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ぽかぽか春庭「悪人」

2012-12-09 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/09
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>悪人映画(2)悪人
 
 新聞連載時に読んだときは、とくに思い入れがなかった吉田修一の『悪人』。
 映画になって、主人公祐一を妻夫木聡が演じるというので、「え~、美男が演じるとぜったいに祐一がカッコよくなりすぎる、と危惧してしまいました。この主人公、「これまで女性にはもてたことはなかった」という設定ですから、美男が演じてしまうと、原作のイメージとは違ってしまうのではないかと感じ、主人公に心寄せる孤独な女性店員も、美女だったら「30になっても、結婚のケの字もない」というイメージと異なるだろうと案じて、映画を見ずにいたのですが、、、、テレビ放映があったので、録画してみました。

 私の映画鑑賞、みたい度別に、1,公開時に千円(シニア値段)を払って見る。2,飯田橋ギンレイホールで見る(シネパスポート)。3,ビデオ新作(300円)を借りる。4,ビデオ旧作(100円)を借りる。5,テレビ放映を録画。
の順です。「悪人」は、5での鑑賞だったので、映画祭主演女優賞の看板にも何の期待もせずに見たのです。

 妻夫木聡が祐一にキャスティングされたことを知ったとき、当代のイケメンが演じることによって、殺人者清水祐一のイメージが変わってしまうなら困るなあ、と思って危惧していたのですが、妻夫木はちゃんと「さえない、もてない土木作業員」に見えて、決してイケメン風ではなかったです。祐一がイケメンだからでなく、その人間としての存在すべてによって、彼の罪を考えてみようと思う機運が画面を見るものの中に醸成されました。
 
 深津絵里がモントリオール映画祭で最優秀女優賞を取り、第34回日本アカデミー賞で、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞、最優秀助演男優賞(柄本明)、最優秀助演女優賞(樹木希林)、最優秀音楽賞(久石譲)などを総なめにした映画で、「みな、うますぎる!」

 吉田修一の小説『悪人』を、作家が監督と共同で脚本をしあげ、映画『悪人』が完成しました。
 殺人者が主人公なのですが、なんとも悲しくせつない物語です。
 
 「だれが本当の悪人なのか」というキャッチコピーの狙い通り、見終わった後ひとりひとりが、自分の中にある悪を見つめることに成功しているのではないかしら。
 たとえば、東電女性社員殺害事件のとき、警察発表マスコミ報道のままに、あのガイジンは悪い奴だと単純に思い込んだ者たち。そのひとりひとりが、その資格もないのに「他者を断罪して快感を得る悪」を心に持っていたではないか。

 現実社会では、年寄りをだまして金品巻き上げても、罪に問われることもなく、のうのうと生きていられる。振り込め詐欺なども、警察庁の発表では、2011年(1月~12月)の振り込め詐欺の被害発生金額は約110億1,958万円で、検挙率は20%以下。捕まったのなんか、末端の金品受け渡し役くらいで、実際のボスは捕まっていないだろうと思います。
 映画の中では、「健康グッズ健康食品販売」の堤下(松尾スズキ)。この小悪人たち、ほんとうに世の中にはごろごろ存在しています。

 さらに大きな金額では。ひとりひとりが身を削るようにして捻出し納めた税金が投入されているはずの、復興予算のいいかげんな流用。東北の被災地の復興とはかけ離れた地の事業にも、「復興支援」として大金が使われている、というニュースがありました。この問題で不可思議なことは、「都合が悪い事態がおきたとき、どこにも責任者がいない」という事実。与党政府は「野党が出した予算案をそのまま承認しただけ」というし、どこからも悪人は出てこないのに、大金は流用されて消えてしまいました。人ひとり殺す罪が軽いわけではない。しかし、世の中にはその手で首を絞めなくても、殺す以上に人を苦しめている巨悪が多すぎる。そして小悪人は捕まって罰を受けるけれど、巨悪はのしあがって権力者となる。

 『悪人』ストーリーは。
 新聞連載だけで単行本は読んでこなかったのですが、今回、文庫本上下とシナリオ版を読みました。脚本が原作の設定を変える場合、不満が残るものですが、原作者が承知で変えたのなら、それは映画的変化として捉えるべきなのでしょう。いくつか、原作とは異なる設定があります。
以下、ネタバレを含むあらすじです。
 白地に白文字で書かれているので、ドラッグ反転で文字が出ます。かなりくわしいあらすじ紹介になるので、あらすじを知りたい方だけ、反転してください


 金持ちボンボンの大学生増尾圭吾(岡田将生)が、保険外交のさえない娘、佳乃(満島ひかり)を虫けらのように扱い、山中に置き去りにする。佳乃にふられた男祐一(妻夫木聡)は、娘のあとをつけ、助けようと手をのべるが、娘はプライドを傷つけられた腹いせに祐一の心をふみにじる。祐一は怒りにまかせて娘を手にかけてしまう。殺人としては単純な話です。

 警察は当初、姿をくらました増尾圭吾を犯人と見て、行方を追い、その間、祐一は紳士服量販店の店員馬込光代(深津絵里)と逃避行を続けます。
 殺人犯とは知らぬ間に祐一を愛し、30歳になってはじめて人を思う心を知った光代のこころが、丁寧に描かれています。
 祐一を捨てて逃げた実母に代わって祐一を幼いときから育てた祖母清水房江(樹木希林)と殺された佳乃の父親、床屋の石橋桂男(柄本明)の心情も「泣きのポイント」になっています。

 光代は、ラストシーンで自分に言い聞かせるようにつぶやきます。「あの人、悪人なんですよね。人を殺しているんですもんね」
 
 映画『悪人』に出てこない女性、金子美保。祐一が夢中になったファッションヘルスの従業員です。美保がなにげなく「結婚したらこんな家に住みたい」と夢を語ると、祐一はプロポーズもしないうちにアパートを借りてしまったことがある、と美保は証言します。この女性は祐一が母親からお金をせびるのは、「両方が被害者にならぬため、自分を加害者にしておけば、母親が息子を捨てた加害感情を被害感情に変換できるからだ」と、祐一が語っていた、と述べています。映画では、アパートを借りる話しは祐一の友人が、母親にお金をせびった理由については警察官が証言し、美保は画面に登場しません。満島ひかりと深津絵里のほかに、ヒロインイメージを拡散させないための措置だろうと思います。

 逃避行の果て、警察が踏み込んだとき、祐一が光代にとった行為により、光代は「犯人に連れ回された挙げ句に被害者となりそうだった女性」として扱われます。警察に対して、光代は「自分から祐一について行ったのだ」と証言するのですが、祐一は「脅して連れ回し、最後は邪魔になったから殺そうとした」と一貫して光代を被害者に仕立てます。祐一は、警察に、「自分は、女性の首を絞めることによって性的な快感を得る人間」とさえ言うのです。光代を守るために。

 事件から日が経って、また元の「紳士服量販店の店員として国道を行ったり来たりするだけの生活」に戻った光代。光代は、祐一が最後にとった行動が、自分への究極の愛であることがよくわかっています。ラストシーンで、光代は「あの人は悪人」と、自分に言い聞かすようにタクシーの運転手に語りかけますが、光代にとって、人里離れた灯台でふたりきりですごした数日の出来事が、30年間の「何もなかった生活」のどの時間よりも自分の人生を輝かせてくれたひとときであったのです。

 祐一が灯台の向こうの海に沈む夕日のきらめきを見せてくれたひとときのこと。海に沈む夕日は、生まれて初めて見る陽のように輝き、たちまち海に沈んでしまうとしても、その輝きを空に残していくのです。

 
 祐一は、育ててくれた祖父母にも、自分を捨てた母親にも、たったひとり心から自分を受け入れてくれた光代にも、やさしい心遣いを重ねる青年です。
 しかし、世間では。祐一は、殺人鬼であり、大悪人です。
 以後ものうのうと生きて行くであろうボンボン増尾圭吾はこれからも、女達を引き連れて遊び回り、健康食品販売の堤下は、これからもを年寄りを騙して高額で売りつけていくでしょう。

 世間では、悪人は祐一のような男を言うのです。表面に表れた事象だけで、悪人を決め、断罪して溜飲をさげます。
 80歳になっても、さらなる権力を求めて好き勝手やる男(後事は「ピカレスク」作者に託したとか)や、果たすべき責任を負わずにポイと政権を投げ出した末、もう一度返り咲いて「憲法を変えよう、日本を戦争できるフツーの国にしたい」と叫ぶ無責任お坊ちゃまは悪人とはされない。

 「悪人」とは、だれなのか。
 多数の福島県民を「難民」としてしまった責任者たちのうち、だれ一人「悪人」と名指しされた人はいません。すなわち自分に責任があると申し出た人はいません。防御壁を越える津波が襲う可能性を知りながら、稼働を続け、現場から爆発するという危機的な声を聞きながら手をこまねいていた人も、自分が悪人とは思っていないのです。
 「フクシマの事故は想定外の津波のせい」とされてきましたが、津波以前に、地震の揺れそのものですでに原子炉が破壊されていたということを東電側は隠し続けました。地震で壊れる可能性もわかっていたのに、「そんな大きい地震は当分来ないだろう」という根拠のない「安全神話」だけで操業していたということです。

 トンネルの点検を「テキトー」に終わらせ、「異常なし」という結果にしておいた悪人は、どこにもいないらしい。9人の人を殺しておいても。

 でも、みんな悪人が大好きみたい。本当の悪人は誰なのか、見極めることもせずに気分雰囲気で「なんかツヨソーな人、威勢のヨサソーな人」を求めて、あげく「だまされた」「こんなダメな政権とは思わなかった」とか言わないでほしい。国民が自分で選んだ結果は、自分で負う。
 せめて、自分自身が悪事の片棒担ぎにならぬ選択をしたいと思っています。
  
<つづく> 
コメント (5)
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