20160914
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>台風散歩(4)向島百花園
9月5日のひとり散歩。どこに行く当てもなく、月曜日では美術館博物館も休館のところが多いので、月曜日も開いている公園を散歩することに。
公園案内のホームページに「向島百花園秋の七草」というのが出ていたので、少しは秋気分になれるかと思って、でかけました。あやめ、かきつばた、花菖蒲の時期に出かけたことがあるのですが、他の季節には来たことがありませんでした。
百花園は、江戸時代に開園。
仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)が、多賀屋敷」と呼ばれていた土地を買い取り、梅の木などを植えて、1804(文化元)年に開園しました。江戸時代は世界史的に見ても庶民がこぞって園芸趣味にとりつかれた時代で、百花園のさまざまな花をながめることが、大流行の娯楽でした。
琳派の絵師酒井抱一や狂歌戯作をものした大田南畝など、百花園をひいきにした文人墨客も数多い。
私も、秋の気配を感じたら、一句ひねろうか、なんて思ったのですが、めちゃ暑かった。おまけに、池があるから蚊にくわれまくり。
帰りがけに出口をみたら、「虫除けスプレーお貸しします」という札がかかっている。これって、入り口に出しておくべきじゃないの?
百花園から見るスカイツリー
園内の池と橋
池の睡蓮
秋の七草に対して、百花園創始者佐原鞠塢が定めた秋の七草
園内に、有名人無名人を問わず、句碑歌碑のたぐいがたくさんありました。私が名前を知っていたのは月岡芳年だけ。
明治時代に建てられた句碑など、すでに石が古びて、文字が読み取れなくなっています。そうね、墓よりも歌碑とか思ったけれど、残された人が手入れをし続けなければ、文字も消えるのだとわかりました。
月岡芳年の石碑
もはや字も読み取れぬ句碑詩の石碑石の命もかくも短し(春庭)
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>台風散歩(4)向島百花園
9月5日のひとり散歩。どこに行く当てもなく、月曜日では美術館博物館も休館のところが多いので、月曜日も開いている公園を散歩することに。
公園案内のホームページに「向島百花園秋の七草」というのが出ていたので、少しは秋気分になれるかと思って、でかけました。あやめ、かきつばた、花菖蒲の時期に出かけたことがあるのですが、他の季節には来たことがありませんでした。
百花園は、江戸時代に開園。
仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)が、多賀屋敷」と呼ばれていた土地を買い取り、梅の木などを植えて、1804(文化元)年に開園しました。江戸時代は世界史的に見ても庶民がこぞって園芸趣味にとりつかれた時代で、百花園のさまざまな花をながめることが、大流行の娯楽でした。
琳派の絵師酒井抱一や狂歌戯作をものした大田南畝など、百花園をひいきにした文人墨客も数多い。
私も、秋の気配を感じたら、一句ひねろうか、なんて思ったのですが、めちゃ暑かった。おまけに、池があるから蚊にくわれまくり。
帰りがけに出口をみたら、「虫除けスプレーお貸しします」という札がかかっている。これって、入り口に出しておくべきじゃないの?
百花園から見るスカイツリー
園内の池と橋
池の睡蓮
秋の七草に対して、百花園創始者佐原鞠塢が定めた秋の七草
園内に、有名人無名人を問わず、句碑歌碑のたぐいがたくさんありました。私が名前を知っていたのは月岡芳年だけ。
明治時代に建てられた句碑など、すでに石が古びて、文字が読み取れなくなっています。そうね、墓よりも歌碑とか思ったけれど、残された人が手入れをし続けなければ、文字も消えるのだとわかりました。
月岡芳年の石碑
もはや字も読み取れぬ句碑詩の石碑石の命もかくも短し(春庭)
<つづく>