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ぽかぽか春庭「2003年のネットご縁&1994HALエキストラお知らせ」

2015-10-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
H20151021
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(9)2003年のネットご縁

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/25 土 曇り 1030
アンドロメダM31接続詞>ネットのご縁も多生の縁

 息子、文化祭の練習。娘は予備校のバイト。私一日中ネット。まめに足跡つけて回ると訪問者がふえるというOCNカフェの仕組みがわかったので、せっせと足跡つけをしている。書くこと自体が快感であることは、当初より納得済みだが、読まれることがそれ以上にカイカ~ンであることがわかった。
 こういうコミュニケーションを「まやかし「にせもの」と呼ぶのなら、たぶん我々は、「バーチャルコミュニケーション」の時代に生きているのだ、としか言いようがない。

 ある方への足跡から、「~さんを訪問してください」という依頼をうけた。自殺志願者の頁だった。足跡をクリックし、ただ、「あなたがここに存在していることを私は知っています」というおしるしをつけた。2年前の日記から「死にます」と書いている。
 日記の内容は、世の「偏差値秀才」への呪詛に満ちたものや、自虐。私が書いている自虐ネタと、あまり代わりはないような気がする。

 ただ、私は「111歳まで長生きするぞ」と、書いているので、死にそうには見えないが、ネクラヒッキーであることは、同じだ。
 私のように、文体だけは勇ましく、元気りんりん満ちあふれているように見えるのと、死にます死ねば死ぬるとき、と、死にたい病にかかっていることを書き続けるのと、たいして違いはないのだけれど、死にたいと言い続けるのと、本当に死んでしまうのでは大違いだから、ときどき訪問して、「あなたが生きていてうれしい」という気持ちは伝えたい。ネットのご縁も他生の縁。

本日のそねみ:私だってつらいんだけどね、とりあえず生きている


2003/10/26 日 晴れ 1031
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ナイチンゲールでなく』

 娘は朝から予備校のバイト、今日はゆりちゃんといっしょに試験監督。
 1時45分に阿子さんと待ち合わせ。ミイさんともうひとり、弱視のかたといっしょ。劇団昴の『ナイチンゲールでなく』を見た。
 テネシー・ウィリアムズが『ガラスの動物園』で一人前の劇作家として認められる前の若書き27歳の作品だという。1938年アメリカペンシルベニア州の刑務所で起きた実話をもとに書かれた、刑務所囚人とナチのユダヤ人収容所長を思わせる刑務所長の戦いの話。ひどい扱いに抗議してハンガーストライキを起こした囚人達の話が新聞種となり、ウィリアムズはその話を、さまざまな個性と、刑期を持つ囚人達と所長、看守たちの群像劇に仕上げた。この作品は60年間もウィリアムズのタイプ打ち原稿のまま放置され、バネッサ・レッドグレーブが発掘して上演したのだという。
 
 ときはアメリカ恐慌時代。やっと職を得て、失業の恐怖におびえつつタイプを打つ所長秘書エバ。息子の安否を知るために刑務所に面会に来た母親ブリストル夫人だけが女性出演者。

 舞台は、刑務所所長室と監房シーン。さまざまな過去を持つ男達の様々な人間模様が交錯する。所長に逆らった囚人は、「矯正指導」のために、極寒のアラスカの地名クロンダイクと名付けられた「熱風拷問部屋」送りにされる。皆衰弱して死ぬか、極度の苦しみのために精神に異常をきたす。どちらも適度な病名を付けられて病死とされる。ただ二人、屈強のブッチはクロンダイクから戻ることが出来、所長のお気に入り使いカナリアジムは、クロンダイクとも無縁で所長の使い走りをつとめる。

 藤木孝の所長ウェーレン役が秀逸。とことん冷酷で自分の欲望はどこまでも追求する悪魔的な人間像。自分の娘には甘く、囚人達のことは人間扱いしていない。そんないやなヤツなのに、エバに対して魅力を感じさせるというのを、演技で示していた。ラストシーンで囚人達は立ち上がり、所長を葬り去る。ジムは刑務所からの脱走を決意する。

 ラストシーンも感動的なのだが、今回の芝居でいちばん涙が出たシーンはカーテンコールだった。役者達のアンサンブルのすばらしさ。ひとりひとりの人間造形の技術。役者の演技に心から感動した。よい建物を見て、建て家のすばらしさはもちろんのこと、大工の腕のよさに感嘆する、というのと同じだが、今まで役者個人の演技力に涙したことはあっても、(夕鶴の山本安英とか、宇野重吉とか杉村春子とか)劇団のアンサンブルのすばらしさ、群像の演技のすばらしさに涙したというのは初めてだった。もちろん所長役の藤木、ブッチ役の金子由之の演技は抜群だが、端役の囚人ひとりひとりまで含めた全体がほんとうによかった。『怒りの葡萄』のときもアンサンブルのよさはあったのだろうが、葡萄のときは、「演技のすごさ」「演技の職人芸」を感じるよりストーリーにつながれて見た。

 お芝居のあと、アフタートークがあったので、最後にこの演技力とアンサンブルについての感想を述べた。藤木孝の魅力的な演技については、エバ役の服部幸子から「もとの脚本では、所長にベッドへ誘われるエバが、所長を恐ろしがることばの奥に、彼の存在に惹かれてしまうという女心の矛盾を述べるセリフがあったが、上演台本ではカットになった、と話していたが、それはカットしてもよかったと思う。あからさまに所長の性的な魅力に惹かれると言うよりも、藤木の役作りがおのずと「悪魔の魅力」を出していたからだ。ものすごくいやなヤツなのに、観客はだれも藤木を否定しきれない、そういう人間像をきっちりと演じていた。ほんとに魅力的な役者たちだった。
 私が褒めちぎったところでちょうど質問タイムがおわったので、私からのオマージュがシメになってトークショウが終わり。
 
本日の役者かがみ:金がとれる演技と、素人が楽しんで演じるとの、違いがわかる女だから、昔たとえ短期であれ、役者やって金を得ていたことに冷や汗


2003/10/27 月 曇り 1032
ジャパニーズアンドロメダシアター>『北京バイオリン』

 漢字作文2コマ。

 午後、『おばあちゃんの家』『北京バイオリン』を見た。
『おばあちゃんの家』は、韓国山奥の素人のおばあちゃんを発掘して、他の村人役も現地ロケの土地の人々、という女性監督作品。もう、このおばあちゃんが絶品。杖をついて歩いている姿を拝んでいるだけで、人間のすばらしさ、愛情の豊かさを感じられる。
 ちょうどいいので、これも「おいおい」のマクラに利用。最近映画をみても、本を読んでも、「おいおい」のマクラにつかえるか、オチにつかえるか、という様なことばかり考えていてイカンネ。

『北京バイオリン』は、まあ、予告編で想像した以上のことは一切でてこない、オーソドックスな父と息子の愛情物語。こちらも父親役の劉ベイチーの、いかにも中国の田舎者みたいな風貌がピカイチ。主役の天才ヴァイオリン少年は、実際に北京音楽学院でヴァイオリンを専攻しているタン・ユン。指使い、弓づかいが実にしっかりしているので、これは相当弾ける子だな、と思ったが、実際の音を入れているのは、コンサートシーンでユイ教授の愛弟子にして今や売れっ子演奏家となったタン・ロンを演じる李伝韻。ユイ教授役は陳凱歌監督自身が演じ、少年チュンが思いを寄せるリリ役は監督夫人の陳紅。

 とにかく、これでもか、という具合に「ウケ」要素が盛りだくさん。チュンの出身地の水郷の街の美しい情景。北京のきらびやかな商業街と裏町の対比。才能ある少年が成功者となることを夢見る父。父の期待に応えたいと思いつつも、少年期のゆれる思いに悩むチュン。少年から思いを寄せられることで、お金以上の愛情の存在を思い出すリリ。
 クラッシック界の熾烈な競争と、実力だけでは才能を伸ばせない社会の仕組み。もう、中国社会の矛盾や12億総突撃の「モノが欲しい社会」てんこ盛りの中で、一番すごいのはクラッシックの力。陳凱歌は、西欧社会でうける要素をみんな盛り込む商売上手。

 ラストシーンは、北京駅で。コンクール出場のチャンスよりも「男手ひとつで自分を育ててくれた父親を抱きしめること」を選んだチュンと、駅で拾った赤ん坊を育て、ただひたすら息子の成功のために必死で働き続けた父親の邂逅。感動のラストシーンだったのだが、『おばあちゃんの家』のおばあちゃんがあまりにすばらしくて、先に泣いちゃったので、こちらでは、心の中で拍手のみ。チュンの才能なら、今度のコンクール出場権を逃しても、必ず成功するだろうという予測がつくので、コンクールには出られなかったけれど、悲しい終わり方ではないし。
 
本日のゆみ:タン・ロンの弓使いはなかなかセクシーでした 

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20151021
 NHKBSで放映中の再放送ドラマ『大地の子』。中国残留孤児の半生を描いた、山崎豊子原作のヒットドラマです。何度か再放送されているのですが、11回シリーズであることが大事。
 
 旧満州墓参団のシーン、1995年の最初に放映された7回シリーズ編集の時は、カットされていて、春庭エキストラ出演部分はテレビに映りませんでした。再放送の11回拡大版シリーズのときは、仲代達矢渡辺文雄が満州ロケに参加した「旧満州墓参団」のシーンがあります。
 ロケは、1994年に行われました。1994年に中国単身赴任で働いていた私、仲代達矢を見たいから、エキストラに出ました。墓参団シーンに、今から21年前の私がちらっと映る。
 満州で果てた開拓団避難民の野辺に残る墓。家族を失った仲代達矢の祈る姿。仲代の悲痛な演技のうしろで、1分くらい春庭がうつっています。緑色の服を着て、満州荒野に果てた亡き人をしのぶシーンなのに、カメラ目線です。
 
 今回は、11回シリーズなので、たぶん墓参シーンもカットされていないと思います。
 文化大革命を扱っていることなどから、中国では上映されていないドラマですが、若い上川隆也の熱演、仲代達矢の重厚な演技、そしてカメラ目線が笑える春庭の1分間の姿。1994年夏は、今より何割かは体重も少なかったので、人様に見られても「今よりまし」と思えます。
 
コメント (2)
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