2012/12/29
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2012年末(2)じねんじょ
友人との「忘年おしゃべり会」。27日には、同窓のA子さんと食事しました。
「体にやさしい食べ物」志向のA子さんが選んでくれたお店は、「自然薯料理」。じねんじょの酢の物やとろろ汁など、自然薯尽くしコースと、生ビールと日本酒で話が弾みました。
A子さんやミサイルママとのおしゃべりでは、気兼ねなくシングルマザー家庭(&その、もどき)の家庭生活の愚痴や不満なども話せるので、気楽なおしゃべりができます。
ミサイルママは、「同じジャズダンス仲間といっても、ほかの奥様たちはご主人の給料や年金で何不自由のない生活をおくっているので、母子家庭でお金が足りない話ばかりしたのでは気がひけるけど、e-Naちゃんちも同じようなものだと思うと、愚痴も平気で言える」と打ち明けます。
いろんな人がいろんな考え方を持ち、いろんな感性でものごとを見て、私の気づかなかったものの見方感じ方を教えて貰えるひとときも貴重な時間ですし、同じ環境で同じ愚痴をこぼせる相手との愚痴合戦も必要なこと。
A子さんとのおしゃべりは、母校が同じというだけでなく、いろいろな考え方が近いということで、政治や宗教その他、「相手の考え方を否定しないように」などと気をつかう必要もなく話せます。
A子さんもひとり息子さんの大学進学の問題点などの、同級生の親御さんなどには言いにくいぶっちゃけ話もしてくれるので、私も、あのときは、ああすればよかったのかも、こうすればよかったのに、という反省点も含めて、「子育て失敗組」のひとりとして、経験談ができます。
A子さんの今年の課題は、原発問題。子ども達の将来に不安を残さないよう活動してきたのですが、結局のところ、選挙では原発問題は人々の選択肢にはならず、ひたすら「景気よくしてもらいたい」ということを望む結果となりました。
新政権党の「景気対策」は、とにかく今をよくして、ツケは将来に回す方式。ばらまき行政、お札をじゃんじゃん印刷してインフレにする、国債を制限無しに発行する、というような政策をとって、ツケはあと回し、将来、子ども達が幸福な未来を迎えられるのでしょうか。
と、心配していても、人々にとっては、若者全体の雇用問題なんぞを考えるよりは、うちの子うちの孫によい就職先を世話してくれるコネの作れる議員さんが必要なのだ、ということなのかもしれません。まあ、これもそんなコネをひとつも持たないわが家のひがみかもしれませんけれど。
A子さんとのおしゃべりとおいしい料理は楽しかったですが、将来のことを思うと、気が沈みます。
コンクリートの防壁では海岸は守れませんでした。フクシマでは津波が襲う以前に、地震そのもので原発は破壊されていました。それでも、人々はコンクリートで固める国土や原発の稼働を選んだ。小選挙区制度により全国得票率27%で衆議院過半数議席を確保した与党が、これからこの国をどう切り回すのか、
新政権、早くも威勢のいいことをぶち上げています。安倍首相は「戦争できる国になるには、平和憲法はじゃまだから廃棄しよう。自衛隊を国防軍に。」という持論ですが、その他の議員さんたちも、目には目を歯には歯をという考え方みたいです。
文科省副大臣になった谷川弥一議員は、記者会見で「いじめを防止するには、ボクシングとかプロレスとかできる怖い先生を各学校に配置すること。格闘技出来る先生がいないなら警察OBを配置すればよい」と、述べたというニュースに、口あんぐりです。
小学校中学校に警官を配置すればイジメはなくなる、という考え方の人たちがまた学校をいじくり回して、大津いじめ事件の一応は決着したというこの後も、いじめも暴力も続くことが懸念されます。
銃社会アメリカでの小学校での銃乱射事件。26人もの先生と生徒の死亡事件のあと、全米ライフル協会は「銃を持った悪い奴を倒すのは、銃を持ったよい人しかいない。全学校に銃を持った警察官を派遣すべきだ」と述べました。12年前の1999年、コロラド州のコロンバイン高校で起きた乱射事件のことを思い出してほしい。コロンバイン高校には、武装した保安官代理が駐在していたにもかかわらず、乱射事件は起き、13人が射殺されたのです。
100人の生徒が在籍する学校に警察官100人を配備したところで、100人の生徒のうちの一人が家から銃を持ち出して教室に隠し持ち、授業中に乱射すれば、クラス中を皆殺しにできるのです。問題は武装警官配備するかどうかではないことを、全米の人も考え始めたところです。なのに、日本は「プロレスできる先生を配置すればイジメはなくなる」と考えるお気楽さ。
副総理兼財務・金融相は、ミゾーユーのあの人だけれど、ほんとに大丈夫なのかしら。考えれば考えるほど暗くなってしまう師走でしたけれど、せめて希望だけは胸に灯し続けて新年を迎えたい、と帰りの地下鉄に乗りました。
おいしい店を見つけておしゃべりにつきあってくださって、A子さんありがとう。少しは希望のタネを見つけて、なんとか新年を迎えましょう。
自然薯(じねんじょ)の自然(じねん)とは、仏教用語のひとつ。「あるべきままにあること」その他、深遠な仏教哲学を含むことばのようです。人為を加えずそのものが本来的に備えている性質によって、一定の状態や特性を生ずること、ということみたいですが、さて、有るがママなら無しがパパ。とろろ汁麦ご飯、おいしかったです。
<つづく>