2013/12/05
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(4)星の銀貨実験-お金なしに生きる方法
NHKBS世界のドキュメンタリーで放映された「お金なしに生きるLiving Without Money」は、2011年11月10日深夜、再放送11年12月4日日曜昼、再々放送2012年3月29日深夜と、3度放映されたにもかかわらず、私は見逃してきました。ハイデマリー・シュベルマー(Heidemarie Schwermer()という名を聞いても私のアンテナにひっかからず、テレビ番組表を見て深夜放送のドキュメンタリーを録画しておこうとも思わなかったのです。
原題:Living Without Money
制作:EiE FILM / DALCHOWS VERDEN (イタリア/ノルウェー 2010年)
講師室の中に設置されている「ご自由にお持ち帰りください」の棚には、大学案内パンフレットとか、あまり自由に持ち帰りたくないものがほとんどですが、たまに寄贈本などで、いらない本がおいております。タダのもの大好きな私は、気に入った本があればもらいます。安冨歩『生きる技法』もその一冊。
その中に紹介されていた「星の銀貨実験The Star Money Experiment」という言葉を見て、あれ?そんなことを聞いたことがあったっけ、とようやくアンテナに引っかかりました。
ハイデマリー・シュヴェルマーは、1932年にドイツで生まれた女性です。父親の事業の成功失敗により、裕福な生活も極貧の生活も知って成長しました。子育てをしながら教師、セラピスト、カウンセラーとして20年間暮らし、子供が成長したのち、1996年に生活を大きく変えました。旅行バッグひとつに入るものだけを残し、家も年金受給もすべてを捨て去ったのです。彼女は「お金なしに生活する」という実験を始めました。この最初の「お金なし生活」の記録が、彼女の最初の著作「星の銀貨実験」になりました。
「星の銀貨」は、グリム童話にも収録されている少女のおはなし。貧しい少女が、なけなしの最後の銀貨を自分より貧しく辛い思いをしている人に与えてしまいます。すると空の星がふってきて、すべて銀貨となった、というヨーロッパの伝説です。「与えることによって得る」という「星の銀貨」のお話のように、自分が持っているものを人に与えることで、自分の生きる糧を得ることができるか?これが「星の銀貨実験」です。
彼女は、「交換」による生活を始めました。食料品店の掃除を引き受ける代わりに賃金ではなく、賞味期限切れの食料をもらう。数週間のバカンスに出かける家族のために、その家の留守番をする。謝礼は冷蔵庫いっぱいの食料品ほか、家族が戻るまでの食料。
そんな暮らしを数年続け、『星の銀貨実験』」出版後は、各地での講演会やテレビ出演をしたあとの「現金では受け取らないお礼」によって2013年の現在、71歳になっても、「無料生活」を続けています。
この生活を始める前は覚悟していた「野宿」を、一度もしていないとのこと。
ハイデマリー・シュヴェルマーさんは、住む家も貯金も年金もなしに、人々との助け合いや交流によって生きてゆけることを証明したのです。
「誰にでもできる生活じゃない」という批判も数多く彼女浴びせられ、「結局、人の好意に頼っているだけ」「人のお情けで暮らしている」など、誹謗中傷もしょっちゅうです。でも、彼女は「とても心豊かに楽しく」生き続けています。彼女はほどこしを求めているのではなく、他者との交流の結果が彼女に寝るところと食べ物を与え続けているのです。
ドキュメンタリーが再々々放送されるなら、今度こそ録画しようとおもうのですが、とりあえず、台湾海賊版とおぼしきyoutube UPを見ました。イタリアに招かれて講演しているハイデマリーさんのドイツ語を同時通訳がイタリア語に訳し、画面には繁体字の中国語字幕が出るというドキュメンタリなので、わからないことも多々ありますが、まあ、画面だけでもおおよそのことはわかりました。
ドキュメンタリーの中、ハイデマリーさんが若い女性といっしょに、瞑想(メディテーション)する場面がありました。西洋風座禅のような感じ。おそらく、キリスト教的共同体からはみ出た人々、あるいはそういう共同体を拒否する人にとって、シェアしあう生活や瞑想によって心の平安を得る習慣は、新しいライフスタイルなのでしょう。
でも、よくよく考えてみれば、これは祖父母の代までは、日本の田舎の普通の暮らしだったのです。ただし、私の母の実家は、戦時中「あの家は、聖戦遂行に協力的でない」とうわさされ、村八分にされたことがあります。田舎がいつでも安心安寧な共同体ではなかったことを、私は母から聞かされて育ちました。
今だって、ブータンあたりの田舎の村では、ハイデマリーさんの生活を見て、自分らの暮らしと少しも変わっていないと感じるでしょうし、共同体に「はぶられた」一家もあることでしょう。
もし、昔の共同体と同じなら、ハイデマリーさんは周回遅れのトップランナーに過ぎないのか。いいえ、やはり経済的進展では世界トップになっているドイツでハイデマリーさんがこの暮らしを始めたのだ、ということに意味があるのでしょう。近代的生活、すなわち産業社会は、個人の努力によって財をえて、金銭によって消費を行うことが求められました。ハイデマリーさんは、そういう消費社会に疑問を感じることから「星の銀貨実験」をはじめました。
現代生活すなわち産業社会勤労者による消費社会が、かってのような「自分のもっているものを分かち合う生活」にそのまま戻れるはずはありません。しかし、ハイデマリーさんの実験は、分かち合い生活が不可能ではないことをおしえてくれました。ハイデマリーさんの財産は、「この人になら留守中の家を安心して任せられる」と、人に感じてもらえる人間力なのです。
「星の銀貨」は、一筋の光明に思えます。
「景気をよくする」という呪文を唱えさえすれば、すべてのゴリ押しがまかり通ってしまう現在の社会で、私の心に明かりがともされました。
私に、「人様に分け与えることができるようなものがあるのか」と問うてみます。
私は料理もお掃除も上手じゃありません。私は、視覚障害者のための朗読ボランティアを続けたことがあり、朗読が好きです。でも、私より朗読が上手な人はゴマンといて、あまり、ウリになる経歴にもなりません。
私がこれまでに「私が身につけたこと」を他者にシェアしようとしても、あまり欲しがる人がいないんじゃないかと思います。モダンバレエやジャズダンスのレッスンを、40年間受け続けてきたのに上手にならないから、これもウリにはならないし、、、、
人様に信用してもらえそうな人間力、乏しい限りです。
ウリモノをなにも持たない私ですが、でも、星の銀貨暮らし、やってみなければわかりません。わらしべ1本だって欲しい人がいるときには交換の役にたつのですから。
私は今のところ、無料、交換でまかなっているのは、衣服だけです。昔は衣服はすべてお下がりで調達していました。姉と妹がやたらに服を買い込むのが好きで、新しい服を買うとき「古いのはお下がりに出せるから、無駄にはならない」と、気楽に新しい服を買っていたのです。
しかし、姉が死んで11年。もうお下がりが来なくなったと思ったら、ジャズダンスサークルの知り合いが、お下がりを回してくれるようになりました。彼女は「今時、古着なんて人にやたらにあげたら迷惑がられるだけなのに、e-Naちゃんは喜んで着てくれるからうれしいわ」と、時々大きな袋にいっぱい古着をくれるのです。
これは、私が「夏は裸でなければいい、冬は寒くなければ良い」という衣服哲学を持っているおかげでしょう。ファッションになんらかの好みがある人なら、服をもらったとき「これは私には似合わない色、これは形が気に入らない」と感じてしまい、「どんな服をあげても、喜んで着る」ということにはならず、服をあげた人にとって「お下がりなんか渡して、かえって迷惑だったか」と感じることになってしまいます。
すなわち、「ファッションになんの好みもない」というのが、私のウリということになります。「どんな服でも喜んで着てくれる人だ」と、信じてもらうことができたのが、私の「服をもらってすごす衣料生活」のもとでなのです。
私は、賞味期限切れの食べ物を食べても、たいていの場合おなかを壊すこともないので、よく賞味期限ギリギリの食品を半額で買ってきます。息子は超少食ですが、娘と私が大食いなので、大量に食料品を買わなければなりませんが、まあ、半額食品でまかなうときは、安心して大食いをします。それで、私も娘も体重オーバーですが。
すなわち、私は、今でも半分くらいは「お金を必要としない暮らし」であるのです。ただし住んでいるところが公団団地なので、家賃を払わねばならず、値切ることもできないので家賃分は稼がなければなりません。
ハイデマリーさんは、子供が自立した後に「お金なしに生きる」生活を始めたのですが、私の子供が自立して働くには、あと10年はかかりそう。一生自立できないかも。70歳まではなんとか働き続けて、70歳すぎたら、「星の銀貨生活」または「シェアライフ」が回っていくよう、今から根回しておきます。人間力、信用される人間めざして、がんばりましょう。
ためしに、娘に「テレビドラマに出てくるお金持ちって、たいてい悪事を働くとか、家族の愛情が薄くて不幸だとか、夫も妻も不倫に走るとか、あまり幸福な一家はないみたいだね。我が家はお金無いけど、不幸じゃないからよかったよね」と、言ってみました。娘は、「でも、子供が寝てしまったと思って、お父さんとお母さんがヒソヒソ声で来月の家賃が払えないとか、明日食べるものがないとか、話していたとき、ふとんの中でそれを聞いて育った子供はかわいそうだったよ。私が今、冷蔵庫に食料がいっぱいに入っていないと不安になるのは、そういう育ちのせい」と言われました。
う~ん、食べ物だけは半額品を大量買いしておかないとだめみたいだなあ。
<おわり>
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(4)星の銀貨実験-お金なしに生きる方法
NHKBS世界のドキュメンタリーで放映された「お金なしに生きるLiving Without Money」は、2011年11月10日深夜、再放送11年12月4日日曜昼、再々放送2012年3月29日深夜と、3度放映されたにもかかわらず、私は見逃してきました。ハイデマリー・シュベルマー(Heidemarie Schwermer()という名を聞いても私のアンテナにひっかからず、テレビ番組表を見て深夜放送のドキュメンタリーを録画しておこうとも思わなかったのです。
原題:Living Without Money
制作:EiE FILM / DALCHOWS VERDEN (イタリア/ノルウェー 2010年)
講師室の中に設置されている「ご自由にお持ち帰りください」の棚には、大学案内パンフレットとか、あまり自由に持ち帰りたくないものがほとんどですが、たまに寄贈本などで、いらない本がおいております。タダのもの大好きな私は、気に入った本があればもらいます。安冨歩『生きる技法』もその一冊。
その中に紹介されていた「星の銀貨実験The Star Money Experiment」という言葉を見て、あれ?そんなことを聞いたことがあったっけ、とようやくアンテナに引っかかりました。
ハイデマリー・シュヴェルマーは、1932年にドイツで生まれた女性です。父親の事業の成功失敗により、裕福な生活も極貧の生活も知って成長しました。子育てをしながら教師、セラピスト、カウンセラーとして20年間暮らし、子供が成長したのち、1996年に生活を大きく変えました。旅行バッグひとつに入るものだけを残し、家も年金受給もすべてを捨て去ったのです。彼女は「お金なしに生活する」という実験を始めました。この最初の「お金なし生活」の記録が、彼女の最初の著作「星の銀貨実験」になりました。
「星の銀貨」は、グリム童話にも収録されている少女のおはなし。貧しい少女が、なけなしの最後の銀貨を自分より貧しく辛い思いをしている人に与えてしまいます。すると空の星がふってきて、すべて銀貨となった、というヨーロッパの伝説です。「与えることによって得る」という「星の銀貨」のお話のように、自分が持っているものを人に与えることで、自分の生きる糧を得ることができるか?これが「星の銀貨実験」です。
彼女は、「交換」による生活を始めました。食料品店の掃除を引き受ける代わりに賃金ではなく、賞味期限切れの食料をもらう。数週間のバカンスに出かける家族のために、その家の留守番をする。謝礼は冷蔵庫いっぱいの食料品ほか、家族が戻るまでの食料。
そんな暮らしを数年続け、『星の銀貨実験』」出版後は、各地での講演会やテレビ出演をしたあとの「現金では受け取らないお礼」によって2013年の現在、71歳になっても、「無料生活」を続けています。
この生活を始める前は覚悟していた「野宿」を、一度もしていないとのこと。
ハイデマリー・シュヴェルマーさんは、住む家も貯金も年金もなしに、人々との助け合いや交流によって生きてゆけることを証明したのです。
「誰にでもできる生活じゃない」という批判も数多く彼女浴びせられ、「結局、人の好意に頼っているだけ」「人のお情けで暮らしている」など、誹謗中傷もしょっちゅうです。でも、彼女は「とても心豊かに楽しく」生き続けています。彼女はほどこしを求めているのではなく、他者との交流の結果が彼女に寝るところと食べ物を与え続けているのです。
ドキュメンタリーが再々々放送されるなら、今度こそ録画しようとおもうのですが、とりあえず、台湾海賊版とおぼしきyoutube UPを見ました。イタリアに招かれて講演しているハイデマリーさんのドイツ語を同時通訳がイタリア語に訳し、画面には繁体字の中国語字幕が出るというドキュメンタリなので、わからないことも多々ありますが、まあ、画面だけでもおおよそのことはわかりました。
ドキュメンタリーの中、ハイデマリーさんが若い女性といっしょに、瞑想(メディテーション)する場面がありました。西洋風座禅のような感じ。おそらく、キリスト教的共同体からはみ出た人々、あるいはそういう共同体を拒否する人にとって、シェアしあう生活や瞑想によって心の平安を得る習慣は、新しいライフスタイルなのでしょう。
でも、よくよく考えてみれば、これは祖父母の代までは、日本の田舎の普通の暮らしだったのです。ただし、私の母の実家は、戦時中「あの家は、聖戦遂行に協力的でない」とうわさされ、村八分にされたことがあります。田舎がいつでも安心安寧な共同体ではなかったことを、私は母から聞かされて育ちました。
今だって、ブータンあたりの田舎の村では、ハイデマリーさんの生活を見て、自分らの暮らしと少しも変わっていないと感じるでしょうし、共同体に「はぶられた」一家もあることでしょう。
もし、昔の共同体と同じなら、ハイデマリーさんは周回遅れのトップランナーに過ぎないのか。いいえ、やはり経済的進展では世界トップになっているドイツでハイデマリーさんがこの暮らしを始めたのだ、ということに意味があるのでしょう。近代的生活、すなわち産業社会は、個人の努力によって財をえて、金銭によって消費を行うことが求められました。ハイデマリーさんは、そういう消費社会に疑問を感じることから「星の銀貨実験」をはじめました。
現代生活すなわち産業社会勤労者による消費社会が、かってのような「自分のもっているものを分かち合う生活」にそのまま戻れるはずはありません。しかし、ハイデマリーさんの実験は、分かち合い生活が不可能ではないことをおしえてくれました。ハイデマリーさんの財産は、「この人になら留守中の家を安心して任せられる」と、人に感じてもらえる人間力なのです。
「星の銀貨」は、一筋の光明に思えます。
「景気をよくする」という呪文を唱えさえすれば、すべてのゴリ押しがまかり通ってしまう現在の社会で、私の心に明かりがともされました。
私に、「人様に分け与えることができるようなものがあるのか」と問うてみます。
私は料理もお掃除も上手じゃありません。私は、視覚障害者のための朗読ボランティアを続けたことがあり、朗読が好きです。でも、私より朗読が上手な人はゴマンといて、あまり、ウリになる経歴にもなりません。
私がこれまでに「私が身につけたこと」を他者にシェアしようとしても、あまり欲しがる人がいないんじゃないかと思います。モダンバレエやジャズダンスのレッスンを、40年間受け続けてきたのに上手にならないから、これもウリにはならないし、、、、
人様に信用してもらえそうな人間力、乏しい限りです。
ウリモノをなにも持たない私ですが、でも、星の銀貨暮らし、やってみなければわかりません。わらしべ1本だって欲しい人がいるときには交換の役にたつのですから。
私は今のところ、無料、交換でまかなっているのは、衣服だけです。昔は衣服はすべてお下がりで調達していました。姉と妹がやたらに服を買い込むのが好きで、新しい服を買うとき「古いのはお下がりに出せるから、無駄にはならない」と、気楽に新しい服を買っていたのです。
しかし、姉が死んで11年。もうお下がりが来なくなったと思ったら、ジャズダンスサークルの知り合いが、お下がりを回してくれるようになりました。彼女は「今時、古着なんて人にやたらにあげたら迷惑がられるだけなのに、e-Naちゃんは喜んで着てくれるからうれしいわ」と、時々大きな袋にいっぱい古着をくれるのです。
これは、私が「夏は裸でなければいい、冬は寒くなければ良い」という衣服哲学を持っているおかげでしょう。ファッションになんらかの好みがある人なら、服をもらったとき「これは私には似合わない色、これは形が気に入らない」と感じてしまい、「どんな服をあげても、喜んで着る」ということにはならず、服をあげた人にとって「お下がりなんか渡して、かえって迷惑だったか」と感じることになってしまいます。
すなわち、「ファッションになんの好みもない」というのが、私のウリということになります。「どんな服でも喜んで着てくれる人だ」と、信じてもらうことができたのが、私の「服をもらってすごす衣料生活」のもとでなのです。
私は、賞味期限切れの食べ物を食べても、たいていの場合おなかを壊すこともないので、よく賞味期限ギリギリの食品を半額で買ってきます。息子は超少食ですが、娘と私が大食いなので、大量に食料品を買わなければなりませんが、まあ、半額食品でまかなうときは、安心して大食いをします。それで、私も娘も体重オーバーですが。
すなわち、私は、今でも半分くらいは「お金を必要としない暮らし」であるのです。ただし住んでいるところが公団団地なので、家賃を払わねばならず、値切ることもできないので家賃分は稼がなければなりません。
ハイデマリーさんは、子供が自立した後に「お金なしに生きる」生活を始めたのですが、私の子供が自立して働くには、あと10年はかかりそう。一生自立できないかも。70歳まではなんとか働き続けて、70歳すぎたら、「星の銀貨生活」または「シェアライフ」が回っていくよう、今から根回しておきます。人間力、信用される人間めざして、がんばりましょう。
ためしに、娘に「テレビドラマに出てくるお金持ちって、たいてい悪事を働くとか、家族の愛情が薄くて不幸だとか、夫も妻も不倫に走るとか、あまり幸福な一家はないみたいだね。我が家はお金無いけど、不幸じゃないからよかったよね」と、言ってみました。娘は、「でも、子供が寝てしまったと思って、お父さんとお母さんがヒソヒソ声で来月の家賃が払えないとか、明日食べるものがないとか、話していたとき、ふとんの中でそれを聞いて育った子供はかわいそうだったよ。私が今、冷蔵庫に食料がいっぱいに入っていないと不安になるのは、そういう育ちのせい」と言われました。
う~ん、食べ物だけは半額品を大量買いしておかないとだめみたいだなあ。
<おわり>