていた」そうで苦笑、だから寄ってくるのは妙ちきりんな同性ばかり、軽くひんしゅくを買いながら、ミュージッククリップを創っているアーティストや配給会社のひとと友達になりました。こういう繋がりって、大事よねー
2007-10-28 21:08:59 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:傑作ケッサク
haruniwa
 日本語カナ漢字表記。生物の名、外来語はカタカナで書く。
というのが、基本です。

 一般的には漢字で書く語を、わざわざカタカナ表記してある場合、そこに何らかの書き手の意図が含まれていると見なされます。

 たとえば、10月28日付けの春庭コラムでは
「若旦那、敵娼(あいかた)の布団のなかで、ちゃんと世の中のお勉強を仕上げる、という一席です」

と、「布団」と書き、本日10月29日のコラムでは若旦那の台詞として「おいらんがフトンの中で手をにぎっていて、はなさないんで」と「フトン」と表記しました。

 これは、若旦那にとって、「フトンの中ですごす」ということの意味がすっかり様変わりしたことを布団とフトンで意味合いを変えてみた、というつもり。

 もっとも、日頃誤記誤変換ばかりしているので、表記の工夫もあまり効果はあがっていないかも。

 センセー、ヘーカも「先生、陛下」と書いたのとは異なる意味合いを持たせたつもり。

 だから、傑作をケッサクと表記すれば、当然語のニュアンスが変わってくる。
表記の変化は意味の変化を含み、ここから語の意味の拡大縮小、変化が広がります。

 結婚式、まっき~、目立っていたでしょうね。
 「バカザバッカ」いい、ネーミングです。自分からバカを名乗るのは、ある種の志ありとみなされる。

  


2007-10-29 18:17:15 ページのトップへ
四文字ことば
haruniwa

ヨーコの突撃取材、いい企画ですね。

四文字ことば「オ○○○」を不要と言った国語学者、さだめし「お○○○」に縁のない人生だったのでしょう。お気の毒に。

まっき~辞書なら、あいうえお順の辞書なら「あい」の次、くらいに搭載される重要語なのにね。

マッキ~辞書ア行
愛、いちもつ、内股うちもも、うちまた、エロ、お○○○

足フェチのまっき~、AV「うちもも」批評だけでも、百枚は語れるだろうなあ。

本屋の辞書棚に、「日本文学に表現された性愛用語辞典」ってのがあった。

2007-10-31 08:55:27 ページのトップへ
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原爆投下と本因坊
mackychan
『こんばんは』シリーズ、ためになります。運動会の70ヶ国ってのは凄いなぁ!
なぜ観ていないのだろう、キネ旬で取り上げられたときから興味だけは持っていたのに。

昨日、シネスイッチ銀座で『呉清源 極みの棋譜』を鑑賞。
将棋ならともかく囲碁に関しては無知、呉清源についても知らなかった。でもこの映画を観たいなと強く思ったのは、監督が中国産『青い凧』の田壮壮だったから。
いやぁ驚いた。とても優しい映画。勉強になったと同時に、このように日本を描く監督が居たのか、こりゃあ日本映画のほうが遅れているかもしれないなと。
原爆投下直後の広島で本因坊戦・・・監督はたぶん、このエピソードを知って映画化を決意したのではないかな、そんな風に思いました。
2007-11-26 07:00:37 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:原爆投下と本因坊
haruniwa
私の父は、将棋をささなかったけれど、囲碁は好きで、家にはとても立派な碁盤と、とてもちゃちな碁石がありました。

立派な碁盤は戦災をまぬがれた昔からのもので、碁石は、戦後、もののない時代に、父がどこからか手に入れたものでした。 

ちゃちな碁石は、父が碁をうたなくなったあと、三姉妹が「おはじき」代わりに使い、だんだんと数が減っていきましたが、五目並べしか遊ばない私たちは、数が減っても平気でした。

そんな五目並べ姉妹の私でも、呉清源の名前は知っていました。
私の子供時代、最強の碁打ちは呉清源だと、父が言っていたからです。

でも、8月6日の原爆下の対局について、私は何も知りませんでした。
もし、本因坊戦第三局が第一局と同じように広島中心部で対局が行われていたら、日本の主立った囲碁関係者は全員死んでいたわけですけれど、広島郊外10キロの場所に移して、それでも対局を中止せずにつづけたってとこがすごいよね。
たしかに「ぐっとくるぜよ」のエピソードです。

週末土日は、ビートたけしの『点と線』を見ました。

娘の感想。
「たけしは、監督としては評価が高いのだろうけれど、役者としてはあんまりうまくないなあ」と、「賢治は玄米四合、くいすぎだぁ」みたいな、遠慮のない素朴な感想を言っておりました。

私は別の「時刻表ミステリー」と内容をごちゃごちゃにして覚えていて、最後にアリバイくずしをするとき、れれれ、汽車と飛行機だっけな、と、肩すかしの気分でした。
2007-11-26 19:34:47 ページのトップへ
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ドキュメンタリー

投稿者:mackychan (2007 11/30 8:6)

編集は究極的には取捨選択といい替えられるものだものね。監督のバランス感覚が作品の出来不出来にかかわってきてしまいますね。
本作のことではなく、
事実を有難がり過ぎる社会的傾向がドキュメンタリーというジャンルを歪めている・・・と、自分は思っているのですが、どうでしょうか。
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haruniwa
「事実を有り難すぎる社会的傾向が「ドキュメンタリーというジャンルをゆがめている」という部分、私には理解が及ばなかったので、
bbcへワープ。
どのようにゆがんでくるのか、教えてね。

テレビのワイドショウなどの「ニュース」の消費のされ方などが、「事実をありがたすぎるゆえのゆがみ」というのはわかりますが、そのような消費材料としての事実は、もともと真実を描き出すための素材としてはつかいにくいもの。

『ぼくはパパを殺すことにした』の女性ライター、調書をそのままののせて本にした。
信じがたい方法。
このような本が出版されてしまうことが、「事実をありがたがりすぎるゆがみ」といえるのかな。

「事実をそのまま描き出しても、それが真実ではないし、デフォルメされた事実や改変されたなかにも真実は宿る。

ドキュメンタリーは、監督が編集をおこなった時点で、監督の視点による「事実の改変」が始まっている。

でも、監督が事実の羅列のなかから取捨選択を行うことと、最初から「事実でないこと」「フィクション」を作品のなかにとりこむことはちがう。

見る者たちが事実をありがたがろうとないがしろにしようと、監督はドキュメンタリーをどのように編集しようとも、素材は事実をありのままに構成したものであるべきだけれど。

まとまりのないことを書いてしまったけれど、「ゆがみ」の様相をおしえていただければ、ありがたく存じます。 HAL
2007-12-01 00:28:22 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:ドキュメンタリー
mackychan
『ゆきゆきて、神軍』
いろんな意味で、いい時期に観たドキュメンタリーです。高校2年生だったかな。映像は何を語るのかを真剣に考え始めた時期だから、ハッとするところが多かった。題材としても強烈だったけど、いろんなことを教えてくれた。ま、それは、この映画からのみでなく、原監督の自伝的エッセイ『踏み越えるキャメラ―わが方法、アクションドキュメンタリー』(フィルムアート社)をも含んでいるわけですけれど。
この映画の中で、元上官の家にアポなしで突撃する奥崎さんが、逆に元上官の身内から羽交い絞めにされボコボコにされるシーンが登場します。奥崎さん、原監督に向かって「止めろ!止めろって!俺がやられているじゃないか!」と。
奥崎さんは、自分が格好よく撮られることを念頭において、映画の撮影を了承したのですね。
ショッキングな場面が続くこの映画のなかで、自分が最もインパクトを覚えたシーンです。鑑賞後、深く考えた。いったい、ドキュメンタリーとはどんなジャンルであろうかと。編集より以前の問題、カメラが介在した時点で、そこは日常ではない。事実を撮ることがドキュメンタリーの定義とするならば、カメラが回ったその空間で起きたことは確かにヤラセでも演出でもない事実だけれど、昨日や一昨日のような日常ではないじゃないかと。
監督は「作品を創る」と意気込んで撮影に臨み、対象者は「撮られていること」を自覚して過ごす。「とき」が緊張感をほぐすことはあっても、「ゼロ」になることは考えられない。
2007-12-01 07:53:08 ページのトップへ

Re:ドキュメンタリー
mackychan
原監督は上の著書で、「最後まで好きになれなかった」と奥崎さんのことを語りました。その数年後に制作された『全身小説家』。調布に奥さんが居てね、ちょうど奨学生をやっていた頃に公開されたので、自分の担当区域じゃなかったのに、集金に行かせてもらったの。「感動しました」奥さん苦笑して「私はあれ、好きじゃないの。ごめんね」と。奥さんによると井上光晴自身も「厄介な仕事、頼まれちゃってね。でももうすぐ死ぬから」と笑っていたといいます。今度は対象者から嫌われてる笑
なんだか原監督についてばかり書いてしまったけれど、フィクションを目指すものとして、事実がそんなに偉いのか、どうしてそんなに事実の映画化、小説化、実録とか、そういうことばかり強調するのだろうか、この風潮はちょっと歪んでいないか、と。感想は自由であることを承知でいえば「この物語が事実だなんて・・・」という感想を聞くと、物語に対する最初の感想がそれなのか・・・と、落ち込むこともあるから。
同じような感覚でドキュメンタリーを鑑賞するとどうなるのだろう。「事実のある一面」を切り取った「作品」そのものを事実と思うのか、「作品」と捉えるのか、どうなのだろうと。「ほとんど」の監督はそこに主義主張を込めるはずだから、鑑賞者も常に批判的な視点を持つべきじゃないかと。すべて疑えという意味ではなく、『ボウリング~』を観てチャールトン・へストンを嫌いになってマンソンあんな格好だけどいい奴じゃん、だけでいいのかと。ヘストン側から見た正義だってあるのではないか、ムーアはいいたいことをいうためにそんな大事な証拠をカットしたのかもしれないじゃないか・・・ウンヌンカンヌン。

そのへんのことは最前線『誰も知らない』でも語っているけれど、コメントだけでは表現が難しかったかもしれない。ごめんね。
2007-12-01 07:53:35 ページのトップへ

Re:ドキュメンタリー
mackychan
・・・と読み返して読んでみると、長文のわりには大したこと語ってないかな。自分でも迷っているようだ。
ともあれちょっと『こんばんは』シリーズに対するコメントとしては的外れだった気が・・・いまさらながらですが、あ、しまったなぁという汗
2007-12-01 08:11:23 ページのトップへ
連日更新にちょいこだわってしまいました。

haruniwa
レス感謝。
どのようなコメントも、的はずれなどということはありません。
というより、反論異論がでない文章なら、世に問う必要もなし。茶飲み話してみなでなごんでいれば、それでよし。

まっき~さんからいただいた今回のコメントも、たいへんありがたく、まっき~さんに「しまった」なんて思わせてしまったとしたら、申し訳ないことです。

これからも、どしどし忌憚のないコメントをお願いします。

「いろいろあらーな」に対するコメントはすべて感謝して読ませていただいていますが、私は、コメントに対する返信をしていません。

今回まっき~さんのコメントをbbsに移動した理由は、私の「UP時間ミス」によります。
朝起きてから更新するときと、深夜、日時が変わる0:00すぎにUPするときと、両方ありますが、私のパソコン、時刻がずれています。デスクトップは8分、ノートは3分進んだ時間が表示されます。
たぶん、パソコンの時計修正って、そんなにたいへんな作業ではないのだろうけれど。

だいたいの時間をみはからって、日付が変更になってからUPするのに、「こんばんは・森監督講演」は、23:57にUPされてしまい、そのまま気づかずに掲載。

11月29日付けが二編UPされていることに気づいたときは、まっき~さんのコメントがあったので、削除、再掲載措置をとらないことにしたのですが、11月30日の日付のところがぬけるのがなんとなくさびしくなって、、、
コメントはbbsに移動、本文は一度削除して再掲載しました。

「こんばんは」シリーズに対しては、私も「良い人ぶりっこ」のスタンスで書いていますので、このシリーズだけ読めば、私もちょい優等生教師の雰囲気。
あはは、私のガラにはあわんのだけれど、まあ、せっかくの「心あたたまる題材」ですので、ポカぽかで通しています。

で、日付はポカをやっちゃったってことで。

2007-12-01 12:46:13 ページのトップへ
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神経質な性分、だから気づいていました笑
mackychan
0時0分のこだわり更新に気づいてくれた春さん同様、
あれ今日は23時台に更新しちゃっているのかな、なんだかストーカーっぽいけれど、明日は予定が詰まっていて更新出来ないのかな、とか思ってたの。そういうわけでしたか。

姉のパソコンが6年目に時計が狂い始めた。
ネットに繋がる以前のパソコンはそういうことが不可能だったけれども、現在のようなブロードバンド状態だと、パソコンはお利巧さんだから、勝手に時刻調整してくれる。そうならない、時計が狂うというのはハードディスク内のマザーボード・・・だったかな、それが正常に機能しなくなったということです。なんの支障もなければそのままでいいと思うけれど、自分と同じように神経質な姉はサポートセンターに電話して修理を依頼、結果、ン万円取られたそうです。きー!足もと見やがって!交換するだけなんで素人でも出来るんだけど、春さん宅が近かったらホイホイと遊びに行くのになー。

話を戻して。
ドキュメンタリー全般について論じているコラムであれば、このコメントも通用すると思ったのね。春さんは理解してくれると思ったけれど、一読すると『こんばんは』批判と捉えられないからね、書くときはコメントとはいえもっと明確に、と思った次第です。
2007-12-01 19:16:44 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:神経質な性分、だから気づいていました笑
haruniwa
時計修正、お金かかるなら、あきらめよう。どうせ他の人とはずれた時間感覚でいきているんだし。

今日は映画の日だったので、何か記念に見ようかと思って、『クワイエットルームにようこそ』にしようかと思っていたんだけれど、ちょっと落ち込み気味な今日このごろ、笑って師走に突入しようと思って『てれすこ』にしました。

映画の日サービスで千円だったから混んでるのかと思ったら、池袋ロサシネマ、ガラガラ。

『しゃべれどもしゃべれども』に続く落語ネタで、笑えるシーンも多かったけれど、こういう映画って、広い座席がガラガラで数人だけで笑っていても、なんだかさみしい。

「チャップリン映画をみて、劇場全体が笑いに揺れる」という体験は得難いものなんだなあ、と感じます。
2007-12-02 01:22:57 ページのトップへ
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映像史的に最高のコメディ
mackychan
演じること書くことプロであることなどなど、今回の春さんコラムは面白いしためになるし、いやぁいいもの読ませていただいてます! という感じで毎日楽しみです。
うん三田佳子はほんとう気の毒だなぁ。もう少し歳とって捕まったら個人の責任、親が出てくる必要がないのかな、あぁそういう問題じゃないかな、例え彼が40歳くらいだったとしても、やっぱりお母さんは責められるのかなぁって。ゴマキ弟は今でも本名の前に「ゴマキの」とつくし、有名人は大変だっ。別に好きじゃなかったけれど、こうなると応援したくなっちゃうよねー、不思議なイキモノだ、人間って。

昨日はK-1の決勝戦で、観戦・・・ではなく取材のために横浜アリーナに行ってました。すぐ近くに藤原紀香。席が近いということはあらかじめ分かっていたので、前日まで自慢していたんだけど。聞いた友人は皆、「いい匂いしそうだよね」と。実際、いい匂いがしました。
関係者と呑んで帰ってきたあと、最前線執筆のため『神様の愛い奴』を再見。
所見も酷い映画と思ったけれど、やっぱり酷かった。春さん、観た?これは観る機会の少ない映画だと思うので、たぶん観ていないでしょう。最前線で取り上げた映画はほぼ100%お薦め出来る映画ばかりですが、これだけは薦めません。でもこういう映画もあるのだ、表現に挑んだ勇気ある作品なのだということを訴えたくて取り上げるのですが。
出所した奥崎兼三は重度のパラノイアに襲われ、彼の目指すユートピアはエロとスカトロジーの世界だった・・・という、わけの分からない話でね、この映画制作に携わったひとりに根本敬というひとが居るんだけど、このひとがまた酷い。人間の精子を人格化した漫画『タケオの世界』で有名になったんだけど、この漫画、何が酷いかって物語とかそういうのではなく、単に絵が下手なんだ。ヘタウマという言葉が流行ったりしたけど、わざと下手に描いている風でもなく、蛭子さんの漫画を精巧なタッチと表現したくなるほど、根本さんの描線は歪んでいる。きっとジャンキーなんだと。ま、そんなこといって本棚に並んでいるんだけど、根本作品・笑
2007-12-09 04:44:22 返信フォームへ 掲示板へ戻る
Re:映像史的に最高のコメディ
mackychan
で、迷惑なほど長く書いちゃったけれど、ここからが本題で。
ゆーや内田の政見放送は有名だから知っているだろうし、観たことあるよね。全編英語で喋って歌った殿堂入りの映像ね。ああいう政見放送を映像作品と解釈するならば、どんなバラエティより映画より笑える、映像史的に最高傑作のコメディなのではないかと。チャップリンよりモンティ・パイソンよりジャック・タチより松本人志より笑いをはずしていない。本人はどういうつもりか知らないけれどね、はっきりいってロッケンローラーとしては評価していないし自分、俳優としてはなかなか迫力あるけれど。
その対極に位置するのが、奥崎さんの政見放送だと思って。
勝手に頭のhを外した形で政見放送を貼っておきます。NHKナレーターが「前科三犯」と経歴を紹介した時点で数メートル吹っ飛ばされる。逮捕歴を誇ったひとだから、「これを流せ」と脅迫まがいにいったに違いないのだけれどね。後半からは「キチガイ」のオンパレード、いやぁ親父じゃなくて良かった、他者だからこういう映像を楽しんでいられるのだなぁと思います。でもなんか、感慨深いのですよね、なんだろう、別に亡くなったからじゃないと思うのだけれど。

ユーチューブ政見放送は権利的に問題ないみたいだけど、そのままリンクしたら妙な奴がつられて春さんページにやってきそうだから、敢えてhを外しておきました。
日曜朝から濃い内容の書き込み、お許しを。

ttp://www.youtube.com/watch?v=t3EALg22uMY
2007-12-09 04:44:37 ページのトップへ
ノリカ
haruniwa
ノリカの香り、陣内は嗅ぎ放題かぁ。

有線大賞で、堺正章と組んで司会をこなしたノリカを見ながら、娘息子と「ノリカ離婚後の値段」について値札をつけあって遊びました。

娘は、陣内の浮気で離婚したら小柳ルミ子と同じイメージになってしまう、自分より格下男と結婚したからには、30年先までの計算はしつくしているはず」という。離婚で5割引。
息子は、「値段低下をおそれて、陣内がどんな夫であろうと絶対に離婚はない」というのだけれど、私は、次はIT成金系のカネモチ男と再婚すればいいんじゃないかと見ている。離婚再婚で2割値上げ。

同じ成金でも、パチンコ成金だと、どんなに結婚式を豪勢にしても、うのは、自分が思い描いているような「セレブ」とは見なされなかった。
その点、奥菜恵はセルフイメージプロデュースとして成功したと思う。
 
2007-12-09 08:18:38 ページのトップへ
Re:映像史的に最高のコメディ
haruniwa
ソニンと組んだEE-Jump、けっこう応援してましたが、「一家から有名人が出たために、ダメになった家族の代表」になったゴマキ弟。盗んだのが電線ってとこが悲しい。どうせ盗るならもちっと金塊とか宝石とか、姉のイメージに合いそうな、、、って、どっちにしろ大差ないか。電線でも金塊でも。

ゴマキ弟ユーキもファンキーだが、ロッカーユーヤのアカペラのへたさ加減は、意図してやっているなら、すごいとおもう。
英語の下手さもさることながら、「おれのまわりはピエロばかり」と歌いながら、自分を一番のピエロに仕立てたあの演出を、躁状態でもなくクスリでもなく、パラノイアでもなくやってしまえるのなら、偉大である。
「ユーヤ&ユーキ」で組んで、ユーヤの後ろでユーキがEE-Jumpのふりつけで踊ったら、いいんでないろうか。

内田ヤヤ子が、「いままで言われたなかで、一番一生に残った言葉は何?」という松尾スズキの質問に答えて「父親に、おまえはほんとにオレの子か、と質問されたこと」と、答えていた。
きききりんの子育て、娘が14歳のときモックンとの結婚を決意させた琴やらスイスの全寮制女学校に放り込んだことを含めて、よい判断だったと思う。

2007-12-09 08:35:26 ページのトップへ
すかとろ
haruniwa
根本敬は、新聞雑誌でイラストや一こま漫画を見たくらいで、彼の仕事の全貌は知らんし、映像夜間中学も知らなかった。
「映像夜間中学」ネーミングがいいね。「夜間中学」の涙滂沱のクソまじめさをおちょくるような、そのまままじめに受け取っているようなビミョウーさがいい。

私自身はスカトロ映像みたくないので、一生「神さまの愛い奴」を見ることはないだろうけれど、奥崎自身に関していうなら、おくさんがなくなった時点で、これから先、この人の「なんとか社会と接点を保っていることのできた部分」がどうなってしまうのか、懸念はあった。

まっき~は、ご自身の「ゆるウン」噺は好きだから、スカトロへの抵抗で「ひどい映画」と言っているんじゃないと思うんで、最前線楽しみです。

なぜ、奥崎は出演OKしたのかと思うけれど、ニューギニアでの餓死した占有とテンノーヒロヒトとスカトロ葉、彼の中ではきっちりひとつに結びついているんじゃなかろうか。

ちなみに、私は立ったまま脱糞できる。
2007-12-09 08:57:39 ページのトップへ
三田佳子次男
haruniwa
すみません、三田佳子のくだりは、12月08日のカフェコラムから削除してしまいました。
「だめな息子を育ててしまった母」について、やはりひとことも言及できないなあ、と、忸怩たる思いで。

今おもうに。
後藤祐樹内田裕也高橋祐也に加護亜依辻希美(離婚後に)を加えた、「Wゆー&Wゆうやフューチャリングユーキ」というユニットは、最高に濃いんじゃないだろうか、とモーソーの日曜日。
それでもって、ハロープロジェクトの一ユニットとして、年末格闘技の前座でうたうのだ。

これから「第九」聞きにいかねばならぬ。ダンス友達が合唱団の一員なので。
2007-12-09 09:10:08 ページのトップへ
引用許可願い
haruniwa
12月18日掲載予定の春庭コラムにまっき~さん登場です。まっき~語録の引用許可ねがいます。
> まっき~さんが書いたとおりのことばじゃないと、思うけれど、引用の方向がまちがっていたら、おしえてください。
>
>  来年の2月までコラムネタストックある。今までで一番ストックが多い。
>  まっき~みたいに本業シナリオのほうがメインってことないし、ネタ思いついたらどんどん指が文字うってくれるからね。
2007-12-09 10:04:52 ページのトップへ
魔女宅のキキとの会話
haruniwa
> 今、農村地帯でも、刈り取った稲はすぐに人工乾燥工場へ運ばれてしまい、天日干しされるのは、自家消費分のごくわずかなものだけなので、写真のモチーフになるような光景は、めったに見ることができない。

 この秋、私が出身地の田舎で目にした「稲架(ハサ)」も、ごくわずかだった。
 田圃や稲架の光景、これからは「保存地区」に「観光」で行かない限り日常風景として見ることはできないのだろうと思う。

 太田道灌は現在の東京をながめたら、「家康入府以前の江戸は葦原の武蔵野が広がる光景だったのに」と、嘆くかも知れない。しかし、もはや東京を武蔵野の原野にもどすことはできない。
 それと同じように、日本の田園風景が失われたことを嘆いても、では、300年前の日本に戻そうといっても不可能だ。

 私たちは「近代」という時代の中に入ったときから、多くのものを失ってきたのだ。

 映画「続三丁目の夕日」を見た若い女性が「人情があふれていた。人々が夢を抱いて目を輝かせていた。(中略)こまやかで、隣近所のつきあいが暖かかったあの時代の失われた何かを取り戻したい。経済大国での便利や自由を否定するわけでもない。でも、お金じゃない何かを置き忘れてきたのではないか」と、投書したのを読んだ。

 それを読み、実際に昭和30年代に子どもだった私は「今の便利さや快適さを捨てて、あんたらがあのころの生活に耐えられるなら、30年代に戻ってみたらいいやんか」と、思ってしまった。捨ててきたことの痛みを自覚することなしに、「こまやかな人情やあたたかい隣近所」だけ取り戻すことはおそらくできないだろう。

 映画青年牧野光永氏は、「魔女の宅急便」のラストシーンを見て「成長とは何かを失うことなのだ」と、感じ取ったと書いていた。私は、その鋭敏な感受性をよしとする。
 投書女性が「隣に住む人の顔も名前も知らず、人とかかわることを避ける時代」を残念に思い、「わすれてしまった「何か」を取り戻したいものだ」と、いうのなら、まずは、ケータイとコンビニとテレビなしに1年間暮らしてみて、それから行動を起こしたらいい。
 武蔵野の原野はとりもどせないが、人の心は、自分の働きかけによって変わるだろうから。

 私は耐えられると思うよ。エアコンもインターネットもなく、新幹線も走っていなかったあの時代に戻っても。
2007-12-09 10:09:55 ページのトップへ
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コメント
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