春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「破れ蓮」

2016-09-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160908
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>長月のことば(5)破れ蓮


一塔婆一死に増えてきりぎりす(平畑静塔)
鶫死して翅広ぐるに任せたり(山口誓子)
桔梗一輪死なばゆくての道通る(飯田龍太)

 このシリーズでは、秋の季語句のうち、「死」という語を含む句を選びました。
 諧謔をもととして成立した俳諧。芭蕉によって俳句として独立してからも、洒脱な滑稽味を含むことはあっても、「死」ということばは、短い五七五のなかでは重すぎるのかと感じます。亡き人を偲ぶ句は多くても、死そのものをテーマとする句に、私の心に響いた句はそれほど多くはない。けれど、生死を考えることの多かったこの年に、死を見つめた句に、深い味わいをもらいました。

 春庭の句は、むろんのことヘタレ味です。
・夏の葬列ヤマユリの咲く道をゆく(春庭)季重ねですが、やまゆり園を思って。
・台風が凶器となりて楽ならじ(春庭)楽ん楽んに思う。
・天高くころりと落ちて地べたの蝉(春庭)
・じぃじぃと辞世を叫ぶ落蝉の時制は過去形落ちき落ちけり(春庭)

・破れ蓮死は再生の一里塚(春庭)



<おわり>
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ぽかぽか春庭「秋天」

2016-09-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160907
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>長月のことば(5)秋天


富士秋天墓は小さく死は易し(中村草田男)

 草田男の句、戦時中の作句だという。秋空のもとに立つ富士の大きさに比べたら、戦時の死はあまりにも小さく、人は赤紙一枚でころころと死んでいったのだろうと思います。しかし、そういう背景を知らずに、句そのものだけを読んだとしても、小さな墓とたやすく死に至る人間の生と、秋空の中に立つ富士の大きさの対比は、あざやかに心に残ります。

 両親と姉が眠る実家の墓は、榛名山のふもとの斜面にあり、東に赤城山が広々と望めます。
墓なんぞ小さくても、いっそ無くても、心で亡き人を偲び、亡き人は風になっているのだと思えばよいのだと考えていますが、残された人に墓が必要なら、句碑のようにして建ててもらおうかと思います。

 一番最初に我が家の墓に入った母。私の希望で墓石の脇に句碑を置いてもらいました。

腕欠くも静思秋野の石仏(静栄)

 秋の野辺に立つ、小さな石仏。古びて腕も欠けている仏様ではあるけれど、静かに物思いをしている。小さな石仏をそっと見守っている母が、私をも静かに見守っていてくれる気がしてきます。f
 ときおり母の句歌集のページをめくってみる、お墓参りをしなくても、これが私の供養の方法です。

 私も、墓のかわりに句碑?あらら、私には石に刻むほどの句はなかった、、、、これから精進します。

・句碑ひとつ見当たらぬほどの花野かな(春庭)

 留学生に、小春日は春の季語じゃない、花野は秋だよ秋、と、言い暮らしてきた日々も、遠くなっていきます。

 ↓の富士、墓ではありません。山部赤人の 歌碑です。
万葉集3-318
 
田子の浦ゆ打ちいてて見れば真白にそ富士の高嶺に雪は降りつつ」 
 兒之浦従  打出而見者  真白衣  不盡能高嶺尓  雪波零家留


 
画像借り物 富士市オフィシャルページより

 千年の後まで伝わることば。まこと、人の死は易し、されど人のことばは長し。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋の寺」

2016-09-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160906
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>長月のことば(5)秋の寺

秋の寺華やぐはただ死のときのみ(有馬朗人)

 一休和尚は「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と詠みました。
 満年齢になった現代では、正月にいっせいにひとつ年をとることもないので、さしづめ誕生日が「冥土の旅の一里塚」に当たるのでしょう。

 年金もらう年になれば、いっそうのこと「誕生日めでたくもありめでたくもなし」ということになってくるのですが、私は、まだまだ誕生日がうれしいのです。
 誕生日はだれにもあり、この一日ばかりは、自分が生まれてきたことを意識します。冥土の旅の一里塚であれ、誕生日がある。私が生まれてきたことを、私自身は寿ぎたい。
 誕生日の一日は、自己承認の一日です。

 現代人の欲望は、昔のつつましやかな人生に比べて、食欲にせよ権勢欲にせよ、大きくふくれあがっています。
 昔に比べると格段に肥大したと思えるのが、「承認欲求」みたいです。

 この春から夏にかけて、落ち込むことが多かったことを書きました。
 これまで私は、「貧乏な人生だけれど、心豊かに暮らせてきた」と思うことができました。しかし、この春、お金がないために悲しい思いをいたしました。これまでお金を十分にかせいではこなかった人生を、おおいに後悔しました。なにをどう言われようと金儲けに邁進した人だったなら、こんな事態になってもちゃんと対処していけたのに。お金がないばかりに、家族がより厳しい試練にさらされました。しかし、何を言っても、ないものはない。自己否定に陥りがちな毎日でしたが、誕生日の一日ばかりは、生まれてきたことを肯定したいと思います。

 生まれてきてよかったね、わたし。生き伸びていくこともままならぬ人生だけれど、生まれてきて、これまで歩んでこられてよかったね。はい、つつましやかに自己承認の一日を過ごしました。
 台風の被害に遭われた方々も、こののち。すこやかでありますように。
 そして、これからの1年が平穏でありますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「二百十日」

2016-09-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160904
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>長月のことば(3)二百十日


彎曲し二百十日の爺婆よ(齋藤愼爾)

 2016年の二百十日は、8月31日にあたりました。
 この日、台風10号が東北地方と北海道に上陸しました。沖縄九州に比べて、これまで台風への備えが十分とはいえなかった地帯です。

 8月31日、東北地方に上陸した台風10号。各地に大きな被害をもたらしました。うち、岩手県岩泉町のグループホーム楽ん楽んの70代から90代まで居住者が、小本川の急激な増水に飲み込まれ亡くなりました。認知症などをわずらうお年寄りが9人が溺死したのだそうです。

 この地域の行政はハザードマップを公開しておらず、台風10号が近づいても避難勧告は出されていなかった。早めに適切な避難をしていれば、失われずにすんだ命です。

 9人のお年寄りの死のニュースを受けて、神奈川やまゆり園の事件のときと同じく、「働きもしない年金の無駄飯食いが一掃された」というネット言説があらわれました。

 だれしも好んで認知症になりはしない。生まれつきであれ後天性であれ、望んで障害を負った人もない。人はだれしも老いていけばなんらかの障害は負うし、私の世代では、2025年に、5人にひとりは認知症となるという厚生労働省の発表もでています。

 私も、持病の薬を服用しつつ、また、現在は、右手首が腱鞘炎のようになってペットボトルのふたも明けられない状態になっています。整形外科でレントゲンなど撮ってもらいましたが、「骨に石灰質が付着しているけれど、年のせい」という診断だけ。痛み止めを処方されて終わりでした。

 いよいよ「一億総活躍」できない役立たずだからと、排除されてしまう日も近いかと、痛む手首をさすっています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋の夜道」

2016-09-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160903
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>長月のことば(2)秋の夜道


母の死にはじまる秋の夜道かな(松沢昭)

 8月30日、埼玉県富士見市に住んでいた90歳の母親が、同居していた69歳の息子にベルトで首を絞められ殺害された、というニュースが、小さな囲み記事で出ていました。息子は自首してきて罪を認めているということですが、いったい高齢の母と高齢の息子の間になにがあったのか、その後の取り調べ内容については何も報道されていません。
 90歳の母と69歳の息子は同居していたということなので、老母の世話も息子がやっていたのでしょうか。その母子がどうして。

 詳細はわかりませんが、息子に母の世話をできない事情があったとして、だれも手をさしのべなかった社会が、この母の命を奪ったのではないかと思えます。
 卒寿を迎えるまで長生きをした親を自らの手で殺害した息子。いったい何があったのか、つらい事件です。

 私は24歳のとき、母を見送りました。母は55歳でした。母の死から3年ほども、私は長い夜道を歩くような日々を過ごしました。今は、母亡きあとに生まれてきた6人の孫たち10人のひ孫達を、母が見守っていてくれると思うことで、短かった母の人生も豊かな実り多かった人生だったと思えますが、それでも、亡き母の年を数え、90歳まで、99歳まで生きていてほしかったなあと、今でも残念です。医者の誤診をうけなかったならばと、悔しく思います。

 90歳まで歩んだ母親の人生を断ち切らなければならなかった息子の心、どんな思いだったのでしょうか。

<つづく>
 
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ぽかぽか春庭「台風過」

2016-09-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160901
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>長月のことば(1)台風過


台風過しずかに寝ねて死にちかき(橋本多佳子)

 東北では8月30日夜の台風上陸通過で大きな被害。31日は、九州熊本で震度5の地震。
 高齢者にとって、つらい災害がつづきます。

 長月が、平穏な月でありますように。

<つづく>


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