春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「文型指導、酒が飲めます」

2013-12-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/17
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>文型指導・語彙指導(2)酒が飲めます

 日本語を学びたい留学生のための日本語教育の仕事をはじめて25年、日本語教師になりたい人のための日本語学及び日本語教育学を担当して13年。
 日本語教師になりたいと本気で思っている学生には、「留学生の日本語授業を見たことがない人、私の授業を見たいとき、来ていいですよ」と話しています。私が公開している授業は月木金なのですが、その曜日にはほかの必修授業などに出席しなければならないことも多く、なかなかうまくマッチングしないのですが、今期は、木曜日金曜日に授業を見てもらうことができました。

 長年日本語教育を続けてきました。学生の国籍や語学学習歴などを考慮して、クラスに合わせて毎回バージョンを変えて授業を工夫しても、うまくいく授業ばかりではなく、学生が見に来た授業でも多々失敗はありました。ですが、25年続けていてもこの程度の授業なのだ、ということを見てもらうのも、学生にとって学びのきっかけにはなるだろうと思っての公開です。

 10月31日に他大学学生たちの授業参観があったときは、大学行事としての公式の参観なので、いやだいやだと思いました。それは、引率の教授や他クラスを担当している専任教員やらが監視する中での授業だったから。「長年やってるってわりにはヘタな授業ですね」なんて思われるのがオチです。

 幸い、あとで送られてきた参観レポートによると、参観学生たちには参考になったようで、楽しい授業だったとの感想が書いてありました。あまりに褒めてあるので、引率教授が礼儀として「褒めて書きなさい」という指導をしたのかと疑ったくらいですが、他のクラスで参観授業担当した先生は「的外れの批判も書かれていた」とプンプンしていたので、礼儀として褒めたのではないこともわかりました。学校行事としての授業参観をさせられるなんて、いやだったけれど、学生たちの役にはたったのだと胸をなでおろしました。

 金曜日の授業を参観にきている学生は、男の子ふたりを子育て中のママさん学生。私も子供ふたりを育てながら、二度目の大学、大学院と学びを続けてきたので、彼女の意欲も苦労もよくわかります。と、言っても、子供たちを食わせるために奨学金で生活しようとして大学院へ進んだ私。一方の彼女は、港区のタワーマンションの25階に住んで、働かなくても夫の収入でくらしていけるのだそうです。しかし、自分の学資くらいは自分で出したいので、グラフィックデザインの仕事を、家でできる分だけは続けている、という恵まれ立場。

 でも、タワーマンション奥様族の多くは、子供を有名小学校に入学させるだけが生きる目的みたいになるのに対して、自分自身が大学で学ぼうとし、日本語教師になってみようかという意欲を持った彼女、すばらしいと思います。
 「社会人入学したときは、特別日本語教育に興味があったわけではなかったのだけれど、入学後、実際に日本語教育に携わってみたい気持ちが大きくなってきた」というママさん学生の心意気を買いたいと思っています。

 年内最後の日本語教授法の授業では、学生たちに模擬授業を課しました。目的は授業案執筆練習なのですが、せっかく授業案を書いたのだから、案の通りに授業をやってみて、授業案の通りにはいかないのだということも知ることも必要、と思っての課題です。模擬授業そのものは、うまくできなくてあたりまえ。

 日本語母語話者にとっては空気のように当たり前で、なんの不思議も感じずに話したり書いたりしてきた日本語が、日本語学習者にとっては難しくてわけのわからない言語であるのです。「ドアをあける」と「ドアがあく」のふたつも動詞を覚えるだけで負担感が増します。中国語はどちらも「開」の一語英語はどちらも「open」一語、ですむのですから。

 日本語母語話者にとって、どこがわからなくて、どこでつまずくのかわからない。何がわからないのか、というところから日本語を教えだします。学習者がどまどったりつまずいたり、することによって、何がわからないのかがわかってきます。
 
 模擬授業を担当した日本語教授法受講生、動詞の可能形を学習者に教えようとして、「読みます、読めます。読めますは、可能形です。はい、リピートしてください。私は英語が読めます、私は漢字が読めます」これだけで、学習者に「動詞の可能形」の意味が伝わったと思っています。

 教師は、出来の悪い学生役になって、「センセー、カノーケーって、何ですか。私の友達、カノークンです。カノケーとカノークンは同じですか。読みますと読めますは同じですか」と質問します。先生役の学生「あ~、可能は、出来るってことです」「デキルは何ですか。ナイフで切る。ナイフ、デキルですか。フォーク、デキル、スプーン、できる。いいですか」

 クラスの学生全員に英語が通じるのなら「can」と説明してしまったほうが、てっとり早いし、全員が中国人学生なら「能」を出して「私は中国語が読めます=我能看中文」と、翻訳方式で教えられる場合もあります。

 しかし、クラス設定は、世界中いろいろな国から来た留学生が集まっており、英語も中国語もわからない学生もいる、ということにしてあります。ロシア語が話せるポーランド人、ポルトガル語がわかるモザンビーク人、スペイン語を話すペルー人、フランス語ができるハイチ人、などが在籍するという設定で、英語で説明しても、中国語で説明してもダメな場合どうするのか、これを考えるのが、「直接法による指導」です。

 どのように指導したら、日本語がまったくわからない学生に、日本語だけで日本語の意味を理解させることができるのか、この工夫が「直接法ダイレクトメソッド」による教授法の醍醐味です。

 絵カードをつかったり、ビデオ動画をつかったり、さまざまなやり方があります。
 私のお得意は、TPR(トータルフィジカルレスポンス)を使うやり方。身体表現と語学学習を結びつけて、体の動きで練習したり教えたりします。過去の経験が今の仕事に生きている」と感じることのひとつが、役者をやって暮らしたことがある、ということです。人前で声を出すこと体を動かすことを訓練としてやったので、日本語学習者の前で一人芝居をすることが得意です。「~ができる」ということの意味も、いろいろな動作によって示すと面白いです。

 「私は酒を飲みます」と「私は酒が飲めます」このふたつの文のちがいを、日本語を知らない学生に理解させ、「可能」の文型を教えるにはどうするか、年末の忘年会で酒を飲みながら考えてみてください。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする