20160922
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>秋の七草(5)なでしこその1
楚々とした素朴な美人の代名詞となった「やまとなでしこ」。
現在は栽培種のなでしこもさまざまに育種されて花屋に並んでいますが、もともとは河原などに自生していた「かわらなでしこ」です。
花屋さんの切り花ナデシコは、とても色鮮やかで花弁のバリエーションもさまざま。ここでは、万葉人たちが見ていたカワラナデシコを「なでしこ」とします。
神代植物園にて撮影20160919
しかし、現代の若者に「なでしこ色」というと、「なでしこジャパンのユニホームの色」と思うそうで、まあ、それもそれでよいですけれど。でもねぇ、やっぱり、本来のナデシコ色ということばも、長く残しておきたい。。
3-0408 大伴宿禰家持、同じき坂上家の大嬢(おおいつらめ)に贈れる歌一首
石竹之 其花尓毛我 朝旦 手取持而 不戀日将無
なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ
あなたがなでしこの花だったらなあ。そうしたら毎朝、手に取って愛でるのに
坂上大嬢は、家持の父大伴旅人の異母妹坂上朗女の娘。従兄弟の家持とは幼なじみです。 家持は、青春の愛を傾けた側室と死別して悲嘆にくれたあと、おば坂上朗女の娘である、いとこ大嬢を正妻に迎えます。
3-0464 又、家持、砌(みぎり)の上の瞿麦(なでしこ)の花を見て作れる歌一首
秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞
秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも
秋になったなら、いっしょに見て楽しみましょうね、と言って妻が植えた、家のなでしこが咲いている
739(天平11)年、家持の愛妾がなくなりました。家持を残して亡くなったこの「妹=妻」は、正妻扱いをされておらず、側室として家持が愛した人だったようです。どこの家の出身かもわかっておらず、名前も残っていません。家持は、愛妾を悼む長歌短歌を12首巻三に残しています。とはいうものの、愛妾の死後、まもなくいとこ坂上大嬢を正妻として迎えます。
8-1448 大伴宿禰家持、坂上家の大嬢に贈れる歌一首
吾屋外尓 蒔之瞿麥 何時毛 花尓咲奈武 名蘇經乍見武
我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む
私の庭に蒔いたなでしこは、いつになったら咲くでしょうか。その花をあなたになぞらえて見ようと思っています
現在では石竹は、「唐なでしこ」の当て字とされ、日本産のヤマトなでしことはことなる種類とされていますが、万葉集では、カワラナデシコが「石竹」「瞿麥」などの当て字で表記されています。唐なでしこは、平安時代から栽培されたということなので、家持の時代には、大和なでしこと唐ナデシコは、区別されていなかったと思います。
8-1496 大伴家持の石竹の花の歌一首
吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母
我が宿のなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ子もがも
私の庭のなでしこの花が今を盛りと咲いています。手折って一目見せてあげられる娘がいたらいいのだけれど
詞書きでは「石竹」、歌では「瞿麥」の文字が当てられています。
8-1510 大伴家持、紀女郎に贈れる歌一首
瞿麥者 咲而落去常 人者雖言 吾標之野乃 花尓有目八方
なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我が標めし野の花にあらめやも
なでしこは咲いて散ったと人は言うけれど、私が標(し)めをした(自分のものと目印をつけた)野の花のことではないでしょうね。(私がしるしをつけたあなたですから、よもや心変わりはないと信じます)
養老年間に安貴王の妻のひとりであった紀女郎(きのいつらめ)。未亡人となり宮廷にお仕えしつつ、大伴家持らと恋歌のやりとりをしていました。家持によって、その名が「小鹿」であったと、記録されています。
1538: 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
1549: 射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため
8-1610 丹生女王(にうのひめみこ)太宰師大伴旅人に贈れる歌一首
高圓之 秋野上乃 瞿麦之花 丁壮香見 人之挿頭師 瞿麦之花
高円の秋野の上のなでしこの花うら若み人のかざししなでしこの花
高円(たかまど)の秋の野のなでしこの花、まだ若々しかったので、あなたは髪飾りにしたのでしたね。なでしこの花を
8-1616 笠郎女、大伴宿禰家持に贈れる歌一首
毎朝 吾見屋戸乃 瞿麦之 花尓毛君波 有許世奴香裳
朝ごとに我が見る宿のなでしこの花にも君はありこせぬかも
あなたが、毎朝私が見る庭のなでしこの花であってくだされば良いのですけど
10-1970 花を詠める
見渡者 向野邊乃 石竹之 落巻惜毛 雨莫零行年
見わたせば向ひの野辺のなでしこの散らまく惜しも雨な降りそね
見わたす向こうの野辺のなでしこが散ってしまったら惜しいことです。雨よ、降らないでおくれ
10-1972 花を詠める
野邊見者 瞿麦之花 咲家里 吾待秋者 近就良思母
野辺見ればなでしこの花咲きにけり我が待つ秋は近づくらしも
野を見るとなでしこの花が咲いています。私が待っている秋が近づいてきたようです
<つづく>
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>秋の七草(5)なでしこその1
楚々とした素朴な美人の代名詞となった「やまとなでしこ」。
現在は栽培種のなでしこもさまざまに育種されて花屋に並んでいますが、もともとは河原などに自生していた「かわらなでしこ」です。
花屋さんの切り花ナデシコは、とても色鮮やかで花弁のバリエーションもさまざま。ここでは、万葉人たちが見ていたカワラナデシコを「なでしこ」とします。
神代植物園にて撮影20160919
しかし、現代の若者に「なでしこ色」というと、「なでしこジャパンのユニホームの色」と思うそうで、まあ、それもそれでよいですけれど。でもねぇ、やっぱり、本来のナデシコ色ということばも、長く残しておきたい。。
3-0408 大伴宿禰家持、同じき坂上家の大嬢(おおいつらめ)に贈れる歌一首
石竹之 其花尓毛我 朝旦 手取持而 不戀日将無
なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ
あなたがなでしこの花だったらなあ。そうしたら毎朝、手に取って愛でるのに
坂上大嬢は、家持の父大伴旅人の異母妹坂上朗女の娘。従兄弟の家持とは幼なじみです。 家持は、青春の愛を傾けた側室と死別して悲嘆にくれたあと、おば坂上朗女の娘である、いとこ大嬢を正妻に迎えます。
3-0464 又、家持、砌(みぎり)の上の瞿麦(なでしこ)の花を見て作れる歌一首
秋去者 見乍思跡 妹之殖之 屋前乃石竹 開家流香聞
秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも
秋になったなら、いっしょに見て楽しみましょうね、と言って妻が植えた、家のなでしこが咲いている
739(天平11)年、家持の愛妾がなくなりました。家持を残して亡くなったこの「妹=妻」は、正妻扱いをされておらず、側室として家持が愛した人だったようです。どこの家の出身かもわかっておらず、名前も残っていません。家持は、愛妾を悼む長歌短歌を12首巻三に残しています。とはいうものの、愛妾の死後、まもなくいとこ坂上大嬢を正妻として迎えます。
8-1448 大伴宿禰家持、坂上家の大嬢に贈れる歌一首
吾屋外尓 蒔之瞿麥 何時毛 花尓咲奈武 名蘇經乍見武
我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む
私の庭に蒔いたなでしこは、いつになったら咲くでしょうか。その花をあなたになぞらえて見ようと思っています
現在では石竹は、「唐なでしこ」の当て字とされ、日本産のヤマトなでしことはことなる種類とされていますが、万葉集では、カワラナデシコが「石竹」「瞿麥」などの当て字で表記されています。唐なでしこは、平安時代から栽培されたということなので、家持の時代には、大和なでしこと唐ナデシコは、区別されていなかったと思います。
8-1496 大伴家持の石竹の花の歌一首
吾屋前之 瞿麥乃花 盛有 手折而一目 令見兒毛我母
我が宿のなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ子もがも
私の庭のなでしこの花が今を盛りと咲いています。手折って一目見せてあげられる娘がいたらいいのだけれど
詞書きでは「石竹」、歌では「瞿麥」の文字が当てられています。
8-1510 大伴家持、紀女郎に贈れる歌一首
瞿麥者 咲而落去常 人者雖言 吾標之野乃 花尓有目八方
なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我が標めし野の花にあらめやも
なでしこは咲いて散ったと人は言うけれど、私が標(し)めをした(自分のものと目印をつけた)野の花のことではないでしょうね。(私がしるしをつけたあなたですから、よもや心変わりはないと信じます)
養老年間に安貴王の妻のひとりであった紀女郎(きのいつらめ)。未亡人となり宮廷にお仕えしつつ、大伴家持らと恋歌のやりとりをしていました。家持によって、その名が「小鹿」であったと、記録されています。
1538: 萩の花尾花葛花なでしこの花をみなへしまた藤袴朝顔の花
1549: 射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため
8-1610 丹生女王(にうのひめみこ)太宰師大伴旅人に贈れる歌一首
高圓之 秋野上乃 瞿麦之花 丁壮香見 人之挿頭師 瞿麦之花
高円の秋野の上のなでしこの花うら若み人のかざししなでしこの花
高円(たかまど)の秋の野のなでしこの花、まだ若々しかったので、あなたは髪飾りにしたのでしたね。なでしこの花を
8-1616 笠郎女、大伴宿禰家持に贈れる歌一首
毎朝 吾見屋戸乃 瞿麦之 花尓毛君波 有許世奴香裳
朝ごとに我が見る宿のなでしこの花にも君はありこせぬかも
あなたが、毎朝私が見る庭のなでしこの花であってくだされば良いのですけど
10-1970 花を詠める
見渡者 向野邊乃 石竹之 落巻惜毛 雨莫零行年
見わたせば向ひの野辺のなでしこの散らまく惜しも雨な降りそね
見わたす向こうの野辺のなでしこが散ってしまったら惜しいことです。雨よ、降らないでおくれ
10-1972 花を詠める
野邊見者 瞿麦之花 咲家里 吾待秋者 近就良思母
野辺見ればなでしこの花咲きにけり我が待つ秋は近づくらしも
野を見るとなでしこの花が咲いています。私が待っている秋が近づいてきたようです
<つづく>