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ぽかぽか春庭「コーカサスの白墨の輪」

2013-04-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/04/24
ぽかぽか春庭感激観劇日記>演じられた母たち(5)コーカサスの白墨の輪by東京ノーヴィレパートリーシアター

 演劇史上、ブレヒトは、従来の「劇的演劇」として批判した人として知られます。「劇的演劇」とは、アリストテレスの演劇理論を祖とする総合的・伝統的・従来的ヨーロッパ演劇、すなわち演劇によって観客にカタルシスを感じさせ感情を昇華させる劇をいいます。
 ブレヒトにとって、従来の「劇的演劇」は、「酒でも飲んで、ウマいものでも食べて、一時つらい現実から目を背ける」ような性質のものでした。

 ブレヒトがめざしたのは、「叙事的演劇」です。役者は舞台上で出来事を説明(デモンストレーション)し、観客はものごとを異なる角度から捉えることによって現実に対して批判的な思考をし、世の本質を悟る。

 ブレヒトの演劇理論上、有名な用語は「異化効果」。いつも見慣れたものに対する新しい見方・考え方を観客に提示するというもの。観客を情緒的に舞台に巻き込んでしまうことを意図せず、できごとを現実と区別された「叙事」として扱います。物語的に特定の強調を施して再現する叙事演劇。観客に舞台から批判的な距離をとらせ、内容について熟考し,認識するきっかけを与えることが、叙事的演劇の目的だとされています。
 
 ブレヒト((Bertolt Brecht, 1898 - 1956)の演劇作品の中でも、「コーカサスの白墨の輪」は、ナチの手を逃れたブレヒト亡命中の作品として、重要な演目です。
 2005年に串田和美演出、松たか子主演で演じられたとき、見に行きたいなあと思っていたけれど、結局見る機会はありませんでした。(チケット高いし招待券なんぞもらえないし)演劇通によれば、このときの串田和美演出は劇的演劇だったとか。すなわち、美人女優によって「美食」を観客に食わせるもので、、、。

 まあ、ふつうは美酒美食を味わいに劇場へ行く人がほとんどだものね。歌舞伎見たり宝塚見て、人生観変えたという人、私は知らない。
 演劇見に行くのは、現実に対する見方を変えて、世を変え自分自身を変えるため、と思って劇場へ行く人も、いないことはないだろうけど。

 「コーカサスの白墨の輪」のストーリーは、もともとは中国の名裁判の話です。西にも伝わり、東に伝われば「大岡裁判」として有名な物語になる。
 実の母と育ての母が子をとりあい、大岡奉行は双方に子の右手と左手をひっぱりあわせる。子を欲しいという強い気持ちで子を引き寄せたほうが勝ちと言って競わせておきながら、実は、、、、というおなじみのお話なのですが。

 3月23日土曜日に、両国で友人K子さんとランチしてから、シアターX(カイ)で、15:00開演の『コーカサスの白墨の輪』を見ました。シアターXの「低料金ですぐれた演劇を見る」というシリーズの演目です。東京ノーヴイ・レパートリーシアターのシニアワークショップから発展した第2スタジオに所属しているK子さんが招待してくれたのです。

 劇団東京ノーヴイ・レパートリーシアターは、昨年2012年12月に、この『コーカサスの白墨の輪』を上演し、好評を博しました。
http://www.theaterx.jp/12/121212-121216t.php
 キャッチコピーは、「人間らしく生きることは危険だ!それでも生きる事を恐れるな!」
 「戦争の絶えないコーカサスを舞台に、誇り高くも無邪気な人々が大胆に生き抜く寓話劇。ヒットラーの政権下、亡命をよぎなくされた詩人・作家ブレヒトの痛烈な風刺が今を映し出す

 あらすじ
 復活祭の日曜の夜、反乱がおきました。領主夫人付きの兵士シモンも出征しなければなりません。台所女中のグルシェは、婚約者シモンの無事を祈って見送りました。都でシモンの帰りを待ち、無事帰還の後に晴れて結婚する固い約束が心の支えです。しかし、反乱はおさまらず、領主は殺されてしまいます。領主夫人はとっとと乳飲み子ミハイルを置いて逃げてしまいました。我が身の安全が第一。

 シモンとの約束ゆえ都に留まろうとしたグルシェの前に、置き去りにされた赤ん坊が泣いていました。ほっておけば、領主の子として反乱軍に殺されるは必至。どうしていたいけな赤ん坊を置き去りになどできようか。

 グルシェは、ミハイルを育てるために命を削って苦労を続けます。ミルクを買おうにも売ってもくれず、子を引き取ってくれる人もないまま、命からがら兄の家にたどり着く。
 兄は、子を抱いて帰郷した妹に驚愕し、世間体のために策を思いつきます。結婚前に子を抱えた、という不名誉を隠蔽する「立派な結婚」を。
 今にも死にそうな男がいるので、金でその男の母親を買収して結婚させてしまおうという妙案。ヨメも持たせずに息子を死なせてしまうという母親の嘆きも解消され、グルシェはすぐにも未亡人になって、「未婚の母」の汚名は負わなくて済む。

 しかし、戦争が終わると男はピンピン元気になる。重い病とは兵役逃れのための仮病でした。グルシェは帰ってきたシモンに真相を言えないまま、つらい別れをしのぶ。これもかわいいミハイルのため。しかし、ある日突然ミハイルは兵士に連れ去られてしまいます。

 戦争終結で領地に戻った領主夫人は、領主の相続者となった我が子を探させたのです。2歳になっているはずの我が子を探し出して、領主の財産を引き出さなければならないのです。相続権を持つ唯一の跡取り、ミハイル。
 領主夫人は、ミハイルがグルシェの元にいることを突き止めました。「我が子を取り戻すのは、産みの母として当然のこと」と夫人は息巻きます。

 そのころ、都の裁判官となっていたのは、アツダクというろくでなし。このろくでなしが、いかにして裁判官の地位を手に入れたかが、第2部のものがたり。

第2部の「アツダクはいかにして裁判官となったか」のシーン。縛られているのがアツダク。

 アツダクは、トリックスターのような存在です。いっときカーニバルの王として祭り上げられ権力を持つが、そのあとは、人知れず姿を隠す。

 第3部の裁判場面。グルシェ対領主夫人。夫人は弁護人も雇い、「産みの母のもとに戻すことこそ、ミハイルの幸福」と、論陣を張ります。アツダクは夫人側に多額の賄賂を要求します。
 一方のグルシェはシモンに励まされても、「この子はわたしの子です」と涙ながらに言うのみ。アツダクに要求されても、お金なんか持ち合わせていません。
 
 アツダクは「双方の言い分、どちらが真の母親か、判断つきかねる」といいます。「ついては、ここに白墨で輪を描いて、ミハイルをその中に立たせよう。双方から手をひいて、自分の側に引き寄せることができたほうが、真の母親。どうしても自分のものにしたいという強い気持ちを持った方が勝ち」
 結果はだれもが知っているとおり、、、、

<つづく>
コメント
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