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ぽかぽか春庭「赤と黒・大陽がいっぱい」

2012-12-11 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/11
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>悪人映画(3)赤と黒・大陽がいっぱい 
 
 「犯罪者が主人公の映画」、フランスの稀代の美男が主役を張っています。1本は、1940~50年代のフランスを代表する美男ジェラール・フリップの代表作『赤と黒』。もう1本は、1960~70年代を代表する美男アラン・ドロンの出世作『大陽がいっぱい』です。
以下ネタバレを含む感想です

 『赤と黒』は、スタンダール47歳の時、1830年に発表されました。
 元神学生による殺人未遂事件を素材に、野心に燃える青年の成功と挫折を描いた代表作です。王政復古下、旧ナポレオン派と王制派の暗闘うごめくフランス社会を鋭く批判した作品であり、終生共和政治支持者であったスタンダールの政治思想がよく表現されている作品でもあります。

 でも、映画の観客には、王党派でも共和派でも、どっちでもよくて、ただひたすら、女性を虜にする天性の資質を持ち、それを出世のために生かしていこうとする美男にうっとりする。ジェラール・フィリップ様が殺人未遂を犯したとして、彼がやったことなら、「殺人未遂」で死刑なんて、アリエネー。当の殺されかけたレナール夫人だってジュリアン・ソレルに会いたい一心で牢獄へやって来るくるではありませんか。
 ああ、あわれ美しきジェラール様が処刑場へひかれていってしまう。よよよ、、、、、

 『大陽がいっぱい』は、パトリシア・ハイスミス原作(原題:The Talented Mr. Ripley)による映画。1999年には、原作により忠実な『リプリー』も撮られています。原作の主人公のイメージにはマット・デイモンのほうが合っているのかも知れませんが、私にとっては、なにはともあれ、アランドロン様のたぐいまれなる美しさを堪能すべき映画が『大陽がいっぱい』
 ルネ・クレマンの映画音楽の響きとともに、トム・リプリーは、「かばってやりたい殺人者No.1」です。

 貧しい家の出身者トム・リプリーは、なんとか上層階級に這い上がろうともがきます。ジュリアン・ソレルと同じ。ジュリアンは、貴族の娘との結婚を画策し、成功しかけますが、それを邪魔されたと考えて殺人未遂を犯す。トムは、金持ち坊ちゃまを手にかけ、そのなりすましを図ります。アランドロン様のなりすましがばれそうになると、どうか無事逃げおおせて欲しいと願わずにはいられません。冷静に「犯罪者は裁かれねばならない」なんていう検察や判事のような精神で診ていられる人もいるでしょうけれど、ドキドキハラハラしながら、ラストまでアランドロン様の身の上ばかりを案じてしまうのです。

 冷静に考えれば、貧しい身の上から這い上がろうとした場合、アラン・ドロンほどの美男であるならば、はいあがる方法はいくらでもあります。マット・デイモンがトムを演じた原作により近いゲイ青年であるなら、なおさら。
 上層と下層の階級差別がくっきりしている現代西欧社会であっても、美貌のゲイ青年をほうってはおきません。だから、殺人などというばれやすい方法をとるのは、きわめて割に合わない方法です。

 「ジェラールフィリップ様がレナール夫人殺人未遂で処刑されるときに、天下の婦女子は涙を流して、どうかジェラール様を殺さないで、と願い、アランドロン様が金持ちボンボンのフィリップを殺しても、どうぞ捕まらないで逃げて欲しい」と願ってしまう。トムの人間性うんぬんの前に、アランドロンのハンサムが何よりも勝って画面に映り、こんなハンサムな青年につらい罰を与えたくなくなるのです。

 私たちの心の中には、悪事に引かれる気持ちも多分にあります。自分では拾った百円玉を猫ばばするすることさえできずに、駅事務所に差し出すような肝っ玉の小ささで生きてきてしまったたので、自分自身の欲望に忠実に、人を蹴落とすことやらだますことやらやってのける人の大胆に驚きもし、その強さがうらやましくもあるのかもしれません。

 ましてや、ジェラール様やアランドロン様が悪事を行っても、それを責めようなんて気にはなれないのですが、さて、現実社会の悪事、目に見えず、我々のささやかな生活を破壊しようとする悪事が蔓延しています。この不安と暗澹たる世相の中にあって、なんとか希望を見いだしたい。こどもたちが悪事に手を染めたりすることなく育つ社会にしていきたい。悪者ヒーローは、映画の中で楽しむだけでいいのです。

 さて、もし現実社会で殺人者を裁く、という裁判員に選ばれたとき、私たちは被告の顔で結果を決めるわけではありませんが、警察発表の犯人写真は、たいていどの犯人も極悪人の人相に写っていることが多くて、私、顔で決めたら判断まちがっちゃうかもしれません。その程度の判断力なので、裁判員にはなりたくない。

 連日いろいろな人の顔が新聞やテレビに登場する昨今。顔で決めては行けないのだろうけれど、悪人面の人が口でどんなにいいこと言っても、信用できない気がしてしまいます。まあ、だれが本当の悪人なのか、じっくりと顔を見て。

<おわり>
コメント (2)
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ぽかぽか春庭「悪人」

2012-12-09 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/09
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>悪人映画(2)悪人
 
 新聞連載時に読んだときは、とくに思い入れがなかった吉田修一の『悪人』。
 映画になって、主人公祐一を妻夫木聡が演じるというので、「え~、美男が演じるとぜったいに祐一がカッコよくなりすぎる、と危惧してしまいました。この主人公、「これまで女性にはもてたことはなかった」という設定ですから、美男が演じてしまうと、原作のイメージとは違ってしまうのではないかと感じ、主人公に心寄せる孤独な女性店員も、美女だったら「30になっても、結婚のケの字もない」というイメージと異なるだろうと案じて、映画を見ずにいたのですが、、、、テレビ放映があったので、録画してみました。

 私の映画鑑賞、みたい度別に、1,公開時に千円(シニア値段)を払って見る。2,飯田橋ギンレイホールで見る(シネパスポート)。3,ビデオ新作(300円)を借りる。4,ビデオ旧作(100円)を借りる。5,テレビ放映を録画。
の順です。「悪人」は、5での鑑賞だったので、映画祭主演女優賞の看板にも何の期待もせずに見たのです。

 妻夫木聡が祐一にキャスティングされたことを知ったとき、当代のイケメンが演じることによって、殺人者清水祐一のイメージが変わってしまうなら困るなあ、と思って危惧していたのですが、妻夫木はちゃんと「さえない、もてない土木作業員」に見えて、決してイケメン風ではなかったです。祐一がイケメンだからでなく、その人間としての存在すべてによって、彼の罪を考えてみようと思う機運が画面を見るものの中に醸成されました。
 
 深津絵里がモントリオール映画祭で最優秀女優賞を取り、第34回日本アカデミー賞で、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞、最優秀助演男優賞(柄本明)、最優秀助演女優賞(樹木希林)、最優秀音楽賞(久石譲)などを総なめにした映画で、「みな、うますぎる!」

 吉田修一の小説『悪人』を、作家が監督と共同で脚本をしあげ、映画『悪人』が完成しました。
 殺人者が主人公なのですが、なんとも悲しくせつない物語です。
 
 「だれが本当の悪人なのか」というキャッチコピーの狙い通り、見終わった後ひとりひとりが、自分の中にある悪を見つめることに成功しているのではないかしら。
 たとえば、東電女性社員殺害事件のとき、警察発表マスコミ報道のままに、あのガイジンは悪い奴だと単純に思い込んだ者たち。そのひとりひとりが、その資格もないのに「他者を断罪して快感を得る悪」を心に持っていたではないか。

 現実社会では、年寄りをだまして金品巻き上げても、罪に問われることもなく、のうのうと生きていられる。振り込め詐欺なども、警察庁の発表では、2011年(1月~12月)の振り込め詐欺の被害発生金額は約110億1,958万円で、検挙率は20%以下。捕まったのなんか、末端の金品受け渡し役くらいで、実際のボスは捕まっていないだろうと思います。
 映画の中では、「健康グッズ健康食品販売」の堤下(松尾スズキ)。この小悪人たち、ほんとうに世の中にはごろごろ存在しています。

 さらに大きな金額では。ひとりひとりが身を削るようにして捻出し納めた税金が投入されているはずの、復興予算のいいかげんな流用。東北の被災地の復興とはかけ離れた地の事業にも、「復興支援」として大金が使われている、というニュースがありました。この問題で不可思議なことは、「都合が悪い事態がおきたとき、どこにも責任者がいない」という事実。与党政府は「野党が出した予算案をそのまま承認しただけ」というし、どこからも悪人は出てこないのに、大金は流用されて消えてしまいました。人ひとり殺す罪が軽いわけではない。しかし、世の中にはその手で首を絞めなくても、殺す以上に人を苦しめている巨悪が多すぎる。そして小悪人は捕まって罰を受けるけれど、巨悪はのしあがって権力者となる。

 『悪人』ストーリーは。
 新聞連載だけで単行本は読んでこなかったのですが、今回、文庫本上下とシナリオ版を読みました。脚本が原作の設定を変える場合、不満が残るものですが、原作者が承知で変えたのなら、それは映画的変化として捉えるべきなのでしょう。いくつか、原作とは異なる設定があります。
以下、ネタバレを含むあらすじです。
 白地に白文字で書かれているので、ドラッグ反転で文字が出ます。かなりくわしいあらすじ紹介になるので、あらすじを知りたい方だけ、反転してください


 金持ちボンボンの大学生増尾圭吾(岡田将生)が、保険外交のさえない娘、佳乃(満島ひかり)を虫けらのように扱い、山中に置き去りにする。佳乃にふられた男祐一(妻夫木聡)は、娘のあとをつけ、助けようと手をのべるが、娘はプライドを傷つけられた腹いせに祐一の心をふみにじる。祐一は怒りにまかせて娘を手にかけてしまう。殺人としては単純な話です。

 警察は当初、姿をくらました増尾圭吾を犯人と見て、行方を追い、その間、祐一は紳士服量販店の店員馬込光代(深津絵里)と逃避行を続けます。
 殺人犯とは知らぬ間に祐一を愛し、30歳になってはじめて人を思う心を知った光代のこころが、丁寧に描かれています。
 祐一を捨てて逃げた実母に代わって祐一を幼いときから育てた祖母清水房江(樹木希林)と殺された佳乃の父親、床屋の石橋桂男(柄本明)の心情も「泣きのポイント」になっています。

 光代は、ラストシーンで自分に言い聞かせるようにつぶやきます。「あの人、悪人なんですよね。人を殺しているんですもんね」
 
 映画『悪人』に出てこない女性、金子美保。祐一が夢中になったファッションヘルスの従業員です。美保がなにげなく「結婚したらこんな家に住みたい」と夢を語ると、祐一はプロポーズもしないうちにアパートを借りてしまったことがある、と美保は証言します。この女性は祐一が母親からお金をせびるのは、「両方が被害者にならぬため、自分を加害者にしておけば、母親が息子を捨てた加害感情を被害感情に変換できるからだ」と、祐一が語っていた、と述べています。映画では、アパートを借りる話しは祐一の友人が、母親にお金をせびった理由については警察官が証言し、美保は画面に登場しません。満島ひかりと深津絵里のほかに、ヒロインイメージを拡散させないための措置だろうと思います。

 逃避行の果て、警察が踏み込んだとき、祐一が光代にとった行為により、光代は「犯人に連れ回された挙げ句に被害者となりそうだった女性」として扱われます。警察に対して、光代は「自分から祐一について行ったのだ」と証言するのですが、祐一は「脅して連れ回し、最後は邪魔になったから殺そうとした」と一貫して光代を被害者に仕立てます。祐一は、警察に、「自分は、女性の首を絞めることによって性的な快感を得る人間」とさえ言うのです。光代を守るために。

 事件から日が経って、また元の「紳士服量販店の店員として国道を行ったり来たりするだけの生活」に戻った光代。光代は、祐一が最後にとった行動が、自分への究極の愛であることがよくわかっています。ラストシーンで、光代は「あの人は悪人」と、自分に言い聞かすようにタクシーの運転手に語りかけますが、光代にとって、人里離れた灯台でふたりきりですごした数日の出来事が、30年間の「何もなかった生活」のどの時間よりも自分の人生を輝かせてくれたひとときであったのです。

 祐一が灯台の向こうの海に沈む夕日のきらめきを見せてくれたひとときのこと。海に沈む夕日は、生まれて初めて見る陽のように輝き、たちまち海に沈んでしまうとしても、その輝きを空に残していくのです。

 
 祐一は、育ててくれた祖父母にも、自分を捨てた母親にも、たったひとり心から自分を受け入れてくれた光代にも、やさしい心遣いを重ねる青年です。
 しかし、世間では。祐一は、殺人鬼であり、大悪人です。
 以後ものうのうと生きて行くであろうボンボン増尾圭吾はこれからも、女達を引き連れて遊び回り、健康食品販売の堤下は、これからもを年寄りを騙して高額で売りつけていくでしょう。

 世間では、悪人は祐一のような男を言うのです。表面に表れた事象だけで、悪人を決め、断罪して溜飲をさげます。
 80歳になっても、さらなる権力を求めて好き勝手やる男(後事は「ピカレスク」作者に託したとか)や、果たすべき責任を負わずにポイと政権を投げ出した末、もう一度返り咲いて「憲法を変えよう、日本を戦争できるフツーの国にしたい」と叫ぶ無責任お坊ちゃまは悪人とはされない。

 「悪人」とは、だれなのか。
 多数の福島県民を「難民」としてしまった責任者たちのうち、だれ一人「悪人」と名指しされた人はいません。すなわち自分に責任があると申し出た人はいません。防御壁を越える津波が襲う可能性を知りながら、稼働を続け、現場から爆発するという危機的な声を聞きながら手をこまねいていた人も、自分が悪人とは思っていないのです。
 「フクシマの事故は想定外の津波のせい」とされてきましたが、津波以前に、地震の揺れそのものですでに原子炉が破壊されていたということを東電側は隠し続けました。地震で壊れる可能性もわかっていたのに、「そんな大きい地震は当分来ないだろう」という根拠のない「安全神話」だけで操業していたということです。

 トンネルの点検を「テキトー」に終わらせ、「異常なし」という結果にしておいた悪人は、どこにもいないらしい。9人の人を殺しておいても。

 でも、みんな悪人が大好きみたい。本当の悪人は誰なのか、見極めることもせずに気分雰囲気で「なんかツヨソーな人、威勢のヨサソーな人」を求めて、あげく「だまされた」「こんなダメな政権とは思わなかった」とか言わないでほしい。国民が自分で選んだ結果は、自分で負う。
 せめて、自分自身が悪事の片棒担ぎにならぬ選択をしたいと思っています。
  
<つづく> 
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ぽかぽか春庭「ピカレスク」

2012-12-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/12/08
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>悪人映画(1)ピカレスク 

 人の罪のうち、もっとも犯してはならない殺人ですが、新聞ダネに人殺しのタネが尽きることはありません。
 次から次へ、テレビドラマ以上びっくりするような殺人が、現実に起きてきます。

 兵庫県尼崎市で起きた連続殺人事件。
 コンクリート詰めなどで発見された4遺体のほか、さらに周辺の人物が行方不明になっており、家族旅行中に自殺したとされる人も、「自殺強要」により、ホテルの窓から飛び降りさせられたのではないかと疑われています。
 主犯格の女性のマンションで家宅捜索が行われ、知人や親族を監禁暴行するための小屋がルーフバルコニーなどに設置されていたと警察発表がありました。このマンションの持ち主だった人の死も、生命保険をかけられた上での殺人の疑いがあるといいます。
 12月3日には、高松市内の小屋の床下に埋められていた死体が発見されました。行方不明になっていた88歳の女性とみられています。

 主犯とされる角田美代子被告(64)は、暴力によって他人の家を乗っ取り、その家族を支配し、金や財産を奪っていたのではないかという疑いがあり、おぞましい大量殺人事件が明らかになりつつあります。
 怨恨などではなく、個人による金品めあての殺人としては、この50年の犯罪史上でもっとも大量の殺人事件になるようです。
 私も、我が腕に止まって今まさに血を吸っている蚊を、怒りにまかせてたたきつぶしたり、台所のゴミコーナーに我が物顔でやってくるゴキブリに大量の食器洗い洗剤をぶっかけて仕留めたりするとき、さして「命を奪った」などという感慨は持たずにそうしているので、きっと、このような殺人者には、人の命もゴキブリ以下なのでしょう。

 まだ裁判が終結するまでは、「疑い」に過ぎず、本当にそうなのかどうか、明らかにはされていないのですが、主犯者に対して、早くも「稀代の鬼女」という週刊誌などの見出しが飛び交っています。私たちはマスコミ報道だけで、「稀代の鬼女」という評価を受け入れてしまっています。こわいことです。

 おりしも、以前のマスコミ報道では「東電女子社員殺人事件」の犯人として極悪人扱いだったゴビンタ・マイナリさんの無実確定の報道があり、また、パソコンによる犯罪で逮捕された人々4人について、誤認逮捕であったことを警察が謝罪しました。
 罪と罰。そう簡単に人の罪を裁けないことはわかっているのですが、何か事件が報道されると、私たちは、「悪い奴」を心の中で袋だたきにして溜飲を下げるようなことをしてしまいがちです。その人がどういう考えの持ち主でどういう性格だったかなんてこともおかまいなしに、ただ、大罪人というレッテルを張ってそれでよしとする。

 近代小説の中に、ピカレスクロマンという分野があります。日本語にすると、悪漢小説や悪漢譚、悪者小説。
 ピカレスク、元はスペイン語の「picaresca」からきているそうで、スペイン語のもともとの「ピカロ」(picaro)は、「悪者、悪漢、悪党、ならず者、ごろつき」といった意味あいで、小説の中では、ユダヤ系だったり娼婦を母とするなど、社会のなかで通常では上層に這い上がることを拒絶された環境に生まれた者をさします。

 ピカレスクロマン、ピカレスク小説は、社会の下層に位置する主人公が、恋やら冒険やらを重ねながらのし上がっていく過程を物語る小説。下層の者がのし上がるには、悪事犯罪も辞せずということが、実際には犯罪に手を染めることなどとてもできないフツーの庶民には喝采を受ける要素なのでしょう。
 
 日本に輸入されたピカレスクは、悪漢、ごろつきがそのまま主人公になる小説は好まれないようで、人気だったのは、石川五右衛門だったり鼠小僧次郎吉など、義賊というたぐい。日本的に「巨悪vs正義としての悪」に変形するなど、欧米のピカレスクとは傾向がことなるようです。また、猪瀬直樹が太宰治を主人公にした評伝に『ピカレスク』とタイトルをつけるなど、「日本的ピカレスク」というものがあるなら、主人公は、「悪漢」というより、「人間の中に潜む悪を自覚する者」というような意味合いかもしれません。

 悪漢映画、ピカレスクロマンも、日本と欧米では少々感覚がことなる部分があるでしょう。以下、「殺人者」を主人公にした映画、『赤と黒』『大陽がいっぱい』『悪人』について。

~~~~~~~~~~
ひょっとして~ (まっき~)
2012-11-07 20:25:41
連載が途切れる形なので、まちがいアップかもしれないけれど・・・
映画の話なので、どうしてもコメントしたくて敢えて。

殺人者のシナリオを改稿中なので、あらゆるキラームービーを観る日々。
確かに、かばいたくなりますよねリプリーは。

『悪人』は、深津ちゃんの孤独のほうが真に迫っていました。ケーキひとりで喰うところ、自転車ひとりで漕ぐところ。


~~~~~~~~~~~
HALより
殺人者が出てくるシナリオ、楽しみです。

<つづく>

もんじゃ(文蛇)の足跡:
東京都知事選挙、候補者のひとり、太宰治を描いた『ピカレスク』という本をだしています。彼の支持者かと思われるのも業腹なので、付け足しておきます。私は、「反原発」を明言している人に投票します。すなわち、『ピカレスク』の著者には投票しません。
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ぽかぽか春庭「永遠のマリアカラス」

2012-12-06 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/06
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>音楽映画(3)永遠のマリア・カラス

 日本の歌姫が雲雀なら、西欧の歌姫は鴉、とは、女子高時代によく笑ったジョークでした。つまり、オペラなんぞ見たこともない田舎の女子高生でも知っているオペラ歌手がマリア・カラス。LPレコード時代、私が自分のおこずかいで買ったレコードのうち、女性オペラ歌手の唯一の一枚がマリア・カラスでした。

 マリア・カラスは1977年53歳で亡くなり、一方ひばりは昭和の終焉とともに1989年、52歳でなくなりました。享年までなにやら不思議な一致をみせた二人です。とはいえ、ひばりが9歳から亡くなる直前まで第一線の歌手として歌い続けたのに対して、マリア・カラスの全盛期は約10年ほど。最初の夫30歳年上のJ.B.メネギーニがマリア・カラスのマネージングを行っていた時期にあたります。

 母親との軋轢により過食症になり、メネギーニが初めてマリアを見たときには、体重100kgだったと言われます。メネギーニは、マリアの体調管理からオーディション管理、すべてを仕切ってマリアを一流歌手の仲間入りさせました。マリアの歌手としての成功にメネギーニの管理があったことはまちがいありません。マリアにとって、メルギーニは、父親に匹敵する男性でした。父親は母親と離婚して、家族の元を去っていったからです。しかし、管理を強める夫に、マリアはしだいに違和感を持つようになります。

 1959年、夫とともにギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスの招待を受けたマリアは、オナシスと愛し合うようになり、夫のもとを出奔。このとき36歳。声が急速に衰えてきていましたが、マリアは声の維持より恋を優先しました。しかし、メネギーニはなかなか離婚に同意せず、ようやく離婚成立したのは1967年。
 マリア・カラスは、1965年頃からさらに声が衰えだし、事実上の引退に追い込まれます。しかし、オナシスにとっては「穏やかに静かに生きるマリア」が必要なのではなく、世界の歌姫として華やかに活躍するマリアが必要なのでした。

 マリアが歌えなくなったころから、オナシスは「世界一の歌姫」を手に入れるより、もっと見栄えのする「世界一」を手に入れようと躍起になっていました。世界のファーストレディ、ケネディ未亡人ジャクリーンです。オナシスは9年間愛人として手元においたマリアをあっさりと捨て去り、1968年10月ジャクリーンと再婚しました。ジャクリーンにはオナシスの財力が必要であり、アメリカ経済界進出をめざすオナシスには、元ファーストレディの名声が必要でした。オナシスとジャクリーンは、最初から不和が目立ったふたりでした。オナシスが離婚を決意したあと、手続きに入る前に1975年に死去。離婚寸前とはいえ、ジャクリーンにも莫大な遺産が残されました。(オナシスの実娘のほうが取り分がずっと多かったですけれど)

 マリア・カラスは、実母との不和、30歳年上の夫との最初の結婚。大富豪との愛人関係。アメリカ大統領未亡人によって、愛したオナシスと別離。過酷な人生を歩みました。
 愛する人に徹底的に裏切られたことから、不眠に落ち入り、以後マリアは睡眠薬依存症となります。晩年の不調、53歳の死、と、これだけ並べてもドラマたっぷりです。2005『マリア・カラス最後の恋』など、彼女を主人公にした映画も作られています。
 『永遠のマリア・カラス』は、恋愛問題からではなく、オペラ歌手としてのアイデンティティとマリアというテーマからストーリーが出来上がっています。(以下、ネタバレを含むあらすじ紹介です)

 引退同然になりパリに引きこもっていたマリアのもとに、辣腕プロモーターのラリーが訪れます。全盛期のマリアの声で吹き込まれていたレコード音源に、現在のマリアが口パクで合わせて、オペラ『カルメン』を撮影する、という企画です。マリアは口パクに抵抗しますが、ラリーや評論家サラの説得で撮影に臨みます。

 このラリーによる『カルメン』製作というエピソードは、オペラ監督としても名高く、カラスの親しい友人でもあったフランコ・ゼフィレッリの脚本による創作です。ゼフィレッリは、カルメンを撮りたかったのだろうなあと思います。カルメンを演じるソプラノを思い浮かべたとき、彼の頭に思い浮かぶのは、マリア・カラス。彼女以上にカルメンを演じられるスターはいない。

 マリアは、さまざまなオペラのプリマを演じましたが、このカルメンだけは、コンサート上演はあっても、オペラで演じたことがなく、カルメンを演じたいというのは、マリアの密かな願いでもありました。
 紆余曲折の末、華やかなオペラ『カルメン』が完成しますが、マリアはこの映画の公開を拒否します。ラリーは50%自費でまかなった出資金回収をあきらめ、マリアの願い通りカルメンをオクラ入りにします。

 映画の中でも述べられていますが、口パクを完全に行うには、それなりにオペラを歌える人が演じる必要があります。本物の歌手としてもカルメンを歌いこなせる人が演じないと、声帯の動かしかたから腹筋の使い方まで、すぐにウソはばれてしまいます。マリア役のファニー・アルダンもマルコ役のガブリエル・ガルコも、その点はプロ歌手が見ても及第点がつけられる口パクだったろうと思います。

 実際の晩年のマリア・カラスは。
『永遠のマリア・カラス』でも冒頭に出てきますが、1973年と1974年に来日。1974年にはテノール歌手、ジュゼッペ・ディ・ステファノ(最後の恋人でもありました)と共に、日本公演を行っています。国内4ヶ所でピアノ伴奏によって歌う、ワールドツアーの最後の地が日本でした。マリアの生涯最後の公式舞台が日本だったのです。
 映画の中に、マリアが忸怩たる思いで、このときの歌を聞くシーンがあります。日本の「ただ有名人の顔が見たいだけ」の聴衆たちは、マリアの音程不確かな歌にも大拍手を送っています。(東京公演の模様はNHKによるTV収録で残されています)。

 このひどい東京公演がマリアの最後の舞台になってしまったのは、本当に気の毒なことです。『永遠のマリアカラス』に描かれたように、口パクカルメンでもいいから、マリアのオペラ舞台が残されていたなら、いいのになあと思ってしまいます。コンサートでのハバネラなどは残っていますが。

 マリアの声はドラマティコ・ソプラノ・ダジリタと呼ばれる、ソプラノからメゾソプラノまでカバーし、どの音域の声もつややかに輝くベルカントであったと言われます。その分いっそう喉を酷使し、全盛時代は10年、前後の時代を加えても歌えたのは20年ほどでした。

 ひばりの後にも先にもひばりに匹敵する歌謡曲歌手はおらず、マリアカラスの後にも先にもマリアに匹敵するオペラ歌手は現れていません。
 映画『永遠のマリアカラス』は、マリア全盛期の音源による『カルメン』を見るだけでも、一見の価値がありました。

 『永遠のマリアカラス』というタイトルと紛らわしいですが、黒柳徹子となかにし礼がカラスをめぐって語り合う『マリアカラス永遠の歌姫(ディーバ)』というNHKの番組(2011月10月23日放送)。マリアがニューヨークで最初に受けたラジオ番組で歌った「蝶々夫人」の歌声が記録されています。12歳のマリア・カラスの歌声。
http://www.youtube.com/watch?v=gB63Y69yr8c

 この番組の最後、カラスが自ら音楽と愛について語ったことばが残されています。
「一流の音楽とは、ただひとつ完璧な音楽センスのことです。愛も同じ。愛し敬いそれを全うする。決して嘘をつかず、裏切らないこと。愛するというのはそういうことです。」

 以上、音楽の秋を楽しんだ音楽映画の紹介でした。

 何年の録画かわからないのですが、youtubeにUPされているカルメンより「ハバネラ」を歌うマリアカラス
http://www.youtube.com/watch?v=3rjOrOt6wFw&feature=related

マリアカラスの『蝶々夫人』
http://www.youtube.com/watch?v=mN9Dipgqdtw&feature=related

時間がある方へ、1955年スカラ座での「椿姫第一幕」(昔の録音で音質悪い。30分かかります)
http://www.youtube.com/watch?v=FvpvCYaMgIE&feature=related

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ドン・ジョバンニ&カストラート」

2012-12-05 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/05
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>音楽映画(2)ドン・ジョバンニ&カストラート

 モーツァルト映画といえば、なんといっても『アマデウス』です。でも、今回紹介するのは、『アマデウス』の中では脇役だった「ドン・ジョバンニ」の台本作者ロレンツォ・ダ・ポンテを主人公にした映画。『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』

 物語は、放蕩牧師だったロレンツォがベネツィアを追放され、ウィーンに向かうところから始まります。友人のカサノヴァの紹介により、ウィーン音楽界の重鎮サリエリと知り合い、さらにはモーツァルトとも出会う。ロレンツォ台本モーツァルト作曲のオペラ3曲は、1786年『フィガロの結婚』(原作ボーマルシェ)、1787年『ドン・ジョヴァンニ』(台本にはジャコモ・カサノヴァも協力した)、1790年『コジ・ファン・トゥッテ』。いずれも傑作です。

 映画は、詩人劇作家としてウィーンで成功したロレンツォの伝記映画ですが、タイトルにあるように、「ドン・ジョバンニの物語」でもあります。
 映画のイタリア語原題『Io, Don Giovanni』は、「私こそがドンジョバンニだ」という意味あい。モーツァルトの最高傑作オペラ『ドン・ジョバンニ』(フランス語だとドン・ジュアン、スペイン語だとドン・ファン)は、伝説中の稀代の色事師。
 ドン・ファンのお話ですが、カサノヴァ、ロレンツォ、モーツァルト、それぞれの放蕩や色事が投影され、「本当のドンファンは誰か」というようないわば、アイデンティティの物語でもあります。

 この映画の特徴は、「吹き替えなし」。監督は、歌手の役には本物の歌手を起用し、歌はすべて本人の歌唱。普段、オペラは見ないという人にも、オペラのすばらしさをちょこっと味わうのにとてもいい音楽映画だと思います。

『Io, Don Giovanni』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=nf5-yVEeLKk

 『カストラート』(1994 伊Farinelli Il Castrato, 英Farinelli)は、バロック時代のカストラート歌手 ファリネッリの伝記映画。
 カストラートとは、美しいボーイソプラノの声を成長後も保つために、少年期に去勢した男性歌手をいいます。16世紀のローマバロック時代に盛んになった施術で、19世紀半ばにローマ教皇の命により人道的見地から禁止されました。教会内での歌唱や演劇のために、1年に4000人の少年がカストラートとして育てられたそうです。具体的なことをいうと、中国の後宮で権勢をふるった宦官は、「玉と棹の両方を切り取る」完全去勢であったのに対し、カストラートは玉だけを抜き、棹は残されるのが普通だったとか。女性と交わることも可能、ただし、子孫は残せない。
 古来、牧畜が発達せず、農耕だけでやってきた日本では考えられないことですが、牧畜管理が発達したヨーロッパでは、仔牛やロバの去勢手術が盛んで、その技術が発達していたので、人間の少年にも応用されたのだとか。この牧畜技術と「教会内で女性が喋るのも歌うのも禁止」と定めたカトリックのおきてが出会うと、カストラート誕生となる。
 
 カストラートとして史上最も有名なのは、カルロ・ブロスキ(1705-1782)で、通称ファリネッリ。音域が3オクターブ半あったといわれる、天才カストラート。その伝記映画が『カストラート』です。
 カストラートの声は、さながら「神が音楽のために地上に遣わした天使」の響きだったそうで、ヨーロッパ社会はカストラートの声を待望しました。
 歌手去勢が禁止された現在ですから、映画の中のカストラートの声は、ソプラノ歌手とカウンターテナーの声をミックスしているそうです。(カウンター・テナーのデレク・リー・レイギンとソプラノのエヴァ・ゴドレフスカの声をデジタル処理した)

 映画『カストラート』は、英国ではヘンデルの時代。物語でもヘンデルは重要な役どころです。ファリネッリは長年作曲家である兄とコンビを組んできたのですが、ヘンデル作曲の歌をめぐって兄と対立し、兄から自立しようとします。昼は兄が作曲し弟が歌う。夜は弟が女性を耽溺させ、兄が種を植える。そういう二人三脚が崩れたあと、ふたりの運命は、、、、、。
 『カストラート』よりファリネッリが歌うシーン
http://www.youtube.com/watch?v=EVbyR1zJ9DQ&feature=related

 映画「カストラート」では、歌声が「映画の主役」と言ってもいい。
 日本ではカウンターテナーやの米良美一(もののけ姫の歌)やソプラニスタの岡本知高が知られています。
 岡本知高が歌う『誰も寝てはならぬ(トゥーランドット)』
http://www.youtube.com/watch?v=5R8LqdX4KlY 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「音楽映画・オーケストラ」

2012-12-04 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/04
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>音楽映画(1)オーケストラ

 今回のシリーズ「春庭シネマパラダイス」は、「音楽映画」「悪人映画」「難民映画」というラインナップです。
 まずは、音楽映画。最初はチャイコフスキー。

 チャイコフスキー映画は、1970年ソ連の伝記映画の『チャイコフスキー』ではなく、ブレジネフ時代からソ連崩壊時のエピソードをつづった『オーケストラ 原題:Le Concert)』(2010公開)をご紹介。(以下ネタバレ含む紹介です

 アンドレイ・フィリポフは、30年前には若手指揮者として成功を収めた人です。しかし、共産党政権が強行したユダヤ人芸術家排斥に与しなかったために楽団を追放され、今では劇場清掃係。30年間、劇場を掃除して生きてきたアンドレイの楽しみは、楽団のリハーサル時にホールに潜り込んで、自分が指揮しているつもりになることです。
 ある日、アンドレイは、パリの劇場が探しているオケのなりすましを計画します。パリシャトレ劇場で穴のあいたスケジュールを埋めるため急遽ボリショイ交響楽団の派遣を要請する、というファックスを手に入れたアンドレイが、彼と同じように政府から音楽家としてのキャリアを奪われた仲間を集め、パリに乗り込むというストーリー。
 寄せ集め楽士によるニセの交響楽団がホンコンで演奏会を開いたという実話を元にし、崩壊前のソ連の音楽と政治の裏話が語られます。

 演奏するのはチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。
 30年前に音楽界から追われた元楽団員達の、パリ到着までの珍道中やら演奏会までのてんやわんやで笑える映画なのですが、ラストのチャイコフスキー演奏は圧巻。
 アンドレイが指名した若く美しいバイオリンソリストには、出生の秘密がありました。

 リハーサルもすっぽかす楽団員たちが、アンドレイのひとことで劇場に集まり,若いソリストの演奏が聞こえると、皆で名演奏を行う。リハーサルなしに演奏するっていうのは、「アリエネー!」だけれど、そんなことは問題じゃない。「音楽の持つ力」を表現するにはとてもいい映画だったと思います。
 酷寒のシベリアで、見えないバイオリンから確かに音が聞こえてくるシーン、泣けます。この「音楽映画」の白眉の音シーンは、「エア・バイオリンから心に響いてくる音」でした。

「オーケストラ予告編」
http://www.youtube.com/watch?v=jyxtWUsvBBM

 「オーケストラ」のラストシーン」
 寄せ集めオケの演奏のひどさは笑えるけれど、バイオリンソロはすばらしい。ソロの音が響いたとたん、オケ一同はシャキ~ンとして、音がたちまち向上します。現実にそんなことはないだろうけれど。
 映画「オーケストラ」の若手バイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ役を演じたメラニー・ロランは、画面で見る限りでは、指使い弓使いが実にきちんとしていました。

 バイオリンの吹き替えしたのは、フランス国立管弦楽団のサラ・ネムタヌSarah Nemtanuという若い女性演奏者です。
 ジャケ役を演じたメラニー・ロランは、サラから4~5ヶ月も演奏法の指導を受けたのだそうです。吹き替え演奏者直々の指導があったのだとわかり納得。さらに、メラニーの指導者として、ロン=ティボー国際コンクール・バイオリン部門第4位入賞のマチルド・ボルサレロ-エルマンが手取り足取りしたのだそうです。

 Sarah Nemtanuの演奏、フランスのバラエティ番組に出演して演奏しているようすがyoutubeにUPされています。サラの演奏のあとは、『オーケストラ』の監督(脚本も)のラデュ・ミヘイレアニュが映画について語っています。
http://www.youtube.com/watch?v=8MIeMmigDeE&feature=player_embedded#!

 また、映画の中では、ジプシーバイオリンが重要なポイントになっています。サラ・ネムタヌが演奏するジプシーバイオリン。
http://www.youtube.com/watch?v=o8Dufi-6kSY&feature=relmfu

 ミヘイレアニュ監督が言う「悲劇を笑いで語る」と言う音楽映画の成功のひとつの鍵は、「吹き替えの成功」そして、酷寒のシベリアに響く「エアバイオリンの音」だろうと思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「区民コンサート&合唱祭」

2012-12-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/12/02
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012年秋(19)区民コンサート&合唱祭

 10月20日土曜日に、「区民コンサート」という催しに初めて出かけました。
 今まで地元の区民オーケストラの演奏会に行ったことがなかったのは、出演者に知り合いがいるならともかく、どうせ時間を使って聞くなら、アマチュアの演奏にしても一定の水準以上のレベルで聞きたい、と思っていたからです。つまり、区民オーケストラの実力を、聞きもしないでみくびっていた。アマチュアオーケストラというと私の印象にあるのは、「大学オーケストラ」。私の出身校のオーケストラなどが、入学式卒業式に演奏していたのを聞いてもあまり上手ではなかった。我が区のアマオケも、まあ、そんなレベルだろうと思い込んでいました。

 東京都には、23区のそれぞれに区民オーケストラがあり、それぞれの市にも結成されています。ほかに、会社ごとのオーケストラあり、室内楽団ありで、さまざまなアマチュアオケがひしめいていて、市民オーケストラリンク集に登録されている団体だけでも、400以上あると思います。登録されていないのもあるでしょうから、500団体くらいはアマチュアオーケストラや室内楽団があることでしょう。
 すごい音楽文化都市だなあと、これだけでも感心。世界中に、アマチュアオーケストラが400団体も500団体もある都市というのがほかにあるのか知りたいです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~jim/freude/link/community_tokyo.html

 はじめて聞いた区民オーケストラ、結成22年目。弦楽器も管楽器も確かにプロに比べればそれなりの音で、下手なところもあったけれど、無料で楽しませてもらうのに十分な音でした。10月20日の夜は、シューマンの交響曲4番とバーンスタインのウエストサイドストーリー・シンフォニックダンスを聞き、とくにウエストサイドのパーカッションがよかったです。団員の女性二人のほか、ゲスト出演のパーカッショニストも加えての迫力のパーカッションでした。

 ウエストサイドストーリー、聞いているうちに、映画のそれぞれのシーン、四季の舞台も思い浮かんで、ダンスが思い出されました。ほんとうに傑作ミュージカルだと思います。私が踊ったことがある曲は「アメリカアメリカ」だけですけれど。

 交響曲4番の作曲家ロベルト・シューマンは、妻のクララ(クララ・ヨゼフィーネ・シューマン1819~1896)のほうが有名人。天才少女ピアニストからロベルトの妻となり8人の子の母となって、さらにブラームスに愛される。(ブラームスの子孫が監督した映画では恋愛関係だけど、クララの子孫その他はクララとブラームスは「友情」関係という)
 キャサリン・ヘプバーンがクララを演じた(ピアノ演奏はルビンシュタインの吹き替え)『愛の調べ』(1947)も、マルティナ・ゲデックがクララを演じた『クララ・シューマン 愛の協奏曲』(2007)も、見ていないけど。

 区民合唱祭へ行ったのは、ダンス仲間のT子さんとこずさんが所属する女声合唱サークルが出演しているから。
 プログラムを見ると、12時開演6時終演までの6時間に、区内の合唱団、37団体が出演します。これもまた、すごいなあ。ひとつの区に素人の合唱サークルが37もあって、(今年度は出演しないという団体や、区の合唱連盟に所属していない団体を併せれば50団体以上あるかもしれません)それぞれが10分ずつの発表を行うのを楽しみに、1年間の練習を積んできています。

 私の所属するジャズダンスサークル、T子さんのように「声帯と胸筋腹筋を鍛えるために、ストレッチがんばります。踊るのが目的じゃないの」という人もいて、11人の会員のうち、5人は、各地の合唱サークルに所属しています。T子さんは、女声合唱のほか、オペラアリアを歌う会、こずさんは、区の第九合唱団にも所属していて、ともこさんミサイルママ、みきさんは、隣の区民合唱団に所属。ともこさんは、「区民オペラ」のコーラスも練習がはじまりました。

 みな、週に2~3回は合唱の練習、1~2回はダンスの練習。すごいなあ。そのほか、ミサイルママはひとりで登山にも出かける。ともこさんT子さんは年金生活になったけれど、ミサイルママもみきさんも仕事を続けるかたわらの活動です。週に一度ダンスをするだけの私は圧倒されています。

 地域の少年少女合唱団から、老人クラブの歌声サークルみたいな集まりまで、年齢もさまざま。また、音楽学校卒業生有志たちとおぼしきセミプロのようなグループから、音程はずしてもおこりっこなしよ、という申し合わせをしているようなサークルまでレベルもさまざま。
 T子さんたちの合唱団は、創立40周年の実力のあるサークルですが、40周年というだけあって、高齢化はいなめない。それでも美しい歌声で、星野富弘作詞なかにしあかね作曲の歌を3曲、しっとりと聞かせました。

 休憩をはさんで、後半最初のプログラムは、特別ゲストであるプロテノール歌手が、ロッシーニの「約束」などを歌いました。ビクシオの「Mannma」は、私も歌える。
 北区在住というプロのテノール歌手(名前わすれた)


↓は、パバロッティの「マンマ」です。
http://www.youtube.com/watch?v=UNmT7UswM7E&feature=related

 各団体のうち、混声合唱とうたっているところでも男声はごく少なく、なかには男声は一人、というところも。圧倒的に多いのは、中高年の女性です。「合唱」という文化は、中高年女性の趣味なのだとよくわかります。若い人は、クラシックや唱歌のような歌はうたいませんし、「合唱」という形態も好きではないでしょう。たぶん。今、合唱サークルに所属する人たちがこのまま老いていった先、50年後には、もう合唱という文化現象はこの世からなくなるのかな。
 学校文化としての「校内合唱大会」は、続きそうですけれど。

 私は、小学校中学校のときは、合唱クラブに所属し、毎年NHKの小中学校合唱コンクールの予選に出ていました。市内の予選では勝ち抜け、北毛大会では負けてしまって、県大会には出られない、というパターンのくり返しでした。今でも、NHKの合唱コンクール全国大会のもようがあると、テレビに見入ってしまいます。
 ともこさんやこずさんから、合唱グループに参加しないかというおさそいがあるのですが、今のところ、合唱は聴くだけで満足。歌いたくなったら、カラオケで「マンマ」でも歌います。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「2012年11月 目次」

2012-12-01 00:00:01 | エッセイ、コラム


2012年11月 目次

11/03 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ録画再生日記20年前の今日、何をしていたか(14)1992年10月30日人生の習慣
11/04 20年前の今日、何をしていたか(15)1992年10月31日ハンデキャップを持つ人について思うこと
11/06 20年前の今日、何をしていたか(16)1992年11月01日「定時制高校文化祭」
11/07 20年前の今日、何をしていたか(17)1992年11月04日「シンデレラになれなかったシンドローム」
11/08 20年前の今日、何をしていたか(18)1992年11月05日「ファーストレディ、ヒラリー」
11/10 20年前の今日、何をしていたか(19)1992年11月08日「飯干景子と魂の再生イニシエーション」
11/11 20年前の今日、何をしていたか(20)1992年11月07日「ヌレエフの栄光と悲惨」

11/13 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012年秋(5)愚痴ぐちグチ
11/14 十二単日記2012年秋(6)「船虫口説」イクちゃんの芝居
11/15 十二単日記2012年秋(7)山本有三記念館前の路傍の石とマララの日記
11/17 十二単日記2012年秋(8)文士のやかた小説家の家
11/18 十二単日記2012年秋(9)渋沢資料館晩香廬
11/20 十二単日記2012年秋(10)朗読「おはなしの会」
11/21 十二単日記2012年秋(11)饐えていたブロッコリー・ホテルオークラレストランゆりの木in東京国立博物館
11/22 十二単日記2012年秋(12)出雲展・東京国立博物館
11/24 十二単日記2012年秋(13)中国王朝の至宝展・東京国立博物館
11/25 十二単日記2012年秋(14)横浜美術館・神奈川県立博物館
11/27 十二単日記2012年秋(15)国分寺崖線を巡って-日曜地学ハイキング
11/28 十二単日記2012年秋(16)武蔵野夫人と日立中央研究所庭園
11/29 十二単日記2012年秋(17)武蔵国分寺遺跡から殿ヶ谷戸公園、関東ローム層-日曜地学ハイキング
11/30 十二単日記2012年秋(18)野川源流湧水、滄浪泉園-日曜地学ハイキング
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