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ジャンボ春庭1979年ケニア便り「ソマリ族の結婚式]

2012-12-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/12/18
ジャンボ春庭アフリカ通信>1979年ケニア便り(47)ソマリ族の結婚式

1979年アフリカ通信第16号 1979年10月13日~10月15日
 10月13日の日曜に、ソマリア族の結婚式に出席しました。花ヨメ花ムコとは無関係ですが、出席者の一人と知り合いというだけでずうずうしく出席したのですが、期待に反して伝統的なスタイルではなく、モダン・スタイルで、日本の結婚式とかわりありませんでした。花ヨメ花ムコは、家でイスラム教の式をあげてYWCAのとなりのセレナ・ホテルで披露宴をしたのです。まず、一時からランチがあり昼食を食べましたが、花ムコしかいなくて、花ヨメには会えませんでした。ひとつおぼえのソマリ語で「おめでとう」とあいさつしました。

 それから解散してめいめいヒマつぶしをします。私は公園の池でボートにのりました。7時からまたはじまって、ミュージックパーティーというのがあって、これはなんのことはないディスコ大会でした。
 はじめに少しあいさつがあって、ソマリアの詩の朗読とか歌なんかがあったことろは少し日本と似ていますけど、仲人による花ヨメ花ムコの経歴発表なんてのはありません。お互いに親せきみたいに知り合っている人々のあつまりだから、必要ないのでしょう。始めに、白いウエディングドレスにベールの花ヨメとタキシードの花ムコが一曲踊ったあとは、出席者が勝手に楽しむといったふうで、ディスコ大会になり花ヨメはひどくたいくつそうで、途中で二人とも何のあいさつもなくいなくなってしまいました。

 ソマリ族は政治的に力がないし、概して貧しいので、キクユ族などに比べると、差別を受けているみたいです。
 キクユ族の友達の一人は「ソマリアは貧しくてしかも頭がいいので人をだます」といっていました。

 7時にパーティがはじまる前、ホテルでビールを飲んでいたら「エンブ族だ」というよっぱらった男がソマリ族たちにからんで議論をはじめました。部族に関することで私には全部は話がわかりませんでしたが「15年前の独立の時、ソマリ族は、自分たちの地区だけの独立をめざして、政府に反対して戦った。今も信用できない」と男がいい、ソマリ達は「昔はいざしらず、今はオレ達もケニア国民の一人なんだ」と主張して、からみあいませんでした。

 「日本は、日本民族ひとつしか部族がなくて、皆同じ日本語を話す」と、日本のことを説明しても、納得してもらえないくらい、「部族の差」というのは、ケニアにとって大きい問題だと思います。

 ソマリ族の結婚式が伝統的なものでなかったように、しだいに部族の伝統はなうなりつつあります。一方では、そういうのがなくなるのがおしいと思いますが、一方では、それは他国人の感傷にすぎず、この国の発展のためには、部族をこえなくてはいけないとも思います。

 10月15日の月曜は、ソマリ地区へまたいって、おひるをもらいました。私には別の皿でフォークを出してくれたのですが、ほかの人は大皿にチキンミートスパゲッティを山もりにもって、手で食べます。まわり中からわっと手が出て、あっというまに食べてしまいました。女の人は台所で食べるみたいでした。イスラム教のぼうさんがきたら、ぼうさんにもごちそうしてました。こども達に紙風船や折り鶴を織ってあげたら、とりっこのけんかをして大騒ぎになりました。

 エンドさんのはなしでは、「ソマリ地区はこわい所だ」ということですが、私は昼間のせいか、それほどこわいとは思いませんでした。夜、一人で歩いたりしたら「時計を盗むために手首を切断する」なんて話が現実になるのかもしれません。

 日本の選挙の話が少しだけこちらの新聞にのりました。自民党が過半数とれなくて、共産党が伸びたとだけありましたけど、くわしくはわかりません。そのうち日本の新聞がエンドさんの家にでも送られてくるでしょうけど。
 あと、予定では今週17日18日にマガディ湖へ行って、20日21日はカヒィンディ氏とその妻とこども4人がエンブに行くのにいっしょにつれていってくれるそうです。来週はラム島に行こうかと思っているけど、今、雨期になりつつあり、雨がふるとバスは通行止めになるので、行けないかも知れません。それからみちこの所へいっておしまい。
 ではまたね。(10/16)


<つづく> 
コメント (4)
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