春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「ハンナ・アーレントその1」

2013-12-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/03
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(2)ハンナ・アーレントその1

 11月21日に岩波ホールで見た『ハンナ・アーレント』は、一直線に「真実の追求」を行った人として描かれていました。きっとハンナには別の面もあったろうけれど、ハンナの描き方として妥当だったと思います。

 ハンナ・アーレント(1906 - 1975)は、思想家・哲学者。ドイツ生まれのユダヤ人女性で、大学時代はハイデッカーに薫陶を受けました。師とは50年にわたって文通を続け、若い時代には恋愛関係にあったことが手紙に記されています。映画では、若い女性にのめり込む老教授と美貌の弟子との恋愛として描かれていました。

 実際、若い頃のハンナの実像は、写真で見る限りではとても美しく聡明そうな顔立ちです。
 若い頃のハンナの顔写真が表紙になっている著作
 

 第二次大戦が始まり、ハインリッヒ・ブリュッヒャーと二度目の結婚をしたハンナは、夫とともにナチから逃亡する人を助ける活動を行います。反ナチスの危険な活動を続けたために自らも逮捕され、収容所に入れられましが、収容所からの逃亡に成功。1941年にアメリカに亡命しました。アメリカの市民権を得るまで、8年ものあいだ「無国籍者」として生活したと、ハンナは映画の中で教え子たちに語っていました。教え子たちとの関係はとてもよくて、教え子はハンナをしたっているようすでしたし、(映画では)夫のハインリッヒとはラブラブの夫婦で、とても仲がよい夫婦に描かれていました。

 戦後はアメリカの大学で哲学教授として学生には人気の教師として活躍しました。出世作は1951年『全体主義の起源』です。
 日本での一番人気の本は『人間の条件』で、私もこの一作を読んだのみで「ハンナファン」と名乗っているので、まあ、ミーハーファンだと言われて当然です。

 映画は、ハンナがイスラエルで行われたアイヒマン裁判の傍聴をした出来事が中心になっています。
 第二次大戦が終わって、ヒットラーの自殺後、連合軍の逮捕を逃れたナチス幹部たちは密かに出国し他国で潜伏生活を送っていました。アイヒマンはアルゼンチンに5年余り偽名で潜伏していましたが、1951年に逮捕され、裁判を受けました。

 アイヒマンは1939年12月からドイツが降伏した1945年5月まで、ナチスドイツの国家保安本部第IV局B部4課課長(ゲシュタポ局宗派部ユダヤ人課課長)の任にあり、冷徹にユダヤ人を収容所に送りつけたことで知られています。
 戦勝国側は、敗戦国の戦争指導者を「人道に対する罪」「平和に対する罪」を犯した戦犯として裁きました。アイヒマンは、イスラエル政府によって「ユダヤ人虐殺に責任を負うべき人物」として裁かれ、死刑を執行されました。

 自らも収容所へ送られたことのあるハンナは、この裁判の傍聴を希望してイスラエルへおもむき、報告書を連載しました。
 連載の中、ハンナは「ユダヤ人の収容所送り」には、ユダヤ人支配層の関与もあったことを暴露し、アイヒマンは極悪非道の大悪人ではなく、上司の命令を忠実に実行する小市民のひとりであったという感想を書きました。

 数多くアメリカに亡命したユダヤ人たちは、ユダヤ人自身もユダヤ人虐殺に手を貸していたのだというハンナの論と、アイヒマンを「普通の人間のひとり」と評したことに激怒しました。ハンナは、反感をもつ姿なき人々の脅迫状脅迫電話にさらされる毎日となりました。

 ハンナは「アイヒマンを生み出す社会をそのままにしておいて、アイヒマンを断罪するだけでは、第二のアイヒマンをまた生むだけだ」と考えました。「忠実に命令に従っただけだから、私は無罪」と主張するアイヒマンに対して、裁くことが可能なら「思考停止に陥った罪」によるだけでしょう。

 映画のラストシーンは大教室。ハンナの教え子、ほかの学生たち、ハンナに反感を持つ聴衆を前にしての、「真実の追求」を論じるハンナは、渾身のことばを振り絞って講義を続けます。

 岩波ホール、木曜日の夜7時の回、若者と中高年は半分半分の割合でした。昼間はほとんどが中高年だと思います。
 見終わった人、自分自身を「思考停止に陥った罪」によって審理したでしょうか。

 ハンナ・アーレントは、20世紀に生きる人間の危機として5つをあげ、それを乗り越える人間的活動の4つを示しています。
 5つの危機とは
(1)戦争と革命による危機。それにともなう独裁、ファシズムを生み出す危機。
(2)ポピュリズム(大衆社会)の危機。他者に迎合し、他人に倣った言動をしてしまう、思考停止。
(3)消費のみの文化という危機。自らが生み出すことをせず保存の意思のない消費するのみの生活。
(4)世界疎外の危機。世界とは何かということを深く理解しようとしないことにより、世界そのものからも疎外されていることに甘んじる生活。
(5)人間として何かを作り出すこと、何かを考え出すことをしない生活の危機。

(以上の5つの危機のまとめは、松岡正剛によるもの。自分自身のことばでまとめる努力をせずに、他者のことばを引用してしまうのも、思考停止のひとつであると指摘されればそのとおりなのだけれど、、、、、)

 『人間の条件』に書かれていることとは。
 この本でハンナが行ったのは、「人間の条件のもっとも基本的な要素を明確にすること」であり、「すべての人間存在の範囲内になるいくつかの活動力」を分析すること。

 人として何かを生み出す生活のためには、人間のもっている活動力vita activaが必要です。その力として、ハンナは4種類をあげています。
 労働(labor)、仕事(work)、活動(action)、それに思考(thought)です。
 「労働」は人間の生命の維持=新陳代謝(メタボリズム)に寄与します。「仕事」は、個人の生命維持以上の、「世界」と関わるための行為。自分が時間をかけて行った行為が、世界に何らかの働きかけとなる。「活動」とは、人と人とのあいだでかわされる行為。

 と、こんなおおざっぱなくくり方をしたところでハンナ・アーレントの著作を理解したことにはならないですけれど、若い頃読んだ『人間の条件』は、なんだかやたらに小難しく感じて、さっぱりわけわからないままでした。私は、とことん哲学なんてものに向かない人間です。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする