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ぽかぽか春庭「京都旅行・南禅寺」

2019-01-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20190108
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記京都旅行2018(2)南禅寺

 2018年10月30日に訪れた南禅寺。
 朝早くに水路閣を見たあと、南禅寺塔頭のうち、本坊、南禅院、金地院の建物と庭園を見て歩きました。2018年京都旅行のテーマは、「建物、庭園、工芸」。

 「庭園を見る」のは、主要な目的のひとつでしたのに、南禅寺の本坊と南禅院・金地院で庭園巡りをしてみたら、あとで写真を見てもどれがどれやら、みな同じに見える、ということがわかりました。

 作庭家でもなく庭園評論の専門家でもなく、素人がちょっと見に庭園を楽しむなら、一回の旅行で見る庭園はひとつにして、しっかりと心にとどめておいたほうがいい、という論もわかっているつもりで、たくさんの庭園を回ったのですが、、、、実際に「どれがどれやら」と頭をひねっている春庭の感想です。写真の庭園説明も、あやふやなまま、、、、、キャプション正確でなくすみません。

 禅宗臨済宗南禅寺派大本山。開基亀山天皇。亀山天皇が法皇となったとき、1291年、離宮を寺にしました。一世住職は、開山大明国師。
 伽藍を完成させた二世南院国師を創建開山とし、五山文学の一番上「五山乃上」とされています。
 創建当時の建物は、すべて応仁の乱や戦国時代の争乱で、火災焼失。現在建っているのは、江戸時代の建物です。

<きょうの建物>
 中門。金地院側から南禅寺に入ったので、たぶん、これが中門。


 勅使門。




 石川五右衛門が楼門にのぼり「絶景かな」と言ったという伝説で有名な南禅寺三門。

 横から見た三門




 南禅寺境内


 法堂
  

 本坊大玄関


 本坊方丈


 南禅院(南禅寺発祥の建物。元は亀山天皇離宮だったとあるが、焼失後の再建だと思う)


 金地院楼門

 金地院東照宮拝殿(日光、久能山、京都に「権現として祀れ」という家康の遺言により、崇伝が祀った)


 金地院には、家康の外交官崇伝(1569-1633)が住していました。崇伝は、秀吉側や真田氏側から大河ドラマを作るときは、思いっきり悪役に描かれます。家康亡きあとは、後水尾の天皇の師となり、権勢並ぶものなく、「寺大名」「黒衣宰相」と呼ばれました。

<きょうの庭園>
 本坊方丈庭園、六道庭、小方丈庭園(如心庭)など、たくさんの庭があり、順不同で撮って歩いていたら、どれがどれやらわからなくなりました。

 六道庭(解脱前の心を表しているのだそうです)


 小方丈(如心庭)





 南禅院の庭園




 金地院の庭園 小堀遠州作庭の鶴亀庭園。もはやこのころには、「お庭はたっぷり見た」の膨満感。





<きょうのわたし>
 本坊で

 南禅院で


<つづく>
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