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ぽかぽか春庭「等々力渓谷を歩く・日曜地学ハイキング」

2013-12-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/10
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(2)等々力渓谷を歩く・日曜地学ハイキング

 日曜地学ハイキング、他の参加者は、10時に東急大井町線九品仏駅集合し、「九品仏浄真寺」の阿弥陀如来見学からスタートしています。
 まあ仏像拝観は、この日でなくても一人でもできます。それよりも、等々力渓谷で見られるという地層の解説や古墳群の解説を、専門の先生方にお聞きしたい。

 ひとり遅れて参加の私は、等々力駅から「日曜地学ハイキング」一行に合流し、渓谷入り口でまず、武蔵野礫層などの地層の説明を受けました。


 東京は、荒川と多摩川に挟まれた武蔵野台地の上にあります。武蔵野台地は、多摩川の扇状地の上に火山灰である関東ローム層が重なっています。いくつかの河岸段丘があり、そのうちの武蔵野段丘南面が、昨年の日曜地学ハイキングで観察した「立川崖線、国分寺崖線=ハケ」でした。ハケからの湧水が何か所にも見られ、それらの湧き水を見学してあるきました。

 今回の地学巡見は、武蔵野段丘の南側の多摩川沿いの地形観察です。
 まず、等々力渓谷。20年前に娘と息子の書道展が等々力であったとき、ついでに渓谷見物をしたきりです。都内にある渓谷、姑の家の近くなのでいつでも来られると思っていたのに、なんと20年もたってしまいました。20年前にも「こんな都会の中に溪谷が、、、でもそのうちに開発されてしまうのかなあ」と思いました。渓谷の川沿いは公園になっているのですが、台地の上はもうすべて住宅地に開発されてしまっていました。

 そのため、昔、滝の音があたり一帯に轟いたため「とどろき」と名付けられたという「等々力の不動の滝」は、今では水道の水のような細い流れがチョロチョロと出ているだけのものになってしまっていました。20年前を思い出すと、この流れを肩に受けて修行している白装束の人を見た覚えがあります。今のこのチョロチョロの流れでは、肩に受けてもあまり修行にはならないだろうと思います。

 この不動の滝のところに見えている地層、一番うえは関東ローム層。よく水を吸い取る地層です。水はその下の軽石層を通り抜け、下の粘土層に至って吸い込まれなくなり、その地層の隙間から水が湧き出してくる。これが「ハケの湧水」です。武蔵野礫層と東京層シルト岩の不整合面から水が湧き出てくる、という説明を受けました。

地層の重なりを表した展示板

 この湧水を原始時代の人も利用し、縄文時代の人もこの武蔵野台地に住みました。そして古墳時代になると、ここら一帯を総ていた族長は、大きな円墳や前方後円墳を築きました。等々力駅から歩くと、不動の滝の手前、等々力渓谷の中程に、「等々力渓谷三号横穴」があります。このあたりの古墳は6基以上あり、埋葬されていた男女子供あわせて3体が確認されています。発掘調査により、金属製の耳環やガラス玉、須恵器などが出土しています。

 現在、横穴の前面にはガラスが嵌められていて、墓の中のようすが見学できます。この崖に横穴を掘り、お墓を作った一家、どんな生活だったのだろう、男女と子供3体は、家族だったのだろうかなど、大昔このあたりに住んだ人々の暮らしに思いをはせました。

 多摩川土手に出て、玉堤小学校前からバスに乗りました。バスは、多摩川グラウンドを見下ろして走ります。二子玉川のビル群が見えると、となりに座っていた地学サークル参加の年配のご婦人は「まあ、久しぶりにこのあたりに来たら、びっくりすることばかり。二子玉川がこんな大きなビルが立つ都会になるとは思いませんでした」と言っていました。私は昔の二子玉川を見たこともありませんけれど、「そうですねぇ、東京はどこもかしこも、ちょっと見ないでいるあいだに変わってしまいますねぇ」と、相槌をうちました。

 ことばのキャッチボールが苦手な私。「こういう相槌でよかったのだろうか」と、しばし悩む。私の会話は、「ことばのキャッチボール」ではなくて、しばしば「ことばのドッヂボール」になってしまうらしく、どしんと投げられた言葉をさっとよけられてしまったり、受けそこねた相手に痛い思いをさせてしまったり。親しくない相手とは「一般的な世間話」というものができないタチなのです。

 多摩川駅ちかくの多摩川台公園でお弁当タイムになりましたが、ことばのドッヂボールをしないために、だれも座っていないベンチを探して、きのうの残り物のチーズサンドイッチと、梅干おにぎりというへんな組み合わせのお弁当を食べました。

多摩川のながめ


 世話役のI先生が参加者のあいだを回って「ドイツみやげのお菓子です」と、広げた手のひらの上にチョコ菓子をのせてくれました。
 I先生は、ドイツでの学会に参加するため10日間の旅行に行ってきて、昨日帰国したという忙しい毎日。I先生は、高校の地学教師を定年退職してから、専門の「クモヒトデ研究」を東京科学博物館で続けています。ドイツの学会でも棘皮動物の専門家は少なくて、学会に集まったのも30人ほど。そのうちクモヒトデの研究者は、30代の研究者ひとりだけ。その彼と共同研究ができることになり、学会参加の成果があったというお話をしてくださいました。

 私は、こういうお話ならとても興味深く聞くことができるのですが、どうもそれ以外の「世間話」になるとダメみたい。「クモヒトデの四番目の足の話」なら、一日中でも聞いていたい。でもI先生は、他の参加者にもお菓子を配らなきゃならないから、そう長くはクモヒトデの話を聞いていられませんでしたが。

 I先生が「クモヒトデ」について執筆している本を紹介します。
『化石から生命の謎を得-恐竜から分子まで』2011朝日選書


<つづく>
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