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ぽかぽか春庭「長春市の近代建築」

2013-10-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/16
ぽかぽか春庭アート散歩>旧満州の建築スナップ写真(1)長春市の近代建築

 これまで、建築散歩にでかけた先のリポートを何度か掲載してきたのですが、2012年より以前は、文章報告のみで写真のUPをしてきませんでした。
 今は写真の掲載方法がわかったので、以前に撮影した建物写真も含めてUPしておきたいと思います。

 今回は2007年と2009年に撮影した「中国東北部(旧満州)の建築」シリーズです。

 1994年に中国東北部の長春市に赴任した時には、旧満州時代の建物が市内に数多く残っていました。一般の人が住んでいる住居などの多くは旧満州時代のレンガ造りの建物でした。しかし、2006年に冬期アジア大会が市内で開催されたために、2007年に赴任した際は、多くの古い建物が取り壊され、新しいビルになっていました。歴史的な建造物はそのまま大学や軍の施設として利用されていますが、それ以外の古い住居などはどんどん壊されていました。

 2009年に赴任したときは、2008年の北京オリンピック後だったので、北京も大きく変貌していました。中国はこの20年でものすごいスピードでどの都市も大変貌を遂げています。中国は王朝が変わるたびに国中ががらりと変わるのを常としていたので、「社会主義毛沢東王朝」から「政治は社会主義独裁だけど経済は資本主義王朝」に変わったのだから、古いものは壊されても仕方ないとも思います。でも、壊してしまったあとの復元は容易ではありません。そろそろ落ち着いて「古い町並みを残そう」運動もあっていいと思っています。

 旧満州の建築物については、さまざまな研究書や写真集も出版されているので、今さら私が撮影した手ブレ半分の写真をUPすることもないかと思いましたが、私自身の思い出としてUPします。「私の思い出」なので、建物の説明など古い記憶のままで間違っている場合もあります。写真を見て、これは「どこそこの何々という建物」ということをご存知の方がいらしたら、ぜひご一報ください。☆は2007年に撮影 ★は2009年に撮影

 まず、長春市の俯瞰。2007年テレビ電波塔から市内を見る。
右手にあるのが旧国務院(現・吉林大学)。左手の広場奥が旧満州国地質宮(現・長春市文化広場)


南湖方面のながめ


 歴史的建造物は、私よりもずっとよいアングルで撮影している写真が、写真集にもネットにも残されています。しかし、街中の古い民家などは、私が撮ったもの以外に「この場所で古い建物が撮影されたという一枚はないかもしれない」と思うので、記録しておきます。

2007年長春市牡丹街の古い家(2013年の今はもう壊されていると思う)


2007年の長春市内の古い家。野菜や果物の店だったけれど、もう壊されているでしょう。煙突は冬の暖房用に石炭を燃やすためのもの


長春市街2007年


 以下の写真キャプションにつき。最初に書いてあるのは、建物に提示してある中国観光局の説明プレートです。「偽満州」とすべてに付けられているのは、満州国を認めないという中国側の見解によるもの。満州国については、歴史についても建築についてもさまざまな見地からの研究書も出ているので、興味がある方はそちらをどうぞ。

 国際連盟からは国家として承認されなかった旧満州国。為政者と国土はあっても国民はいなかったと、私は思います。住んでいた農民たちのうち、「自分は日本人」と思っている人と「自分は中国人」と思っている人が大半で、「自分は満州国人」と思っている人はほとんどいなかった、という意味で。

 現在は博物館となっている皇帝仮皇宮には、1994年には娘と息子を連れて、2007年2009年にはひとりで訪れました。15年の間に、入館料は10倍になっていました。内部には、蝋人形がおかれ、皇帝溥儀や皇后婉容の人形がなにやら寂しげに佇んでいました。

☆正面外観(現・偽満皇宮博物院 光復路5号) 


☆皇帝傅儀の公務執務室、典礼室があった勤民楼


☆偽満州国皇居室内(仏間だったように思う)


☆皇帝住居の中庭

 仮宮殿とはいえ、あまりパッとしない建物に思えるのは、この建物に半ば軟禁されていた状態の傅儀にとっては、牢獄にも等しい住居だったということを知っているからかもしれません。日本を利用して清朝復活を果たそうと夢見ていた傅儀は、現実には日本に利用されただけであり、満州帝国皇帝とは、実験のない傀儡にすぎないことに不満をつのらせて宮殿内でもんもんとして暮らしました。傀儡皇帝のそのまた飾りにすぎない皇后婉容(えんよう)は、愛のない生活を忘れようとアヘンに溺れていきました。哀しい皇帝と皇后の家。壮麗な紫禁城を夢見ていた傅儀にしてみれば、プレハブ住居のように思えたのではないかしら。

☆地質宮(現・吉林大学地質博物館)西民主大路938号
 新宮殿は、皇帝が移り住む前に満州国が崩壊したため、実際には宮殿としては使われないままでした。人民中国では地質学院教学楼として使用されたため、地質宮と呼ばれました。

 2007年、広場にはローラースケートリンクが設置され、市民は現在は「文化広場」となった場所での休日を楽しんでいました。

☆偽満州国・国務院旧址(現・吉林大学教学楼=教養課程キャンパス 新民大街126号)


★電波塔から見た旧国務院


☆正面と玄関
 



☆偽満州国・司法部旧址(現・ 吉林大学新民校区 新民大街828号)


 

☆偽満州国総合法衙旧址(現・人民解放軍の第四六一医院)
勤務していた大学の通勤バスは、朝夕この建物の前の角を行き来していました。

☆偽満州国交通部旧址(現・吉林大学の公共衛生学院 新民大街1163 号)
 

☆偽満州国軍事部旧址(現・吉林大学付属第一医院 新民大街1号)


<つづく>
コメント (2)
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