2013/04/03
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>のんびり春休み2013春(2)水織ゆみコンサート2013春
ダンス仲間のシャンソン歌手、水織ゆみさんの歌、たびたび紹介してきましたが、今回は、サンケイリビング社主催の「シャンソン プチ・コンセール~printemps(春)」
コンサートは、松任谷由実の「春よ来い」から始まりました。パステルカラーのピンクやオレンジの衣裳は、お花畑のよう。
「花祭り」「パリのお嬢さん」などのおなじみの歌のあと、「商売やめた」という、すぐ客にほれてしまう港町の娼婦を主人公にした歌。ユーモアに包んだ水織さんの表現力に笑いながらも圧倒されました。
一部の最後は、シャンソン教室のお弟子さんのひとり佐々木芙美子さんといっしょに「あなたがいれば」という曲を歌いました。
第二部は、オーシャンゼリゼから。赤い帽子、赤いサングラスがかわいかった。
水織さんの創作曲「喪中ハガキ」は、年末に届いたハガキを目に、さまざまな人の人生をしのぶ歌ですが、身近な人を亡くした人はみな泣いてしまう歌です。今回も私の両脇の女性がハンカチで目をぬぐっていました。
フィナーレの曲では、最前列に座っているイケメンを舞台にあげて、ビニール袋に入ったさくらの花びらを「わたしの後ろから桜を咲かせて」と渡し、観客大爆笑のうちに、花吹雪が舞台に降りました。
水織さんは、慶応大学哲学科美学卒業という歌手には珍しい出身ですが、フランス語の歌の訳詞、東京都北区の「ことぶき大学」の講師を勤めるなど、多彩な活動をしています。
残念なことは、会場に若い世代はほとんどいなかったこと。若い人は、「おばあちゃまの介護で付き添ってきた孫」あたりがいるだけででした。
シャンソンを聴いて楽しむ、歌って楽しむ世代は、圧倒的に「高齢化社会」です。
水織さんは、毎年7月にNHKBSで放映されてきた、シャンソンの宴「パリ祭」にはここ20年来出演してきて、熱烈なファンもいるとはいえ、全国どこに行ってもその名が知られている、という歌手ではありません。これまで、自主リサイタルやコンサートを開き、また地方のイベントに呼ばれて地方のホールでコンサートを開いてきましたが、シャンソンという現在では地味な分野の歌手ですから、若い世代にも浸透するという歌手ではなかった。
そもそもシャンソンとは、フランス語で「歌」という意味ですが、地元のフランスでも、もはやシャルル・アズナブール、イブ・モンタン、など一世を風靡した歌手の名を知らない世代が増えています。エディット・ピアフの名は、近年マリオン・コティヤールが演じた映画で復活しただろうけれど。
戦後の一時期、ジャズとシャンソンは日本の「洋楽」の双璧として各地にジャズ喫茶やらシャンソンバーやらができました。しかし、21世紀の現在、メディアにはほとんど登場せず、若い世代の新しいスターは育たない。多くのシャンソニエは経営不振。シャンソンを愛好して聞き続ける人は高齢化。
2012年末のNHK紅白歌合戦には、美輪明宏が77歳の「初参加歌手」として登場しました。美貌のシャンソン歌手としてデビューした美輪。 紅白では、存在感がすごかったですし、ヨイトマケの唄、感動的でした。
来年も出場するなら、ぜひシャンソンを歌ってほしいです。
サンケイリビング社のスタッフは「水織ゆみが紅白に出るまで応援する」と、連続コンサートの主催を決めたのだそうです。実現しますように。
サンケイリビングと水織さんの御縁は、「専業主婦から歌手へ」という転身を取材したことから始まったのだそうです。
水織さんがシャンソンコンクールで優勝したことをきっかけに歌手として活動をはじめたのは、30代も後半になってから。それから26年がすぎた、と、しみじみ歌の合間に語っていました。
歌手になってからも、家業の失敗、住んでいた家も手放すという苦難の中、サンケイリビング社が運営しているカルチャースクールにシャンソン教室の講師として招かれました。
水織さんは、歌のあいまのトークで、「歌声には人生や人格が表れます。わたしもっともっと人格を磨いていくことで、歌をよくしていきたい」という意味のお話をしていました。
1984年にジャズダンス仲間の忘年会で水織さんの歌をはじめて聞いて以来、水織さんの苦労も間近で話を聞いてきました。家業の倒産、ご主人の病気など、つらい出来事も多々あったなか、ダンスのレッスンでのゆみさんは、いつもはつらつとしていました。
「流れゆく水を織り上げるように歌いたい」という水織ゆみさん、これからも応援していきたいです。
2013年6月、四谷区民ホールで行われる「水織ゆみプチコンセール夏」のチラシです。ローソンやチケットぴあで、チケット買えます。
<つづく>