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ぽかぽか春庭「平松礼二の世界展 in 郷さくら美術館」

2022-01-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220113
ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩新年(4)平松礼二の世界展 in 郷さくら美術館

 「ぐるっとパス」一冊の中、100館の美術館博物館の入館券割引券が入っています。私と娘は、割引だけの館は行かない。ぐるっとパスだけで企画展特別展まで見ることができる館に行きます。100館分あっても、ぜんぜん行かない館とぐるっとパスを買うたびに必ず行く館ができます。

 郷さくら美術館は家から近くて、企画展もパスだけで入れる、という私の「ケチケチ美術館巡り」志向にあう美術館です。

こじんまりとした私立美術館ですが、若手日本画家の育成をはかっており、館主催の公募展に入賞した若い画家の絵を買い上げ、それらをテーマごとに展示公開しています。
 展示テーマのひとつは、館の名前になっている「さくら」の絵ですが、それ以外の特集企画も、これまでいろいろ見ることができました。

 1月9日日曜日、娘と「ぐるっとパス美術館めぐり」に出かけたのは、郷さくら美術館の「平松礼二の世界展」
 日本画をまとめてみることが少なかった私も、平松礼二の絵を本屋で気づかず目にしてきたはず。しかし、平松礼二という画家名はまったく頭に残っていませんでした。文芸春秋の表紙を毎月1枚、2000年から2010年まで120枚を描いていたのですから、その中の一枚くらい、気に入った作品もあったかもしれないのに。
 雑誌の表紙絵というのは、できるだけ多くの人の目にふれて、だれにも心地良く、だれにも好きすかれることが肝心。「この絵、きらい」という感情を雑誌読者に持たせることはご法度。
 だれにも心地よく、だれにも好かれる絵であること。「だれにも嫌われない平穏無事な美しい絵」は、しかし私の心に残ることがなかった。

 今回、平松礼二の初期作品から最新作までまとめてみる機会となりました。
 郷さくら美術館の口上
 このたび郷さくら美術館では、郷さくら美術館特別展「平松礼二の世界-日本美の在り処を訪ねて-」を開催いたします。 日本のみならずドイツやフランスなど世界的に評価を受けている日本画家・平松礼二。本年、フランスでの個展や精力的な「ジャポニスムシリーズ」の発表など、長年の印象派・ジャポニスム研究やフランスでの活動及び日本画による文化交流の功績が高く評価され、フランス共和国芸術文化勲章を受章されました。
本展は、ライフワークとして生まれた「路シリーズ」や「ニューヨークシリーズ」、クロード=モネの睡蓮からインスピレーションを受けた「ジャポニスムシリーズ」など、精力的に創作活動を続ける平松礼二の作品をご堪能いただける回顧展となります。
伝統的な日本画を継承しながらも常に新しい画風への挑戦を試み、国内外で「現代の琳派」と称され高く評価されている平松礼二。その独自の画風を心ゆくまでお楽しみください。

 第1室に入って、私と娘の最初の感想が一致しました。「とっても、きれい。これもあっちのも、着物の柄にしたらすごくいいと思う」
 布地のテキスタイルデザインに興味がある娘と私が、一目見て「着物の柄にいい」と思ったのは、文芸雑誌の表紙絵として10年間毎月1枚世間に出しつづけてきたことと同じ。美しく平穏無事で、なんの苦みもいやみもない。

 第1室の「日本の祈り花が咲く20018」も、「紅白梅・月図」「路・野菊讃」も大きな屏風絵ですが、菊も梅も、細かい筆遣いでぎっしりと描き込まれています。全体の構図もここちよく、きれいです。

 






 
 





 現代の琳派とも讃えられ、かずかずの絵の賞も得ている平松。美術大学の教授も学長も勤め、フランスから栄誉ある勲章も受けた功成り名遂げた平松。

 立派な画家と思いますし美しい絵だと思う。たぶん私の感性の貧しさが邪魔をするのだろうが、きれいだね、以上の思いは湧き出てこない。
美しく心地良い絵がこの世には必要です。美しい絵に心奪われるひとときも大事。

 絵にそれ以上のものを感じたい思う私が、たぶん貧乏性なんだとわかっちゃいるが。

 展示中、ああ画集などでなく、直接美術館に来て観覧できてよかったと思ったのは、画家へのインタビューが十数分のビデオになって上映されていたこと。
 母親の故郷岐阜を訪ねたことから「路シリーズがはじまったこと」、50歳になってはじめてフランスを訪れ、どこの何とも知らずにオランジュリー美術館に飛び込み、楕円の部屋いっぱいに広がるモネの睡蓮を見て、足ががくがく震えるほどに感激したこと、などが、やわらかい語調で語られていました。

 モネの睡蓮の絵を、50歳で初めて見た、というのは言葉通りのことかもしれないし、足が震えるほどの感激を得たのが50歳だった、ということなのかもしれないけれど、頭だけでジャポニズムを理解したつもりになって印象派を眺める昨今の美術好き高齢者などにはできない真の美術体験であったことだろうと思います。

 
 『道』が道徳であったり同郷であったり茶道や剣道など、ものごとを極める道になるのと違い、「路」ということばは、路上も街路も、小さな通り道、人が行きかい触れ合う狭い路地の意味合いを持つところが好ましい、という画家の説明に「道シリーズ」ではなく「路シリーズ」でなくてはならなかった理由がわかりました。

 功成り名遂げた画家よりも、「志半ばで人生を終える結果となった早世の絵描きのほうが好き」という私の好みではありますが、平松礼二の絵、モネに啓発された睡蓮シリーズも、日本の花鳥風月の絵も、どの絵もここちよくきれいで、こころなごみました。

 次回、心地悪い絵もあり、こころがザワザワしてしまうタイガー立石展の報告。

<つづく>
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