20220118
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺絵本の世界(2)ムーミンコミックス展 in そごう美術館
2021年最後のお出かけは、ムーミンコミックス展。横浜そごうで観覧しました。
たいていの美術館は12月26日が2021年最後開館で、27日月曜日から正月明けまで閉館になるところが多い。そんな中、そごうデパートは年末年始無休だったので、母娘で楽しむ「ぐるっとパス」の年内最後はそごうのムーミンコミックス展になりました。
ムーミン大好き母娘が、埼玉県飯能市のテーマ―パーク「ムーミンバレー」へ出かけたのは、2020年7月のことでした。エンマの劇場「(姿の見えない女の子)ニンニの物語」を見たり、ムーミンの家を訪問したり、楽しい一日でした
この日以来、私が毎日しょって通勤に持っていくリュックサックに貼りついている「ムーミンのご先祖様」
ムーミンの原作物語は、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの作品であることはよく知られていますが、イギリスの新聞連載コミックスをトーベから引き継いだのが12歳年下の弟ラルスであったこと、私はムーミンバレーに行くまで知りませんでした。日本でもコミックス版は出版されていましたが、私も娘も絵本やアニメ、単行本のムーミンしか知らず、漫画版をしらなかったからです。
今回のムーミンコミックス展は、漫画版のムーミンをたっぷり知ることができました。
展示されている原画や漫画は、トーベはスエーデン語、ラルスは英語でセリフを書いていますから、展示では絵だけながめて、セリフを理解するのは、娘が買った図録(黄色いコミックス展図録と青いラルスの漫画の2冊)であとで見ることにして、展示では絵だけを見て会場を歩きました。
トートバックつき、図録を買いました。
第62話「古代エジプトへの道」など、日本語では翻訳されていないお話は、今回はじめて目にするものです。
ラルス・ヤンソン(Lars Jansson、1926 - 2000)は、姉トーベ、写真家とし活躍した兄ペル・ウーロフの末の弟としてフィンランドのヘルシンキに生まれました。フィンランドでは少数派のスエーデン語を話す家庭で育ち、15歳で最初に書いた小説『トルツゥーガの宝』をふくめて小説8冊を出版しましたが、トーベから引き継いだムーミンコミックスの漫画家として名を残しました。
英紙のコミックス連載にあたって、最初は、トーベがスエーデン語で書いた漫画を英語に翻訳する訳者として関わりはじめ、姉が手がけた漫画全21作のうち8作で構成のアイデアを手伝いました。やがてトーベは漫画の仕事を完全にラルスに託し、本来の仕事と思っていた絵画の仕事に打ち込むようになりました。1960年から1975年まで15年間、漫画の制作すべてをラルスが単独でこなしたのです。
トーベの描いたコミックス版のムーミン
ラルスの娘ソフィア・ヤンソン(Sophia Jansson1962年 ~)は、ムーミンの著作権管理会社であるムーミンキャラクターズ社(Oy Moomin Characters, Ltd.)のクリエイティブディレクター兼会長で、今回の展覧会の「ごあいさつ」もソフィアのことばでした。
ムーミンコミックスは、1954年からイギリスの大衆紙「イブニング・ニューズ」に載った新聞漫画です。
トーベが描いたキャラクターたち
第1話から18話まではトーベが絵とストーリーを担当し、ラルスは翻訳を担当。19話20話21話(1957-1960)は、ストーリーをラルスが担当し、絵をトーベが描く共作。1961年から1974年の連載終了まではラルスが単独でストーリーと絵を手がけています。
娘は、ラルス作「10個の豚の貯金箱Ten Piggy Banks」が気に入り、ラルスの絵をそのまま小皿にしたグッズを買いました。
会場内のフォトスポットで、ムーミン&スノークのお嬢さんのフィギュアと。
入口で。
<つづく>