春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「擬洋風建築を訪ねて」

2013-10-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/10
ぽかぽか春庭@アート散歩>近代建築めぐり2013(1)擬洋風建築を訪ねて

 建物を見て歩く散歩、これまでは都内や埼玉千葉などの東京近郊が中心でしたが、この夏、東北に残る擬洋風建築を中心にして見て歩くことができました。

 幕末から明治初期にかけて、横浜や東京築地など、新しく外国人居住区となった土地には貿易などに従事したり、宣教のために日本に派遣されてきた西欧人が住処を求め、つぎつぎに洋風の家が建てられました。建築の心得のある西欧人が日本人の大工を指揮して洋風建築の建て方を教えたり、大工棟梁が洋風建築を見学し、伝統的な大工の技を駆使して見よう見まねではあっても洋風の教会や学校、洋館を建てていきました。外観は洋風であっても、内部の構造には、伝統的な木組みなどが使われています。

 コンドルなどに正規の建築学校で教育を受けた建築家が育つまで、日本の洋風建築は、これらの大工さんたちが技を競いつつ建てたのです。擬洋風建築という呼び方に反対する建築史家もいます。「擬」には、「もどき」とか「偽物」の意味合いがあるからです。

 日本の建築物は、中国などの建築を取り込んで、日本建築という伝統を築いてきました。だったら、西洋建築を取り入れたとしても、それは「擬」ではなくて、これまでの「さまざまな様式、建築方法」を取り入れてきた日本建築の伝統そのものではないか、「擬似洋風」なのではなくて、これはこれでひとつの「日本建築」なのだと。

 また、山梨県の擬洋風建築は、そのほとんどが県令(今の県知事)藤村紫朗が命じて建築されたので、「藤村式建築」という山梨県だけの呼び名を用いています。
 文明開化新時代を目に見える形で人々に示す、という役割を果たした建築であるため、開花式建築ともよばれます

 こうした擬洋風建築が東北など地方に数多く残されました。東京では関東大震災や東京大空襲の戦災でほとんどが消失したり、「古くなった」という理由でとっととコンクリの建物に建て替えられてしまったのに対して、東北ではこれらの建物を近年まで大切に現役の学校やら銀行として使用し続けてきた、ということです。そして今、これらの建物は地元の誇りともなり、観光資源にもなっています。

 地方の県令たちが洋風建築に熱心だったのには理由があります。
 幕藩体制時代にそれぞれの土地の「中心的建築物」は多くが「お城」でした。藩主の威光を示し高くそびえる建物がランドマークであったのです。人々はお城の天守を見上げては「おらが殿様」が藩の中心であることをイメージしました。
 しかし、廃藩置県後、県令となった人物は、明治政府の方針でほとんどが「出身地とは別の土地」に派遣されました。たとえば、山梨県令の藤村紫郎は肥後熊本藩の出身です。

 県令は、お殿様とは異なる「威光」、新しい政府となったこと、文明開化という新時代になったことを、目に見える形で土地の人々に示す必要がありました。その形が「西洋式の建築」でした。地元の大工たちはこれらの要望に応え、東京や横浜まで洋館を見学に行ったりして外観を把握し、自分たちの技術で西洋風の建物を建設しました。

山形県鶴岡市・至道博物館内の旧西田川郡役所

旧西田川郡役所階段

同・旧鶴岡警察署(私が訪ねた日は改修中で、内部の見学はできませんでした)
 

 これらの建物、移築補修がなされていますが、1979(明治12)年に新築なったときに人々が眺めたであろう当時の姿をそのまま残しています。初代県令三島通庸が命じ、大工棟梁、高橋兼吉・石井竹次郎がルネッサンス様式を模して建てました。
 館内に高橋兼吉の写真が展示してありました。己の腕ひとつを頼みとして、これまで手がけたことのなかった「洋風」の庁舎を見事に建てあげた棟梁の心意気はいかばかりであったかと往時をしのびました。

<つづく>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「セザンヌのりんご-福田美蘭展in東京都美術館」

2013-10-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/09
ぽかぽか春庭@アート散歩>アート散歩2013年9月(3)セザンヌのりんご-福田美蘭展in東京都美術館

 福田美蘭の「有名作品の模写に付け加える作品」のうち、オマージュになっていると感じたのは、セザンヌの「りんごとオレンジ」の模写に、美蘭がコメントを付け加えた絵です。
 美大受験生が通う美術予備校では、生徒が書き上げた作品に指導教官があれこれコメントを加える。いかにも美術予備校の教師が生徒の絵に加えそうなコメントで「りんごかオレンジかわかりません」とか「不安定なモチーフの組み方です」などとコメントを書き入れ、総評としては「視点がバラバラです」これにも大笑い。

 誰もが「大家」として文句一つ言わずにありがたがって見てきて、日本の美術館なんぞがセザンヌを1点でも手に入れれば狂喜乱舞しそうなのに、福田美蘭は、もしこれと同じレベルで画学生が書いたなら、凡庸な絵画教師ならこのような凡庸なコメントによって評価するであろうという批評を書き加えています。セザンヌへの総合評点は「B+」でした。

セザンヌ「りんごとオレンジ」

福田美蘭「リンゴとオレンジ」「美術教師」による総合評価は、B+
 

 セザンヌをありがたがってみている人々へも、生徒の絵にエラソーな批評を加える絵画教師にも痛烈な1点になっています。
 りんごかオレンジかわからないような果物の描き方で、視線がばらばらなこの絵が、なぜ傑作なのかもわかる。すごいな、福田美蘭。

 「現実への眼差し」コーナーには、社会事件となった出来事にコミットした絵が並んでいました。
 噴火後の富士山やイエス・キリストに説教されてるブッシュというような想像の光景を描いています。

 地下と1階吹き抜けのギャラリーAのテーマは「今日を生きる眼差し」。
 母の死をみつめた、花の絵(美蘭展のポスターに使われています。)
 祖父、林美雄(絵本作家)の死に際し、祖父が描いた童話の動物や金太郎たちがあつまって祖父を見守る涅槃図。震災後の被災者や海の生き物に対する思いが画材となっています。2011~2013年に制作された新作が並べられていました。

 この福田美蘭展に、皇后行啓がありました。作家自身が絵の説明をしたということです。一般の観覧者を、通常の閉館時間より30分早く退室させ、行啓観覧時間は、17:30~17:50の20分ほどでしたから、全部は見ず、ギャラリーA「今を生きるまなざし」と、両陛下がサイパンのバンザイクリフで黙祷なさっている後ろ姿を描いた絵の展示がある「現実への眼差し」のコーナーだけだったかもしれません。もし、「日本への眼差し」の部屋も見たのなら、福田美蘭がどのようにご説明申し上げたのか、知りたい。

 「日本への眼差し」の中の、「高き屋にのぼりてみれば」に描かれた仁徳天皇と皇后の姿。「高き屋」から見下ろして民のかまどに煙が立っているようすを満足げに眺めている絵なのです。そして、画面中央には「強烈な爆弾」が炸裂している。
 のんびりと「高き屋にのぼりてみれば煙けぶり立つ民のかまどはにぎはひにけり」なんて詠んでいる場合じゃないのに、気高き雲の上つ人は、かまどのけぶりを寿ぎ、爆弾炸裂には目もくれない。「雲の上つ人」の慈愛とはこういうものなのだ、と描いているのを、どのように解説するのだろうか。

 私の世代の者なら、この仁徳天皇の「民のかまどのけぶり」を見て喜び、爆弾炸裂にはおかまいなしの姿を見て、すぐに連想されることばがあります。
 広島に「新型爆弾」が炸裂した時の感想を問われて、かの上つ人は「やむをえなかった」と、ひとこと答えたというのが、1975年の「記者クラブインタビュー」に残されているのです。
http://www.youtube.com/watch?v=NQhVOTS0j7A

 皇后さまは、「夏-震災後のアサリ」に関心を示されたとのこと。


ギャラリーA観覧中の皇后さま

 皇后さまの背景の絵はこちら。この部屋の絵は撮影可なので、撮りました。
 作家の解説によると「芸大の門の前にたつ美蘭を父福田繁雄が撮影した写真パネルに、芸大卒業記念に美術室から失敬してきた椅子と、校内にあったのを自宅庭に移植したアカンサス」と、伝統のアカンサス模様を描き込んだ絵。

「アカンサス」

 ルーブル展示も美蘭展もよかったし、私の肩を叩いた男性のことも、この手の老人は、人のミスをみつけて非難することに生きがいを感じている気の毒な方だとおもうことにして、気分を直しました。こういう老人にはなりなくないなと、今日も反面教師によって老後を生きる指針を得ました。
 秋の美術館、絵を楽しみ、老後の教訓を得て、上野精養軒で食べた「ヘルシーどんぶり」もおいしかったし、まあ、よい一日でした。

<おわり> 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「床に置く絵」を踏んでみた-福田美蘭展in東京都美術館」

2013-10-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/08
ぽかぽか春庭@アート散歩>アート散歩2013年9月(2)「床に置く絵」を踏んでみた-福田美蘭展in東京都美術館

 福田美蘭は、1989(平成元)年に、26歳で安井賞を受賞し、美術界にさっそうと登場しました。以来、縦横無尽の活躍で、若手と思っていた彼女も50歳。私はこれまで美術館などで彼女の作品を見たことが少なく、雑誌グラビアや新聞雑誌の挿絵によって見てきたので、画家というより、「ポップなイラスト」のように、その作品を受け取ってきました。

 今回の展示にも、おもしろい仕掛けがたくさんありました。
 福田美蘭の父親が、だまし絵などの軽妙な作品で知られるグラフィックデザイナー福田繁雄だ、ということも、美蘭をポップな絵描きさんという印象に受け取る要因だったかもしれません。美蘭は、既製の写真に手を加えたり、先行絵画の模写に描き加えたり、複製ということばと「見ること」は、福田美蘭の制作のキーワードになっています。

 最初の展示には「日本への眼差し」というタイトルがあって、古今の日本画を元ネタにしていろいろ書き加えやパロディが加えられています。床の間に飾られているような雪景色の墨絵風掛け軸の絵、富士山の下に描かれているのは、りんご食って死んだ白雪姫。小人たちが大粒の涙こぼしている。「富士によって白雪姫の不死を暗示している」という本人の解説ことばが書いてあるけれど、私には「永遠の命(永遠の著作権)を維持しようとしているディズニー社」への「これは芸術作品だから、パクったって文句言わせないよ」という美蘭の心意気を感じました。塀に書かれた子供の落書きにも「著作権侵害」の文句つけてくると言われているディズニー社ですが、この白雪姫には文句が付けられたのやら否や。

 もはや実際には着ることもされず、鑑賞するのみになった着物、志村ふくみの染色織物。それを、福田美蘭は堂々と着た姿で自画像を描く。「志村ふくみ《聖堂(みどう)》を着る」
 茶を飲まずに飾っておく茶碗とか、花をいれると汚れちゃうから花を生けられない花器とか、芸術になってしまって実用にはならない本来は「実用の品」であったもの達へ「ものとして使われるべきなのにえらくなっちゃって、飾り物にされて、ご愁傷様」というようなまなざしの自画像。

 「オマージュ」と評されている絵もありますが、私には「コケにしている、おちょくっている」としか見えない絵も。
 たとえば「孫を描く安井曾太郎像」。安井曾太郎が描いた孫の女の子、全然かわいらしくない。「金蓉」のような美人の絵も書いているのだから、孫をおにんぎょさんのようにかわいらしくも描けたはずなのに、なんだか小生意気そうな「子供ながらもタカビー」な感じで「私のおじいさまは高名な画家なのよっ」と、美術学校の画学生あたりを睥睨しそうな顔の孫に描いてある。その孫を描く安井曽太郎を想像して描いたオマージュだというのだけれど、どう見ても、孫は元ネタに輪をかけて可愛らしくない。安井の顔はリアルなのに、孫の顔は安井が描いた以上に青黒い顔で、これってオマージュ?と思いました。安井曾太郎らの「リアリズム」に一言いいたいんだろうなあ、と感じました。「リアルって何?」

福田美蘭「孫を描く安井曾太郎」


安井曽太郎の「孫」

 次の部屋のテーマは、「西洋への眼差し」
 「ラファエロのグランドゥーカの聖母」とか、ダビンチの「最後の晩餐」の洗浄前と洗浄後、とか、いろんな西洋名画がおちょくられて、いやオマージュされています。モナリザはポーズするのに疲れちゃって、横たわった姿で描かれているし、「黄金の雨に変身したゼウスを迎えるダナエ」に降っているのは黄色いリプトン紅茶ティーバック。
 有名な西洋絵画にいろいろな付け加えが仕掛けてあります。

 入り口近くには「踏み絵」がありました。キリスト、教皇、天使などが描かれた横2m縦2.4mの大きな絵。タイトルは「床に置かれた絵」
 床に置かれていて、作家のキャプションには「踏んでみることで見方が変わる」というような解説が書かれています。立っている係員の女性に、「この絵を踏んづける人が、どれくらいの割合でいますか」と、きいてみる。「さあ、半分くらいでしょうか」

 私もおそるおそる絵の上にたってみました。右側のエラソーな人の上を踏んづけて歩く。たぶん法王をイメージしているんだろうけれど、どうせ法王なんて、中世に免罪符売ったり金儲けに奔走したような手合いが多いんだし、「踏め」と書いてあるんだから踏んでおこう、みたいな。

 「絵の上を歩いてみることで絵の見方がかわるかも」という作家からのメッセージですが、私が感じたのは「いくら絵でも、やはりイエスの顔は踏めないなあ」でした。『沈黙』を思い出しました。小説中でイエスは「踏むがいい。私を踏んでも私への信仰心がないなんて思わないから」というようなことを言ってくれるのですが、禅ぶっディスト(のようなもの)の私だってイエスの顔を踏むのはためらわれました。踏んだら自分の心に「尊者への冒涜」と感じたと思います。隠れキリシタンなどにとって、踏み絵はつらかったろうなあと思いました。

 物質としては、パネルとアクリル絵の具にすぎないのですが、そこに聖なるものが具象され描かれたら、そこにはやはり何らかの意味が盛り込まれてしまう。形の持つ意味を考えさせられました。描かれ形作られた像は、すでに物質として存在するのではなく、心に訴え掛ける何ものかを帯びて存在するのだとよくわかりました。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「地中海展&福田美蘭展in東京都美術館」

2013-10-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/06
ぽかぽか春庭@アート散歩>アート散歩2013年9月(1)地中海展&福田美蘭展in東京都美術館

 夏旅の日本海、おいしいもので満腹したあとは、秋の芸術、地中海で目の保養。東京都美術館で開催されていた「ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり―」展、夏休み中、暑くて出かけるのをためらっていて、会期終わりになってようやく見ることができました。同時開催中の福田美蘭展も見て、よい一日になりました。



 地中海展は、ルーブル美術館からの貸出しで、エジプトメソポタミア、ギリシャローマ、近代のグランドツアーブームまで四千年の、地中海をめぐる美術を概観する、という企画です。
 一番の目玉が「ギャビーのディアナ」

 像の元は、ギリシャで彫刻された狩猟と月の女神アルテミスです。ローマ時代に模刻され、18世紀にスコットランドの画家であるハミルトンが、ローマ近郊のギャビーというところで発掘したため、ギャビーのディアナ(=ダイアナ)と呼ばれています。
 「ギャビーのディアナ」は、一方からだけの観覧ではなく、石像の周囲をぐるりと回ることができるようになっていたので、前後左右、好きな角度で見ることができました。



 館内撮影禁止ですが、主な作品は東京都美術館HPで見ることができます。
http://louvre2013.jp/highlight.html

 私の観覧方法は、これまでと同じく、館内が混んでいるうちは、人の頭越しにささっと一巡。二巡目は、絵の前の人垣が少ないところを選びながらB1から2階までまわる。そして、閉館30分前からが狙い目。30分前になると入口が閉められて、もう人が入ってこないので、ごく少数の人数しかいないフロアで観覧できます。終わりごろになると、「閉館時間となりました。出口へお急ぎください」という係員のおいたての声に抗いながら見て回ることになりますが、閉館時間になるまでは遠慮することはありません。ささっと回った時に、「これをもう一度みよう」と、決めていた作品の前で、ゆっくりと鑑賞できます。
 館内を三巡することになるので疲れますが、大勢の人といっしょに流れにそってささっと通り過ぎても、印象に残りません。

 観光客としてパリにいって、ルーブルを見る人は数多いでしょうに、たぶん、今回展示されている作品のうち、ルーブルでギャビーのディアナ以外の作品の前を、ほとんどの観光客はささっとスルーして通り過ぎたのではないかと思います。あるいは全然たちよらない館の収蔵品であったか。モナリザとかミロのビーナスを見たら、すぐにツアーの集合時間になってしまう。



 ルーブルではこんなにしげしげとは見てもらえない4000年にわたる地中海沿岸の美術品たちが、押すな押すなの見物客に見つめられて、4000年分の視線を感じたことでしょう。10万人以上のお客さんが見たそうですから。
 地中海展を見て、あまりの混み具合にちょっと苛立ち、「この中のどれだけが真に地中海沿岸の歴史や美術にこれからも関心を持ってくれるのだろうか。ただ一日の物見遊山で楽しむのだって美術の楽しみ方だとはおもうのだけれど」というような、なんだかもやもやした心持ちが残っていて、へんだなあ、よい展示物を見たら、心豊かな気分になるはずなのに、と思いました。

 地中海展の前に見て、おもしろく感じたのが、福田美蘭展でした。



 入口から入って、最初に長すぎる胡蝶蘭の造花が目に入ります。よく個展の入り口などに胡蝶蘭の鉢植えがいくつも置かれていて、値段の高さを競っているようなのがあります。福田美蘭は、アートフラワー作品としてありえない長さの胡蝶蘭を作って、「人造の花」のキッチュな存在を示していて、最初からワハハ、と思いました。これから、個展やら書道展の入口に胡蝶蘭を見るたびに、「どうせなら、5mくらいの胡蝶蘭を飾り給えよ」と思うだろうな。

 地階1階ふきぬけの彫刻展示室(ギャラリーA)、1階、2階とテーマごとに展示があります。撮影禁止とあるなか、ギャラリーAの入口には「この部屋の展示は撮影できます。ブログなどへの掲載もできます。ただし、新聞雑誌への掲載は要相談」という意味の注意書きがありました。

 「今日を生きるまなざし」が展示されているギャラリーAでカメラを構えていると、バシッと音がして、痛みを感じるほど強く肩が叩かれました。私の肩、老化による肩関節炎が痛いのに、そんなに強く叩かなくても。
 60代か70代の年配男性が大きな声で「撮影禁止だぞっ」と睨みつけています。ああ、またか、と思いました。自分が世界唯一の正義だと思い込み、自分の主張を疑ってみることもしない人種。よくいます、自分より弱そうな者には強く出るこういうオヤジ。

 私はギャラリーAの入口を指差し「あそこを見てくださいね。この部屋は撮影可能と書いてありますよ」と言いました。オヤジは「え?」と言っただけで、私の前からささっという感じで立ち去りました。

 福田美蘭展のあとでルーブル地中海展を見たのですが、混み合っている会場で、私の姿を見かけて、こそこそと姿を隠したオッサンがいました。顔はメガネをかけていたことくらいしか覚えていなかったのですが、シャツに見覚えがあります。さきほどの「撮影禁止!」のオッサンりでした。こそこそ逃げていったのは、私に顔をみられたくなかったのでしょう。

 先ほどの、肩を一撃された痛みを思い出しました。ああ、あの男の人をとっつかまえて、「人を非難しようなんて思ったら、よくよく注意して、自分の非難が正当かどうかよく確認することですね。そして、自分のしたことが不当な非難だったとわかったら、素直に謝るのが大人のする態度でしょう。自分が間違った非難をして、人に不愉快な思いをさせておいて、謝罪もせずにこそこそ逃げるだけとは、あなたこそ恥ずべき大人ですね」と、言いたかったのだと、思い至りました。
 地中海展を見ているあいだのもやもや不愉快な思いの原因がわかりました。
 いつも、私は他者に言いたいことがいえなくて、あとでうじうじするのです。文字で書くならいくらでも大音声で書き連ねることができるのに、対面では口ごもってしまう。

 でも、私の顔を見てこそこそ姿を隠したということは、本人も自分が不当な行動をとってしまったということを自覚したのだ、と思うことにしました。
 言いたいことが言えなかったもやもやの原因がわかって、あとはゆったり展示をみることができました。

 「福田美蘭展」つづく。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「東京ヘブンアーティスト」

2013-10-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/05
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声(4)東京ヘブンアーティスト

 大道芸人、ストリートアーティストとは、世界中のどの国でも、どこからかふらりとやってきて、いっとき街や村の人々に音楽を聴かせたり芝居を見せたりして投げ銭を乞い、またふらりととなりの町へと過ぎ去っていく。そういう放浪のイメージを持っていました。フェデリコ・フェリーニ「道」のアンソニー・クインとジュリエット・マシーナのイメージです。

 しかし、なんでもエラソーに権威付けることが好きだった東京都の前知事は、大道芸人に審査を施して選別することにしました。東京都が「これなら東京都にとってふさわしい」と認めた芸人に「東京ヘブンアーティスト」というお墨付きを与えて、街なかでの上演を許可しました。

 私は、この許可制度には反対です。大道芸とは、本来「芝居小屋などでは表現できない異端も時の権力者への反逆も、すべて飲み込んで上演される」のが本当の姿だと思うからです。

 お上に審査してもらって、許可されて演じるというのでは、本来の大道芸ではないだろうという気がするのですが、なんでも官許が好きなお国柄です。たとえば、大道芸オーディションの場で「東京五輪開催反対」をネタにした芸を披露して、その芸が標準以上のできのとき、合格するものかどうか知りたいです。

 フランスでの、大道芸人のオーディションを見習ってのことだろうと思います。フランスではロマ(ジプシー)の大道芸人とその他の芸人の間に軋轢が生じたりするのを防いだり、執拗に投げ銭をせがむ行為が観光客に不安を感じさせフランスの評判をおとすことを防ぐなどの意味合いもある措置だったと思います。
 東京の大道芸官許は、「質の高い娯楽を都民に提供できるようにするため」だそうです。

 でもまあ、上野や代々木、井の頭などの公園などにいくと、「お墨付き大道芸」が見られるので、楽しませてもらっています。「お墨付き」で、どのグループも「質の高い娯楽」です。

 ある日の上野公園。「東京楽竹団(とうきょうらくたけだん)」というグループのパフォーマンスを見ました。
 楽竹団ホームページ  http://www.tokyo-bamboo.com/

 楽竹団は、楽団名のとおり、「竹」をつかった楽器を手作りして演奏しています。楽器用途に合う音色の竹を探し、山に入って竹を切り出すところからの手作りだ、とMCが言っていました。

 インドネシアの民族楽器「アンクルン」は、留学生の演奏を聞いたこともあるし、知っていました。
東京楽竹団のアンクルン

 日本では、もともと竹製の楽器は馴染みのものです。尺八は、竹をつかった日本の代表的な管楽器ですし、雅楽の篳篥(ひちりき)は、漆を塗った竹。鳳笙(ほうしょう=しょうの笛)は、いろいろな長さの17本の細い竹管を組み合わせています。
 竹の鳴子をお土産にもらって、風鈴がわりに窓辺に吊るしていたこともありましたし、竹にさまざまな音色があることはわかっていました。しかし、竹の楽器だけの演奏グループをはじめて聞きました。楽竹団の演奏で初めて見た楽器もありました。
http://www.tokyo-bamboo.com/inst.html

 この日は、「八木節」「「童神~天の子守唄」「花」などの曲が演奏されました。


 たいていのヘブンアーティストが最後の曲の前「私たちは大道芸人です。みなさまのおこころざしで演奏活動を続けています。演奏がお気に召しましたら、お気持ちを丸い形にしていただけますと幸いです。まるいのもいいですが、長方形の形はもっとうれしいです」なんて挨拶します。

 私の方針は、10年前から「10分間立ち止まって演奏を聞いたら100円。30分で500円のワンコイン主義。
 ヘブンアーティストは、「四角いほうが、、、、」と言いますが、東京には、無料または千円500円の料金で屋内ホールでの演奏会がたくさんあります。2時間のホールコンサートで千円なら、ホール賃貸料がなしの演奏で30分500円はそう悪くはないかなと。
 楽竹団の演奏もとてもよかったですが、すみません、投げ銭はワンコイン。

 「じょんがら」がとてもよかったです。(youtube での楽竹団の演奏は、上野公園ではなく、舞台での公演です)。
http://www.youtube.com/watch?v=8rBJTl7ZGGU

 上野公園での演奏「島唄」(youtube映像は、昨年の演奏です)
http://www.youtube.com/watch?v=-gJZT0df3AI

 私は公園を散歩することが好きなので、ヘブンアーティストに出会うことが多いですし、そのほかの場所でも「無料公演」というのがあると、時間がある限り聞くことにしています。「無料」というのが大好きなので。
 夏休み中、「今日は、火曜日。泉屋博古館は月曜休館だから、開館しているだろう」と六本木駅に降りたら、改札口前のコンコースから三味線の音が聞こえてきました。「HIDEHIDE」という和楽器デュオの駅構内演奏会でした。美術館は逃げていかないから、演奏を聴いてから行こうと思って、いすに腰をおろす。

 若くてイケメンのデュオ、とてもかっこいい。尾上秀樹(中棹三味線)と石垣秀基(尺八)のおふたり。ふたりのヒデキなので、HIDEHIDE。


 六本木では、「はげ山の一夜」や子供向けサービスで「崖の上のポニョ」などが演奏されました。

舞台公演の映像youtubeです。 
・ノスタルジア  http://www.youtube.com/watch?v=xx4xEj9PkdU
・(たぶん)ロシアでの演奏 http://www.youtube.com/watch?v=WqH74-oXqQI
・http://www.youtube.com/watch?v=WPbYJRtIkXo

 この日火曜日でしたが、泉屋博古館は展示入れ替え中で休館。確認しないででかけたおかげで、HIDEHIDEの演奏を偶然聞くことができました。

 ほかにも、東京芸大の学生がワンコイン500円で月一回のコンサートを続けていますし、アマチュアオーケストラのコンサートも多数開催されます。無料で音楽を楽しめるという点で、東京は世界で有数の音楽都市です。

 オリンピックでたくさんの外国の方が来日するチャンス。スポーツとともに、アート(音楽も美術もダンスも)をもっともっと街角で楽しめるようにしてほしいです。
 ヘブンアーティストもいいと思いますが、たまには「自由な天国」でだれでも自分の芸を披露できる場所を設けておくとか。もちろん投げ銭OKで。
 私も街角で踊りたくはあるのですが、投げ銭おひねりのかわりに、石礫とんできそうです、、、、、

<おわり>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「水織ゆみシャンソンコンサート秋」

2013-10-03 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/10/03
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声(3)水織ゆみシャンソンコンサート秋

 9月26日「水織ゆみシャンソンコンサート秋」がありました。ミサイルママはじめ、Aダンスの仲間たち、いっしょにゆみさんの歌を聞きにでかけました。
 四谷区民ホールで開催されたコンサート、今回もとても楽しかったです。

 このコンサートの前、いっしょにジャズダンスの発表会に出演したときは、ゆみさんの体調が万全でなく、のどは最悪の状態だったので、コンサートまでに回復できるか、心配しました。でも、さすがプロ。本番では声量もたっぷりと歌い上げて、すばらしい歌声でした。

 前回の「シャンソンコンサート春」は、ピンクやパステルカラーの春らしい色合いの衣装でしたが、今回は、秋の歌「枯葉」や「ぶどうの季節」という歌に合わせたシックな色合いのドレスや小粋なパンツ姿などを披露し、ピアノとギターの伴奏で、歌ってくれました。

 歌の合間のトークもいつものようにお客を笑わせたりしんみりさせたり。
 世界の恵まれない子供やホームレスの人を思いながら歌う「愛しかないときQuand on n'a que l'amour」のときは、涙を流しながらほんとうに心に響く表現力でした。
 歌の表現でも、「ビッグスペンダー」という1967年のヒット曲で、今年車のCMやエストのCMに使われた曲を水織ゆみさんの訳詩で歌ったときは、思いっきり色っぽくそしてかわいい女に。「いつまでこんなスタイルで歌えるかしら」と言っていましたが、ジャズダンスやフラメンコで鍛えている水織さんなら、いつまでも色っぽくかわいい女を演じられるんじゃないかしら。

 第二部の曲のあいまにお客さんたちに話しかけながら客席を回って歌ったとき、「先輩の○○さん、よく来てくださいました。稚内から聞きにきてくれた○○さん、ありがとう」「シャンソン教室の第一期生の○○さん、おひさしぶり」など、ひとりひとりに声をかけてとおりすぎました。
 通路側の席だった私の前では「ジャズダンス仲間のE-Naちゃん、ようこそ」と、名前を呼んでくれて、嬉しかったです。

 私は、この秋のジャズダンス発表で水織さんにとても親切にしていただきました。いつまでたっても振り付けを覚えられない私にていねいに指導してくれたり、本番前にテキトーメイクの私の顔をしっかりダンサー風に作ってくれたり。
 素顔の水織さんは、とても気さくであけっぴろげな方なので、私も気軽にゆみさんゆみさんと呼んでお付き合いしていただいていますが、ステージではキラキラ光っている別世界の人という印象です。でも、今回、ステージの最中でも気さくに私の名もよんでくださって、いっそうファンになりました。

 第二部の最初は「パリアルカルト」と題してパリを歌った曲のメドレー。その中の「アイラブパリ」がyoutubeにUPされています。
http://www.youtube.com/watch?v=ZeJHgT_jMMg

 第二部で歌われた曲の中で、私の好きな曲「闘牛士」 
 youtubeにUPされているのは、20年くらい前のNHKパリ祭のときの録画です。
http://www.youtube.com/watch?v=YKQ-uF-omSM 

 「闘牛士」を歌う水織さん、赤い帽子に黒いタイツも凛々しいハンサムウーマンです。

 新島襄は「アメリカの母」と慕うハーディー夫人当てた結婚報告に、妻・新島八重について次のように書き残しました。
.........Of course she is not handsome at all. But I know of her is that she is a person who does handsome.(.........私の知る彼女は、とても美しく正しい(ハンサムな)行動をする人です)。

 she is a person who does handsomeという新島襄のことばをNHKの歴史秘話ヒストリアは「彼女の生き方はハンサムです」と訳し、大河ドラマ以後の新島八重は「ハンサムウーマン」と呼ばれるようになりました。
 「ハンサムウーマン」という呼び名、シャンソン歌手水織ゆみさんにも当てはまると思います。 Of course she is handsome。And I know of her is that she is a person who does handsome.もちろん彼女はとてもかっこよく、そしてとてもハンサムな生き方をしている人です。

 専業主婦からシャンソンコンクールに応募。優勝後プロのシャンソン歌手になったときは40歳。それから四半世紀、全国のホールやシャンソンバーで歌い続け、シャンソンのお弟子さんたちに歌を指導してきました。
 2011年以後、被災地でのボランティアコンサートなどの支援を続けており、とても生き方がハンサムです。

 アンコールでは、私の好きなエディット・ピアフ「水に流して(私は後悔しない)」も聞くことができました。
 ちまたで歌われているのは岩谷時子訳詩ですが、水織さんはほとんどのフランス語歌詞をご自身の訳詩で歌います。
 でも、水織さんの歌う「水に流して」は、youtubeにもないので、歌詞がわかりません。春庭の意訳超訳で紹介します。いつも、自分の織り上げてきた日々のよいことも悪いことも」すっきりできなくて、いつまでもうじうじしている私には、聞いているだけで、「そう、そう、ここから今からはじめるのよ」という気になる歌です。

♪Non, rien de rien いいえ、ほんとに
 Non, je ne regrette rien 後悔なんて、これっぽっちもしてないわ
 Ni le bien qu'on m'a fait, ni le mal 私が自分で織り上げた日々、
  Tout ca m'est bien egal みんな等しく私自身のもの
  Non, rien de rien    後悔なんて
  Non, je ne regrette rien ひとつもないわ
  C'est paye, balaye, oublie すべて忘れて
  Je me fous du passe 過去はすべて流してしまった

  Avec mes souvenirs  思い出といっしょに
  J'ai allume le feu 焼き尽くしてしまった
  Mes chagrins, mes plaisirs 私の悲しみも楽しみも
  Je n'ai plus besoin d'eux もうそんなものもいらないの
  Balances mes amours  すべての恋を
  Avec leurs tremolos   振り捨ててしまった
  Balances pour toujours  全部精算して
  Je repars a zero ゼロからはじめる

  Non, rien de rien   ええ、なにも
  Non, je ne regrette rien 後悔なんかしていない
  Ni le bien qu'on m'a fait, ni le mal 私がしてきたこと
  Tout ca m'est bien egal よいこともわるいことも等しく
  Non, rien de rien いいえ 少しも
  Non, je ne regrette rien 後悔なんかない
  Car ma vie   私のいのち
  Car mes joies  私の喜び
  Aujourd'hui  今日から
  Ca commence avec toi... あなたとともに始まるのよ

 アンコール曲のしめになっている「友よ目覚めよ」を、白いドレスとケープで歌いました。
 youtubeにUPされている水織ゆみさんの歌声(京都コンサートの録画なので、私が9月26日に聞いたときとドレスは違いますが)
・友よ目覚めよ
http://www.youtube.com/watch?v=c9G3hZC7QdM&feature=endscreen&NR=1

水織ゆみ訳詩の一部を紹介します。youtubeにUPされている「友よ目覚めよ」の後半です。

♪人は誰でも 人生の花を咲かせる 
例えそれが 野辺に咲く 名前もない花であっても
今更遅いとあきめているんじゃないか 
過ぎ去るというより 積み重ねれば 小さな林も いつしか森になる 
気付いた時から 何かが変わっていくものさ 
ひとつの出会いを大切に 
そこから新しい人生 今こそ その時


 2013年3月の「水織ゆみコンサート春」から「夏」「秋」と歌い続け、2014年2月には「冬の章」コンサート。
 渋谷の伝承ホールでのひとり語りと歌「鰊御殿物語」「吉岡弥生伝」を上演するそうです。
 ぜひ一度水織ゆみさんの歌を聴いてみてください。

日時:2014年2月6日(木) 場所:渋谷 伝承ホール
昼の部 2:00~「鰊御殿物語」
夜の部 6:30~「吉岡弥生伝」
主催:サンケイリビング新聞社

<つづく>
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「北女声合唱&音楽広場」

2013-10-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/02
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声2013(2)女声合唱&「音楽ひろばに 夢と願いを」

 9月14日土曜日、ジャズダンスサークルの仲間が出演するステージに出かけました。
 初めにホクトピアでT子さんとCozさんが出演する「北女声合唱」を聞き、急いでバスに乗って池袋へ。15時から、同じサークルのみきさんが出席する「音楽ひろばに 夢と願いを-としま区民芸術祭/区民参加によるアートステージ」

 「北女声」は、20人の女声合唱。指導している宇野徹哉さんは、バリトン歌手として舞台にたつほか、洗足学園などで声楽、合唱の指導を続けている方。北女声合唱団の指導も、すでに四半世紀になるそうです。
 今回の合唱のうち、私は「たんぽぽ」という曲が印象に残りました。ポ、ポ、ポ、ポ、、、という歌詞の響きがとても楽しくて、心の野原一面にぽぽぽと、たんぽぽが咲きました。

 豊島区は、区長が「お金がない豊島区ですが、文化の力で区民を盛り上げたい」という方針で、「としま未来文化財団」という専門の財団を設立し、音楽プロデューサー坂本和彦さんを中心にいろいろな事業を行っています。区民参加のイベントも数多い。
 豊島区民合唱団には、金曜日夜のジャズダンスサークルのうち、3人が参加しています。今回は、みきさんが 「音楽ひろばに 夢と願いを」に出演しました。



 舞台下手に「としま ユングフェスタ オーケストラ」真ん中があいていて、上手にカフェを模してテーブルと椅子。「パエリア、オムレツ、お好み焼き」と書かれたメニュー看板も立てられています。
 みきさんは素敵なワンピースに身を包んで、カフェのお客さん役。坂本先生の軽妙洒脱なトークでミュージカルナンバーが紹介される中、オペラ歌手大貫裕子さんが「サウンドオブミュージック」子供たちと「ドレミの歌」を歌い、合唱団は「オペラ女子」「オペラ男組」といっしょに、「オムレツ」「大阪風お好み焼き」を歌いました。

 坂本先生は合唱団の女性に「大阪風お好み焼きを歌うときは、こてこての大阪のおばちゃん風の衣装を着るように」という指示を出したそうで、女性陣はみな張り切ってド派手なこてこて衣装でした。ほんとうに大阪のおばちゃんたちがこんな派手な服ばかり好むとは思いませんが、思い浮かぶイメージです。みきさんは、黄色いブラウスに白いパンツ姿に着替えて、楽しそうに「大阪風お好み焼き」を歌っていました。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「T子さんのオペラアリア」

2013-10-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/10/01
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>街の歌声(1)T子さんのオペラアリア

 9月29日、ジャズダンス仲間のT子さんのオペラアリア発表会に行きました。去年きいて、T子さんの歌声に感激し、今年も楽しみにしていました。
 T子さんは、仕事リタイアのあと、週一回の仕事のほかは図書館での読み聞かせなどのボランティアを続けてきました。趣味の「オペラアリア」や合唱を無理なく続けようと「歌うための筋肉をおとろえさせないために」と、私の所属するジャズダンスサークルに加入しました。

 第一部が合唱。シューベルトのセレナーデやトスティのラ・セレナータ。
 第二部は重唱。T子さんは、指導者であるバリトン歌手水野先生とのデュエットでモーツォアルト「ドン・ジョバンニ」から「お手をどうぞ」を歌いました。

 ドンジョバンニは、フランスドイツスペインと女を口説きまわり、彼の手に落ちない女はいないと言われる稀代の放蕩者。マゼットと結婚したばかりの新婦ツェルリーナにも言い寄ります。最初は夫に向かって「私は大丈夫」と気丈にふるまっていたツェルリーナですが、ドンジョバンニとふたりだけになると、しだいに彼の甘いことばに惹かれていきます。さて、ツェルリーナは?(日本語歌詞は、イタリア語わからない私が、こんな内容かしらと適当につけたものです。)

(ドン)
Là ci darem la mano, お手をどうぞ、
Là mi dirai di sì 言っておくれ 「ええいいわ」と
Vedi, non è lontano, 見てごらん、遠くではない
Partiam, ben mio, da qui.  ともに行こう、ここを離れて
(ツェルリーナ)
Vorrei, e non vorrei,  行こうかしら、いいえダメよ
Mi trema un poco il cor; 心が揺れる、震えてくる
Felice, è ver, sarei, ほんきかしら
Ma può burlarmi ancor. からかわれているのかも

(ドン)Vieni mio bel diletto; 大切な美しい最愛の人
(ツxルリーナ)Mi fa pietà Masetto かわいそうなマゼット
(ドン)Io cangierò tua sorte; これは運命なんだ
(ツェルリーナ)Presto non son più forte; いそいで、より強く
(ドン)Andiam,Andiam 行こう、行こう
(ツェルリーナ)Andiam  行きましょう
(ふたり)Andiam,Andiam,mio bene, 行きましょう愛しい人
A ristorar le pene  恋の苦しみ
D'un innocente amor. この愛は穢れ無き愛

 複雑な女心を見せるツェルリーナの歌、T子さんは小柄小顔のかわいらしい印象の人ですが、ご主人と相思相愛、連れ添って40年以上というのを知っているので、大学でセラミック研究をしているというご主人も安心して聞いていたと思います。

 第三部の独唱、T子さんの歌は、プッチーニ「ラ・ボエーム」から、「私が街を歩くとQuando men vo'」
 自分の美しさが人々の賞賛を集め、男たちの瞳を釘付けにしてしまうことを知っているムゼッタが誇らしげに「みんなが振り返って私に見とれてしまう」と歌います。

 いつも優しくしとやかなT子さんが、オペラアリアになると変身して、先生との重唱では紺のブラウスに白いロングスカート、独唱ではかわいらしいピンクのドレスで歌いました。声もよく出ていて、筋肉鍛えて声帯強化をはかった成果が出ていました。

 出演者たちは、それぞれがお孫さんを持つ年配の方々。「今年の発表が終わると、次は来年の衣裳、何着ようかと考える」と、先生の挨拶にもありました。歌うアリアを決めて衣裳をどうするか考える、それが心の若さの秘訣なのかもしれません。

 もちろん素人のおばさん(おばあさん?)の歌なのですから、音程も外すし、声が出切らないところもありました。二部と三部の間30分の休憩時間にお客が帰ってしまわないように、お茶とサンドイッチでのおもてなし付き。
 私は、サンドイッチもいただいた上、プロのバリトンの歌声で4曲もきけたので、楽しかった。

 水野洋助さんの歌、「カルメン」の闘牛士の歌も聴き応えあったし、せひもう一曲とせがまれたという、武満徹「小さな空」を、アカペラで歌ったのがとてもよかったです。

 T子さん、素敵な歌声をありがとう。

<つづく> 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする