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ジャンボ春庭1979年ケニア便り「タマちゃんと動物孤児院」

2012-12-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/12/20
ジャンボ春庭アフリカ通信>1979年ケニア便り(49)タマちゃんと動物孤児院

1979年アフリカ通信第18号 1979年10月25日~10月31日
10月25日
 出入国管理事務所に行って、ビザの延長をしてきました。10月28日で滞在3カ月になりビザがきれるところだったのです。二か月延長のハンコをもらいました。
 タマイさんがバスの中ですりにあい、3000円とられたのはあきらめるとして、住所録の手帳をとられて、あちこちに連絡できないで困ったと言ってました。私は一度とられたあとは、スリにあっていません。

 フィルムの現像だけしてプリントはまだしません。こちらのプリントは一枚100円もするので。動物の写真だけど夕方撮ったので、どの程度うつっているかわかりませんが、プリントしてみてください。ライオンがキスしているフィルムなんか、コンテストの入賞ものだと思うけどなあ。サルの表情もいいと思います。ナイロビナショナルパークの動物孤児院で撮ったものです。

10月26日
 本日は、死ぬかと思いました。タマイさんが動物孤児院にあいさつに行くというので、いっしょにバスに乗りました。私は孤児院の2km先にあるボーマスに行こうかと思ったのです。ケニアのバスは、日本の「田舎のバスはおんぼろ車」が高級車に見えるほどボロバスで、ちょっとした坂道でもヨタヨタと登れなくなり、乗客がおりてバスの尻押しをさせられたりするのです。
 今日も坂道でよたよたしだしたので、タマイさんと「ひょっとすると、尻押しでもさせられるんじゃないの」なんて冗談を言いあってました。そのとたん、ボンと音がして運転席の隣にあるエンジンからラジエーターの水が噴き出しました。私は運転席のすぐ後ろだったのです。私は一瞬ボケっとして、吹き出る水をながめて、次にエンジンが爆発するなと思いました。

 すると、後ろの席の人たちが、キャーと言って逃げ出し、せまいドアがパニックになりました。私はぼやぼやしてそれでもキャーと叫びつつ、半分以上の人が逃げ終わってからドアから飛びおりました。上着をドアに落しましたが、拾えませんでした。私の隣には子供が座っていたのですが、他人の子を連れて逃げる人道的余裕はなく、自分だけ逃げました。よく見ると、その子の親も子どもほっぽって逃げていました。降りてから自分を見ると、顔にもバッグにも服にも灰がいっぱいかぶっていて、なんの灰だかわかんないけど、エンジンから出たのでしょう。しかし、エンジンは、爆発なんかしないで、水が出ただけでおさまったのです。

 この事故の逃げるときのどさくさで、めがねをこわした人やバックをこわした人が被害者で、ラジエーターの水そのものの被害をこうむった人はいなかったみたいです。灰をかぶった私が一番ひどく見える程度。でも、水が出た時は、本気で死ぬかと思いました。

 黒人たちは、ポケッとバスの外に立っていましたが、一人乗っていた白人の女の子は、うしろから来た車をさっさとヒッチしました。それを見て、私とタマイさんもその車に「乗せてのせて」と乗り込み、いっしょに動物孤児院へ行きました。

 ライオンとかひょうをひとまわり見たあと、動物病院に先週つれてこられたという子象を見に行きました。子象は二頭いて、オスが生後二カ月、メスが生後3週間くらいということです。ふつうの人は病院の方へは入れないのですが、タマイさんは、前にここに通って獣医の見学をしていたので顔がきくのです。

 子象はほんとうにかわいくて、おもちゃのゾウみたいです。ママがいなくてさびしいのか、小さな鼻を私たちの体中おしつけてきて、おっぱいを探します。体のキズに青い薬を塗られているのでおかしいです。母ゾウたちが畑を荒らしいきて、それをおっぱらったら、子供をおいて逃げて行ったので、ひきとったのだそうです。
 それを聞いて、「さっきのバスの中で、こどもを置いて逃げた親もいたから、象も子どもをおいて逃げて当然だろう」と、タマイさんと言い合いました。

 おっぱいの時間になり、係の人がミルクを作り始めるとちゃんと知っていてそばで待っています。人間用の粉ミルクにビタミン剤なんかをたして与えるのだそうです。しかし、小さい方のメスは今病気で、消化できないのじゃないかと心配になりました。一日、子象と遊んでいました。

10月27日
 きのう、タマイさんに動物孤児院でいろいろ楽しませてもらったので、おひるごはんをおごりました。アルトロというイタリアレストランでスパゲティと魚のフライを一つづつとって、二人で半分こづつ食べたので、まわりの人がじろいろ見ました。半分づつでもおなかいっぱいです。
 あとT氏(=タカ氏)やエンドさんたちもいっしょになったので、セレナホテル(YWCAのとなりにあって、トイレと電話をタダで利用するところ)で、お茶を飲んでおしゃべりしました。タマイさんはいろいろタンザニアのことについて聞いていました。

10月28日
 タマイさんとワイナイナ氏の家へ行って、料理をおそわりました。ウガリはとうもろこしの粉をお湯に入れてかき回すだけ。私は、チャパティを作りました。チャパティは、小麦粉を水で練って、ウドンのような玉にしてめんぼうで丸く薄く伸して、油で焼きます。肉の煮込みは、肉と玉ねぎとトマトの輪切りを痛めて、ジャガイモと人参の蘭切りを足して水で煮て、煮えたころキャベツを入れて塩で味付け。だいたいの味付けはトマトと塩だけで単純です。献立の変化や味付けの変化にはあまり興味がないみたい。

 奥さんは看護婦ですが、女中は三食付き月に五千円くらいで雇えるということで、日本の主婦よりよほど楽してます。

10月29日
 ついにあこがれの日本食レストラン「赤坂」へ行きました。さしみとひき肉風味焼きというのとごはんを食べました。だいたい、一品900円で、ひじきの煮つけが300円なので、これも食べたけど、うまくなかった。メニューにはいろいろ書いてあったけど、材料不足なのか、トウフとかいったものは、品切れというふうになっていました。
 二人日本人の女の人がいて、あとは黒人のウエイトレスやボーイでした。

10月30日
 ワンピースをクリーニング屋に出したら60円でした。いよいよタマイさんが、タンザニアにたつので、夜、セレナでビールで乾杯して壮行会をしました。タマイさんは、動物孤児院の一番えらい人にタンザニアの動物保護区のえらいさんあてに紹介状を書いてもらえたと言って、喜んでいました。

10月31日
 朝、エンドさんの車でタマイさんを飛行場まで送っていきました。今までずっとYWCAに二人でいっしょに泊まって、私がボーマスに踊りを習いに行くときは、いっしょにつきあうし、タマイさんが動物孤児院に行く時は、私もついて行くし、というように仲良くしてきたので、彼女が行ってしまうと、さびしくなります。
 カメルーン航空という聞いたこともない飛行機で行くというので、もし落ちたら追悼文集を出してやると、約束して別れました。

 11月になったらすぐ、みちこの所にでも行こうかと思っていたら、YWCAの事務長らしいミセス・ジェリダという人が、私を気に入って、(浮世絵のハンカチなんかあげたからかもしれません)妹の結婚式というのが11月3日にあり、招待してくれたので、それまではナイロビにいることになりました。
 おりがみのくす玉を作って結婚いわいにあげたら、とても喜んでいました。だいたい、くす玉は好評です。

 11月2日には、ヒルトンで踊りを見ることになっています。(ボーマスじゃないことは確かだけど、どの踊りのグループかはわかりません)
 じゃ、またね。

<つづく>

もんじゃ(文蛇)の足跡:
 予定稿掲載順を間違えました。順序入れ替え。
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