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ぽかぽか春庭「2003年のわらびのこう」

2015-10-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151020
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(6)2003年の海わらびのこう

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/23 木 曇りのち雨 1028
ジャパニーズアンドロメダシアター>『わらびのこう』

 午後、姑と新宿駅で待ち合わせ。東映パレスで『わらびのこう』を見た。村田喜代子原作。恩地日出夫監督、市原悦子主演。李麗仙、左右田一平、中原ひとみ。
 ストーリーは「姨捨山」の話。嫁が姑を誘うにはふさわしい映画とは思わないが、全編姑の出身県でのロケなので、姑にとって、なつかしい風景がでるかと思っていっしょに行くことにした。

 ラストのクレジットに、ロケ協力者として「おやこ劇場からっ歩クラブ」などの名が続く。その中に、映画の券をおくってきてくれた真須子さんの名が。真須子さんは、監督夫人と知り合いで、映画製作協力者となったのだという。

 山の中の村。還暦を迎えた年寄りは、「わらびの」の地へ「姨捨」になって、死を待つ。市原悦子は、庄屋の隠居。長男の後妻が年若くまだ半人前なのを心配しながらわらびのへ。年寄り8人の共同生活。夏の間はよかったが、秋冬になると食べ物もなくなり、吹雪のころには全員が死ぬ。最後のシーンでは死んだ年寄り達が「体が軽くなった」と喜び合いながら雪の中で楽しそうに雪合戦をする。

 市原悦子の「れん」は、庄屋の家の「守り神」として孫子を見守りに家に戻る。深沢七郎の「楢山節考」とは、描き方が異なるが、どちらも「いのちの輪廻」のつとめを果たし、子孫のための口減らしを孫子のための「愛情」と考える年寄りの姿に涙。しかるに、私には絶対にできない。親を山へやるのも、自分が子供のために山へいくのも。
 私が、蕨野へ行ったなら、李麗仙が演じたお婆みたいに、みんなで共同生活しているのに、自分ひとり用の木の実をこっそり隠して貯めておく、強欲婆になるにちがいない。

 「おい、老い、老いの小文」エッセイ、「姨捨考」を書いた。「ふ」の項は、藤原新也にしたのだが、映画を見たので、深沢七郎も増やした。なぜ、深沢七郎ではなく、藤原新也を「ふ」の項に選んだかというと、藤原の本は文庫が残っているけれど、深沢の本は文庫も買えない時代に読んだから、図書館で借りた。本が残っていないので、読み直すのがめんどうだと思って藤原にしたのだが。こういうこともあるから、やっぱり本は図書館だと役に立たないなあ。一度読んだらもう二度と読み返さないような本ならいいけれど、いい本は手許にのこしておくべきだね。
 そうは言っても、古本の文庫さえ買えなかったんだから仕方がない。

 姑は明日、飛行機で北海道旅行。今月は3回も旅行へ。蕨野旅行へ出発は、まだ30年も先みたい。

本日のつらみ:私の方が先にいきそうな、蕨野楢山


2003/10/24 金 曇り、夕方雨 1029
ニッポニア教師日誌>レストランごっこ

 ビデオ、文化中級3コマ。

 ビデオの時間、レストランごっこ、デパートごっこ、郵便局ごっこは、いつものように、学生に好評。
 SFJビデオ、2課3課のレストランシーンと郵便局シーンを視聴する。
 12名を3つのチームに分ける。最初は口慣らしで、ひとつ、ふたつの数え方の復習。キンニ君、まだ数が言えない。次に人数を言う練習。三人以上は「~人」をつけるだけで簡単だが、キンニ君、ひとり、ふたりをまだ覚えていない。

 それから「かたかなの読みレビューをします。レストランでメニューを見ても、学生が行く程度のレストランのメニューはカタカナが多いからね。カタカナ読めないと注文できないよ」と、コーヒー、ピザなどの読み練習。カタカナを読んで、そのあとに「ください」「おねがいします」を言うように指示。「サンドイッチおねがいします」「スパゲッティナポリタンください」など、読めないし、口がまわらない。

 「英語の方を読んじゃだめですよ、学生が行くレストランは英語メニューないですよ」と、注意しても、カタカナが読めないと英語の「fried chicken & potato」を読んで英語風発音に。「ポテイトゥじゃないよ。日本語ではポテトだからね」「コーヒーひとつ」「コーラふたつ」など、注文と数を言う練習。

 テーブルに持っていった布を広げ、レストラン風に。お客役はドアから入っる。ウェイター役にエプロンをつけさせ、「いらっしゃいませ、なんめいさまですか」お客さん達、まごまごしながら「3にんです」ギャラリーが「さんめい!」と、口をはさむので「ウェイターはなんめいときくけれど、お客は3名と言っても、3人と言ってもいい」と解説。
 ウェイター「ご注文は?」と注文を取る。教科書からコピーしたコーヒーやピザの絵カードを使って、「おまちどうさま」最後にお会計をして、「ごいっしょですか」「いいえ、べつべつです」紙のお金で支払いとおつり受け渡しの練習。

 これだけの「ごっこ」だが、毎年好評だ。2チームにレストランシーンをやらせて、「はい、じゃ、またビデオをみましょう」というと、「えぇっ、私たちもやってみたかったのに」と、残念そうな声。「つぎはデパートへ行きましょう」新日本後の基礎3課の会話ビデオ。ラオさんがデパートで鞄売り場を聞き、かばんを買うまで。3つ目のチームは、学生から鞄を集めてテーブルにのせ、鞄売り場を作ってから、会話練習。みな楽しそうに買い物。まだ形容詞文は習っていないのに「高いですねぇ」などの言い回しはよく知っている。サバイバル日本語。

 郵便局ごっこでは、私が局員になり、切手とハガキをまず「日本事情」として、「これが日本の国内に出すはがきです。こちらは往復はがき」と、紹介。切手もさまざまな記念切手などを紹介し、国内は通常80円、アジアなどへは90円切手が必要であることを説明。つぎに郵便局で切手を買う練習。

 数年前まで、郵便局での会話練習は生活に直結していたが、今や学生が国に連絡する場合、ほとんどがメール。今期の留学生で、家庭内にパソコンがない人は、ベトナムとミャンマーの教員ふたり。だいたい、各国とも、教員研修生は一般家庭の出身が多く、大学院進学者はエリート家庭の出身であることが多い。
 昔受け持ったベトナム人は、医学部進学などのエリートが多く、「祖父母はフランス留学中の知り合って結婚しました」などのエピソードを聞いた。

 戦前の日本でも、士官学校と師範学校は授業料が無料だったから、裕福でない家の子供は軍人になるか教員になるかしかなかった。教員研修生がいるクラスでは、いつも「私も昔中学校の教師をしていました」と自己紹介する。

本日のひがみ:結婚後、8年間の主婦学生時代に受けた奨学金は、毎年返済しています。

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20151020
 12年前は、旅行に大忙しだった姑。今は介護2になり、デイサービスを受けています。デイサービスの入浴は、次の順番の人が待っているから、のんびりお湯につかってはいられません。ちゃっちゃっと介護ヘルパーさんに洗ってもらうだけ。
 18日は日曜ごとの自宅入浴。娘と息子がつきそって、ゆったりお風呂。こっちは、洗うことより、お湯につかるほうが中心。
 「でも、お風呂入ってから隣町までお買い物に行ったら、おばあちゃん疲れちゃったみたいで、反省。次から買い物が先、お風呂あとにしなくちゃ」と、娘の弁。
 おばあちゃんは、「おかあさんもいっしょに来られればよかったのに」と、介護不参戦のヨメに残念そうだったということですが、私は冷たいヨメなので、自分の趣味を優先しました。やりたいことを我慢して介護してもストレスになるだけだから。

 18日は、吉祥寺美術館の「伊豆の長八展」が1会期終了日だったので、あわてて行ってきました。もっと早くに行っておけばよかったのに。終了日だからかなり混みました。でも、やはり見ておいてよかったです。伊豆の松崎町山科学校のなまこ壁、見たくなりました。
コメント (2)
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