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ミンガラ春庭「サク君出家するその2ヤンゴンの出家儀礼」

2015-10-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151007
2ミンガラ春庭ミャンマーだより>2015ヤンゴン日記9月(2)サク君出家するその2出家儀式

 朝、2時に目が覚めた。もう一度寝ようか考えたが、5時に家を出た方がいいと思い、起きてしまうことに。

 5時すぎ、Uサクからモーニングコールが入る。ちゃんと起きたとみえる。5時半にはタクシーをつかまえなければならないが、まだ暗い中、MICTパークの前にタクシーはなし。インセインロードに出るために、MICTパークの中をつっきる。メインゲートは開いていたが、インセインロード側の門は閉まっていた。がっしりと鍵がかけてある。さて、どうしようとウロウロする。塀を乗り越えようか、とか。警備員室の電気がついているので、イクスキューズミィと声をかけてみるが、応答なし。巡回している警備員が見えたので、開けてほしいと頼んだ。車通過のための大門は鍵がかかっていたが、大門の脇の小さい通用口は鍵がかかっていなくて、押せば開くのだった。な~んだ。でも、出られて良かった。

 インセインロードでタクシーを拾う。この時間ではさすがに渋滞はなくて、すいすいとすすみ、約束のダウンタウンの5つ星ホテルパークロイヤルに20分で着いてしまった。ロビーで待つことに。ミタさんに電話をすると、私がついてくることを予定していなかったらしく、車の手配が変わるので、少し待って、と言われた。なんか、余分な手間暇をかけてしまったみたいで、申し訳なかったけれど、Uサクが出家する儀式を見たかったので。

 Uサクは眠そうではあったが、きちんと約束の6時にホテルに来ました。ふたりでロビーのいすで待っていたら、フロントの女性が「あなたが待つという友人は、当ホテルに宿泊中か」と問う。Uサクは「泊まり客ではないが、もうすぐ来るから、待たせてくれ」と、堂々ひらきなおりました。バックパッカー、いろいろ場数を踏んでいるとみえ、おうように自己主張する。
 ミタさんとモモさんが来るまで15分ほど待ち、タクシー2台に分乗して寺へ向かいました。

 寺は北オッカラッパ地区にある。寺の名を教えてもらったのだけれど、ミャンマー名前が覚えられない。還俗後のUサクに確認したら、北オッカラッパアウンサワディ寺院。
 ヤンゴンの地図を見せて、モモママに、北オッカラパ地区のどのへんにあるお寺なのか尋ねたのだけれど、当地の人には地図リテラシーがないので、地図のどこかはわかりませんでした。日本の地理教育では、地図の見方を徹底指導するけれど、国それぞれに何を教えていくかは異なります。当地では地図を見る教育よりお坊さんの説教を聞くほうが大事。

 市内のいたるところ、隣近所用のお寺があります。人々は朝晩お寺にお参りする。


 北オッカラパアウンサワディ寺院の門から中に入るUサク君。一番うしろで背中にリュックサック背負っている。右端の赤いロンジー姿がmomoさん。momoさんは、普段はミニスカートだったりワンピースだったり、当地の若い女性の中では最新流行の服を愛用していますが、さすがに寺参りのときはロンジー姿でした。



 寺は、観光用のものではなく、お坊さん達の修行用の寺なので、簡素というより、宿坊などはぼろい。


 1階はお坊さんがいっしょにお経をとなえたり、パーリ語の勉強をするスペース。
 2階も同じようなもの。
 3階が信徒の集まるスペースで、儀式は3階で。

 3階で、主催のお坊さんに神妙に挨拶するサク君



 2階では、僧侶達がお経を唱えて修行中


 最初、Uサクは髪を洗われ、剃髪の儀式。



 お坊さんがおごそかにカミソリでそり上げる。参列者は白い布を掲げて、髪を受け止める。出家はできない女性達も、こうして儀式に参加することで、出家者の功徳を受けることになり、来世のステージが上がる。

 Uサクの次ぎに、こちらが本来、今回の出家者であった男性が頭をそる。この男性の母親が、今回の出家のお布施を出す第1のダーナー(旦那)。第2ダーナーがモモママなのだそう。ダーナーの婦人とモモママは遠い親戚。モモママが誕生日のお布施をしたいと思ったとき、「うちの息子が出家するからいっしょに寄進しましょう」ということになって、双方の親戚が一同3階に集まった。日本の法事のように、親戚一同が集まるので、女性達にとって一種の親戚懇談会であり、会ったことのなかった遠縁の人と出会うチャンス。

 ダーナーとは、「寄進する人、お布施する人」という意味のサンスクリット語です。英語に渡るとドナーとなり、移植臓器の提供者(寄進者)などがドナーと呼ばれる。漢語訳されると旦那。お布施をする人の意。旦那寺とは、自分が寄進をすると決めている寺のこと。日本では、自分に給料を渡してくれる人、生活費をくれる人が「旦那さん」となりました。

 剃髪後、3階で、まずお坊さんの唱えるパーリ語のお経をUサクともうひとりの出家者が復唱する。Uサクは、日本で英語学校などに行ったことはないけれど、5ヶ月間バックパッカー旅行をして旅仲間と英語で話し合ううちに、英語が話せるようになった、と言っていました。それは、耳がいい証拠。私には聞き取れないパーリ語を、けっこう正確に復唱していた。むろん、パーリ語がわかっている人には、発音など違う点があるのだろうけれど。
 聞いている一同には、パーリ語のお経の意味はわからない。日本のお坊さんが唱える漢訳経典が、一般の人にはわからないのといっしょ。

見習い僧侶姿のサク君


 お経復唱が1時間も続いて、僧侶見習いとなる。次ぎにダーナーが寄進した新僧侶のための僧衣に着替える。Uサクはパンツも脱げ、には従ったが、手足についているたくさんのミサンガや腕輪をすべて取れといわれて、ちょっと悲しげ。旅の間に親しくなった人と交換した思い出の品々だという。でも、きっぱりカッターでミサンガなどを切りはずす。

 ダーナーが寄進した僧衣に着替えるサク君。


 僧衣に着替えると、坊主頭によく似合い、いっぱしのお坊様に見えます。いよいよ得度式。ヤンゴン仏教大学のNo.2という偉いお坊さんがやってくる。これも、寄進額によってNo.1だったり、No.5だったりするのだろう。今回は、かなり奮発した寄進なのだと知れる。



 No.2坊さんは、30分以上パーリ語のお経を唱える。ミャンマー語を話す一般の人々にはわからないことばだから、退屈した人は、お菓子を食べたり親戚同士で近況報告をしたり。
 日本の法事と同じで、親戚の誰かが出家儀式を行うときに寺に集合する、親戚縁者の大切な行事なのです。なかには、momoさんが初めて出会う親戚とかもいて、ダーナー婦人はなかなかの有力者らしい。

 次にミャンマー語での説法となる。参列者は、そのことばに返答したり、復唱したりする。パーリ語にしろミャンマー語にしろ、私にはわからないから、退屈する。はやく説法がおわらないかなあと、眠くなる。朝2時起きは、やっぱり早すぎました。

 説法がおわると、修行中の僧侶達が入ってきて、お経の学習。これも、30分くらい続きました。Uサクは、僧侶の読経の間、まじめな顔で聞いていました。今朝のパークホテルまでは、気軽なバックパッカーだったのに、頭を丸めて僧衣を着ると、ほんと、馬子にも衣装、立派なお坊様です。



 最後にまたパーリ語のお経。最後のお経のとき、3組の銀椀とお水の入った小さい水差しが参列者のもとに運ばれました。一番の年長者であるモモじいちゃんと、ダーナー婦人の前に運ばれ、ダーナーの指示で私の前にも置かれました。遠来の客である私をもてなす意味もあるのでしょう。お経の間に、ほんのわずかずつ、水差しを傾けて、椀に水を受けるよう、ミタさんから説明がありました。
 これは、おそらく「法雨」の意味だろうと推察する。椀から水があふれるまで少しずつ注ぎました。これで、ぐんと来世への功徳がついたはず。

銀色の水差しから銀椀に少しずつ水を注ぐ儀礼。


 最後に、僧が一列になり、参会者も一列になって、お坊さんひとりに男の人がビニール袋を掲げてついて歩く。女性達は、ひとりひとりの袋に、自分の袋の中の供物を入れていく。私は石けんの入った袋を渡され、一個一個渡していきました。
 Uサクも今は立派な僧侶だから、列の一員に。

 この托鉢儀式ですべてが終わり、記念撮影の時間になった。新僧侶は、いろんな親戚達とそれぞれ記念撮影をする。Uサクは、「お坊さんになってどんな気持ち?」と、聞かれて、「いやあ、特別な気持ちです」と、答えていました。
 1週間の僧侶修業のあいだ、女性にふれてはならず、午後の飲食も禁止。ふとんに寝てもいけないので、ゴザを敷いて寝る。

 サク君寝起きのスペース


 ナオライの昼食。これもダーナーの寄進による。丸テーブルを囲んで7~8人ずつ座る。客用が10テーブル以上、僧侶用も同じくらいあった。お寺は○○地域に本寺があるので、供される料理も○○地方の料理だ、と聞かされたが、私にはその○○地域がどこなのか、わからない。そんなに辛くはなく、おいしかったが、殺生は固く禁じられている寺なので、蝿も多い。蝿付きのスイカを勧められたが、感謝しつつ謝絶。





 3月に買ったロンジー生地1着分を、モモママにプレゼントしました。ダーナー婦人には、日本から持ってきた「招き猫掛け軸」をプレゼント。いちおう、サクの親代わりの気分で、ダーナー婦人の寄進に対する謝礼の気持ちです。婦人は「今日出会ったのも、前世からの仏縁です」と言う。

 Uサクが1週間寝泊まりする宿坊は、他の僧侶たちの寝ている坊の2階。ゴザがしかれており、枕などが用意されていました。モモさんが、枕カバーなどをつけている。
 Uサクは「全部世話になっちゃって、ありがとう」とお礼を言いました。しかし、ミタさんから「もう、お坊さんになったのだから、人間じゃない。人間より上の存在。だから、人がなにかやってあげることに対してお礼を言ったりしないこと。人は、僧侶に奉仕することが自分の喜びであって、坊さんがお礼をいうのではなく、人がお坊さんにありがたく思っているのだ」と説明。

ありがたい存在となったサク君。寺院の中に入っていきます。サク君の荷物は、男の人が持ってあげています。お坊様は、基本お経を読んだり托鉢に出る以外の労働はいっさいしない。


 モモさんは、Uサクへの崇敬の気持ちの表れとして、私が持っていた「指さしミャンマー語」のコピーを作って差し上げる。こちらでは、一冊の本を丸ごとコピーし、30分ほどでパクリ本ができあがる。これからまったくミャンマー語ができないUサクが僧侶の間でくらすために、実に行き届いた奉仕だ。ミャンマー文字わからなくても、とりあえず、必要なところを指させばよい。

 寄進者のダナー婦人は、僧侶となった自分の息子とUサクに対して、地面に額をつける拝跪礼を行う。Uサクは「わぁ、オレ土下座されちゃってるよ、どうしよう」と、人間以上の存在になっている自分の存在にとまどっています。

 Uサクは、「腹痛くなった」と言う。午前中一杯緊張していたこともあるだろう。私の腹も少し悪くなったので、もしかしたら、夕べの生野菜が悪かったか。午後は、別のお寺にお参りすることになりました。おなかが痛くなったUサクは寝ていることに。

 モモ&ミタがコピーを受け取りに言っている間、私は腹具合が悪いので、トイレの近くで待っていることにする、と、残りました。
 トイレに入ったら、カメラケースが締めて無かったので、トイレの中にカメラを落とした。水濡れ。

 前のカメラはカバンの中に入れておいて、ペットボトルの水がかかって壊れた。直すには買うより高くつくと言われて、なおすのをあきらめたのだが。HALなので、またしてもカメラ水没となってしまいました。

 寺参りの帰りに、下町のカメラ屋に修理にだしましたが、1週間後に取りにいくと、「修理不能」と、言われました。お寺参りをして功徳がついたはずなのに、トイレにカメラ落とすなんて、なんのくどくじゃあ~!!

 たぶん、功徳じゃなくて、ウンがついた。

<つづく>

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20151007」
くちかずこさんのコメントに答えて
 ユダヤ教とキリスト教徒イスラム教は、同じ一神教の神を信じています。キリスト教のいう父と子の「子」はイエスですが、「父」は、ユダヤ教の神と同一のはず。イスラム教のアッラー神も同じ。
 でも、この三つの宗教はことあるごとに争いを繰り返してきました。現在も、争いが続いています。

 仏教も、古代インドの原始仏教から上座部仏教と大衆部仏教に分かれました。大衆部仏教は、中国を経て日本に伝わった大乗仏教となりました。インドからビルマやタイに伝わった上座部仏教の流れを汲むのが現在の上座部仏教(小乗仏教という呼び方は、大衆部仏教を大、上座部を小とした古代中国での呼び方)

 元は同じところから出ていても、エホバ・ヤハベ・アッラーは争いを繰り返したのに対し、日本の仏教が他の国の宗派と大きな争いをしなかったのは、海で隔てられていた恩恵のひとつ。(国内では、天台宗最澄と法相宗徳一との法論争などはありましたし、一向一揆なども宗教戦争のひとつとも言えますが)

 争いはなかったですが、タイやミャンマーの仏教と日本の仏教は、キリスト教とイスラム教くらい違いがあります。

 お坊さんへの考え方も本当に異なっています。
1週間だけの出家でも、その間、サクくんは、ほんとうに人間以上の存在だったのです。
還俗した今は、元の気楽な若者ですけれど。

 たぶん、寂聴さんの出家とはいろいろ異なっていることと思います。天台宗、出家前後に厳しい修行が必要だったと、寂聴さんのエッセイで知りました。

 上座部仏教について、ミャンマーに行く前は、理念的なことしか知らず、人々の考え方の違いなど、細かいことは知りませんでした。
 たとえば、「ビルマの竪琴」のなかで、水島一等兵は僧としてビルマに残り、死んだ兵士の遺骨供養を続ける決意をします。
しかし、上座部仏教では遺骨を集めるなんて、とんでもないこと。仏教の教えに反する行為なのです。

 僧侶は物質に拘泥してはなりません。遺骨はモノです。物体です。ですから、僧侶が遺骨というモノにこだわることは、上座部の仏教ではありえません。音楽を奏でることが破戒行為であることは私も知っていましたが、遺骨収集が上座部で得度した水島が決してやってはならないことだ、ということ、ミャンマーにくるまで、気づきませんでした。日本では遺体遺骨を供養することは当然のことと思っていたからです。

 ヤンゴン市内には火葬場があり、ご遺体は火葬されます。葬式は次の輪廻転生がよいステージになるようにと願うための儀式であり、魂を次の世に送り出した後、この世に魂はありません。だから、墓もありません。仏教徒の家には仏壇がありますが、お釈迦さまの仏像があるだけで、家族は釈迦に祈りをささげるけれど、先祖供養などしません。先祖はどこかで何かに生まれ変わっているので、仏壇の中や墓のなかにはいないのです。火葬後の遺骨は、田んぼにうめようと散骨しようがエーヤディ川に流そうと、処理はそれぞれ。

 ただし、北オッカラパには、ビルマで亡くなった日本人のための墓地があります。きちんと管理されているそうです。私はまだ墓参していませんが、機会があったら、行ってご供養したいと思います。

 上座部仏教と大乗仏教、特に鎌倉期に生まれた新仏教(真宗、日蓮宗など)は、おそらくキリスト教とイスラム教以上の差があると思います。
 日本の仏教は、日本に伝わった当初から、古神道の先祖供養と習合しています。お盆の先祖供養なども、本来の仏教の教えにはないことです。

 でも、ビルマの仏教徒は、「私はzenブッディストだ」と言うと、同じ仏教徒として扱ってくれます。いがみ合っているキリスト教とイスラム教よりは、ずっと平和です。
 もっとも、私が言う「禅仏教徒」という意味は、初詣とお盆の墓参りと、年に2回お寺へ行けば十分なので、ミャンマーの上座部仏教とのように朝晩お寺参りする必要はないのだ、と、言い訳するためです。
 私のビルマ仏教理解は、まだまだ不足なので、これから学んでいきたいと思っています。
コメント (6)
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