2012/12/12
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>移民映画(2)オレンジと太陽-児童移民の悲劇
移民が登場する映画。
移民が主人公であったり、移民問題を扱ったりする映画の数々、このサイトに「移民映画」として並んでいます。
http://www16.plala.or.jp/koffice/cinema/thema/emigration.html
このサイトにUPされている映画の中で、アフガニスタンからイランへ出稼ぎにきた少女一家を扱った「少女の髪どめ」
2003年7月に書いた感想は、こちら↓
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0307c7mi.htm
『オレンジと太陽』(Oranges and Sunshine)は、イギリスとオーストラリアの「児童」の問題を告発した原作『からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち』を元にしたジム・ローチ監督作品。実話をもとにした作品で、原作者は、印税をもとに今も活動を続けているという現在も進行中の問題なのです。以下、ネタバレを含むあらすじ紹介です。

原作者マーガレット・ハンフリーズは、イギリス・ノッチンガムに住むソーシャル・ワーカー(社会福祉士)として働いてきました。理解ある夫に恵まれ、仕事が忙しいときは娘と息子の世話を頼むこともできます。
マーガレット(エミリー・ワトソン)は、 幼児に里子や養子にだされた人々のためのグループ・カウンセリングなどを運営しているしているうち、オーストラリアから来たシャーロットという女性の依頼を受けます。「私の母親を捜して下さい」という、ソーシャルワーカーの仕事の範囲を超えた依頼に、マーガレットは一度は「それは私の仕事ではない」と断ります。
気になったマーガレットが調べてみると、おかしな点が次々に分かってきます。シャーロットたちは、養子縁組によって国籍を変えた、という通常の子どもとは違う、過酷な人生を歩んでいたのです。それまでまったく知られてこなかった事情が潜んでいました。
イギリスで生まれた、薄幸の子ども達。両親に死なれた子ども、未婚の女性から生まれた子ども、貧しさのために親が子どもを育てることができなくなった子ども。さまざまな事情から養護施設に預けられた子どもが、世間にまったく知らされぬうち、「労働者」としてオーストラリアに移民させられていたのです。
5歳から15歳くらいまでの子どもが、児童施設から有無を言う機会もなく船に詰め込まれ、オーストラリアに運ばれました。オーストラリアは、白人の移住者を欲しがっており、文句を言うこともできないまま働く従順な子どもが労働者として重宝されたのです。
1920年代から1970年代まで、なんと50年間にわたって、イギリスからオーストラリアへの非道な児童移民が行われてきたのです。被害を受けた子どもは13万人に上ることがわかりました。
マーガレットが面談した女性のひとりは、8歳でオーストラリアに来て、その日にモップを渡され床を磨くように命じられました。それ以来40年間、床を磨く以外の生活を知らなかったと。教育を受ける機会を奪われて幼いころから床磨きだけをさせられたのです。
ある人は、「イギリスの児童施設で母親が迎えに来ると信じて耐えていたら、母は死んだと聞かされ、わけも分からないうちに船に乗せられた」と証言しました。たった5歳では、何も抵抗できなかったと。
何もわからないまま船から降ろされた子ども達には、重労働や雇い主からの暴力が待っていました。荒涼としたオーストラリア沙漠の中の修道院に収容された子ども達には、性的虐待、反抗すると暴力による制裁、という運命が待っていました。
キリスト教倫理が社会を強く縛っていたイギリスで、女性が未婚で産んだ赤ちゃんを生み、自分で育てたいと望んでも、それは叶えられないことでした。赤ちゃんを児童施設に送られてしまった母親が、我が子を取り戻したいと望んで児童施設にたどり着いても、「もう、あの赤ん坊は、養子にだされ、しっかりした立派な家庭で幸福に育てられている」と説明を受け、諦めさせられた、というケースもありました。
しかし、幸福な家庭で育てられているというのは、本当はありませんでした。13万人もの子どもが、「移民」の名のもとにオーストラリアへ送られ、過酷な労働に従事させられていたのです。
強制移民させられた子どもたちの写真の一枚。移民船の前で

教会の事業のひとつとして、「親のいない児童への福祉」であるとして行われたことなのですが、教会内では、子どもが告発できないことをいいことに、児童への性的な虐待、過酷な労働、教育の不完全などの非道が続けられてきました。ある男性は、神父から性的虐待を受けたことによって、大人になってもPTSTに苦しみ、ある人は精神が不安定な状態のままその日暮らしをしてきました。
過酷な労働の中からチャンスをつかみ、仕事の上で成功したレイは、お金は出来たものの、「自分がどのような親から生まれたのか、自分は誰なのか」という不安を持ち続けました。親が誰かということが不明なままの人々は、自分のアイデンディティが確立できずに、自分が誰なのかという不安に追い込まれるのです。
レイは私立探偵を雇って親探しもしましたが、私的な調査では、わからずじまい。「児童移民」という事実が、イギリスとオーストラリア両政府によって隠し続けられ、資料などが隠されたままだったからです。
マーガレットの本が出たあと、マーガレットはさまざまな誹謗中傷を受けました。この事業を行っていたのが教会だったからです。教会のやることは「不幸な児童を幸せにしてやるための事業だ」と信じる人々は、教会の神父によるこの非道な行為を明るみに出したマーガレットを脅迫し、マーガレットはPTSTになるほど追い詰められました。
児童移民被害者に会い、面談を重ね、わずかな資料を手掛かりに、彼らの実の親を捜す毎日。児童移民の子ども達は、パスポートも国籍も持たされずに豪州へ入国しているため、教会が資料を隠してしまえば、自分のルーツを探す手掛かりは皆無となってしまうのです。マーガレットは根気よく彼らのために家族を探しました。
マーガレットの娘と息子は、母がオーストラリアに長期出張している間、母親が不在の父子家庭の状態で暮らし、寂しさを我慢する毎日。クリスマスに、元児童移民の人々とのパーティで「あなたからみんなへのプレゼントはないの?」と問われ、「僕からのプレゼントは、ママだよ」と答えました。ママが一番欲しい年頃なのに、ママを「児童移民被害者」のために貸し出していたのですから。
マーガレットの娘と息子の子役は、マーガレットが暮らしていたノッティンガムでのオーディションで選ばれたそうです。
マーガレットが原作『からのゆりかご Empty Cradles」を出版したのが1994年。さまざまな反響を呼び、ついに、2009年11月にオーストラリア首相がこの問題に関して公式に謝罪。この謝罪を受けて、2010年2月にイギリス首相が公式謝罪しました。
マーガレット・ハンフリーズは原作の印税をもとに基金を設立しました。まだなお親が不明な元児童移民が残されており、その人々の家族を探す活動は続けられています。
原作「からのゆりかご」

オーストラリアでは、アボリジニの女の子を親から無理矢理ひきはなし、強制収容して白人経営牧場の労働者として送り込む事業も行われました。この事業を行った側は、アボリジニの子どもが、無学歴の親に育てられるより、「教養ある白人の雇い主」のもとで働いたほうが、ずっと幸福だと信じていました。白人の雇い主のもとでは、『オレンジと大陽』と同じように、強制労働や性的虐待が行われていたのです。
オーストラリア政府は、アボリジニ強制収容に関しても、謝罪を行っています。
新興国家オーストラリアでは、数々の政策ミスがありましたが、政府は、謝罪すべきことにはきちんと謝罪しています。
政府の音頭取りで原発を「安全だ」と言い続け、原発事故で被害を受けた人に公式な謝罪もないどこかの国とは大違いです。しかも、「復興のために」という税金を、別の事業にまわすありさま。さて、次の選挙でどんな政府ができるのか。
映画『オレンジと太陽』によって、私は初めてイギリスオーストラリア間の児童移民の問題があったことを知りました。そして、キリスト教国における「教会の不正」という、とてつもなく大きな問題を敵に回しても、迫害に一歩もひかずにこつこつと真実にたどり着こうとした、ひとりの女性の姿に心うたれました。
<つづく>
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>移民映画(2)オレンジと太陽-児童移民の悲劇
移民が登場する映画。
移民が主人公であったり、移民問題を扱ったりする映画の数々、このサイトに「移民映画」として並んでいます。
http://www16.plala.or.jp/koffice/cinema/thema/emigration.html
このサイトにUPされている映画の中で、アフガニスタンからイランへ出稼ぎにきた少女一家を扱った「少女の髪どめ」
2003年7月に書いた感想は、こちら↓
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0307c7mi.htm
『オレンジと太陽』(Oranges and Sunshine)は、イギリスとオーストラリアの「児童」の問題を告発した原作『からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち』を元にしたジム・ローチ監督作品。実話をもとにした作品で、原作者は、印税をもとに今も活動を続けているという現在も進行中の問題なのです。以下、ネタバレを含むあらすじ紹介です。

原作者マーガレット・ハンフリーズは、イギリス・ノッチンガムに住むソーシャル・ワーカー(社会福祉士)として働いてきました。理解ある夫に恵まれ、仕事が忙しいときは娘と息子の世話を頼むこともできます。
マーガレット(エミリー・ワトソン)は、 幼児に里子や養子にだされた人々のためのグループ・カウンセリングなどを運営しているしているうち、オーストラリアから来たシャーロットという女性の依頼を受けます。「私の母親を捜して下さい」という、ソーシャルワーカーの仕事の範囲を超えた依頼に、マーガレットは一度は「それは私の仕事ではない」と断ります。
気になったマーガレットが調べてみると、おかしな点が次々に分かってきます。シャーロットたちは、養子縁組によって国籍を変えた、という通常の子どもとは違う、過酷な人生を歩んでいたのです。それまでまったく知られてこなかった事情が潜んでいました。
イギリスで生まれた、薄幸の子ども達。両親に死なれた子ども、未婚の女性から生まれた子ども、貧しさのために親が子どもを育てることができなくなった子ども。さまざまな事情から養護施設に預けられた子どもが、世間にまったく知らされぬうち、「労働者」としてオーストラリアに移民させられていたのです。
5歳から15歳くらいまでの子どもが、児童施設から有無を言う機会もなく船に詰め込まれ、オーストラリアに運ばれました。オーストラリアは、白人の移住者を欲しがっており、文句を言うこともできないまま働く従順な子どもが労働者として重宝されたのです。
1920年代から1970年代まで、なんと50年間にわたって、イギリスからオーストラリアへの非道な児童移民が行われてきたのです。被害を受けた子どもは13万人に上ることがわかりました。
マーガレットが面談した女性のひとりは、8歳でオーストラリアに来て、その日にモップを渡され床を磨くように命じられました。それ以来40年間、床を磨く以外の生活を知らなかったと。教育を受ける機会を奪われて幼いころから床磨きだけをさせられたのです。
ある人は、「イギリスの児童施設で母親が迎えに来ると信じて耐えていたら、母は死んだと聞かされ、わけも分からないうちに船に乗せられた」と証言しました。たった5歳では、何も抵抗できなかったと。
何もわからないまま船から降ろされた子ども達には、重労働や雇い主からの暴力が待っていました。荒涼としたオーストラリア沙漠の中の修道院に収容された子ども達には、性的虐待、反抗すると暴力による制裁、という運命が待っていました。
キリスト教倫理が社会を強く縛っていたイギリスで、女性が未婚で産んだ赤ちゃんを生み、自分で育てたいと望んでも、それは叶えられないことでした。赤ちゃんを児童施設に送られてしまった母親が、我が子を取り戻したいと望んで児童施設にたどり着いても、「もう、あの赤ん坊は、養子にだされ、しっかりした立派な家庭で幸福に育てられている」と説明を受け、諦めさせられた、というケースもありました。
しかし、幸福な家庭で育てられているというのは、本当はありませんでした。13万人もの子どもが、「移民」の名のもとにオーストラリアへ送られ、過酷な労働に従事させられていたのです。
強制移民させられた子どもたちの写真の一枚。移民船の前で

教会の事業のひとつとして、「親のいない児童への福祉」であるとして行われたことなのですが、教会内では、子どもが告発できないことをいいことに、児童への性的な虐待、過酷な労働、教育の不完全などの非道が続けられてきました。ある男性は、神父から性的虐待を受けたことによって、大人になってもPTSTに苦しみ、ある人は精神が不安定な状態のままその日暮らしをしてきました。
過酷な労働の中からチャンスをつかみ、仕事の上で成功したレイは、お金は出来たものの、「自分がどのような親から生まれたのか、自分は誰なのか」という不安を持ち続けました。親が誰かということが不明なままの人々は、自分のアイデンディティが確立できずに、自分が誰なのかという不安に追い込まれるのです。
レイは私立探偵を雇って親探しもしましたが、私的な調査では、わからずじまい。「児童移民」という事実が、イギリスとオーストラリア両政府によって隠し続けられ、資料などが隠されたままだったからです。
マーガレットの本が出たあと、マーガレットはさまざまな誹謗中傷を受けました。この事業を行っていたのが教会だったからです。教会のやることは「不幸な児童を幸せにしてやるための事業だ」と信じる人々は、教会の神父によるこの非道な行為を明るみに出したマーガレットを脅迫し、マーガレットはPTSTになるほど追い詰められました。
児童移民被害者に会い、面談を重ね、わずかな資料を手掛かりに、彼らの実の親を捜す毎日。児童移民の子ども達は、パスポートも国籍も持たされずに豪州へ入国しているため、教会が資料を隠してしまえば、自分のルーツを探す手掛かりは皆無となってしまうのです。マーガレットは根気よく彼らのために家族を探しました。
マーガレットの娘と息子は、母がオーストラリアに長期出張している間、母親が不在の父子家庭の状態で暮らし、寂しさを我慢する毎日。クリスマスに、元児童移民の人々とのパーティで「あなたからみんなへのプレゼントはないの?」と問われ、「僕からのプレゼントは、ママだよ」と答えました。ママが一番欲しい年頃なのに、ママを「児童移民被害者」のために貸し出していたのですから。
マーガレットの娘と息子の子役は、マーガレットが暮らしていたノッティンガムでのオーディションで選ばれたそうです。
マーガレットが原作『からのゆりかご Empty Cradles」を出版したのが1994年。さまざまな反響を呼び、ついに、2009年11月にオーストラリア首相がこの問題に関して公式に謝罪。この謝罪を受けて、2010年2月にイギリス首相が公式謝罪しました。
マーガレット・ハンフリーズは原作の印税をもとに基金を設立しました。まだなお親が不明な元児童移民が残されており、その人々の家族を探す活動は続けられています。
原作「からのゆりかご」

オーストラリアでは、アボリジニの女の子を親から無理矢理ひきはなし、強制収容して白人経営牧場の労働者として送り込む事業も行われました。この事業を行った側は、アボリジニの子どもが、無学歴の親に育てられるより、「教養ある白人の雇い主」のもとで働いたほうが、ずっと幸福だと信じていました。白人の雇い主のもとでは、『オレンジと大陽』と同じように、強制労働や性的虐待が行われていたのです。
オーストラリア政府は、アボリジニ強制収容に関しても、謝罪を行っています。
新興国家オーストラリアでは、数々の政策ミスがありましたが、政府は、謝罪すべきことにはきちんと謝罪しています。
政府の音頭取りで原発を「安全だ」と言い続け、原発事故で被害を受けた人に公式な謝罪もないどこかの国とは大違いです。しかも、「復興のために」という税金を、別の事業にまわすありさま。さて、次の選挙でどんな政府ができるのか。
映画『オレンジと太陽』によって、私は初めてイギリスオーストラリア間の児童移民の問題があったことを知りました。そして、キリスト教国における「教会の不正」という、とてつもなく大きな問題を敵に回しても、迫害に一歩もひかずにこつこつと真実にたどり着こうとした、ひとりの女性の姿に心うたれました。
<つづく>