2013/12/25
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(10)クリスマスミサ
今年の「建物さんぽ」のテーマのひとつは、明治期の棟梁たちが在来の大工技術で西洋建築を建てた「擬洋風建築」。ほかに「明治大正昭和のおやしき」「教会と学校」など、さまざまな近代建築を見て歩きました。
教会を見て歩くうち、感じたことがあります。お寺や神社は、外からお賽銭投げている限りでは追い出されたりしませんが、内部を拝観するには祈祷料をおさめるとか、法事でお布施を収めるとか、拝観料を払うとかしないと中には入りづらいことが多いのに、教会はドアの前に「どなだでもお入りください」と、書いてあり、信仰について書かれたパンフレットなども「ご自由にお持ち帰りください」と書いてあります。
無料大好きの私、最後に献金箱にワンコイン入れるだけで、ずいぶん自由に写真も撮らせてもらいました。ありがたいことです。
年のおわりに、いままで無料で見せてもらったお礼に、ミサに参加して「ありがとう」を言っておこうと思い立ちました。お礼をきいてくださるのが、マリア様かイエス様か大天使様なのかわかりませんけれど。シンクレティズム神仏習合主義の私としては、マリア観音、イエス如来、ミカエル菩薩、きっと私のお礼の気持ちを受け止めてくださることと信じます。信じるものは幸いなれ。
クリスマスイブの教会めぐり。
最初は、自由学園明日館。日本では数少ないフランク・ロイド・ライトの作品として国の重要文化財指定になっている建物です。ライトの弟子遠藤新設計の講堂は、道を隔てた反対側に建っています。遠藤は、ライト帰国後に建築を引き継ぎ、本館右側の教室棟も建て継ぎました。
講堂でのクリスマスミサに参加していこうかと、室内楽グループが練習中の講堂を覗いたら、「主よ人の望みの喜びよ」を演奏中。素人なのだから、ハイレベルを求めてはいけないと分かっていたのですが、「あ、この音、パス」と思ったので、ミサイルままが仕事終わるのを待って、ふたりで目白関口の東京カテドラル教会へ行きました。
子供の頃教会の日曜学校へ通ったことのあるミサイルままは、これまでに何度か、この東京カテドラルのクリスマスミサに参加したことがあるのだそうです。でも、私はカトリックもプロテスタントも、とにかくクリスマスミサなどに参加するのは初めてです。Zenぶっディストなもんで。信徒以外のもんがミサなんかに出るのはまずいかと思っていました。でも、「どなたもお入りください」が教会の主張だから、ちょっと覗かせてもらいました。
東京カテドラルのクリスマスイブミサは、夜5時7時10時の3回行われます。私たちは7時のミサに参加。
「きよしこの夜」は、「しずかな真夜中」という歌詞になっていましたが、最初のこの曲と最後の曲「グロリア」だけ知っている賛美歌で、あとは初めての曲でした。途中90分信徒たちは休まず歌っていましたが、知らない曲の楽譜を見てすぐに歌えるほど歌が上手じゃないので、私は歌えませんでした。ミサイルままは何度か参加したことがあるというし、区民合唱団で楽譜にもなれているので、歌っていました。すぐに歌える人、うらやましいです。
信徒代表による聖書の朗読はあまりじょうずじゃありませんけれど、朗読専門家でもないからこれでよし。神父さんの説教はオペラのセリフのようにメロディがついていて、信徒はアーメンやら何やら合いの手をいれる。途中、聖体拝受というのがあったけれど、私は信徒でないから、出ていきませんでした。信徒じゃない人は助祭さんの前に出ていっても聖体を拝受せずに「祝福をお願いします」と口上を述べよとのこと。ミサイルままは祝福を受けました。わたしは教会建物めぐりのお礼言上だけとなえて、献金袋が回ってきたので献金。
初ミサの感想。歌えたらもっと心洗われ清らかな年末になったかもしれないのに。
パイプオルガンの音色はよかったし、丹下健三設計のコンクリートうちっぱなし大空間は、今でもすごい迫力なのですが、「ああ、私にはやっぱり相性が悪いなあ」という雰囲気。この空間内にいることが、なんとも居心地さだまらない感じ。そりゃ、私が信者じゃないのに、ミサに出ているからかもしれないのですが。丹下健三ファンにはこの空間が「荘厳壮大」と感じられるのでしょうが、ファンじゃない私には、なんともいえぬ圧迫感。「ひれ伏しなさい、ありがたがりなさい」という強迫観念がおそってきてしまう。これは好みの問題でしょう。それに今回は丹下建築の鑑賞会ではなくて、あくまでも教会建築見物のお礼参りだし。
教会の外の建物では、信徒さんがクッキーとココアのおふるまい。お・も・て・な・し、してくださった。
おふるまいのクッキー、もうひとつ欲しかったなあという気分が残る私は、やはり俗人です。
「おふるまい」ボランティア信徒さんたちの「クリスマスおめでとう」ということば。むろん、「イエスが生まれた日にちは歴史的には解明されていない」などと言うのは野暮ですね。信じるものこそ幸いなれ。メシアはやはり冬至の太陽と共に生まれ、日に日に光の量をまして行ったのだろうなあと思います。
世界中の地域で、冬至の太陽を「弱まってきた光が新たな生命を得て再生し、復活する」ことを祝います。私も、共に祝います。クリスマスおめでとう。世界中のよいこにサンタさんがきますように。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(10)クリスマスミサ
今年の「建物さんぽ」のテーマのひとつは、明治期の棟梁たちが在来の大工技術で西洋建築を建てた「擬洋風建築」。ほかに「明治大正昭和のおやしき」「教会と学校」など、さまざまな近代建築を見て歩きました。
教会を見て歩くうち、感じたことがあります。お寺や神社は、外からお賽銭投げている限りでは追い出されたりしませんが、内部を拝観するには祈祷料をおさめるとか、法事でお布施を収めるとか、拝観料を払うとかしないと中には入りづらいことが多いのに、教会はドアの前に「どなだでもお入りください」と、書いてあり、信仰について書かれたパンフレットなども「ご自由にお持ち帰りください」と書いてあります。
無料大好きの私、最後に献金箱にワンコイン入れるだけで、ずいぶん自由に写真も撮らせてもらいました。ありがたいことです。
年のおわりに、いままで無料で見せてもらったお礼に、ミサに参加して「ありがとう」を言っておこうと思い立ちました。お礼をきいてくださるのが、マリア様かイエス様か大天使様なのかわかりませんけれど。シンクレティズム神仏習合主義の私としては、マリア観音、イエス如来、ミカエル菩薩、きっと私のお礼の気持ちを受け止めてくださることと信じます。信じるものは幸いなれ。
クリスマスイブの教会めぐり。
最初は、自由学園明日館。日本では数少ないフランク・ロイド・ライトの作品として国の重要文化財指定になっている建物です。ライトの弟子遠藤新設計の講堂は、道を隔てた反対側に建っています。遠藤は、ライト帰国後に建築を引き継ぎ、本館右側の教室棟も建て継ぎました。
講堂でのクリスマスミサに参加していこうかと、室内楽グループが練習中の講堂を覗いたら、「主よ人の望みの喜びよ」を演奏中。素人なのだから、ハイレベルを求めてはいけないと分かっていたのですが、「あ、この音、パス」と思ったので、ミサイルままが仕事終わるのを待って、ふたりで目白関口の東京カテドラル教会へ行きました。
子供の頃教会の日曜学校へ通ったことのあるミサイルままは、これまでに何度か、この東京カテドラルのクリスマスミサに参加したことがあるのだそうです。でも、私はカトリックもプロテスタントも、とにかくクリスマスミサなどに参加するのは初めてです。Zenぶっディストなもんで。信徒以外のもんがミサなんかに出るのはまずいかと思っていました。でも、「どなたもお入りください」が教会の主張だから、ちょっと覗かせてもらいました。
東京カテドラルのクリスマスイブミサは、夜5時7時10時の3回行われます。私たちは7時のミサに参加。
「きよしこの夜」は、「しずかな真夜中」という歌詞になっていましたが、最初のこの曲と最後の曲「グロリア」だけ知っている賛美歌で、あとは初めての曲でした。途中90分信徒たちは休まず歌っていましたが、知らない曲の楽譜を見てすぐに歌えるほど歌が上手じゃないので、私は歌えませんでした。ミサイルままは何度か参加したことがあるというし、区民合唱団で楽譜にもなれているので、歌っていました。すぐに歌える人、うらやましいです。
信徒代表による聖書の朗読はあまりじょうずじゃありませんけれど、朗読専門家でもないからこれでよし。神父さんの説教はオペラのセリフのようにメロディがついていて、信徒はアーメンやら何やら合いの手をいれる。途中、聖体拝受というのがあったけれど、私は信徒でないから、出ていきませんでした。信徒じゃない人は助祭さんの前に出ていっても聖体を拝受せずに「祝福をお願いします」と口上を述べよとのこと。ミサイルままは祝福を受けました。わたしは教会建物めぐりのお礼言上だけとなえて、献金袋が回ってきたので献金。
初ミサの感想。歌えたらもっと心洗われ清らかな年末になったかもしれないのに。
パイプオルガンの音色はよかったし、丹下健三設計のコンクリートうちっぱなし大空間は、今でもすごい迫力なのですが、「ああ、私にはやっぱり相性が悪いなあ」という雰囲気。この空間内にいることが、なんとも居心地さだまらない感じ。そりゃ、私が信者じゃないのに、ミサに出ているからかもしれないのですが。丹下健三ファンにはこの空間が「荘厳壮大」と感じられるのでしょうが、ファンじゃない私には、なんともいえぬ圧迫感。「ひれ伏しなさい、ありがたがりなさい」という強迫観念がおそってきてしまう。これは好みの問題でしょう。それに今回は丹下建築の鑑賞会ではなくて、あくまでも教会建築見物のお礼参りだし。
教会の外の建物では、信徒さんがクッキーとココアのおふるまい。お・も・て・な・し、してくださった。
おふるまいのクッキー、もうひとつ欲しかったなあという気分が残る私は、やはり俗人です。
「おふるまい」ボランティア信徒さんたちの「クリスマスおめでとう」ということば。むろん、「イエスが生まれた日にちは歴史的には解明されていない」などと言うのは野暮ですね。信じるものこそ幸いなれ。メシアはやはり冬至の太陽と共に生まれ、日に日に光の量をまして行ったのだろうなあと思います。
世界中の地域で、冬至の太陽を「弱まってきた光が新たな生命を得て再生し、復活する」ことを祝います。私も、共に祝います。クリスマスおめでとう。世界中のよいこにサンタさんがきますように。
<つづく>