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ミンガラ春庭「サク君出家するその1オレ出家したいっす」

2015-10-06 00:00:01 | エッセイ、コラム

北オッカラパアウンサワディ寺院

20151006
ミンガラ春庭ミャンマーだより>2015ヤンゴン9月(5)サク君出家するその1バックパッカーサク君おれ、シュッケしたいっす

 サクは、大学卒業後、ふ~らりふらりと気の向くままバックパッカーをしてきた、モラトリアム青年です。23歳。就職活動して、きちっと社会人になって、定年までず~と働き続ける、という生活になる前に、世界中を見ておきたい、と思って、、、というより、あんまり物事を思わないで、旅にでました。マレーシア、タイ、カンボジア、ラオスなどを巡ってきて、インドへ向かう途中、「通り道だから」ミャンマーにふらりと立ち寄りました。

 ネット情報でヤンゴンについて調べて、最初の一泊はスーレーバゴダ近くのトーキョーゲストハウスへ。
 ヤンゴン大学というのがあると聞いて、なにか面白そうな情報が聞ける人がいるかも、と思ってとりあえず、バスに乗ってみることにした。バスの車掌に、ヤンゴンユニバーシティー、ヤンゴンユニバーシティと叫んでみると、いいからこれに乗れとジェスチャーされたので乗って、ここで降りろと言われて降りた。

 私は、木曜日の授業を終えて事務室でパソコンやプロジェクターなどの機材を片づけて、入り口に出ていきました。
 授業中ティーチングアシスタントをしてくれたカウンサー君(日本人留学生のビルマ名です)が誰かと話している。「シェエタゴンパゴダは、ぜったい行ったほうがいいですよ」なんてカウンサー君は教えている。私は、カウンサーの友達だと思って、あいさつしました。

 「Uサクです、サクって呼んでください」と、名乗った185cmの青年は、昨晩ヤンゴンについて、まっすぐ大学へ来たのだという。知り合いがいるから真っ先に大学めざしたのだろうと早合点し、まじめなビルマ語学習留学生カウンサーの知り合いなら悪い人ではなかろうと、思いました。でも、もう、事務所を閉めなければならない時間。
 「私、もう帰宅するんで、事務所閉めますけれど。これから知り合いと晩ご飯食べに行くの」と、「事務所であなたの相手をしている時間はないので、あしからず」の含みで言うと、「あ、おれもメシ食いに行きたい。いっしょに行っていいっすか。どこで食ったらいいか、わかんないんで」と、ついてきた。

 知り合いとの待ち合わせ場所、レーダンセンターのヤークンに向かう途中、話してみたら、カウンサーとはたまたま国文科入り口の前で会って、「あれ?日本人がいるんすか。おれも日本人っす」てな名乗りで立ち話をしていたところに私が通りかかっただけ、ということがわかりました。

 約束の時間まで30分あったので、セインゲーハースーパーで買い物をすることに。カセットコンロのガスボンベを買いました。彼にとっては、道ばたに出ている露店も、スーパーの店員がおつりを渡すときに、ミャンマー作法で右のひじに左手を添えてお金を差し出す作法も、めずらしい。 
 
 ビルマ文化人類学研究の日本人大学院生ミタさんと、6時半にヤークンカフェで会う。
 私は、ミタさんの友人のミャンマー人女子大生モモさんと話をするために、ヤークンカフェに来たのです。モモさんは、母語はビルマ語。英語も日常会話はできる。そのほか、ロシア語を外国語大学で専攻し、フランス語と韓国語と中国語を、ビルマ語を学んでいる留学生と交換レッスンしています。日本語はミタさんが教えています。ミタさんは大学でビルマ語専攻、2年前にヤンゴン外国語大学に留学し、大学院ではビルマ地域の文化人類学を研究するという女性です。

 渋滞のため、30分ほど遅れてきたモモさんを見て、サク君は「モモちゃんといっしょにご飯食べられるなら、どこにでも」という気持ちになり、私がモモさんをYKKO麺店にさそうと、ついてきました。
 麺料理を食べながら、サク君は、タイでは古式マッサージの店でマッサージを習ってきた、ミャンマーでは瞑想をしたい、と語ります。ミタさんもミャンマーのお寺で瞑想をしたことがあるとのこと。

 今は雨安居の時期なので、観光客の瞑想体験を受け入れてくれるお寺は少ないかも知れないけれど、モモさんのお母さんの知り合いのお寺に行けば、大丈夫かも知れない、と、ミタさんは言います。ミタさんは、ももさんのお母さんに電話してくれました。
 お母さんは、今週誕生日を迎えるので、お寺に寄進に出かける準備をしています。お母さんの遠縁の女性の息子が出家するので、親戚が集まるのだそうです。

 ミャンマーの男性は、一生のうち何度かは出家修行を行います。学校の休みの間に出家し、還俗して学校に戻る、一人前になってからも、出家する。退職してからは、毎年のように出家する人もいて、短期間の出家は、仏教徒にとって必須の通過儀礼です。

 出家ときいて、サク君は「あ、おれも、瞑想より出家がいいです」と、軽いノリで希望。ミタさんがまたモモママに電話して、あれこれ相談します。ビルマ語の相談内容は、私とサクにはわかりませんでしたが、ミタさんは会ったばかりのサク君について、なんとか説明をしました。

 最初、モモママはサクがまったくビルマ語を話せない人であることを懸念し、渋っていたのだそうです。そりゃ、そうだよね。メイソーでもシュッケでもどっちでも面白そうなことやりたい、というサク君なのですから。

 でも、ミタさんのサク君紹介のある一言が、決定的にモモママの心をうごかしました。サク君は、京都出身。京都の仏教大学の卒業生だったのです。
 といっても、仏教学科ではなくて教育学科出身。小学校教員免許は取得したけれど、学部生のころに必修だった仏教学の授業は、「完璧、睡眠不足解消タイム。最初から最後まで寝てました」という。そうだろうね。なにせ、「出家修行は1週間くらい行い、修行後、還俗して実社会に戻る」と説明すると「ゲンゾクってなんすか」というくらい、仏教について何も知らない青年でしたから。

 ミャンマー上座仏教のお坊さん達は、人々から篤い尊敬を受けています。その中でも仏教大学を出て、地位の高いお坊さんになる人はたいへんなエリートです。仏教大学出身ときけば、一般の人とは異なる優れた人、というイメージなのです。

 ミャンマーが日本の大乗仏教とは異なる、上座仏教という宗派なのだ、ということなどをレクチャーしながら麺を食べました。

 サク君、上智や青学立教出身だったら受け入れてもらえそうになかった出家修行に、仏教大学出身のひとことが効いて、土曜日には出家できることになりました。
 あまり現実的ではなく「出家してみてぇ~」というノリだったことが現実となり、「え~、どこのだれともわからない、オレでも出家できるんですね!」と、本人もびっくり。

 モモママの親戚の女性が、息子を出家修行に出すため、僧衣などを寺院に寄進する。息子の僧衣のほか、主立ったお坊さんたちにも僧衣を贈る。ついでに、サク君のぶんの僧衣も寄進するから、息子といっしょに出家したらいいよ、と、承諾してくれたのだそうです。
 この女性が出家儀式の第1スポンサーで、誕生日の寄進をしたいモモママが第2スポンサーです。

 だれかを出家させるスポンサーになることは、お寺への寄進のなかでもたいへん重要な寄進にあたります。女性は自分が出家できないかわりに、息子なり親戚の男の子なりの出家スポンサーになって功徳を積むのです。

 金曜日、サク君はタイからミャンマーに入る飛行機の中で知り合ったというシホさんという栄養学専攻の学生を連れて、私の授業見学にやってきました。シホさんの大学は、東京の我が家の近くであることもわかりました。授業のティーチングアシスタント補助員もやってもらいました。

 インセインロードにある地元の食堂で晩ご飯。いよいよ、明日は出家です。シホさんはゴールデンロックを見にいくので、お寺には行けない、ということでした。
 親戚にお寺なんかない私にとっても、出家の儀式なんぞ見るのは初めてのことですから、サク君同様、ミーハー気分でわくわくしています。

 出会ったばかりのサク君ですが、自由な旅をする青年は、何はともあれ大好きです。私も、35年前にバックパッカーとして、アフリカをぶらついた。アジアをぶらついている、サク君のキャラがとても気に入って、応援する気持ちになりました。

 お寺で。ももさん、HAL、美人のモモママ。


<つづく>
コメント (6)
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