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ジャンボ春庭1979年のケニア便り「ケニアの踊るモンキー娘」

2012-12-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/12/16
ジャンボ春庭アフリカ通信>1979年のケニア便り(45)ケニアの踊るモンキー娘


 10月の「9年前の日記」「20年前の日記」に続き、33年前、1979年のケニア日記の続きを書き写します。20年前の日記以後、ワープロで書くようになったので、コピーは簡単ですが、33年前にケニアのナイロビから故郷の家族あてに出した手紙は、切手代節約のために、薄紙に小さな文字がぎっしり書かれていて、老眼には読みとりがつらい。
 33年前の私にタイムスリップで出会うことがあったら、「30年後は老眼になるのだから、もっと大きな字で書け。どうせ33年後も貧乏なままなのだから、ここで切手代節約しても、たいした違いはない」と、教えてやりたい。

 ナイロビで「アフリカンダンス修行」に励んでいた「1年間の夏休み」から33年。1979年7月30日、ナイロビ初日に出会ってしまったタカ氏と、1982年10月28日に結婚式をあげてから30年目の秋。
 もちろん1年目も10年目も30年目も、結婚記念日などしない夫婦です。まあ、こういうふたりが夫婦と言えるなら、ということですけど。
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春庭フリースペースちえのわ赤道日記1979-1980>1979年のケニア便り(45)ケニアの踊るモンキー娘

1979年アフリカ通信第16号1979年10月07日~10月12日
 10月7日から12日まで、午前中は毎日ボーマス・オブ・ケニアに行って、踊りの練習をしました。伝統舞踊というのは、日本の盆踊りといっしょで、技術的にはむずかしくありません。今は、キクユ族とギリヤマ族の踊りが踊れるようになりました。私は女性のグループと練習するので男性の方の振り付けが覚えられませんけど、だいたいできると思います。

 午後は、洗たくをしたり映画みたりでヒマつぶし。今までいっしょにYWCAに泊まっていたタマイさんがモンバサへ行ってしまったので話し相手がいなくてたいくつです。私はギカンブラ村で少しキクユ族のことばを覚えたので、今はYWCAの職員たちに受けがよくなっています。彼らは皆キクユ族なので、キクユ語を話すと親近感を持つようです。

 キクユ族は、ケニア最大の部族で主要なポストを握っています。キクユ族が自民党的与党とすると、社会党的野党部族はルオー族です。(ケニアでは政党は、ケニア国民統一党というのがひとつあるだけで、それ以外は非合法です)
 今度、ケニアで統一選挙がありますが、キクユ族はさらに部族の独占をはかってルオー族の候補者を排除しようとしたので、ナイロビ大学の学生が「それはフェアなやり方じゃない」とさわぎ出しました。すると政府は、大学を封鎖してしまいました。選挙がおわるまで封鎖がつづきます。

 ほかにマサイ族、カンバ族などが大きい方で、小部族はキシイ、ルイヤ、ナンディ、キプシギス、タイタ、ギリヤマ、トルカナ、ボラナと、たくさんあります。大統領は、小部族の出身で「部族にこだわってはいけない、他部族と結婚するのがよい」といっていますが、日本だって関東の人間にとって関西の人はなじみがないと思うのですから、まして言語や文化が違う部族との結婚は国際結婚と同じです。人々は部族語とスワヒリ語と英語を家庭、社会、職場で使い分けてくらしています。しかし、たいていのケニアにいる白人は、アフリカの中ではケニアが最もいい国だといいます。政治が安定し、経済は向上しつつあり、発展が望めるといっています。20年後がたのしみなのは中国とケニアだといいます。

 ボーマスはナイロビ・ナショナルパークの入り口あたりにあるので、時々近くに動物がやってきます。11日にはキリンとアントロープ(鹿の仲間)をみました。キリンはわりに近くまでのっそりやってきて、アントロープは遠くに群れをみました。12日にはさるが4ひきやってきてさくの上のくいに一本に一頭ずつ座って、私の方を見ています。仲間だと思ったのかも知れません。

<つづく>
コメント (2)
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