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ジャンボ春庭1979年ケニア便り「エンブタウン」

2012-12-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/12/19
ジャンボ春庭アフリカ通信>1979年ケニア便り(48)エンブタウン

1979年アフリカ通信第16号 1979年10月16日~10月24日

10月16日 ジャパンインフォメーションセンターに日本の選挙結果を知らせる手紙が届いたので、T氏とケンケンガクガク議論しました。社会党がたらしないということになりました。(T氏=タカ氏)

10月17日
 カヒンディの家へ行って泊まりました。子供達に折り紙を教える約束をしたので、行きたくなかったけど、日本人は約束を守るからしかたなくいきました。
 子供は12歳を頭に、女男女男と4人です。つるを教えたけど、皆不器用で、きちんとおれません。それで、子供達は一層私を尊敬したようであります。

10月20日
 カヒンディの家族が、奥さんの実家に里帰りするのに連れていかれました。村の中の親せき知人の家へひっぱりまわされて、握手したりあいさつしたり、まるでたいくつしました。
 頭に来たので、一人で散歩に出ました。エンブの付近は、日本と同じ黒い土で日本と同じ稲田の風景です。黄金色に穂をつけた稲田を見ると何かしら豊かな気分になれます。
 一面のコーヒー畑を見ても、見渡すかぎりのトウモロコシ畑を見ても、広いなあと思うだけですが、稲田を見たときに感じる満足感はやはり日本人だからでしょう。しかし、そこはケニアで、収穫期の稲田のむこうには田植えを終えたばかりのたんぼもあって、日本とは違います。

10月21日
 朝、おりづるのモビールを作って、奥さんのお父さんにあげました。カヒンディがまた知人の家に紹介に連れていったので、頭にきて逃げだし広場へ行きました。日本人の友達がいるというので、得意になって紹介したい気持ちもわかりますが、限度があります。
 広場では、若者がサッカーをしていたけど、ヘタなのでヤジをとばしていたら、彼らはやめてバレーボールをはじめました。そこで「私も入れて」と行って、いっしょにバレーの試合をしました。私もバレーはまるでヘタだけど、彼らもヘタでちょうどいいぐあいでした。しかし、サッカーボールでバレーをしたので、レシーブをするたびに手の皮がむけてひどいありさまでした。風邪をひいて帰りました。

10月22日
 鼻かぜがひどく、くしゃみ、鼻水の世話で一日終わりました。

10月23日
 モンバサへ行っていたタマイさんが帰ってきたのでひとしきりおしゃべりして、ワイナイナの家へ二人で行って、夕食をもらいました。ワイナイナはキクユ族です。でも、カヒンディとちがい、こちらを気遣ってくれます。奥さんは看護婦をしています。タマイさんはYWCAにへやがとれないので、ワイナイナの家に泊まりました。

10月24日
 タマイさんと待ち合わせをして、彼女が来るまでこの手紙を書いていました。今、タマイさんがきたところ。
 では、またね。


<つづく>

もんじゃ(文蛇)の足跡;
 どうしてこのとき、こんなに「カヒンディの親戚回り」に連れ回されることがいやだったのか。
 「珍しいペットが手に入ったので、友人親戚に見せびらかす」というようなカヒンディの得意顔が気に入らなかったのだろうと思うのですが、この場合、「珍しいペット」の役割を引き受けて、逆に、「エンブタウンの農民達のようすをきちんと調査する」というくらいの気持ちになれば、文化人類学フィールドノートを書くチャンスになったかもしれません。でも、このときの気分としては、自分が「見世物」にされることに、ただただうんざりしていたのです。若くてバカでしたね。
コメント
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