春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「年の初めのためしとて」

2014-01-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
2014/01/09
ぽかぽか春庭日常飯事典>十四事日記1月(1)年の初めのためしとて

 ♪年の初めのためしとて~、という歌を元日に歌うこともなくなって、「ためしとて」を「試しとて」と受け取る人も増えてきました。年初に今年したい新しいことを「お試し」でやってみること、と考えてのことです。 旧文部省小学唱歌の「年の初めの例として」の「例(ためし)は、「先例」の意味であって、「年のはじめに先例のとおりに」の意味です。
 「あんた、毎年、元日には今年こそダイエット、と誓うけれど、成功したタメシがないじゃないの」というときの例(ためし)

 と、言うと、私の年代の人でも「え~、ためしって、先例だったの?お試しだとばっかり思っていた」と言う人もいます。続く「終わり無き世のめでたさを」は、「尾張泣き代の」だろうとか、
 生前の父がお正月になるとひとつ話で語っていた思い出。父の子供時代、戦前の悪童は「♪まつたけ立てて門ごとに」を「松竹つっころがして角たてて」と替え歌にして、元日の学校から帰ったもんだ、と話していました。
 唱歌は替え歌のほうが生き生きとしていておもしろいから、♪あおげばとーとしい和菓子の餡~、もいいんですけれど。

 さて、春庭は、大みそかの朝、起きてみたら何やら腰が痛い。
 腰痛が年のはじめの先例になっては困るので、正月うちずっと腰痛悪化させない努力ですごしました。いつも通っている整形外科のマッサージは年末年始休みなので。
 おおみそかに紅白歌合戦みたあと、1日は寝正月のはずが、寝てばかりいたら腰痛悪くなるんじゃないかと心配で、寝正月もできず。2日、午前中箱根駅伝テレビ応援、午後は痛い腰さすりながら写真美術館観覧。3日午前中箱根駅伝復路応援。午後江戸東京博物館。5日は、姑宅で家族の新年会、というスケジュールでした。どうして2日が写真美術館、3日が江戸東京博物館の観覧かというと、入館料無料の日にあわせて行くから。今年も無料趣味生活のタメシとて、です。

 写真美術館は、年始恒例の「写美雅楽」の演奏をしていました。

 3人の楽師のうち、真ん中の笛の人は、写真美術館の学芸員さんなのだそうです。最初はいつもの越天楽。最後の曲は、唱歌の「ふるさと」でした。雅楽演奏では、なにやら、いにしえよりの由緒正しきふるさとにきこえました。
 「ふるさと」、我が夫、大人になるまで♪ウサギ美味しい可能山~、と思って歌っていた。

 5日の姑との新年会は。
 去年、「はじめてのおつかい」をして、姑に褒めてもらったタカ氏、今年もすきやき材料をおつかいしてきました。去年、娘に「正月なんだから、普段よりいい肉買ってよ」と文句言われたので、今年はまあまあのお肉を注文してきました。たぶん、一般の家庭では普段でもすき焼きのときはこれくらいおごるのだろうけれど、何せ我が家は貧困家庭。我が家にしては「ちょっといい肉」の「霜降り肉」の食べ比べをして、どちらも美味い、という結論に達しました。我が家、娘以外は舌音痴(?)で、アンチグルメ。夫のように豚肉食べても牛肉食べても「どちらもカレー」としか思わないのは論外ですが、私も息子もあまり味の差に敏感でない。貧乏なのに味に敏感な娘は、かえってかわいそう。

 毎年変わらぬ年始めの我が家。代わり映えもなくありきたりの光景ですが、こうしてありきたりの変わらぬ日々をめぐることができることこそありがたいことだと思い知りながら、今年もめでたくはじまりました。

 姑は、あと1か月で89歳。来年は卒寿になります。土曜日のデイケアセンター体操教室を楽しみにして1週間をすごしています。姑は百歳くらいは行けるでしょうが、嫁は最近少々バテ気味です。腰痛もなんとかして、体重管理もしっかりして、姑に負けないようにがんばります。
 第一にかんばらねばならぬのは、もちろんダイエット。年のはじめのタメシとて、今日もおもちは1個におさえて、、、、おせんべひと袋とピーナッツひと袋食べました。だいじょうぶ、ダイエットできる今年の日々はまだ355日ある。 

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「鉄砲と無鉄砲」

2014-01-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
013/01/08
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(6)鉄砲&無鉄砲

 前回の「弓矢」コラムにコメントをいただいたので、今回の文につなげさせていただきます。

(まっき~)2014-01-07 05:36:45 
あんまりこっちへ来るんじゃねぇ!
そういい放ちながら鉄砲を構える仲代に、三船はニヤッと笑いながら刀一本、ずんずん前に進みましたね。
三十郎だから出来るのでしょうし、あるいは三十郎は、鉄砲を知らなかったのかな、そんなことないよね。

<春庭回答コメント>
 鉄砲の射撃精度があがるのは、幕末のゲーベル銃 スナイドル銃スペンサー銃などの輸入とそれを模した国産銃のころからだと思います。戦国期の鉄砲戦術では、多量の鉄砲で一斉に撃ちかかる集団戦でこそ威力を示すことができました。
 三十郎は、当時の銃では相当の射撃専門の使い手でなければ、そうそうは当たらないことを知っていたのだろうと思います。仲代の半兵衛じゃ、おそらく当たらないだろうと、三十郎は半兵衛の腕前を見抜いていたという設定だったのかも。

 「1対1」の戦いになったとき、正確に当たるほど近寄るならば、剣で立ち向かうことも可能になるということを、黒沢は知っていたのかどうかわかりませんが、知らなくたってたぶんあのシーンを撮ったんでしょう。1人で30人斬りという殺陣が可能かどうかのほうはちゃんと考慮したみたいだけれど。

 2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』。主人公の八重は、砲術師範の家の娘で、女には触らせてもらえなかった銃を男と同じように使えるようになりたいと熱望し、会津戦争のおりには、女性ながらも最前線で銃撃戦を演じました。最初の夫とは銃の改造などで共に働き、二度目の結婚では夫新島襄を助けて同志社大学を創立する。晩年は看護婦として日清日露の戦いに傷ついた兵士を看護。

 私の郷里の群馬県では、郷土かるた(上毛かるた)の「へ」は、「平和の使い新島襄」なので、新島襄の名と同志社大学の名は、子供でも知っていました。しかし、新島夫人の八重のことはほとんど知りませんでしたし、会津戦争についても「白虎隊」「婦女隊(娘子隊)」の名を知るのみでしたから、幕末の東北を知ることができて、よかったです。
 八重の最初の夫川崎尚之助が晩年に「会津戦記」を書き残していた、というような脚色は歴史実証主義の人には不評でしたが、まあ、ドラマだからそれくらいは、、、、、

 鉄砲に関することで2013年に印象に残ったこと。年末12月にミハイル・カラシニコフ(1919 - 2013)が亡くなったこと。私の父と同じ1919年生まれのカラシニコフ。今まで生きていたことにびっくり。

 2003年か2004年だったか、新聞連載の松本仁『カラシニコフ』の連載を興味深く読みました。AK47突撃銃通称カラシニコフ銃のことがくわしくルポされていました。
 彼が設計した銃が世界中で1億丁も存在して紛争の渦中にあること。子供でも簡単に扱えて、徴兵された少年がたちまち兵士に仕立てあげられていくこと。
 人が生きていくのに当然あるべき平和な暮らしが、ただ一丁の鉄砲の一発からたちまち紛争へ、市民戦争へと突き進んでしまう。紛争の渦中にいつもカラシニコフ銃がありました。銃を回収して代わりに農具を配布する運動もあることなど、安全な町や村で平和な生活が安心しておくれるようにする努力が続けられてきたこともルポされていました。

 「彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする」という一文が「イザヤ書」2章4節にあります。
 彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。

 世界中の銃が鋤に打ち直される日が近いように。わが子が銃を持つことなく生涯をすごせるように。

 「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」は、夏目漱石の『坊ちゃん』の冒頭です。
 中学国語に載っていたこの冒頭で、国語教師は「無鉄砲とは、鉄砲も持っていないのに戦場に飛び出していくような、分別のない蛮勇」と解説していました。私は長い間、それを信じて使っていました。
 日本語教師になって、何事も原典や語源をさぐる癖がつき、無鉄砲とは「鉄砲が無い」のではなく、無手法=やりようのない状態でことをはじめる、無点法=返り点なども知らないのに、漢文を読むような無分別。ということなのだと、ものの本で知りました。

 無手法が言いやすいように促音が加わって、「ほ」がho→poとなって、「むてっぽう」が成立。当て字として「無鉄砲」になった、ということらしいです。

 世界中から鉄砲も地雷もなくなって、兵器武器のない世にしたい、と願うのは、武器を世界に売りたいと願う今の政府から見ると「無鉄砲」な無分別なことになるらしい。
 理想論と笑わば笑え。私は世界中から武器をなくしてほしいと願い続けます。

<おわり>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「弓矢で射て食うヤバいラーメン」

2014-01-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/07
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(5)弓矢で射て食うヤバいラーメン

 江戸の十四事の第一番目が「射」。
 弓矢は、旧石器使用の狩猟採集時代から、人類にとって大切な道具でした。
 この列島に「いくさ」が起きて以来、弓矢はもっとも強力な武器であり、平安期から鎌倉時代の源平合戦など、南北朝、戦国時代前期まで、徒歩(かち)雑兵ではない、ひとかどの武士(騎馬武者)にとって、主な兵器は弓矢だったのです。「海道一の弓取り」と評されることは武士にとって名誉なことでした。

 この「騎馬武者による弓矢の戦い」を徹底的に変えたのが、尾張の織田信長だということは、どの歴史教科書にも載っていることなのですが、徳川の安定時代になると、武士の十四事においては、鉄砲術は弓矢より上に見られることはありませんでした。鉄砲はあくまでも雑兵の武器でしたから。
 私がこどものころに見たチャンバラ映画でも、ピストルを構える武士に対しては「なぬっ、飛び道具とは卑怯な!」と嘲りの叫びが浴びせられるのが常で、「騎射」すなわち馬術と弓術や剣術のほうが武士らしい術と思われていました。

 武士の武芸十四事のうちの「射」が庶民に渡れば「射的」となり、「矢場」といういかがわしさも含む場所に様変わりしました。「射」の腕前が賭け事の対象になり、矢場は「不健全さも含む娯楽」に変わったのです。

 言語文化を追求した一本槍の教師として、「現代日本語」という科目を学生に講じるとき、シェークスピアの振り回す槍の話のほか、「やばい」も主要なネタです。言語の変化、流行語と時代語などについて話す、社会言語学基礎をテーマにしたときに、学生に問いかけます。

 行列ができる有名なラーメン屋に入ったグルメタレントがひとくちラーメンを食べて「う~ん、これはヤバい!」と叫ぶテレビ番組を見たとき、このラーメンは「うまい」「まずい」どちらでしょう、というクイズを出します。平成以後の生まれが大学に入学するようになった数年前から、学生の反応は100%「うまい」であって、「まずい」に手を上げる学生はいなくなりました。
 「やばい」は、ここ50年のあいだに、意味変化を遂げた代表的な日本語です。

 「すごい!」が、平安時代の「すごし=ぞっとする、気味悪いようす」から「ぞっと鳥肌立つほどすばらしい」に意味が移行しました。現代語では、「彼はすごいよ」と言えば、「彼はぞっとするような冷たい人だ」という意味ではなく「彼はすばらしい」という褒め言葉の方にしか受け取られなくなりました。
 
 20世紀のあいだは、「ヤバいラーメン」と言えば、怪しげな骨のだしなんぞをつかっていて、腹下しなど起こしかねない調理法のラーメンでしたが、21世紀も四半世紀すぎてしまえば、「やばいラーメン」は、褒め言葉。

 語源は、諸説あるなかで流布している説のひとつがあります。「江戸時代元禄期以後に広がった矢場で接客する女性を矢取り女、矢場女と呼ぶ。矢場で働く「矢場女」から、「矢場い」が危険な、良くない、という意味になった、という説。弓を射て当たれば景品を得る娯楽の場だった場所が、接客の女性を置くことによって次第に私娼窟化し、吉原などの管理された公娼に比べて、病気にかかっている率の高い危険な女性に接する場、というわけです。

 もっとも、「矢場い」が実際に掲載されている江戸期の黄表紙本赤表紙本などの出典が見当たらないので、未検証の説ではあります。語源学にとって、文献に出ていない「推測」による説は、おもしろくはあっても、学説にはなりません。

 1915年には、やくざが警察官を「矢場」と読んで危険視したという説もあります。こちらは明治以後の小説、暗黒社会探報ルポなどの記事をたんねんに探せば、掲載文献が見つかるかもしれません。どなたか、デジタル化した新聞のなかから「やばい」を探し当ててください。当たるも当たらぬも、弓矢しだい。江戸の矢場では見事マトを射抜けば、矢場女がドドンと太鼓鳴らして「あたりい~」と大声で褒めてくれましたが、「矢場い」が江戸時代の文献中にみつかれば、春庭が「大当たりい~」と褒めてさしあげます、、、景品がでないんじゃ、やるきでませんね。 

 和弓弓道を極めた人によれば、大切なのは精神修養ということになるらしいですが、江戸時代の娯楽としては、どうもやばかった。
 矢場は、明治末期の浅草奥山でも繁盛していた娯楽でした。

 現代のスポーツとしては、アーチェリー、射撃、馬術、フェンシング、どれをとっても西洋由来のもので、弓道、剣道などは、柔道が世界的なスポーツになったのに比べて、「ガラパゴス化」というか、日本国内競技にどどまりました。スポーツとしての和弓が衰退してしまうとしたら、ちょっとやばくね?

 下の人形は、弓を引いてマトに当てる動作をするからくり人形です。人形が矢を選び、弓につがえて「よっぴいてひょう」と放ち、的を射るまでを自動で行います。
 からくり儀右衛門こと田中久重の作った「弓曳き童子」。160年前に田中久重が作った最高傑作のゼンマイ式からくり人形が世界に2体だけ保存されていたものを複製復刻した人形です。


 私が新年の江戸東京博物館3日15時の最終回で見たときは、4本の矢のうち最初の1本だけが的に当たりました。太夫さんの口上では、2日3日続けての実演で人形童子も疲れたのだそうです。
 新年にいいものを見せてもらいました。日本のものづくりの実力を感じました。日本のものづくり、やばいよ(ほめことば)。

疲れていない方の弓曳童子をきれいな画像で(借り物:この弓曳童子が日本の2013年度機械遺産に登録されたというニュースの画像)


<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「一本槍と自由な槍」

2014-01-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/05
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(4)一本槍と自由な槍

 「一本槍」とは、ただ一本の槍を突き刺すことで勝負に決着をつけること、また、ただひとつのやり方やワザでことがらに当たり押し通すこと。
 私には「ことば」が槍であり、たった一本の槍を振り回すことでかつかつ人生を支えてきました。

 「振り回す槍」について、以前に書いたことがあります。シェークスピア(Shakespeare,)についてです。シェイクShakeは振り回すこと、スピアspeareは、槍。英国の文豪シェークスピアとは「振り回す槍」という意味だ、ということを書きました。私が学生にシェークスピアをネタに教えたかったのは、語源ではなく、日本語音節のリズムについてです。英語では、シェーク・スピアと二つに分かれることばが、日本に輸入されると、日本のリズムによって、「シェー・クス・ピア」というふうに生まれ変わる、日本語には日本語独特のリズムがある、ということを教えるためのネタです。

 シェークスピアの生まれは、少なくともジェントルマン階級の出身ではなかった。ですから、当然紳士階級や貴族階級の家の印である「家紋」など持っていませんでした。しかし、エリザベス一世のお気にも召して売れっ子作家となり財産もそれなりに出来たあとは、名誉が欲しくなり家紋を持つことを熱望しました。念願かなってウィリアム・シェークスピアが家紋を許されたのは、30歳すぎ。新しい家紋として、家族の名前がデザインに取り入れられました。槍一本が誇らしげに家紋に掲げられています。

シェークスピア家の家紋

 私には、この槍はシェークスピアが誇りを持って掲げたペンに見えます。

 さて、私は、フリーランサー(freelancer)として働き、賃金を得てきました。
 フリーランス(freelance)の語源は「特定の主人を持たない、流れの槍騎兵」です。フリー=自由、ランス=槍。馬と何本かの槍を持ち、いくさごとに契約をして戦いを請け負う。

 現代では、特定の企業や団体、組織に所属せず、短期間の契約によって、自らの才覚や技能を提供する労働者を言います。独立した個人事業主もしくは個人企業法人として収入をえる人。私の場合、毎年1年契約で、次の1年の担当授業を契約します。1時間時給いくらで授業をするか契約を交わし、1年で何時間授業をするかによって、年間賃金が決められます。

 食うや食わずであっても、かろうじての食い扶持稼ぎ、娘息子を育ててきたのは、私にとって誇りでもあり、「愚痴の元」でもあります。
 夫の稼ぎだけでゆうゆう生活できる主婦や、夫の給与で十分に生活できるのに、「生きがい」やら「自己実現」やらを求めて働く女性に比べて、とにかく食っていかなければならず、子を飢えさせないために働くという働き方は、ときに労働をつらいものに感じさせることもありました。
 「お金は十分にあるけれど、自己実現のために働いていますの」ってな奥様に出会うと、「ケッ」て思ってしまう、私はイヤな女です。

 ただ、働き詰めに働く毎日ではあっても、みじめな思いをすること、人としての尊厳をふみにじられるような思いをすることは少なかったのは、私が自由な働き手であったからだと感じます。私は組織につながれてはいなかったから。つまり、「正社員」「常勤職員」という身分を得たことがなかった。
 現代の日本で、「何らかの組織に所属して働く」という方法以外で暮らしていくのは、なかなかにしんどいことです。私は自ら「無所属」を選んだのではなく、どこも私を雇ってくれなかったから、仕方なく日雇いを続けたのです。

 フリーランス=自由契約勤務者は、現代日本ではときに「落ちこぼれ」として扱われます。「あそこんち、長男はそこそこの企業に就職できたけど、次男は未だにフリーターなんですって」という具合に、ご近所の噂話にされ、悪口のネタにされる存在です。

 
 日本の多くの大学は、助教(専任講師)、准教授、教授というヒエラルキーで大学の教育を組織していますが、実際の授業担当の多くは1年契約の非常勤講師が請け負っています。請負授業担当者の職名が「非常勤講師」です。

 私は、長いところでは25年も続けて非常勤講師として毎年契約を更新してきました。しかし、これからの若い人には、これすらできなくなります。「5年雇い止め」という方針が出されたので、大学は5年以上続けて非常勤講師を雇う場合、常勤講師として採用が求められることになったのです。結果、多くの非常勤講師は、5年続けて働くと、次の年には契約を更新してもらえない、ということになってしまいました。大学は、常勤講師を雇わずに安い給与でこき使えることで人件費削減を測ってきたのに、5年目に常勤講師に雇うなら、人件費がかかって損するから、契約更新しない。別の人を雇えばいいだけです。博士号を得たものの、働き口がない博士課程修了者はごろごろいますから、大学側にとって、特に不自由はない。

 困るのは、これまで非常勤講師の働き口を、掛け持ちで仕事をしてきた講師たち。私は、月曜から金曜日まで、5つの国立大学私立大学を駆け巡って、7種類の異なる内容の授業を受け持って、「人間業じゃない」というようなアクロバット労働をしてきましたが、25年も続けていればなんとかやりくりする方法もわかってきました。学生には好評を得た授業もありますが、どんなに授業に熱意を傾けても、それが評価されたことはありません。大学の評価は、紀要掲載の論文本数や学会発表の回数で決まるのですから。

 「新任に誰を採用するか」は、「どの教授の推薦があるか」とか、「どの理事の後ろ盾があるか」という学内政治やら力関係やらで決定されるのです。このへんの裏事情は、人文系教授会の裏側なら、筒井康隆の『文学部唯野教授』、医学部なら山崎豊子の『白い巨塔』を読んでもらったほうが、話が早い。小説だから、嘘っぱちだろうと思うなら大間違い。実によく取材できたと感心する内容です。事実は小説以上のすごいことになっていて、ポストを得るために長年艱難辛苦をたえたあげくに昇進させてもらえなかった恨みから、国立大学でも私立大学でも大学内で殺人事件が起きて、上司の教授が殺されています。殺人に及ばないまでも同種の恨みは全国の大学に多々あろうことがわかります。

 シェークスピアの家紋のように、高々と槍を掲げたいけれど、「自由な槍、フリーランス」として働いてきた私の労働形態も、ついに槍をへし折られる日も近い。
 次の働き口を探さなければいけないのだけれど、さてさて、一本槍振り回しながらの野垂れ死にも、それはそれで我が運命、、、、
 企業に所属して自由にものも言えない勤労者として30年働けば、少ないながらも食べていくほどは厚生年金がもらえます。
 フリーランス、自由な槍は、請負個人企業なので、年金はありません。ここに来て、自由な槍はぽっきりとへし折られます。

 我が生涯、ことばの教育ひとすじ、言語教育一本槍。と、言うのはかっこいいけれど、折れやすい一本槍でした。刀折れ矢尽きて、槍はへし折られる、老残兵は足引きずりながら立ち去るのみ、、、、といきたいところですが、老残兵の物語はまだまだ終わりなく、だらだらと、、、、。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「いしびや」

2014-01-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/04
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(4)石火箭

 十四事のうち石火箭(いしびや)とは、鉄の武器。江戸時代の武芸指南では、とくに大砲、砲術をさしました。現代、日本の社会で大砲が武器として使用されるところなど目にすることはなく、日常生活からはかけ離れているように、思います。
 しかし、現実の問題として、日本でごく普通に働きごく当然として所得税やら消費税やらを収めてきた善良な市民全員が、昨年、戦争に手を染めたのです。税金によって購入された武器が輸出されたからです。私が働いて収めた税金が、南スーダンで武器として使われることになったのです。

 政府は「国連軍要請に従って、緊急事態の例外として」南スーダン駐留の韓国軍に弾薬を供給しました。しかし、韓国側の説明では緊急でもなんでもなく、武器は「予備」として要請したものだといいます。これらの両国の談話の食い違いについての説明もなされていません。

 PKO法案が議会を通過したときも、その後も、政府は「PKO法に従って提供される物資は、平和構築のための物資に限り、戦闘のための物資は供給しない」という説明を繰り返しました。1998年、国会で「『武器弾薬の物資協力は、あり得ない』と、条文に書かなくても大丈夫か」という質問が提出されたのに対して、与党政府側は「万が一つにもない」と答弁。武器供給がないことを確約しました。しかるに、たった15年でこの約束はホゴにされました。
 特定秘密保護法、政府は「一般市民の生活に不自由が生じることはまったくない」と答弁していますが、これは「10年後15年後には、どうなるかわからない」と同義だと言わなければなりません。

 ドイツナチスは、選挙で政権を獲得し、「ドイツ国民のために」を標榜しながら、ついには罪なきユダヤ人数百万人を虐殺するにいたりました。麻生太郎は、「ナチのやり方がいい」と発言しました。すなわち、「国民のために」と言いながら国民を飼い慣らしていくのがよいという与党側の考えがようくわかりました。2013年07月29日、東京都内で行われたシンポジウムに出席した麻生太郎副総理兼財務相が憲法改正問題に関連し、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と述べたと報道され、批判の多さにあわてて撤回しましたが、本音を吐いた事実は残ります。

 今回、「緊急、例外的」として武器輸出したことに関して、国民からの反対の声は大音声でもなかったことを錦の御旗にして、これからはPKO法案の拡大解釈、ひいては憲法九条拡大解釈に進むのではないかと懸念されます。

 特定秘密法案が通過し、戦争に向かう政策が足元にひたひたと浸し始めたけれど、人々は溺れるまでは溺死の危険はないと信じています。
 今、石火箭は直接目に見えないけれど、すでに眼前を飛び交っているのです。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「謹賀新年2014・棒」

2014-01-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/02
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(2)棒

 いろはカルタのいの一番、「い」は、「犬も歩けば棒に当たる」です。しかし、昨今のこどもたちは、盆も暮れも正月もゲーム。いろはカルタで新年を遊ぶ、ということもなくなりました。
 この「犬棒」は、「流れに棹さす」「情けは人のためならず」と並んで、「現在では元の意味と正反対に受け取られるようになった「成句&諺」の代表例です。

 もとの意味は「犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれない」で、意味なくでしゃばると災難にあうという意味でした。しかし、 現在では、「当たる」の意味が「出くわす」「遭遇する」という意味でなく、「宝くじに当たる」「競馬の大穴が当たる」のように、思いがけない幸運があるという意味に受け取られるように変化しました。犬棒は、「用がなくても歩き回っているうちに、何か幸運にめぐりあうかもしれない」という意味で受け取られるようになりました。

 「情けは人のためならず」は、若い世代には「やたらに情けをかけてやると、その人の自立心をそこない、その人のためにはならない」という解釈が広がり、「人に情けをかけることは、めぐりめぐって自分もそのなさけを受けることになる」とは、思われないのです。
 「流れに棹さす」は、「流れに棒を突っ込んで、流れをせき止めてしまう。船の通行が遅くなる」と受け取られるようになりました。棹を流れに入れて舟をこぐようすを見たこともない世代にとっては、「棹さす」ことによって船が進むとは思えないのも無理ありません。

 「犬棒」の解釈変化も時代の流れでしかたなし。さて、この「言語文化」の流れに棹さしたら、舟は早くすすむのか、遅れるのか、、、、

 現在の日本語教育において、日本語教科書の動詞可能形は、「今夜、テレビでアイドルのドラマが見られる」「正月にはお節料理がおなかいっぱい食べられる」と載っています。これに対して、私は「若い人の可能形は、見れる、食べれる、です」という現代語解説も付け加えています。

 「違う」の否定形「ちがくない」、「きれいだ」の否定形「きれいくない」、「白い」の否定形「しろいじゃない」には、まだ「ちがくない、ではありません。ちがわない、ですよ」と、訂正を入れていますが、さて、これらの否定形が日本語として定着するのが、私の生きているうちになるのかどうか。100歳までは生きるつもりなので、たぶん、生きているうちに変化すると申し上げておきましょう。

 二千年五千年の月日を、営々連綿と続いてきた日本語。現在の社会に、だれも紫式部が話していたのと同じ平安語を話していないように、現代と同じことばを話す人は消えていくのですし、新しい言い方新しい話し方が生まれていくのです。
 しかし、その芯棒をつらぬくことばが残されていくかどうかが問題。

 去年と今年を結び合わせる時間の棒を、心の中に感じるか否か。今年は去年の続き、しかし、ふたつの時間を貫く棒が、棒高跳びの棒となってしなやかに時空を飛び越えるのか、しんばり棒となって扉を閉ざすのか。

・去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「謹賀新年2014・騎」

2014-01-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/01
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>謹賀新年2014十四事(1)騎

 みなさま、新年おめでとうございます。
 ぽかぽか春庭、今年も無事新しい年を迎えることができました。昨2013年は、2003年にブログをはじめて、10年目。今年はまたあらたな1ページから始めたいと願っています。
 みなさま、どうぞよろしくお引き立て賜りますよう。
 相変わらずの誤字誤変換が続きますが、ご指摘いただければ幸いです。

 今年の日記は「十四事日記」と題します。
 「十四事」とは、江戸時代武士の武芸心得のうちの代表14を並べたものです。14種類の武芸とは、流派によって異なるものがあるかもしれませんが、おおむね、射(弓道)・騎(馬術)・棒(棒術)・刀(剣道)・抜刀(いあい)・撃剣(刀剣、槍などで相手を切るのではなく、打って倒す)・薙刀(なぎなた)・鎌・槍・鉄砲・石火箭(いしびや)・火箭(ひや)・捕縛(とりで)・拳(やわら)。

 武芸十八般となると、これらに加えて、水術(泳法)、手裏剣などを加えるようですが、いずれにせよ、春庭の十四事となると、武芸は単なる比喩であります。十四事の第2番「騎」となれば、話題は競馬へ移るか馬術の法華津寛選手の話題か、まあ、私自身には武芸の心得はこれっぽっちもありませぬ。
 いささかでも関わりのある「言語文化」の世界で、「騎」をいくつか。短歌俳句の馬を並べてみましょう。


・来る道は岩踏む山はなくもがも我が待つ君が馬つまづくに 万葉集巻11 2425 柿本人麻呂歌集
・たまきはる宇智の大野(おほぬ)に馬並(な)めて朝踏ますらむその草深野(くさふかぬ) 中皇命(万葉集巻1)
・鈴が音の早馬(はゆま)駅家(うまや)の堤井(つつみゐ)の水をたまへな妹が直手(ただて)よ 万葉集巻14、3439 東歌
・さざれ石に駒を馳させ心痛み吾が思ふ妹が家のあたりかも 万葉集巻14 3542 
・駒とめて袖うち払うかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ  藤原定家 新古今 巻6
・ぬばたまの黒毛の駒の太腹に雪どけの波さかまき来たる 正岡子規
・夏の風山より来たり三百の牧の若馬耳ふかれけり 与謝野晶子
・馬!馬!馬に乗りたし種吉とむかしかけくらをせし 石川啄木
・我と共に栗毛の仔馬を走らせし母の亡き子の盗みぐせかな 石川啄木
・ひつそりと馬は老いつつ佇ちてゐきからだ大きければいよいよ悲し  齋藤史
・馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ 塚本邦雄
・<馬>といふ漢字を習ひみづからの馬に与ふるよんほんの脚 大口玲子

・馬をさえながむるゆきの朝(あした)哉 松尾芭蕉
・春駒のうたでとかすや門の雪 小林一茶
・馬に乗って元朝の人勲二等( 夏目漱石1998(7明治30) 
・駆くる野馬夏野の青にかくれなし 橋本多佳子
・夏の雲に胸たくましき野馬駆くる 橋本多佳子
・蜜柑むく初荷の馬の鼻がしら 中村汀女
・仔馬駆けみちのく低き牧の柵 中村汀女
・綱垂れて馬あそび居り馬子昼寝 星野立子
・親馬のあしあとの辺を仔馬ゆく 星野立子
・緑陰に馬は草食み人は臥し 星野立子
・泉飲む仔馬に風の茨垂れ 飯田龍太
・野菊咲き少女が馬を野へ駆らす 寺山修司
・冬暁の馬の尻さわやか戸の間より 寺山修二



2014年9月にこの切手の値段と同じになります。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする