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ぽかぽか春庭「2012年何もなかった回顧」

2012-12-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2012年年末(3)何もなかった回顧

 世間様ではいろいろあったようだけれど、私自身の今年はどうだったかと振り返ると、振り返るほどの年ではなかったと、毎年年末に思うのです。まったく、たいしたことのない毎日で、ささやかな日常が続くだけの日々。
 2012年の1年をふりかえるほどのことはない年だったとは思うのですが、でも、振り返っておきましょう。ささやかな人生のささやかな日常を。

 これはクリスマス定番のアメリカ映画『素晴らしき哉、人生! (原題:It's a Wonderful Life)』を見て、どんなささやかに思える人生であっても、やはりすばらしいものと、自己肯定できる気分になった効果です。いやあ、映画ってすばらしいですね。
 『素晴らしき哉、人生!』は、毎年、クリスマスシーズンにアメリカでくり返し上映されるという映画です。

 世界へ飛躍したいという若者らしい夢をあきらめ、父の事業を継いだジョージの物語。小さな田舎町を出ることなく、妻と4人の子のために黙々と働き、友人を助けてきた人生。絶望の淵にたったとき、そのささやかな人生がどれほどすばらしいものであったかを、クリスマスに降る雪の中で気づく、というストーリーです。1946年の白黒映画。今はパブリックドメイン(著作権切れ)になっています。

 私は、毎日の日誌はmixiに掲載しています。(読めるのは私ひとりですが)
 日誌は、仕事に行ったこと、映画館や美術館へのおでかけメモのほか、たいしたことは書いてありません。何事もない平凡なのがありがたいことなのだと思いますけれど。

 2012年、夏に姑の体調が悪くなったけれど、なんとか持ち直しました。娘がおばあちゃんの病院通いなどによくつきあってくれて助かりました。

 娘が報告するには、「おばあちゃんが、病院で患者仲間のお年寄り達とおしゃべりすしているのを聞いていたらね。衝撃の発言をしていたの。おばあちゃんが言うにはね」。

 孫が5人いて、上の4人は期待はずれだったのだけど、一番下の孫がまだがんばっているから、希望が残っていると。
 「その期待はずれの上の4人のうちの一人は、私だよ。私が今ここにいて、おばあちゃんの病院付き添いをしているのに、期待はずれの孫って、平気で言えるおばあちゃんってとこが、父の母親らしいとこだよね。でも、その父に一番似ているのが私だから、、、」

 保育園小学生のころは天才かと思うくらい頭が良かった娘。中学生のころは普通の秀才になり、生徒会役員になったところ、教師と生徒の対立に巻き込まれました。その教師から「内申書に悪口をいっぱい書く」と脅されて不登校になったけれど、内申書を成績判定に用いない単位制高校から大学へ進学。かろうじて大学卒業したけれど、社会でばりばりに働くキャリアウーマンというものにもならない娘は、おばあちゃんの期待にはそえなかったというわけです。でも、私は、料理上手で心やさしい娘が大好きです。このクリスマスにも、とってもおいしい苺ショートケーキを作ってくれました。いつもの年よりおいしくできたと思うので、そう言うと「いつもよりも高い苺を買ったから」と言います。甘王という種類、ほかの苺の倍以上の値段なのだって。

 息子はこの12月に「不満足な出来」と言いながらも、修士論文を提出できてほっとしています。お祖母ちゃんは「孫が博士号とるまで長生きする」と言っているので、これもばあちゃん孝行のひとつ。「イマドキ、博士号とったくらいじゃ就職できないことはわかっているけれど」と、息子は将来を悲観しつつの日々ですけれど。

 息子、新しいブルーレイを置くにあたって、古いビデオテープを捨てるべく整理整頓しました。見たかった映画や演劇などをアナログテープ録画して、結局「いつかもう一度見るかもしれない」と、とっておいただけのものなど、多数でてきました。「野田秀樹の赤鬼ロンドンバージョン」とか「歌舞伎二十四孝」とか。「これ捨てるよ」と言われると、なんだかもう二度と手に入らない気がしてしまうのですが、思い切って断捨離してしまいましょう。

 私自身は、相変わらず失敗つづきの日常。
 この12月にもあれやこれやの失敗。叔父の葬儀のために故郷へ帰ったときのこと。いつも駅まで迎えにきてくれる妹が「NPOの会議で四つ角にいるから、時間があるなら四つ角まで歩いてきて」というので、久しぶりに故郷のメインストリートでも歩こうかと、ビュウビュウと北風の吹き付ける中を歩きました。新しい道路ができていて、そちらの道に入ってしまったらしく、違う方向へ進んでしまいました。道なりにずっと進めば四つ角と思ったのに、自分がどこにいるのかわからなくなりました。

 方向音痴は若い頃からの習性だから、とくにボケたとも思わないのですが、さすがに自分の生まれ故郷の道がわからなくなったのには、感慨深く「故郷は遠くなりにけり」と思いました。
 ものがどこかにカクレンボしてしまい、あの本も鍵も、どこかにしまわれたまま、出てこない、というのもしょっちゅうです。

 あれやこれやの失敗もあるけれど、事故や事件、病気で身近な人を失った方、仕事を失った人などに比べれば、一病息災ながら生きていられて、家族もなんとか暮らしているという今の環境に感謝しなければなりません。
 
 政権変わったけれど、何も期待できないし、政治、ますます悪くなる予感。
 何事もない1年だったけれど、何事もなかったことに感謝して、新しい年を迎えたいと思います。

 みなさま、よい年をお迎え下さい。

<おわり>
コメント (8)
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