2012/04/23
ぽかぽか春庭感激感激日記>演じられた母たち(4)あかつきは来るのか
ラスト、デモのシーンで、登場人物がやや力なく歌いながら、狭い舞台の中をぐるぐると歩きまわる。1970年代後半にそうであったように、力を失い、しょぼしょぼと歌われるようになり、皮肉をこめて歌われるようになったインターナショナルを思い出させるようなインターナショナルの歌われ方でありました。
椎名麟三が原作を書いた1948(昭和23)年には、インターナショナルは、えらく元気よく歌われていただろうと想像します。「あかつきは来ぬ」と歌っていれば、ほんとうに夜が明けて暁がおとずれると、皆が顔を輝かして歌っただろうと思います。
原作と演出の違いのなか、あとひとつ、役者の肉体で演じる以上、仕方ないのかなと思えることがありました。原作で、安太は戦傷によって「義足」になったとあり、安太は寝るときは義足をはずして、片足になるのです。安太は毎夜ふとんの中で失われた肉体を意識する。欠落を抱えて眠りにつく。
舞台では、義足を履くことに無理があったのか、役者は、片方の足に現代の骨折治療用の装着具をはめていました。足を固定するフレームのつなぎの部分は金属で固定されている、ギプスのような装着具です。舞台小道具の記号化にとって、この差は大きい。義足が「欠落」であるのに対して、骨折用装着具は、「固定化=拘束」であるのです。欠落と拘束は、正反対のものであるのです。
欠落は「そこにない」ものだから。安太が死ぬまぎわに魂の自由を得ることができたのは、欠落ゆえだろうと思います。「拘束ゆえ」ではない。
役者にとってはつらい動作になるでしょうが、片方の足をうしろに折り曲げて、ズボンの中にかくし、膝の下に義足を結わえておく演出の方がよかったように思います。
大森匂子がこの戯曲を完成したのは、つかこうへい、野田秀樹、太田省吾らが彗星の如く現れて縦横無尽に舞台を盛り上げていた時期らしい(公演パンフレットによると)
その頃書き上げていた戯曲を、30~40年後に上演した、その情熱はすごい。しかし、現代において1948年に感じられた「あかつきはきぬ」を演じるのは、むずかしいことだったのだと感じます。
骨折装着具への違和感と、インターナショナルのしょぼさ、このふたつがこの演劇において印象に残ったほかは、役者たちは熱演だったと思うし、大森匂子の台詞は、よく練られていたと思います。
この「あかつき」は、「母おかねの物語」と思いました。
おかねが食ってくってすべてを食い尽くす勢いで母となることを選択する物語、と、母モノ大好きのわたしは見ていました。
演劇を見る楽しみ、いろんな楽しみ方があっていいと思うのだけれど、私流の楽しみ方、これはこれでいいんじゃない?
演じられた母たちの物語、次回は「コーカサスの白墨の輪」
<つづく>
ぽかぽか春庭感激感激日記>演じられた母たち(4)あかつきは来るのか
ラスト、デモのシーンで、登場人物がやや力なく歌いながら、狭い舞台の中をぐるぐると歩きまわる。1970年代後半にそうであったように、力を失い、しょぼしょぼと歌われるようになり、皮肉をこめて歌われるようになったインターナショナルを思い出させるようなインターナショナルの歌われ方でありました。
椎名麟三が原作を書いた1948(昭和23)年には、インターナショナルは、えらく元気よく歌われていただろうと想像します。「あかつきは来ぬ」と歌っていれば、ほんとうに夜が明けて暁がおとずれると、皆が顔を輝かして歌っただろうと思います。
原作と演出の違いのなか、あとひとつ、役者の肉体で演じる以上、仕方ないのかなと思えることがありました。原作で、安太は戦傷によって「義足」になったとあり、安太は寝るときは義足をはずして、片足になるのです。安太は毎夜ふとんの中で失われた肉体を意識する。欠落を抱えて眠りにつく。
舞台では、義足を履くことに無理があったのか、役者は、片方の足に現代の骨折治療用の装着具をはめていました。足を固定するフレームのつなぎの部分は金属で固定されている、ギプスのような装着具です。舞台小道具の記号化にとって、この差は大きい。義足が「欠落」であるのに対して、骨折用装着具は、「固定化=拘束」であるのです。欠落と拘束は、正反対のものであるのです。
欠落は「そこにない」ものだから。安太が死ぬまぎわに魂の自由を得ることができたのは、欠落ゆえだろうと思います。「拘束ゆえ」ではない。
役者にとってはつらい動作になるでしょうが、片方の足をうしろに折り曲げて、ズボンの中にかくし、膝の下に義足を結わえておく演出の方がよかったように思います。
大森匂子がこの戯曲を完成したのは、つかこうへい、野田秀樹、太田省吾らが彗星の如く現れて縦横無尽に舞台を盛り上げていた時期らしい(公演パンフレットによると)
その頃書き上げていた戯曲を、30~40年後に上演した、その情熱はすごい。しかし、現代において1948年に感じられた「あかつきはきぬ」を演じるのは、むずかしいことだったのだと感じます。
骨折装着具への違和感と、インターナショナルのしょぼさ、このふたつがこの演劇において印象に残ったほかは、役者たちは熱演だったと思うし、大森匂子の台詞は、よく練られていたと思います。
この「あかつき」は、「母おかねの物語」と思いました。
おかねが食ってくってすべてを食い尽くす勢いで母となることを選択する物語、と、母モノ大好きのわたしは見ていました。
演劇を見る楽しみ、いろんな楽しみ方があっていいと思うのだけれど、私流の楽しみ方、これはこれでいいんじゃない?
演じられた母たちの物語、次回は「コーカサスの白墨の輪」
<つづく>