20190126
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十九文屋日記京都旅行2018(12)国際交流フェスティバルと疎水記念館
2018年11月3日。午前中に桂離宮を見学したあと、午後は京都国際交流会館へ移動。
ハンさんの娘シンちゃんは、ハンさんが1年間研究滞在をしている間、北京の大学を休学して、家族滞在ビザにより京都で暮らしています。京都で3か月すごす間に、日本語日本舞踊茶道などを学び、2019年4月からの京都市内の大学に留学する予定です。
11月3日は、国際交流会館の「国際交流フェスティバル」が開催されており、桂離宮を見たあと、急いで南禅寺近くの国際交流会館へ。
京都近辺に滞在する外国人が日本人と交流する祭りです。

シンちゃんは、喫茶室の係になり、お茶を運んで外国人日本人のグループの中でおしゃべりするというボランティア係です。
私とハンさんは、この国際交流カフェで若い男性のテーブルに座ってお茶を飲みながらおしゃべり。流暢に日本語を話すイケメン、若く見えたので学生かと思って、ときどき彼の日本語の間違いを指摘しながらおしゃべりしました。ハンさんも私も日本語教師であることを明かして話していたので、失礼にはあたらなかったとは思うのですが、彼は学生ではなく、韓国から来ているビジネスマンでした。

京都に本社がある半導体メーカーで働いている人で、2年ほど京都に滞在しているとのこと。とても若く見えたのですが、話が進んできたら、ハンさんより2歳年下で、奥さんとお子さんは韓国に残して単身赴任していることがわかりました。
おしゃべりの中で、ヨンソンさんは「韓国から知り合いが京都にくると、一番最初に金閣寺と清水寺に行きたがるので、私はもう20数回金閣寺に行きました」と言っていました。さもありなん。京都滞在だと、観光案内に駆り出される回数も半端じゃないでしょうね。
交流フェアではさまざまな催しが行われていましたが、ハンさんはバザーに行って買い物。私は、ロビーで行われているイベントでダンスを見たり、「みんなで踊ろうフランス田舎のフォークダンス」に参加して過ごしました。
ポリネシアンダンスを披露するグループ

シンちゃんは、交流フェアの打ち上げに参加するというので、私とハンさんは、すぐ近くの琵琶湖疎水記念館を見学。
第3代京都府知事北垣国道とエンジニア田邉邦郎の努力によって、1890(明治23)年に第一疎水が完成しました。南禅寺の疎水水道閣をはじめ、さまざまな難工事を経て、京都は現在まで琵琶湖の水によって潤っています。
夕暮れの疎水記念館前噴水

11月3日は、第2代京都市長を務めた西郷菊次郎(1861-1928)の展覧会が開催されていました。菊次郎は西郷隆盛の長男です。(母は、奄美大島の愛加那)。
菊次郎は、西南戦争で銃弾により右足切断。ために戦線から離れさせられ、父の弟である西郷従道のもとに投降しました。
菊次郎が叔父のすすめによりアメリカに留学した理由のひとつは、切断した右足の義足をもとめてのことでした。最新技術の義足を得て帰国したのちは、父が成し遂げることのできなかった「新しい明治の世」に貢献することができました。
6年半の京都市長在任期間、発電、上下水道整備、市電設置の京都三大事業を推進し、京都の近代化を図りました。大南洲の陰で菊次郎はあまり知られてきませんでしたが、NHKの大河ドラマ「西郷どん」では、語り手役(西田敏行)が菊次郎であった、という設定でした。

疎水に掲げられている「楽百年之夢」は、北垣国道による

蹴上げインクラインは、高低差のある疎水の間をつなぐ船の移動用鉄道です。陸運の発達により、現在は使われていませんが、京都市民の憩いの場に整備されています。

ハンさんの住まいの近くの居酒屋で晩御飯。ハンさんは「近所だから入ってみたかったのだけれど、お酒を飲むところに娘は連れていけないし、一人では入れないので、先生といっしょに入って見たかった」と。でも、「日本の居酒屋というのがどういうところかわかってよかった」と、お酒はいっぱいでおしまい。私は何杯でも飲めるんだけれどね。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十九文屋日記京都旅行2018(12)国際交流フェスティバルと疎水記念館
2018年11月3日。午前中に桂離宮を見学したあと、午後は京都国際交流会館へ移動。
ハンさんの娘シンちゃんは、ハンさんが1年間研究滞在をしている間、北京の大学を休学して、家族滞在ビザにより京都で暮らしています。京都で3か月すごす間に、日本語日本舞踊茶道などを学び、2019年4月からの京都市内の大学に留学する予定です。
11月3日は、国際交流会館の「国際交流フェスティバル」が開催されており、桂離宮を見たあと、急いで南禅寺近くの国際交流会館へ。
京都近辺に滞在する外国人が日本人と交流する祭りです。

シンちゃんは、喫茶室の係になり、お茶を運んで外国人日本人のグループの中でおしゃべりするというボランティア係です。
私とハンさんは、この国際交流カフェで若い男性のテーブルに座ってお茶を飲みながらおしゃべり。流暢に日本語を話すイケメン、若く見えたので学生かと思って、ときどき彼の日本語の間違いを指摘しながらおしゃべりしました。ハンさんも私も日本語教師であることを明かして話していたので、失礼にはあたらなかったとは思うのですが、彼は学生ではなく、韓国から来ているビジネスマンでした。

京都に本社がある半導体メーカーで働いている人で、2年ほど京都に滞在しているとのこと。とても若く見えたのですが、話が進んできたら、ハンさんより2歳年下で、奥さんとお子さんは韓国に残して単身赴任していることがわかりました。
おしゃべりの中で、ヨンソンさんは「韓国から知り合いが京都にくると、一番最初に金閣寺と清水寺に行きたがるので、私はもう20数回金閣寺に行きました」と言っていました。さもありなん。京都滞在だと、観光案内に駆り出される回数も半端じゃないでしょうね。
交流フェアではさまざまな催しが行われていましたが、ハンさんはバザーに行って買い物。私は、ロビーで行われているイベントでダンスを見たり、「みんなで踊ろうフランス田舎のフォークダンス」に参加して過ごしました。
ポリネシアンダンスを披露するグループ

シンちゃんは、交流フェアの打ち上げに参加するというので、私とハンさんは、すぐ近くの琵琶湖疎水記念館を見学。
第3代京都府知事北垣国道とエンジニア田邉邦郎の努力によって、1890(明治23)年に第一疎水が完成しました。南禅寺の疎水水道閣をはじめ、さまざまな難工事を経て、京都は現在まで琵琶湖の水によって潤っています。
夕暮れの疎水記念館前噴水

11月3日は、第2代京都市長を務めた西郷菊次郎(1861-1928)の展覧会が開催されていました。菊次郎は西郷隆盛の長男です。(母は、奄美大島の愛加那)。
菊次郎は、西南戦争で銃弾により右足切断。ために戦線から離れさせられ、父の弟である西郷従道のもとに投降しました。
菊次郎が叔父のすすめによりアメリカに留学した理由のひとつは、切断した右足の義足をもとめてのことでした。最新技術の義足を得て帰国したのちは、父が成し遂げることのできなかった「新しい明治の世」に貢献することができました。
6年半の京都市長在任期間、発電、上下水道整備、市電設置の京都三大事業を推進し、京都の近代化を図りました。大南洲の陰で菊次郎はあまり知られてきませんでしたが、NHKの大河ドラマ「西郷どん」では、語り手役(西田敏行)が菊次郎であった、という設定でした。

疎水に掲げられている「楽百年之夢」は、北垣国道による

蹴上げインクラインは、高低差のある疎水の間をつなぐ船の移動用鉄道です。陸運の発達により、現在は使われていませんが、京都市民の憩いの場に整備されています。

ハンさんの住まいの近くの居酒屋で晩御飯。ハンさんは「近所だから入ってみたかったのだけれど、お酒を飲むところに娘は連れていけないし、一人では入れないので、先生といっしょに入って見たかった」と。でも、「日本の居酒屋というのがどういうところかわかってよかった」と、お酒はいっぱいでおしまい。私は何杯でも飲めるんだけれどね。
<つづく>