2013/10/19
ぽかぽか春庭アート散歩>建築さんぽ2008-2013(1)内田祥三の学校建築
今回は、内田祥三(うちだよしかず1885 - 1972)作品の紹介です。
内田祥三は1907(明治40))年に 東京大学建築学科を卒業しました。1911(明治44)年からは東大で後進の指導にあたり、のちに東大総長も勤めました。
東大の本郷キャンパス駒場キャンパスに数多くの作品を残しています。内田が東大卒業直後に勤務した三菱地所で手がけたビルなどは、ほとんどが取り壊されて残されていないのに対して、東大の建物は、安田講堂をはじめ今も現役の図書館博物館などとして利用されています。
東大構内には、学生ボランティアによる東大キャンパスツアーというガイドコースがあるので、お散歩にもうってつけ。東大にきた人、赤門を眺めるだけの人が多いのですが、ぜひ校内の見学を。文科省の大学予算の一割は東大に注ぎ込まれています。我らの税金で運営されているのに、我が家など親も子も東大にかすりもしない人生でした。せめて構内散歩でもして、少しでも税金分のモト取ろうではありませんか。(無料ですが、事前申し込みが必要)
私はいつもふらっと自転車で立ち寄って、キャンパス内を勝手に自転車で走り抜けるのみなので、いつかはこのキャンパつツアーを利用してみようと思っています。
http://campustour.pr.u-tokyo.ac.jp/
東大駒場キャンパスのなかにも、内田作品がたくさん残されています。
正面の駒場本館をはさんで、左右対象に同型の講堂(900番教室)と駒場博物館がたっています。
900番教室
駒場本館
駒場博物館
内田祥三の作品は、「内田ゴシック」とも呼ばれる独特の意匠が見られます。
私は白金植物園(東京科学博物館付属植物園)を散歩したり松岡美術館にいくときは、いつも白金の東京大学医科学研究所の構内を通り抜けることにしていました。病院にしては重々しすぎる感じの古~い建物が気になってのことです。何年も何年も建築した人もことなど知らずに建物を眺めてきました。
2013年に旧東方文化学院(現・拓殖大学国際教育会館)を見学する前に、主催した埼玉県立近代美術館の「事前レクチャー」が行われ、見学ツアーに参加の条件がこのレクチャー受講でした。旧東方学院の設計者が内田祥三であること、内田は東大のほとんどの建築物を手がけた建築家であることなどを学びました。白金の医科学研究所も内田作品でした。
東京大学医科学研究所
白金の植物園と同じくらい散歩することの多い小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)も、毎度本館前を通り過ぎて、その建物を眺めてきたのに、設計者が誰だったか気にしたこともありませんでした。ここも内田祥三の作品でした。
下の「小石川植物園本館」は、借り物写真です。
わかってみると、都内の建物めぐりで見たことある建物のうち、東京農工大学農学部本館など、内田作品をけっこう見て回ったことに気づきました。作品の多くが学校建築であったために、戦災などで消失していない建物の多くが現役の学校校舎として使われていたためです。
東京農工大学農学部キャンパス
東方文化学院 正門(現・拓殖大学国際教育会館)
階段室
正面の左側
下の東方文化学院俯瞰での写真も借り物ですが。上の下手なデジカメではわかりにくい全体の雰囲気が、こう撮ればよくわかります。
<つづく>
ぽかぽか春庭アート散歩>建築さんぽ2008-2013(1)内田祥三の学校建築
今回は、内田祥三(うちだよしかず1885 - 1972)作品の紹介です。
内田祥三は1907(明治40))年に 東京大学建築学科を卒業しました。1911(明治44)年からは東大で後進の指導にあたり、のちに東大総長も勤めました。
東大の本郷キャンパス駒場キャンパスに数多くの作品を残しています。内田が東大卒業直後に勤務した三菱地所で手がけたビルなどは、ほとんどが取り壊されて残されていないのに対して、東大の建物は、安田講堂をはじめ今も現役の図書館博物館などとして利用されています。
東大構内には、学生ボランティアによる東大キャンパスツアーというガイドコースがあるので、お散歩にもうってつけ。東大にきた人、赤門を眺めるだけの人が多いのですが、ぜひ校内の見学を。文科省の大学予算の一割は東大に注ぎ込まれています。我らの税金で運営されているのに、我が家など親も子も東大にかすりもしない人生でした。せめて構内散歩でもして、少しでも税金分のモト取ろうではありませんか。(無料ですが、事前申し込みが必要)
私はいつもふらっと自転車で立ち寄って、キャンパス内を勝手に自転車で走り抜けるのみなので、いつかはこのキャンパつツアーを利用してみようと思っています。
http://campustour.pr.u-tokyo.ac.jp/
東大駒場キャンパスのなかにも、内田作品がたくさん残されています。
正面の駒場本館をはさんで、左右対象に同型の講堂(900番教室)と駒場博物館がたっています。
900番教室
駒場本館
駒場博物館
内田祥三の作品は、「内田ゴシック」とも呼ばれる独特の意匠が見られます。
私は白金植物園(東京科学博物館付属植物園)を散歩したり松岡美術館にいくときは、いつも白金の東京大学医科学研究所の構内を通り抜けることにしていました。病院にしては重々しすぎる感じの古~い建物が気になってのことです。何年も何年も建築した人もことなど知らずに建物を眺めてきました。
2013年に旧東方文化学院(現・拓殖大学国際教育会館)を見学する前に、主催した埼玉県立近代美術館の「事前レクチャー」が行われ、見学ツアーに参加の条件がこのレクチャー受講でした。旧東方学院の設計者が内田祥三であること、内田は東大のほとんどの建築物を手がけた建築家であることなどを学びました。白金の医科学研究所も内田作品でした。
東京大学医科学研究所
白金の植物園と同じくらい散歩することの多い小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)も、毎度本館前を通り過ぎて、その建物を眺めてきたのに、設計者が誰だったか気にしたこともありませんでした。ここも内田祥三の作品でした。
下の「小石川植物園本館」は、借り物写真です。
わかってみると、都内の建物めぐりで見たことある建物のうち、東京農工大学農学部本館など、内田作品をけっこう見て回ったことに気づきました。作品の多くが学校建築であったために、戦災などで消失していない建物の多くが現役の学校校舎として使われていたためです。
東京農工大学農学部キャンパス
東方文化学院 正門(現・拓殖大学国際教育会館)
階段室
正面の左側
下の東方文化学院俯瞰での写真も借り物ですが。上の下手なデジカメではわかりにくい全体の雰囲気が、こう撮ればよくわかります。
<つづく>