2013/11/10
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>授業参観の一日(2)留学生の帰国
毎年、始めて出会う国の学生に教えるのを楽しみにしています。2014年度前期に新しく出会えた国、タジキスタン、モーリタニア、シオラレオネでした。「教え子の出身国コレクション」が増えました。
後期は、新しく出会えた国はありませんでしたが、「この国出身の留学生、二人目」の国がありました。モザンビークとマケドニアです。
前回のマケドニア留学生は、お父さんがマケドニア国籍、お母さんは日本人という留学生だったので、純マケドニア人は今回始めて、ということになります。頭も性格もとてもよい学生なのですが、周囲の日本人がマケドニアのことを全然知らない、ということに最初はちょっと腹を立てていました。
「マケドニアの学生を迎えるのは二人目です」という私も、「日本といえばゲイシャふじやま」という程度の「マケドニアといえばアレキサンダー大王」としか思いつかなかったのです。彼は「アレキサンダーは、今から2400年も前の人物。現代にも著名なマケドニア人がいます」と主張しましたが、私は「著名なマケドニア人」を一人も知らず、申し訳ないことでした。しかも、「もとはユーゴスラビアでしたよね。あれれ?チェコスロバキアから別れたんでしたっけ」というお粗末さで、顰蹙を受けました。
大多数の日本人のなか、マケドニア共和国、どこにあるどんな国か、正確に言える人は少ないかも。ギリシャの近くにあることは知っていた私など、まだしもましなほうかと。まして、アレキサンダー大王の名をいえる人でも、アレキサンダー大王の時代の古代マケドニア王国と現在のマケドニア共和国と直接のつながりはない、ということを知っている日本人は、さらに少ない。
古代マケドニア王国には「古代マケドニア語」を話す人々が住んでいたのに対して、現在のマケドニア共和国の主な居住民族は「南スラブ語」を話しており、民族的なつながりはありません。ために、「マケドニアの国名を勝手に使うな」と息巻くギリシャとマケドニア共和国は仲が悪い。
さまざまな出身の留学生を平等に扱うことは日本語教師にとって当然の心得ですが、どの国についても平等に知悉しているかというと、やはり手薄な国も出てきてしまい。マケドニアは知識少ないほうの国なのです。申し訳ない。
モザンビークも、最初のモザンビーク出身留学生に出会ったときは、「織田信長につかえていた黒人はモザンビーク出身」という以外には「私は、前モザンビーク大統領シサノ氏の講演を聞いたことがある」ということしか、留学生に言えることがありませんでした。
今回のモザンビーク出身留学生に対しては、「前回出会ったモザンビーク留学生は、もう国に戻りました。今後、有能な人材として活躍するでしょう」と言ってやれます。今回のモザンビーク留学生も、おそらく国で一二を争う優秀な学生だったと想像されます。教師たち一同、「なんて頭のいい学生なんだ」と感服しており、彼はとても賢そうな瞳を輝かせて日本語学習に取り組んでいます。
春庭教え子の国名コレクション2013(これまでに出会った国)
「アジア」=韓国、中国、台湾、モンゴル、フィリピン、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、バングラディシュ、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、イラン、イラク、トルコ、レバノン、シリア、ヨルダン、パレスチナ、イスラエル、サウジアラビア、クエート、アラブ首長国連邦、オマーン、バーレーン。
アジアの国で、まだ出会っていないのは、中央アジアのいくつかの国と、ブータンの出身者。ブータン出身の学生、うちのクラスに来てくれないかな。
「アフリカ」=エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、セネガル、モーリタニア、シオラレオネ、マリ、ガーナ、ナイジェリア、カメルーン、コンゴ共和国、エチオピア、スーダン、ケニア、ウガンダ、モザンビーク、南アフリカ。
アフリカの赤道以南の国との出会いが少ないです。アフリカは第二のふるさとと思っているのに。
「ヨーロッパ」=ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ラトビア、エルトリア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、アイルランド、イギリス、オランダ、ベルギー、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、スイス、オーストリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、チェコ、クロアチア、ブルガリア、ルーマニア、ボスニアヘルツェゴビナ、ユーゴ、マケドニア、ギリシア。
まだ出会っていない、モナコ、リヒテンシュタイン、アルバニアの留学生と出会う日はいつかしら。
「南北アメリカ」=カナダ、USA,メキシコ、キューバ、ドミニカ共和国、ジャマイカ、グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、コスタリカ、ペルー、ブラジル、チリ、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチン
「オセアニア」=オーストラリア、ニュージーランド、西サモア、パプアニューギニア、ソロモン
まだ教えていない、バヌアツやパラオ共和国など、太平洋諸島からの留学生に会いたいです。
我ながら、ずいぶんたくさんの国名だなと思います。国費留学生コースの教師をしていなかったら、ぜったいに覚えることがなかったろう、と思う国名も多い。
留学生には、さまざまな困難が伴います。
この10月に、日本にはほとんど報道されなかった交通事故がネパール山中でありました。ネパールの首都カトマンズから60kmほど離れた山岳地帯、ネパール西部ドティ地区で、10月12日未明、山中の道を走行中のバスが道路脇にはみ出して、数百メートル下に転落しました。地元警察当局者は30人が死亡、13人以上が負傷したと発表しましたが、死亡者負傷者はもっと増えたことでしょう。30名定員のバスに60名も乗っていたということで、負傷しないままの人がいたとは考えられませんから。
このバスの乗客に、私のクラスの学生の家族がいました。家族全員が乗ったバス。最初の知らせでは、祖父母は即死、他の家族の安否不明。学生はすぐに帰国しました。
同国人の友人に、葬儀などで1ヶ月は日本に戻れないと連絡があったそう。日本に戻れたとしても、家族全員が事故にあったというショックから立ち直るには相当の時間が必要と思います。
クラスに戻ったら、いないあいだの手当を含め、手厚く配慮しなければと思うのですが、留学中の家族の事故、なんとも気の毒なことでした。
去年教えた学生、何人かは、1年間の交換留学を終えて、この夏に帰国しました。10月22日にスイスの合唱団の歌声を聞いたので、スイス出身の学生に「歌声を聞いて、スイスの学生を思い出しましたよ」というメッセージをfacbookに書き込んだ返信です。2013年10月31日に届いたメール、漢字大好きの日本史専攻の学生の日本語文。原文のまま紹介します。
2012年10月に来日し、初級クラスからはじめて、1年間の日本語学習で、すばらしい進歩を見せた学生です。
~~~~~~~~~~
「先生!返事、ありがとうございます!
ヘエエ!本当にたくさんの知らない人の前に、マイケルジャクソンの曲を踊りましたか?素晴しそう!おめでとうございました!!!
私は、論文について、ちゃんと頑張っています!信じてくれてありがとうございます!
日本に戻るとき、必ず連絡します!よろしくお願いします!
こちらこそ、もしスイスに来たら、連絡してくださいね!」
~~~~~~~~~~
実際に食べる前に「おいしく感じられる」と思ったら、「おいしそう」、実際に見ていない映画についてのコメントなら「おもしろそうです」と、「形容詞base+そうです」と言いなさいと教えたことを忠実に守って、実際に見ていない私のダンス舞台について、「素晴らしそう!」と、感想を述べています。
他校学生の授業参観で不出来な授業を見られて、落ち込んで家に帰りましたが、留学生からのメールで「うん、私の授業を楽しんでくれた学生もいたのだから、これからもがんばろう」と、元気が出てきました。
2009年に中国に赴任して教えたときの教え子たちは、その後4年間の日本留学生活を終えて博士号を取得し、それぞれの進路を得ています。日本の会社に就職してロボット研究を続けるという人、故国の大学に赴任して教師となるもの、それぞれが羽ばたいていきます。教え子の活躍、嬉しいです。
ふるさとに帰った教え子からのメール(11/09受信)です。(地名を「赴任地」として変換したほかは、原文通り)
~~~~~~~~~~
こんにちは。帰国から、もう一ヶ月経ちました。先生に連絡遅くなって、すみませんでした。
僕は帰国後、すぐ赴任地に行くつもりでしたが、結局まだ故郷にいるんです。
赴任地に行く前に、博士号の認定という手続きが必要です。その認定は二ヶ月頃かかりますので、その前に、待たなければならないです。大体今月末ぐらい、赴任地につけます。
僕は日本で博士号を取って、順調に帰国して、両親はすごく嬉しいです。今、秋の末、僕の故郷では、サツマイモ、大根、里芋の収穫の季節です。僕は母と一緒にサツマイモ、大根、里芋を採って、すごく嬉しいです。
時間がすごく速いです、四年の留学もう終わりました。その間に、日本政府と日本国民から、大変お世話になっておりました。帰国後、中日友好に協力したいです。
先生もし時間があれば、ぜひ赴任地の大学に遊びに行きましょう。
添付しているのは、僕の卒業式の写真です。
~~~~~~~~~~~
息子の帰国を4年間待ち続けた母といっしょに、サツマイモや大根の収穫を手伝う姿を思い浮かべて、ご家族は博士号を得て帰国した息子がどれほど誇らしく嬉しいだろうと、私もいっしょに「すごく嬉しいです」の気持ちを味わいました。
留学生活、日本で楽しい毎日をすごす学生もいます。バス事故で家族を失うというつらい思いの中帰国する学生もいます。
どうか、日本での留学生活が人生に有意義なひとときであるようにと願っています。
私は、私のできることを、ひとつひとつやって、できる限り彼らの日本語能力が伸びていくように、老骨鞭打って、克己奮励努力邁進します、、、、と言いながら、「授業参観したくなかったのに、嫌だって言えなかった」とか、愚痴もこぼすけれどね。
<おわり>
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>授業参観の一日(2)留学生の帰国
毎年、始めて出会う国の学生に教えるのを楽しみにしています。2014年度前期に新しく出会えた国、タジキスタン、モーリタニア、シオラレオネでした。「教え子の出身国コレクション」が増えました。
後期は、新しく出会えた国はありませんでしたが、「この国出身の留学生、二人目」の国がありました。モザンビークとマケドニアです。
前回のマケドニア留学生は、お父さんがマケドニア国籍、お母さんは日本人という留学生だったので、純マケドニア人は今回始めて、ということになります。頭も性格もとてもよい学生なのですが、周囲の日本人がマケドニアのことを全然知らない、ということに最初はちょっと腹を立てていました。
「マケドニアの学生を迎えるのは二人目です」という私も、「日本といえばゲイシャふじやま」という程度の「マケドニアといえばアレキサンダー大王」としか思いつかなかったのです。彼は「アレキサンダーは、今から2400年も前の人物。現代にも著名なマケドニア人がいます」と主張しましたが、私は「著名なマケドニア人」を一人も知らず、申し訳ないことでした。しかも、「もとはユーゴスラビアでしたよね。あれれ?チェコスロバキアから別れたんでしたっけ」というお粗末さで、顰蹙を受けました。
大多数の日本人のなか、マケドニア共和国、どこにあるどんな国か、正確に言える人は少ないかも。ギリシャの近くにあることは知っていた私など、まだしもましなほうかと。まして、アレキサンダー大王の名をいえる人でも、アレキサンダー大王の時代の古代マケドニア王国と現在のマケドニア共和国と直接のつながりはない、ということを知っている日本人は、さらに少ない。
古代マケドニア王国には「古代マケドニア語」を話す人々が住んでいたのに対して、現在のマケドニア共和国の主な居住民族は「南スラブ語」を話しており、民族的なつながりはありません。ために、「マケドニアの国名を勝手に使うな」と息巻くギリシャとマケドニア共和国は仲が悪い。
さまざまな出身の留学生を平等に扱うことは日本語教師にとって当然の心得ですが、どの国についても平等に知悉しているかというと、やはり手薄な国も出てきてしまい。マケドニアは知識少ないほうの国なのです。申し訳ない。
モザンビークも、最初のモザンビーク出身留学生に出会ったときは、「織田信長につかえていた黒人はモザンビーク出身」という以外には「私は、前モザンビーク大統領シサノ氏の講演を聞いたことがある」ということしか、留学生に言えることがありませんでした。
今回のモザンビーク出身留学生に対しては、「前回出会ったモザンビーク留学生は、もう国に戻りました。今後、有能な人材として活躍するでしょう」と言ってやれます。今回のモザンビーク留学生も、おそらく国で一二を争う優秀な学生だったと想像されます。教師たち一同、「なんて頭のいい学生なんだ」と感服しており、彼はとても賢そうな瞳を輝かせて日本語学習に取り組んでいます。
春庭教え子の国名コレクション2013(これまでに出会った国)
「アジア」=韓国、中国、台湾、モンゴル、フィリピン、インドネシア、ブルネイ、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマー、バングラディシュ、インド、ネパール、パキスタン、アフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、イラン、イラク、トルコ、レバノン、シリア、ヨルダン、パレスチナ、イスラエル、サウジアラビア、クエート、アラブ首長国連邦、オマーン、バーレーン。
アジアの国で、まだ出会っていないのは、中央アジアのいくつかの国と、ブータンの出身者。ブータン出身の学生、うちのクラスに来てくれないかな。
「アフリカ」=エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、セネガル、モーリタニア、シオラレオネ、マリ、ガーナ、ナイジェリア、カメルーン、コンゴ共和国、エチオピア、スーダン、ケニア、ウガンダ、モザンビーク、南アフリカ。
アフリカの赤道以南の国との出会いが少ないです。アフリカは第二のふるさとと思っているのに。
「ヨーロッパ」=ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ラトビア、エルトリア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、アイルランド、イギリス、オランダ、ベルギー、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、スイス、オーストリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、チェコ、クロアチア、ブルガリア、ルーマニア、ボスニアヘルツェゴビナ、ユーゴ、マケドニア、ギリシア。
まだ出会っていない、モナコ、リヒテンシュタイン、アルバニアの留学生と出会う日はいつかしら。
「南北アメリカ」=カナダ、USA,メキシコ、キューバ、ドミニカ共和国、ジャマイカ、グァテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、コスタリカ、ペルー、ブラジル、チリ、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチン
「オセアニア」=オーストラリア、ニュージーランド、西サモア、パプアニューギニア、ソロモン
まだ教えていない、バヌアツやパラオ共和国など、太平洋諸島からの留学生に会いたいです。
我ながら、ずいぶんたくさんの国名だなと思います。国費留学生コースの教師をしていなかったら、ぜったいに覚えることがなかったろう、と思う国名も多い。
留学生には、さまざまな困難が伴います。
この10月に、日本にはほとんど報道されなかった交通事故がネパール山中でありました。ネパールの首都カトマンズから60kmほど離れた山岳地帯、ネパール西部ドティ地区で、10月12日未明、山中の道を走行中のバスが道路脇にはみ出して、数百メートル下に転落しました。地元警察当局者は30人が死亡、13人以上が負傷したと発表しましたが、死亡者負傷者はもっと増えたことでしょう。30名定員のバスに60名も乗っていたということで、負傷しないままの人がいたとは考えられませんから。
このバスの乗客に、私のクラスの学生の家族がいました。家族全員が乗ったバス。最初の知らせでは、祖父母は即死、他の家族の安否不明。学生はすぐに帰国しました。
同国人の友人に、葬儀などで1ヶ月は日本に戻れないと連絡があったそう。日本に戻れたとしても、家族全員が事故にあったというショックから立ち直るには相当の時間が必要と思います。
クラスに戻ったら、いないあいだの手当を含め、手厚く配慮しなければと思うのですが、留学中の家族の事故、なんとも気の毒なことでした。
去年教えた学生、何人かは、1年間の交換留学を終えて、この夏に帰国しました。10月22日にスイスの合唱団の歌声を聞いたので、スイス出身の学生に「歌声を聞いて、スイスの学生を思い出しましたよ」というメッセージをfacbookに書き込んだ返信です。2013年10月31日に届いたメール、漢字大好きの日本史専攻の学生の日本語文。原文のまま紹介します。
2012年10月に来日し、初級クラスからはじめて、1年間の日本語学習で、すばらしい進歩を見せた学生です。
~~~~~~~~~~
「先生!返事、ありがとうございます!
ヘエエ!本当にたくさんの知らない人の前に、マイケルジャクソンの曲を踊りましたか?素晴しそう!おめでとうございました!!!
私は、論文について、ちゃんと頑張っています!信じてくれてありがとうございます!
日本に戻るとき、必ず連絡します!よろしくお願いします!
こちらこそ、もしスイスに来たら、連絡してくださいね!」
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実際に食べる前に「おいしく感じられる」と思ったら、「おいしそう」、実際に見ていない映画についてのコメントなら「おもしろそうです」と、「形容詞base+そうです」と言いなさいと教えたことを忠実に守って、実際に見ていない私のダンス舞台について、「素晴らしそう!」と、感想を述べています。
他校学生の授業参観で不出来な授業を見られて、落ち込んで家に帰りましたが、留学生からのメールで「うん、私の授業を楽しんでくれた学生もいたのだから、これからもがんばろう」と、元気が出てきました。
2009年に中国に赴任して教えたときの教え子たちは、その後4年間の日本留学生活を終えて博士号を取得し、それぞれの進路を得ています。日本の会社に就職してロボット研究を続けるという人、故国の大学に赴任して教師となるもの、それぞれが羽ばたいていきます。教え子の活躍、嬉しいです。
ふるさとに帰った教え子からのメール(11/09受信)です。(地名を「赴任地」として変換したほかは、原文通り)
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こんにちは。帰国から、もう一ヶ月経ちました。先生に連絡遅くなって、すみませんでした。
僕は帰国後、すぐ赴任地に行くつもりでしたが、結局まだ故郷にいるんです。
赴任地に行く前に、博士号の認定という手続きが必要です。その認定は二ヶ月頃かかりますので、その前に、待たなければならないです。大体今月末ぐらい、赴任地につけます。
僕は日本で博士号を取って、順調に帰国して、両親はすごく嬉しいです。今、秋の末、僕の故郷では、サツマイモ、大根、里芋の収穫の季節です。僕は母と一緒にサツマイモ、大根、里芋を採って、すごく嬉しいです。
時間がすごく速いです、四年の留学もう終わりました。その間に、日本政府と日本国民から、大変お世話になっておりました。帰国後、中日友好に協力したいです。
先生もし時間があれば、ぜひ赴任地の大学に遊びに行きましょう。
添付しているのは、僕の卒業式の写真です。
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息子の帰国を4年間待ち続けた母といっしょに、サツマイモや大根の収穫を手伝う姿を思い浮かべて、ご家族は博士号を得て帰国した息子がどれほど誇らしく嬉しいだろうと、私もいっしょに「すごく嬉しいです」の気持ちを味わいました。
留学生活、日本で楽しい毎日をすごす学生もいます。バス事故で家族を失うというつらい思いの中帰国する学生もいます。
どうか、日本での留学生活が人生に有意義なひとときであるようにと願っています。
私は、私のできることを、ひとつひとつやって、できる限り彼らの日本語能力が伸びていくように、老骨鞭打って、克己奮励努力邁進します、、、、と言いながら、「授業参観したくなかったのに、嫌だって言えなかった」とか、愚痴もこぼすけれどね。
<おわり>