春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「逗子の海辺で乾杯」

2015-10-27 12:27:20 | エッセイ、コラム

逗子海岸の夕日

20151028
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記10月(3)逗子の海辺で乾杯

 ジャズダンス仲間のミサイルママ、去年の夏にプロポーズされて、おつきあい開始。1年以内に別れちゃうじゃないか、というご本人の予想を覆して、めでたくおつきあい1周年を迎えました。パートナーのシゲさんに「彼女を大事にしないと、e-Naに殺されるよ」と、メールで脅しをかけてあります。ちゃんと彼女を大事にしているところを見てほしいのか、シゲさんから「逗子に遊びに来てください」と、呼んでもらいました。
 e-Naは、私のダンサーネームです。年下のシゲさんには「アネさんってお呼び!」と、言ってみたのですが、結局「イーナちゃん」になってしまいました。

 ほんとうは、夏の逗子で水着デビューを飾る予定だったのですが、水着姿披露は来年の夏に持ち越し。今の水着は、超オデブだった姪のスクール水着おさがりなのですが、来年にはかっこいいデザインのマタニティスイミングウェアを買おうっと。いや、このおなかをひっこめれば、フツウの水着でいいわけですが。

 湘南新宿ラインで逗子に着いたのは正午少し前。ミサイルママとパートナーのシゲさんが自転車でお出迎えしてくれました。シゲさんは海辺へ行って、ランチ会の準備。
 私とミサイルママは、まずシゲさんのアパートへ。静かな住宅街の中です。
 荷物を置いて、海へ向かう前に、ミサイルママが「私の散歩道」を紹介したい、と歩きはじめました。

 逗子ハイランド住宅団地という住宅街を通って披露山公園へ。公園から西へ行けばすぐ隣の鎌倉市です。海からの標高は100mで、披露山には電波塔が建てられています。かなりの急勾配の道もあり、ランチの食料を肩にかついで登ったので、披露山公園に着いたときは、かなりの疲労。

 「ここからの眺めをe-Naちゃんにも見てほしかったの」というミサイルママ。披露山の眼下の逗子湾。西には江ノ島が見えました。



 ミサイルママは、水木が休日なので、毎週、火曜日の夜仕事が終わると泊まりに来て、掃除をしたり食事を作ったりして、金曜日の朝湘南新宿ラインで池袋へ。一日仕事をして、夜はジャズダンスサークルに参加。

 現在は定年退職後の嘱託パート勤務扱いで働いているけれど、来年の3月に今の職場を完全リタイアの予定。でも、今の週4日は自分の住まい、週3日パートナーと共にすごす、というおつきあいの仕方が一番居心地がよいので、なんとか2016年3月以後も仕事を探して働きたい、と言っています。

 還暦過ぎた女性の仕事、ハローワークで探すと、ほとんどが「クリーンスタッフ」などの名前の「お掃除おばさん」なのだそうです。「私、お掃除も好きだからクリーンスタッフもいいと思う」とミサイルママは言います。今の会社に入ってから13年間、自分がトイレを使うたびに、ちゃちゃっとトイレをきれいにしてきたのですって。

 「会社のトイレがいつもきれいなのは、私が一日に何度か掃除してきたからだって、だれも気づいていないけれどね。でも、私がやめたら、トイレ掃除を自分からやる人っていなくなるだろうから、トイレは、自然にきれいになるわけじゃないって、わかる人がいるかな」
私は、この話を聞いて、日頃のミサイルママの人柄がよく表れているなあと思いました。会社のトイレ掃除をしてきたこと、会社では言ってこなかったのだろうと思います。陰ながら貢献する社員のこと、会社上層部はわかっていないんだろうなあ。

 今の会社の業務内容に合わせてとったカラーコーディネートやインテリアの資格を生かす仕事がないものかと、思うのですが、そういう職種は若い人のほうが求められるから、募集に年齢制限が書いてなくとも、高齢者は書類審査ではねられてしまう。今の会社だって、定年後に3年も嘱託パートで働けただけでもありがたかったのだから」と、披露山の上り下りの間にミサイルママは語りました。

 今も週3日は、シゲさんの仕事の手伝いをしているのだけれど、シゲさんはまだ独立して1年。すぐには収入も安定していない状況で、全面的にパートナーの収入に依存することなどできない、あくまでも自分の生活は自分で維持していきたい、とミサイルママは考えています。
 ふたりともバツイチで、彼には成人した娘さん2人、ミサイルママには成人した息子さん2人います。法的な結婚は考えていない、というのですが。

 ふたりにとって一番いっしょにいやすい環境をととのえていけばそれでいいと思うのですが、私には、少し心配なこともあります。ミサイルママの短所は、相手に尽くしすぎることです。そして疲れてしまう。
 私からは「シゲさん、独立したばかりなので、いろいろやってあげたくなるだろうけれど、自分の居心地がいいことを最優先にしてね」と、アドバイスしました。
 
 披露山から海へ向かって下りていく途中、「石原さんち」の脇を通りました。作家石原慎太郎が逗子からヨットに乗るために40年前に建てた家ですって。
 「岡本太郎作品の椅子があるんだって」と、ミサイルママが言うのですが、むろんのこと裏手の道からは逗子湾に面する側の椅子は見えません。住宅紹介のサイトを検索したら、赤と白の手の形の椅子でした。

石原邸

 貝を拾いながら、シゲさんの用意してくれた椅子とテーブルのランチ場所まで逗子海岸を歩きました。夏場の逗子海岸、海の家がすき間なく建ち並び、海辺はビーチパラソルで埋め尽くされるということですが、今は、沖に出ているのはヨットやウィンドサーフィン。渚には、イヌをつれた散歩の市民やジョギングランナー。
 秋の浜辺でランチを食べる、というのもとっても優雅。ランチは、ミサイルママ手作りのサラダや煮物など。シゲさんは炭水化物除去食主義なので、サンドイッチやお寿司は食べません。

 シゲさんのお隣さんのユミさんがランチに加わったところで、シゲさんのギターと歌。吉田拓郎やアリスなどの歌が披露されました。歌、とても上手で、「センセーの歌、はじめて聞いた」と、ユミさんも感心していました。シゲさんは、元体育のセンセーと聞いていましたので「元音楽のセンセーかと思った」と、私も誉めました。 

 シゲさんの逗子の友人、ほかに2人が加わりました。ひとりは、犬のモモちゃんを連れたモモちゃんママ。もうひとりは、シャンと背筋の伸びたトシコさん。トシコさんは、元出版社の社員を定年退職後、つり三昧したいから逗子に移り住んだのですって。逗子の海でカツオも釣れるそうです。女性5人に囲まれたシゲさん、楽しそうです。逗子湾に沈む夕日をながめながらのおしゃべり、とてもよい時間でした。

 陽が沈むと急に暗くなる秋の宵。大急ぎで片付けをしました。
 毎日9時か10時ころには寝て、朝は5時ころ起きるという朝型のシゲさんなので、あっという間に寝る時間。
 シゲさんは毎朝、5時すぎには海辺のジョギング。6時半からは、逗子ご近所の人たちと海辺でのラジオ体操。元体操教師のシゲさん、たちまち逗子ラジオ体操仲間の花形になったらしい。

 「ふたりでゆっくり話していていいよ」とシゲさんに言われたけれど、ミサイルママが朝7時前には家を出て、始発の7:10発湘南新宿ラインに乗るというので、私もいっしょに乗って隣の鎌倉で降りることにして、私も10時前には寝てしまいました。どこでもいつでも寝られるのが私の特技。
 
 朝、ミサイルママは、仕事場に持って行くお弁当を用意し、私が「鎌倉散歩」をすると言っていたら、「鎌倉で食べてね」と、私の分のお弁当まで作ってくれました。マフィントマトサンドとカキとリンゴのフルーツコンボ。いたせり尽くせりです。娘も「こんなに性格の悪い母とトモダチでいてくれるなんて、ミサイルママさんは、ありがたいね。母も、ちょっとはミサイルママさんのためになることしなさいよ」と、言うのですが、私が人のためになることなんかすると、秋でも雪がふるから。私の自己チューどケチをいやにならない人とだけつきあう。

 逗子から始発で出れば、9時の会社始業時間にゆっくり間に合うというミサイルママさん。電車の中でも、おしゃべりが続きました。私は隣の鎌倉で下車。
 鎌倉散歩にはちょっと早すぎる時間だと、下車してから気づきました。

 逗子海岸夕日の中のミサイルママと私。
 撮影のシゲさん、彼女をカッコよく撮ることに成功したけれど、e-Naちゃんをもう少し細めに撮るカメラアングルを工夫すべきだったのでは、、、、いえ、真実を写すのが写真機、ですね。


とはいえ、1992年には、私もミサイルママよりほんのちょっと太めなだけだったという証拠写真を。ほんのちょっと、、、、あらま、腕や太もも、だいぶ太い。(真ん中で踊っていた歌手のユミさんをカットした部分が少々不自然ですが、ダンサーの加工はなしですから。左ミサイルママ、右わたし。)
 23年の間、体型美貌を維持してきたミサイルママに比べて、私は食べたいだけ食べてストレス解消につとめました。はい、現在の体型、納得です。


<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「姑ご機嫌伺い&花火大会&池袋よさこい」

2015-10-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151027
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記10月(2)姑ご機嫌伺い&花火大会&池袋よさこい
 
 10月3日は、姑宅に帰国ご挨拶に。ミャンマーのお茶、シュエタゴンパゴダのレリーフ壁飾りなどおみやげを持って行きました。夫にはミャンマーカシューナッツとお茶。
 姑は、みなで買い物に出かけるのが大好き。隣駅の町まで行くときは私もいっしょに行きますが、今回は駅前の八百屋までだけ、というので付き添いは娘にまかせました。

 いっしょにお茶を飲んで、姑のおしゃべりを聞く。姑がしゃべりたいことをしゃべりたいだけ話す、ということが大事だから、「ほら、小松んところの次男のヨメが、、、、」なんて私にはわからない人の話がでてきても、「それ、誰?」なんて話の腰を折ることはせず、「うんうん、ヨメさんね」と聞いています。娘はボランティア講座受けたわけでもないのに、おばあちゃんのお相手になれているから、相づちの打ち方がとても上手で、姑はつぎつぎに「ご近所の人の話」を続けます。60年とか70年も前のご近所の人々って、今はほとんど生きていないんじゃないかしら。

 姑が夫の赴任にともなって山形から出てきて、東京の西も東もわからない頃、親身に世話をしてくれた方のことなど、今でも感謝し続けているようすなど、その子孫の方々に聞かせたいと思うくらいです。自分の母親(または祖母)が、今でもこうして人に感謝される存在であったことを知って、お盆やお彼岸のお参りのさいに報告してもらいたいです。あなたの親切を今も心の中に残している人がいるよって。

 10月10日。北区の花火大会をはじめて見に行きました。
 私は花火大好きなので、娘息子がいっしょに行ってくれないときは、ひとりでも見に行っていました。娘息子とは10年くらい前までは、8月の板橋戸田花火大会に行きました。ここ数年年は、晴海の東京湾花火に応募して運良く当たったら見に行く、ということにして、娘といっしょに見ました。東京湾花火の葉書応募はペアチケットなので、一枚の当選葉書では、私と娘と二人だけのお出かけに成り、息子はもう何年も見ていません。

 今回は、ひさしぶりに3人での花火大会。
 秋の花火だし、大きな花火大会に比べてまだ一般に知られていません。人出も隅田川花火の百万人に比べると、北区の人出は5万人ほどで、まだまだ河原もゆったりしています。

 今回は初めてで、場所取りのようすもわからないので、ひとり千円の有料自由席を購入。有料指定席は打ち上げ場所のすぐ近くで空いっぱいに広がる花火を見られるのですが、チケット代3人分は払えない。せいぜい有料自由席。12時に会場してすぐに私が場所取りに行きました。
 無料席は4時から入場開始というので有料席チケットを買ったのに、12時からみな無料席の席取りをしてビニールシートを敷いていました。有料席は青いビニールシートが半畳ずつ配布されました。3枚のシートを広げ、区民がフラダンスやタップダンスを披露している舞台を遠く見て待ちました。

 4時半頃、娘と息子が来て合流。昔とちがって、ケータイのおかげで、合流が楽になりました。私は花火開始6時と勘違いしていて、「5時前には合流してね」と電話したのですが、開始は6時40分でした。
 しかも花火発射地区に、花火見物に来た屋形船が数艘入り込みました。何度も放送で「発射地区に近すぎるので、危険だから離れるように」と注意しても、船は動きません。きっと「花火のすぐ下で見られる」という触れ込みで船客を集めたのでしょう。警備艇が注意しにいって、ようやく安全が確認できたのは7時20分すぎ。開始が30分も遅れました。

 これまで、北区だけで実施してきた小さな花火大会だったので、屋形船進入禁止というような措置は厳しくしてこなかったのでしょう。来年はこういうことのないように、川の警備が強化されると思いますから、他区の方、近くで見たかったら、屋形船でなく、有料席1万円を買いなされ。

カメラ持っていかなかったので、借り物写真の北区花火です。


 北区花火は、大きな大会に比べこじんまりした花火が多かったですし、音楽連動花火も、音楽が途切れてしまって、ぜんぜん花火と音が連動していないところなど、北区らしいショーモなさで、でも50分の花火おおいに楽しめました。
 去年は9階自宅の玄関先から、遠くの小さい花火を見物しました。指定席での迫力には及ばないでしょうが、遠花火ってのも、風情はあります。

嫁(ゆ)かぬ子の横顔涼し遠花火<春庭

 10月の河原は、思った以上に寒かったので、来年はもっと厚着をしよう、ということにして帰りました。

 12日は、仕事中のミサイルママから電話。「仕事を早めに終わりにしていいって、お許しが出たので、これから池袋よさこい祭りを見にいくけれど、いっしょに見ない?」「いく、いく」と、出かけました。

 ミサイルママの勤務地に近いアゼリア通りで、「甲斐風林火山」演舞お目当てで、見学用ブルーシートの上に設置されているベンチに座って見ていました。風林火山までのコンクール出場チームの演舞、「うん、これなら半年くらい練習すれば出場できるかな」という振り付けでしたが、風林火山の演舞は、圧巻でした。6年間優勝し続けて今は特別参加の殿堂入りチームになっている風林火山。ひとりひとりの動きも見事だし振り付け演出もすばらしい。ジャズダンス歴30年のダンサー、ミサイルママとe-NAがちょっとやそっと練習しても追いつけないレベルに仕上がっていました。

 最後の「全チーム参加総踊り」という時間に、コンクールチームに紛れ込んでミサイルママといっしょに踊ったこともあったのですが、「今年は総踊りはパス」として、サイゼリアで夕食。私が、逗子の「ミサイルママパートナーさん訪問」するのは、10月15日と決まりました。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする