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ぽかぽか春庭「尾花」

2016-09-18 00:00:01 | エッセイ、コラム

向島百花園にて撮影20160905

20160918
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>秋の七草(2)尾花

 日本で満月を眺めて楽しむようになったのは、平安時代からだといいます。万葉集にも、月の歌はたくさんありますが、後世のように秋の月をことさらに名月として愛でるというのではなかった。
 2016年の仲秋(旧暦8月15日)は、9月15日。ただし月齢で十五夜満月は9月17日で、十六夜は9月18日。

 里芋と栗を月に供える「芋名月、栗名月」は、縄文時代の主要作物であった里芋と栗を月に供えて収穫を感謝した祭りであったことでしょう。稲作が始まるとイネの代わりにススキを稲穂に見立てて月に供えました。
 ススキを稲穂に見立てるほか、萩も小さな花が枝や茎にびっしりと咲きます。万葉集に萩が141首も詠まれた、というのも、やはり稲穂のイメージの花だったからでしょうか。
 ススキ(尾花)の歌も42首と、多いです。萩と同じく巻八から抄録します。


1564
日置長枝娘子(へきのながえのをとめ)の歌一首(大伴家持におくる)
秋付者 尾花我上尓 置露乃 應消毛吾者 所念香聞
秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくも我は思ほゆるかも

 秋になると尾花(をばな)につく露がはかなく消えてしまうように、私はあなたを思い続けて、秋になったら消えてなくなっているでしょう

この日置長枝娘子の、恋に身も細りそうなことばに、大伴家持は萩の歌で答えています。
8-1564 我が宿の一むら萩を思う兒に見せずほとほと散らしつるかも
 我が家に咲く一群の萩を、いとしく思っている子に見せないまま、あらかた散らしてしまったことだなあ
 恋多き家持でしたが、日置長枝娘子とは萩の花をいっしょに眺める時間を作ってやらなかったのね。乙女心は、秋には身も細くなって消えてしまうばかり。私もね、身を細くするためには、恋い焦がれる人がいないことには。
 家持の歌の「ほとほと」は、現代語では「ほとんど」に転化。
 
1572 大伴家持の歌一首 
吾屋戸乃 草花上之 白露乎 不令消而玉尓 貫物尓毛我
我が宿の尾花が上の白露を消たずて玉に貫くものにもが

 我が家の尾花の上についている白露を消えてなくならないようにして、玉に貫いてみたいものだ

1577 
阿倍朝臣蟲麻呂
秋野之 草花我末乎 押靡而 来之久毛知久 相流君可聞
秋の野の尾花が末を押しなべて来しくもしるく逢へる君かも
 
秋の野の尾花の穂先を押し分けてやってきたから、あなたに逢えたのです
 
1601
 内舎人石川朝臣廣成 
目頬布 君之家有 波奈須為寸 穂出秋乃 過良久惜母
めづらしき君が家なる花すすき穂に出づる秋の過ぐらく惜しも

 久しぶりに会えた君の家のススキが穂になって出ている。秋が、もう過ぎていってしまう、惜しいなぁ

1637 
太上天皇御製一首元正天皇
波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代
はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室は万代までに

 尾花を逆さにして屋根を葺き、黒木で作った建物は、いつまでも栄えることでしょう。

 8-1637の元正天皇の御製は、冬の雑歌に分類されています。野に生えているススキではなく、十分乾燥して屋根を葺く材料としてのススキを読み込んでいます。黒木の柱を建てて、この建物が末永く使われることを寿いでいるのです。

 万葉集に出てくる植物は、食用としてまた薬用、染料などに使われる実用の植物がほとんどです。ススキも屋根を葺く材料として役に立つ植物でした。
実用にはならず、ただ眺めて楽しむ植物との関わりは、やはり平安以後だったのだろうと思います。

 屋根を葺くこともなくなった現代。アメリカではやたらにはびこる外来植物として、「手を焼く不必要な草」になっている、というのを知ると、月に供えられる日本のススキは、幸せだなあと思います。

 十六夜の月、台風の雨で見ること難しかった地域が多いかも。

 十六夜にさまよいまよい迷い人今宵も徘徊わたしはだあれ(春庭)


<つづく>
コメント (4)
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